「夢みたい……」
生活保護申請を終えたあと、その女性は何度も小さく呟いた。
3月13日、都内のある炊き出しで声をかけた女性。話をするともう3年ほど住まいのない生活で、大雨だというのに今夜の寝場所も決まっていないという。
「今日と明日、大久保公園で女性だけの相談会やってるんで、ぜひ来てください」
何度も念押しすると、女性は雨の中、傘もささずに大久保公園に来てくれた。その日の強風で傘は潰れてしまったという。さっそく聞き取りをし、生活保護の話をすると利用したいとのことだったので、その日申請ができると聞いていた某区に、弁護士の白神優理子()しらがゆりこ)さんと私と彼女の3人で向かった。区役所ではマガジン9の元メンバーであり、現在は豊島区議会議員の塚田ひさこさんが待っていてくれて、4人で相談ブースに入る。
「なんとしても生活保護申請受理、今日から1ヶ月のホテル滞在、本人が嫌がっているので扶養照会をしない方向で交渉しないと!」
担当者を待ちながら、私は鼻息荒く身構えていた。
せっかく生活保護を申請できても、女性の場合、婦人保護施設や他の施設に入れられてしまうと、携帯を管理されて自由には使えなかったり、また環境が劣悪だったりで耐えられず逃げ出してしまうこともある。そうなると「失踪」となって生活保護は廃止され、また路上生活という「振り出しに戻る」ことが多い。それだけでなく、「公的福祉に対する不信感」が刷り込まれてしまうのでもっとも避けたいところだ。
だからこそ、まずは1ヶ月ホテルを確保すること。また、せっかく生活保護を利用する気になっても、最後の最後で扶養照会の話をすると「家族に知られるくらいならやめる」となってしまうことも多々ある。なので、「本人が嫌がっている場合、無理強いしない」よう、なんとしてでも交渉しなければ……!!
そうして一人臨戦態勢に入っていたのだが、その日対応してくれた係長の対応は、私を一気に武装解除させるものだった。拍子抜けするほど当事者に寄り添った対応をしてくれたのだ。
聞き取りが始まってすぐ、「今日から泊まれるホテル」の地図が出てきた上、係長は扶養照会について触れ、言った。
「今、いろいろ話題になってますが、家族にどうしても知られたくないという場合は、無理に扶養照会をすることはありませんから」
これまで、多くの人を生活保護制度から遠ざけてきた扶養照会。それがまさか、役所側からこんな声がかけられるようになるなんて。私は、私は今、夢を見ているのか? そう疑ってしまうほどに、現実とは思えない言葉だった。時代は確実に変わっているのだ……。一人、なんだか遠い目になった。
結局、簡単な聞き取りと制度の説明などをして20分ほどで生活保護の申請は終了。この日は土曜日だったので、月曜日にまた改めて詳しい聞き取りなどをすることになり、再び白神弁護士や塚田さんが同席してくれる方向となった。
みんなで「良かったねー」と話しつつホテルに向かう道中、彼女が何度も口にしたのが「夢みたい」という言葉だったのだ。もうひとつ、「助けてくれる人がいるなんて、考えたこともなかった」
それを聞いて、彼女のこの3年ほどに思いを馳せた。
女性が住まいを失うということは、どれほどの恐怖と隣り合わせの日々だったろう。そんな中、おそらく彼女は誰からの助けも得られてこなかったのだ。女性の場合、男性よりもより慎重に自身の困窮を隠さなければたちまち危険な目に遭う可能性がある。だからこそ、彼女たちは「隠す」こと、「隠れる」ことに長けている。しかし、それは同時に支援者からも見えなくなってしまうことを意味する。
今、ふと思う。あの土砂降りの中、ずぶ濡れになった彼女がそのまま野宿していたとしたら。そう思うだけで、このタイミングで相談会をやって良かったと、心から思う。
さて、そんな3月13日と翌14日、開催されていたのは「女性による女性のための相談会」。
年末年始、大久保公園でコロナ被害相談村が開催されたことはこの連載でも触れてきた通りだ。その相談村を経て、「女性だけの相談会」の必要性を痛感し、年明けから女性たちで話しあいを続けてきた。そうしてこの両日、とうとう開催されることになったのだ。
相談会場の大久保公園(写真提供:「女性による女性のための相談会」実行委員会)
初日の3月13日は、まるで罰ゲームのような暴風雨だった。
大久保公園にはテントが設営されたのだが、何度もテントごと吹き飛ばされそうになり、横殴りの雨にさらされながらの相談会だった。
それぞれのテントでは、生活、労働、医療、法律、妊娠や出産、子育て相談などができるようになっている。中央にはカフェスペース、相談ブースの一角には、新鮮な野菜を持っていけるマルシェや衣類コーナー、生理用品、マスクなどがもらえるコーナー、缶詰やレトルト食品のコーナーもある。
