第101回:コロナ禍を「地方」から眺めると(想田和弘)

 コロナ禍が生じて、一年以上が経過しつつある。

 去年の3月下旬、ロックダウンが始まったばかりのニューヨークから、『精神0』のキャンペーンと劇場公開のため東京へ赴いた。

 しかし、まもなく東京でも緊急事態宣言が発令された。キャンペーン用のインタビュー取材はオンラインに切り替わり、『精神0』の日本封切りはネット上の「仮設の映画館」でなされ、リアルな劇場公開は延期された。

 その間、僕ら夫婦は新宿で借りていた民泊の部屋から、ほとんど出られなくなった。というより、外に出ても大半のお店は閉まっているし、どこにも行ける場所がなかった。レストランや小売店や劇場や美術館が閉じている東京は、ただの巨大なコンクリートの塊のように思えた。

 僕らは緊急事態宣言があけてすぐ、ご縁のある瀬戸内海の街・牛窓に逃れた。以来、基本的には牛窓で、野良猫たちとともにのんびりと気楽に暮らしている。

 現在、牛窓のある岡山県では緊急事態宣言が発令されているが、東京で感じたような閉塞感は感じられない。

 その最大の理由は、ここは海と山に囲まれ、豊かな自然が残っているからであろう。営業自粛を迫られた飲食店等にとっては死活問題だが、たとえそれらが閉じていても、僕らが「行く場所」や「居場所」がないわけではない。というより、浜辺や森や山など、いくらでも憩える場所はある。

 しかもそうした場所で目にする生き物は、コロナとはまったく無縁である。木々や草花、魚、鳥、昆虫、野良猫。当然だが、彼らは誰もマスクなどせず、手指の消毒もせず、なにごともないように普通に暮らしているのである。

 そうした生き物を眺めていると、コロナで困っているのは実は人間様だけなのだと、当たり前のことを認識させられる。しかし都会では人間様の世界がすべてだから、人間様の行き詰まりは世界の行き詰まりに感じられてしまうのだろう。そういう意味では、都会に築かれた人間オンリーの文明は、僕らの世界観を狂わせてしまった。

 コロナ禍を機に、すでに飽和状態にある大都会を脱出し、自然の中で暮らす人が少しでも増えればよいのにと、心から思う。

 実際、都会と田舎の「格差」があまりにも広がった結果、田舎は圧倒的に暮らしやすくなっている。

 たとえば牛窓では、物件にもよるので一概には言えないが、月に2万円か3万円くらいで一軒家を借りたりすることも不可能ではない。もっとも、空き家はいくらでもあるのに貸し出し可能な状態の家が少ないので、なかなか賃貸物件が出回っていないのが難点なのだが。

 とはいえ、以前撮影で訪れた山陰の街でも「家賃一万円の一軒屋に住んでいます」という移住組に会ったことがあるので、たぶん日本のあちこちで、不動産価格が不当なまでに著しく低下しているのだと思う。

 裏を返せば、都会からの「逃げ場」はいくらでもあるのだ。

 あまり無責任なことは言えないが、地方では働き手も不足しているので、仕事だって結構あるはずだ。僕の周りには、耕作放棄地を借りて有機農業を営み、家族で暮らしている移住組も複数おられる。英語のことわざにあるように、「ある人にとってのゴミは、別の誰かにとっては宝」なのである。

 都会の生活に行き詰まりを感じている人には、地方への移住について考えてみることをお勧めする。移住先の人々も、新しい住人が増えることをたぶん歓迎してくれるはずである。

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想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ):映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。最新作『五香宮の猫』(2024年)まで11本の長編ドキュメンタリー作品を発表、国内外の映画賞を多数受賞してきた。2021年、27年間住んだ米国ニューヨークから岡山県瀬戸内市牛窓へ移住。『観察する男』(ミシマ社)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)など著書も多数。