第7回:「原発避難者住宅追い出し裁判」傍聴記 「『戻る権利』があるように『戻らない権利』もあって然るべき」(渡辺一枝)

 5月14日、福島地方裁判所で開廷された「原発避難者住宅追い出し裁判」の傍聴に行ってきました。
 2011年3月11日の東日本大震災と原発事故によって、多くの人が居住地を離れて避難しました。避難者は災害救助法によって避難先で仮の住居を得ましたが、自然災害と違って原発事故による被害は、災害救助法では救済しきれない問題が多々あります。被害も長期に亘ります。それなのに、福島県はたった6年で住宅支援を打ち切り、行き場がなくそのまま居住する人に対しては2倍の家賃を請求、更に裁判に訴えてまで追い出そうとしています。県民を守ろうとしないばかりか、逆にいたぶっているのです。どうぞ、この裁判にご注目を。

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 14日は飯舘村の菅野榮子さんの家を出てから福島市内に向かい、途中で昼食を済ませてから福島地方裁判所へ行った。この日、ここでは「原発避難者住宅追い出し裁判」の第1回口頭弁論が開かれ、開廷に先立って地裁前で支援集会が行われた。この集会参加と裁判傍聴が、今回の福島行の目的でもあった。
 この裁判は理不尽極まりない裁判で、いわば加害者が被害者を訴えるというあべこべ裁判なのだ。本来なら国や行政が護るべき存在の避難者を、県が避難先の住宅から追い出すために起こしたものだ。こんな不条理は、到底許されない。裁判を注視し、司法を監視していきたいと、私は思う。

閉廷後に開かれた報告集会にて

住宅支援打ち切りまでの経過

 2011年3月11日、東日本大震災が起き、続いて東京電力福島第一原子力発電所が爆発事故を続け様に起こした。これによって大量の放射性物質が大気中に放出拡散され、多くの人が居住地を離れて避難した。各地で、災害救助法に基づく借り上げ住宅の提供が始まった。
 2012年6月、「子ども・被災者支援法」が衆議院本会議で可決成立した。
 2012年12月、福島県(以下、県と記す)は、新規の県外借上げ住宅(民間賃貸住宅のほか、UR賃貸住宅、自治体の公営住宅、雇用促進住宅、国家公務員住宅等)の受付を終了。
 2014年9月、政府(復興庁)は子ども・被災者支援法に基づいて、避難指示区域を除いた福島県中通り及び浜通り居住者を「支援対象避難者」と位置づけ、公営住宅の優先入居について通知。
 2015年5月、政府は「自主避難者(区域外避難者)の住宅支援を2017年3月末で終了すること」を決定した。同年6月15日、県は2017年3月末をもって区域外避難者への借上げ住宅の無償供与を打ち切ることを発表した。これは2020年までに県外避難者をゼロにすることを目標にしてのことだった。そして政府は、県によるこの方針を追認した。
 2016年5月、政府は避難当事者に「2017年3月末をもって現在供与している応急みなし仮設住宅を退去するよう」、郵送文書で通告をした。8月には県が「2017年3月末をもって応急仮設住宅供与終了」することを、自主避難者に通知した。
 2017年3月末、県は区域外避難者の住宅支援を終了。低所得者に限定して民間賃貸住宅避難者に月額3万円(2年目は2万円)の家賃補助を、2年限定で実施。また国家公務員住宅を区域外避難者へ、2年限定・有償で継続居住を承認。
 2018年4月、県は民間賃貸住宅避難者への家賃補助を2019年3月末で終了と発表し、国家公務員住宅避難者に対しては2019年3月末で退去、退去できない場合は使用料2倍負担の請求を行うという住居賃貸契約を送付した。
 2018年9月、内堀県知事は「富岡町、浪江町、葛尾村、飯舘村の帰還困難区域の応急仮設住宅の無償提供を2020年3月末で終了」と発表。同時に南相馬市、川俣町、葛尾村、飯舘村の避難指示解除区域についても、特例延長はあるものの予定通り2019年3月末で終了と発表した。
 2019年3月、民間賃貸住宅避難者1840世帯への家賃補助を予定通り終了。
 2019年3月末で退去できなかった国家公務員住宅自主避難者63世帯に対し、県は7月には使用料2倍相当の請求を開始した。そして東京・江東区東雲(しののめ)の国家公務員宿舎に避難した5世帯を提訴する議案を、県議会で賛成多数により可決した。