1日目はいろいろ見て回る余裕もなかったが、晴天に恵まれた2日目は、多くの女性が衣類を選んだり、持ち帰りたい野菜を袋につめたりとバザーやお祭りのような雰囲気だった。また、キッズコーナーでは秘密基地のようなテントで子どもたちが楽しそうに遊んでいて、子連れの女性も安心して相談できる環境が作られていた。そんな相談会で2日間に渡って相談員をしたのだが、1日目に出会ったのが、冒頭の女性だったのだ。
テントの中に作られたマルシェ。大量の野菜やお花が。ここから好きなものを持っていけます
そうして2日目。初日には23人だった来場者は、晴天のこの日には、なんと102人に増えていた。
私が2日目に相談を受けたのは、約10人。それぞれの相談は、あまりにも多岐にわたっていた。
家族についての相談。昨年から仕事がなく、所持金が尽きそうという相談。海外で働いていたが、コロナによって失業したという相談もあった。それだけでなく、一方的に給与を減らされているという相談もあれば、DV被害に関する相談、かなり専門的な法律相談などにも耳を傾けた。中には、持続化給付金や社会福祉協議会の貸付金、住居確保給付金などあらゆるものを利用し尽くし、制度を熟知している人もいた。自身が生きるために必死に情報収集したそうだが、今すぐ相談員としてスカウトしたいくらいの知識量だった。
それぞれ聞き取りをして、その場にいる専門家につなぎ、また公的な制度や他の支援団体、相談できる窓口、ホットラインなどにつなげていく。2日間相談員をしただけで、世の中にはこれほど多様な問題、悩みがあるのかと痛感した。
嬉しい再会もあった。年末年始の相談村に来てくれて、それがきっかけで支援につながった若い女性。仕事が無事に決まり、「来週から働き始める」と嬉しそうに報告してくれたのだ。女性たちの盛大な拍手に包まれて笑う姿が眩しかった。
一方、女性だけの相談と絞ることで、多様なニーズが浮き彫りになった。困窮者支援色が濃い相談会では決して出会えなかったような女性たちとも多く出会えた。毒親に関する問題や、各種法律相談など、これまで私が経験しなかった相談にも直面した。女性相談と銘打つことで、ぐっと間口が広くなった気がする。
また、改めて痛感したのは、女性は親や兄弟などの家族、そして夫や彼氏など身近な人からの暴力被害に遭いやすく、またそこから逃げようとすると一気に困窮に陥ってしまうということだ。DVの問題はこれまでも認識していたつもりだったが、改めて、女性だけの場で語られる暴力の壮絶さに言葉を失った。もちろん、DVは身体的暴力だけではないのだが、そんな話も女性同士だと「わかるわかる」と共感できることばかりなので話が早い。
相談会に参加しての感想を、参加者たちはポストイット(付箋)に書いて会場の一角に貼ってくれた。一部を紹介しよう。
「来てみて良かったです。心が軽くなりました」
「女性だけの集まりはとても助かります。男性には相談できないことも言いやすいです。ありがとうございます」
「食料などもらえて助かりました。ありがとうございます」
「心が温まりました」
女性だけの場所を作ることで、初めて聞こえてくる声がある。男性がいる場所ではそもそもその声は上がらないから、「何も問題はないだろ」となってしまう。しかし、このような場を作って初めて、聞こえてくる声があるのだということを改めて確認した2日間だった。男性の前では、生理用品がほしいと言えない。衣類や食品を配っていても、好きなだけゆっくり選べない。それだけでなく、ひとつひとつが言語化できないくらい小さなことで、男性がいるとどうしても生まれる遠慮というものは確実にある。
「女性による女性のための相談会」、2日間で来てくれたのは125人。そのうち住まいのない人は、両日でそれぞれ5人ずつだった。生活保護申請をしたのは初日は3人。2日目はまだ集計中だ。
相談会は終わったが、ある意味でここからが始まりだ。さっそく今週から、相談を受けた人たちの生活保護申請や役所への同行などが始まる。私も何件か同行することになっている。また、冒頭の女性のアパート転宅までも見守りたい。それだけではない。今はまだ大丈夫だが数カ月以内には生活保護申請が必要となるだろうケースもあったので、こちらは連絡待ちだ。
今、こうして女性たちは、女性たちで助け合う実践をしている。それがどんどん「女性たちのノウハウ」となり、広がっていったら。それは困窮だけでなく、例えば災害時なんかにも、ものすごく役に立つと思うのだ。
ということで、この相談会には多くの方々からのカンパも頂きました。応援してくださった皆さん、実行委員メンバー、ボランティアの皆さん、そして来てくださった皆さん、ありがとうございました! ここからいろいろ、広げましょう!!
キッズコーナー。実行委員メンバーの菱山南帆子さんと