第6回:カフェ1年ぶりに再開――コロナ前と変わったこと、変わらなかったこと(小林美穂子)

カフェ潮の路、一時休業から1年

 4月1日に「カフェ潮の路」を再開した。

 カフェ潮の路は、ホームレス状態を抜け出してアパートに移った人たちの社会的孤立を防ぐ居場所であるとともに、ランチを食べに来てくれる地域住民との交流の場として、2017年4月にオープンした。しかし、持病持ちや高齢者のお客様も多く、狭い店内で密に過ごすのが売りという性質上、コロナ感染拡大や緊急事態宣言を受けて休業に踏み切ったのが去年4月。ちょうど1年ぶりの再開だ。

 去年の今頃は想像もしていなかったことであるが、1年が経過した今もなお、コロナは終息しているどころか、ウイルスは目まぐるしく進化を遂げていて、今や新規感染者のほとんどが変異株に感染しているのだという。
 日本のウイルスとの闘いは惨憺たるもので、対策は常に遅きに失して後手後手で、ウイルスは穴だらけの包囲網を自由にくぐり抜け、対策を講じている間にも瞬く間に進化し、エントリーフリーの島国に余裕しゃくしゃくで入ってくる。侵入したニューフェイスを追跡する力も日本にはない。現場はどこも必死だが、悲壮感と無力感が漂っているのは、お上があんまりだからだ。やりきれん。
 ワクチン……もはや話題にする気にもならない。そして、この状況下でオリンピックをやるんだと。

コロナ対策に失敗を続けた日本の今

 1年を超えるコロナの影響で飲食業などのサービス産業は甚大な被害を受け、自粛自粛を呼びかけられ続ける人々の我慢も限界だ。足並みは激しく乱れ始めている。
 時短営業や派遣切り、シフト減で収入が激減した人々が、生活を持続するために社会福祉協議会の臨時特例貸付(緊急小口資金、総合支援資金)に殺到し、特例貸付の申請者数は5月22日現在までで累計229万人超、累計支給金額は9,391億円を超えた。
 これだけの人数が貸付(借金)を受けないと生活ができないという事態が、この国の底が完全に抜けたことを意味しているのだが、どういうことだろう、生活保護の申請数はこの1年間、微増にとどまっている。
 これこそが、一部の政治家が撒いた「自己責任」の種が、一部メディアや著名人たちによって肥料を与えられ、すくすくと育ってグロテスクな花を咲かせた結果だろう。

カフェ潮の路再開

 暗く閉そく感漂うコロナ下でのトンネルの出口はまだ見えない。
 では、なぜカフェの再開を決めたかといえば、それは私が限界だったからである。

 コロナ禍の1年間、私は店を休業して、生活困窮して家も所持金も失った人たちの支援に駆けずり回っていた(詳しくは『コロナ禍の東京を駆ける』を読んでね❤)。同時にこの現状を社会に伝えないと事態は改善されないから、発信にも力を入れていた。それこそ夜も昼も土日もなく、「もう、死ぬしかない」というところまで追い詰められた人たちに会い、福祉事務所で交渉をし、アパート探しをし、プライバシーに気を遣いながら発信を繰り返す毎日の中で、私自身がすり減っていくのを感じていた。
 相談者たちの、恐らく人生で最も辛い場面に連日立ち会っているのである。そんな人達を受け止めるはずの福祉事務所職員は、無神経だったり無礼の極みだったりするから、私は眉間には皺を寄せ、眉尻を下げ、でも口では笑って、まるで竹中直人の「笑いながら怒る人」みたいな交渉を、お笑い芸人でもないのにするのである。相談者を怖がらせたくないから。
 疲れる。こんな毎日は非常に疲れる。
 同時に、1年間もほったらかしにしていたカフェの常連さんたちがどうしているか、常に気掛かりだった。カフェ営業中に私がいかにご近所さんやお客さん達から力をもらっていたかも痛感した。誰よりも私が、カフェ再開を必要としていた。

