第98回:ニュースにならぬ「うまくいっていること」に目を向ける(想田和弘)

 日々のニュースに接していると、この世の中には問題が山積みだと感じて、息苦しくなったり、怒りが湧いてきたり、不安になったり、気持ちが沈んだりすることがないだろうか。

 僕は結構ある。

 その背景には、世の中で「うまくいっていること」は、基本的にはニュースになりにくいという事情がある。たとえば「想田和弘が交通事故で死亡」なんてのはニュースになるだろうが、「想田和弘は今日も元気に生きている」なんてのはニュースにならない。

 したがって新聞を開けば、事故や不正や不具合の記事ばかりが並んでいることになる。そしてそれを世の中を映し出した鏡だと誤解してしまうと、私たちは問題だらけの社会に住んでいると錯覚してしまう。報道されない「うまくいっていること」が、実は私たちの社会や日常の大部分を占めていたとしても、である。

 だから僕は最近、ニュースにならない「うまくいっていること」にもなるべく意識を向けて、思い出すようにしている。

 たとえば、水道の蛇口をひねるとき、「ここから安心して飲める水が出てくるのは、実は凄いことだよなあ」と思ってみるようにする。

 実際、これは当たり前のようでいて、決して当たり前のことではない。ユニセフによれば、世界では6億6300万人もの人が、安全な飲み水を利用できない状態にあるという。厚生労働省の統計によると、日本でも今でこそ上水道の普及率は98%にのぼるが、戦後すぐの1950年には26.2%でしかなかったそうだ。

 世の中、結構進歩もしているのだ。

 日々の生活に必要なさまざまな物資が、法外ではない値段で、比較的容易に手に入るということも、日本社会の「うまくいっている点」だ。

 新型コロナウイルスの感染が拡大し始めた去年の春先、マスクやアルコール消毒液が不足して混乱が生じ、その問題がニュースでも盛んに取り上げられた。しかし裏を返せば、それ以外の物資はコロナ禍にもかかわらず、流通がストップしなかったということである。マスクや消毒液も、数ヶ月で供給が需要に追いつき、今では普通にコンビニや薬局に並ぶようになった。これもよく考えると、凄いことであろう。

 教育や医療へのアクセスも同様である。日本の初等・中等教育の就学率はほぼ100%だし、医療保険は国民皆保険制である。基本的には、誰でもベーシックな教育や医療を受けられる状態にあるわけだ。これも実はまったく当たり前のことではない。特に医療費や健康保険料が極めて高く、誰でも恩恵を受けられるわけではないアメリカに長く住んできた僕からすると、日本の医療制度は天国のようにも見える。

 無論、それは日本の制度に問題がないことを意味するわけではない。

 コロナ禍では、医療システムが感染症の大規模なアウトブレイクに対応しておらず、医療崩壊が簡単に起きてしまう現実が痛感された。したがって、問題点を指摘することは重要だし、改善も絶対に必要である。しかしだからと言って、うまくいっていない点ばかりを意識して、日本の医療制度はまったくダメだと落胆し、不安や怒りばかりを募らせるのもバランスを欠いているのだと思う。

 まあ、そんな風に、精神衛生のためにも、そして社会像をバランスのとれたものに補正するためにも、ときどきはニュースから離れて、日常生活の中で「うまくいっていること」に目を向けてみるのは、いかがであろうか。

 たぶん思った以上に、この世の中も、あなたの生活も、うまくいっている。

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想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ):映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。最新作『五香宮の猫』(2024年)まで11本の長編ドキュメンタリー作品を発表、国内外の映画賞を多数受賞してきた。2021年、27年間住んだ米国ニューヨークから岡山県瀬戸内市牛窓へ移住。『観察する男』(ミシマ社)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)など著書も多数。