コーヒー&弁当販売の形での再開

 2月くらいにカフェ再開を決意したものの、密なカフェでのお食事を解禁にする勇気はない。そこで、コーヒースタンド、人数制限をしての書房、お弁当販売の営業を再開することにした。以前は週2回の開店だったが、緊急支援の方も続くため、当面は週1回で。

 再開すると、常連さんたちが続々と戻ってきた。
 「お弁当くださーい!」と口々に言いながらワイワイ楽しそうに階段を上がってくる。一年前までの光景が思い出されて、それだけでも嬉しさが満ちる。スタッフも満面笑顔。
 常連さんたちは続々と戻ってきたが、この1年で見かけなくなった人もいる。
 1年前までは毎週「かあちゃん、かあちゃん」と言いながら階段を上がってきて、常に金銭管理には失敗しているから「お福わけ券」(カフェに来る「誰か」のために飲食代を先払いする仕組み。お金のない人も券を使って無料で飲食することができる)を利用して腹いっぱいご飯を食べ、うまいうまいを連発し、食レポ術を進化させていたお相撲さん体型の若者は、あちこちでトラブルを起こし、部屋を出ていた。
 また、つくろい東京ファンドとは全く関係のない、ご近所のお喋り好きのおじさんは、この1年の間に大病を患っていた。首の肉がすっかり落ちて一回り小さくなった彼から報告を聞きながら、コロナが無ければ、この人の不安や苦労をみんなで聴くこともできたのに、この人はたった一人でご自分の病気を受け止め、手術をし、暮らしてきたのだと申し訳なく思う。
 「かあちゃん、かあちゃん」の若者も、カフェが営業を続けていたら、その異変に気付くことができたのではないか、そんな思いが消えない。
 ほとんどの常連さんたちはコロナがあろうとなかろうと逞しく過ごしていたが、1年間の休業で失ったものも少なくない。

緊急事態宣言下、家なき人々は……

 去年の4月、カフェを休業するにあたって一番案じていたのは、カフェの常連になっていた現役路上生活者のことだった。みな、寝ている場所も特定されていないし、携帯電話もお持ちでないために連絡する術がない。それぞれにご事情があって、生活保護を拒んでいる。
 営業している間は、彼らにとってカフェが遠慮せずにゆっくりできる屋内だった。池袋から徒歩で来る人、壊れた自転車で乗り付ける人……皆さん、カフェでお福わけ券を利用して空腹を満たすと、雑誌を読んだり、仮眠を取ったり、思い思いに過ごしていた。閉店してもなかなか帰ってくれなくて苦労するほどに気に入ってくれている人もいた。
 男性の方たちには、その後も炊き出し現場などで再開することができた。年末年始の「大人食堂」(緊急相談会)にやってきた一人に駆け寄り「お元気でしたか?」と椅子を勧めると、座ってボロボロと涙を流した。ほとんどの支援団体の人間は彼を知っている。しかし、つながっていても、彼の問題は誰にも解決できない。ずっと路上生活を続けているのにとても青白い顔をした人の涙。

モモさんとの再会、カフェに歓声

 モモさんは自分の名前も、普段いる場所も明かさないミステリアスな女性だ。初めてきた当初は「話しかけるなオーラ」を全身から放っていて、たとえ話しかけても反応しなかったのが、次第にスタッフや常連客に打ち解けるようになった。他のテーブルの人たちが話していることを聞きながら眉間にしわを寄せて考え込み、質問をしたりするようにまでなっていた。凛とした雰囲気の美しい人だ。
 幡ヶ谷で路上生活をしていた女性が殺されるという痛ましい事件もあった。モモさんはご無事だろうか。怖い目に遭ってないだろうか。彼女にカフェの再開をどのように伝えたらいいだろうか。鳩でも飛ばせたらいいのだけど……。心配しながらもなすすべなく日々が過ぎて行く。
 そんな5月に入ったある雨の日のこと、入ってきたお客様を迎えたスタッフが歓声をあげた。振り返ると雨合羽を着たモモさんが立っている。1階でモモさんの姿を見かけた稲葉も追いかけて来て、みんなで再会を喜ぶ。
 基本的に店内での食事は禁止しているが、帰る家がない人や相談がある人は例外ということにしており、モモさんは以前のように閉店までゆっくり読書をしながら過ごすようになった。生活保護の話や、せめて携帯電話を持たない?という話をしても、今のところは断られ続けている。それでも、名前も知らない細い脆い関係性が、カフェ再開でふたたび繋がったことが嬉しい。モモさんの声や、笑う顔を見られることが嬉しい。
 モモさんにおかずのリクエストを聞いたところ、「お魚」という返事だった。魚は高いんだよねーと思いつつ、その翌週から魚メニューが潮の路弁当に登場することとなる。

カフェが炊き出し現場のように

 弁当屋として再開したところ、コロナ前とは明らかに異なるお客さんがやってくるようになった。コロナ前まではカフェの利用はしていなかったご近所さん達だ。
 「ようやく再開されたんですねー」と張り紙を見て寄ってくださる。コロナの閉そく感の中で、カフェの再開が皆さんに少しでも活気を与え、お弁当を楽しんでもらえるのなら、こんなに嬉しいことはない。

 カフェ再開後は、回を重ねるごとに客数が増えてきている。
 4月1日にお弁当(500円)20個、サンドイッチ(200円)20個から始めたお弁当販売は、すぐに30個必要となり、5月半ばには45個(!!)と4月の倍以上のお弁当が必要となった。2人で作る量としては、結構きつい。
 なぜ、そんなことになっているかといえば、生活困窮者が増加しているからだ。
 ゴールデンウィーク中に四ツ谷駅前のイグナチオ教会で開催された大人食堂に並んだ人数は、二日間の合計で658人。池袋で生活困窮者の支援をするTENOHASIが月二回開く炊き出しに並ぶ人数も、毎回記録を更新していて、コストはコロナ前の20倍掛かっていると聞く。
 まさか潮の路のような小さなカフェにまで影響が出るとは思っていなかったのだが、若い方々が「お金無くてもお弁当もらえるって……」とうつむきながら消え入るような声で言う。
 初めて訪れる一人ひとりに名刺を渡す。カフェでは話せないようなことでも、メールならできるかもしれないから。お弁当や炊き出しで生活を繋いではいけない。

 この国はオリンピックを開催するようだが、事態は悪化の一途を辿っている。社会の底はもう抜けている。しかし、私は絶望しながらも諦める気はない。
 去年、自死を選ぶ手前まで行ってしまった若者がいた。関わった人たちでネットを張りながら、「飛びおりないでよ、踏ん張ってよ」と祈るように見守ったその彼が、その後自力で困難を克服し、制度にもつながり、はつらつとした明るい顔でお弁当を買いに来てくれたりもしている。そんな一瞬一瞬があるから。人の命に、人が存在し続けることに私は励まされているから諦めない。

バブルはもう起きないから、是非相談を

 月、火、金はコロナ禍の緊急支援を継続し、火曜の夜、風呂に浸かりながら翌日の献立を考え、水曜日にヒーヒー言いながら一人で仕入れをして、2017年のオープン当初から手伝ってくれるSさんと大量のおかずを作る。そして木曜日は大好きな人達にお弁当を販売しながら、近況を聞く。体調を確認する。合間に相談業務や取材なども入れ込みながら、一日が過ぎていく。土日は原稿を書き、最低限の家の掃除をする。相変わらず大変な日々である。
 しかし、カフェの常連さん達も、人生で最悪だった時期を乗り越えて、今では私やスタッフ達を励ます存在になっているように、今、「もうダメだ」と思っているたくさんの人々も諦めないで欲しいのだ。解決できない問題なんてそうそうない。無理と我慢を重ねず、相談して欲しい。
 あと、練馬の福祉事務所が、少なすぎる保護費のやりくりに失敗してしまった利用者にカフェ潮の路を紹介するのはいいとして、練馬社協は生活に困って相談に来た人にカフェを紹介する前に生活保護制度の説明をしっかりして、福祉事務所に誘導するように。そして、福祉事務所は「よく来てくれた」と迎えるように。あなた達が向き合っているのは命なのだから。夜露死苦!

       

小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。