避難の協同センター

 国や県のこうした動きに対して、住宅問題をはじめとして避難者の生活問題全般にわたる支援の仕組みを作ろうと、2016年7月に避難当事者や識者、支援者などによって「避難の協同センター」が結成された。以来、住宅・健康・就労・子育て・生活相談や生活サポート資源を活用した支援、孤立化防止と支え合いの場作り、国や県に対して「避難の権利」保障のための総合的な支援策を求める活動を進めてきた。
 区域外避難者の住宅支援打ち切りが近づいた2017年1月以降、区域外避難者の個別相談と同行支援は急増したが、3月末で政府・福島県は予定通り区域外避難者の住宅無償提供を打ち切ったため、避難者の窮状は一層深刻化した。2017年4月以降、避難の協同センターでは「誰も路頭に迷わせない」を合言葉に当事者一人ひとりと面談して暮らしの状況を把握し、今後の希望を汲み取りながら、生活保護申請同行や一時生活給付金支給、より低廉な住宅への住み替え、保証人代行などのように可能な支援に取り組んできている。

都営住宅入居は狭き門

 区域外避難者の中には、都営住宅入居者募集に応じて当選し都営住宅に入居できた人もいるが、そもそも都営住宅は応募条件に世帯要件、収入要件がある。
 *世帯要件⑴一人親世帯(子どもは20歳未満)、⑵高齢者世帯、⑶心身障がい者世帯、⑷多子(18歳未満の子3人以上世帯)、⑸特に所得の低い世帯、⑹小さな子(小学校入学前の子ども2人以上)のいる世帯。
 こうした要件があるため、十数回応募しても当選できなかった避難者もいる。避難住宅を追い出されてホームレスになり、保護された避難者もいる。

福島県による提訴

 2020年3月25日、福島県は東京都の国家公務員宿舎に避難している4世帯に対し、住居明け渡しと損害金支払いを求める訴訟を、福島地方裁判所に提訴した。4世帯のうち2世帯は、職場・住居のある東京地方裁判所への移送を申し立てたが、福島地裁・仙台高裁・最高裁は避難者の訴えを一顧だにせず、申し立てを却下。福島地裁はまずこの2世帯に対する第1回裁判期日を5月14日と指定した。
 2世帯は、2017年3月福島県が区域外避難者の住宅無償提供を打ち切った際、県に継続入居を申し込んだが、当時無職だったために優先契約を結べなかった世帯だ。2018〜2019年に東京簡易裁判所において福島県の調停に応じたが、転居できるような低家賃の物件が見つからず、話し合いが打ち切られた経緯がある。
 この福島県による住宅明け渡し提訴は、国際人権法、住生活基本法を無視し、避難者に寄り添わず、経済的・精神的に追い詰める人権侵害といえる。国内避難民にあたる原発事故避難者の居住権を奪う裁判だ。
 福島地方裁判所第一民事部が担当し、被告訴訟代理人として5名の弁護士が鋭意準備書面を書き上げ提出している。大口昭彦弁護士、柳原敏夫弁護士、古川(こがわ)健三弁護士、林治弁護士、酒田芳人弁護士の5名だ。
 この裁判の特に記しておきたい点は、2011年3月に原発事故が起きるまで、国は全く原発事故を想定していなかったため、原発事故の救済に関する制定法がなく、法の欠缺(けんけつ)状態、いわば“無法地帯”だったということ。そこで本来なら、この深刻な欠缺状態を速やかに埋めるために、原発事故被災者の人権を手厚く守る特別立法の制定、または既存法の抜本的改正という立法的解決が求められる筈だった。これは、「国内避難民となった原発事故被災者の居住権」問題に関しても同様だった。この点に関しても国内法の現状は全く未整備で、やはり“無法地帯”だった。
 そこでこの立法的解決の怠慢にかわる方策が、司法による裁判である。「国内避難民となった原発事故被災者の居住権」問題について、災害救助法などの深刻な「法の欠缺」状態に対して法律の解釈作業を通じて、法の穴埋めをする必要がある。この穴埋めの解釈において、重要な法規範が、上位規範である「国際人権法」だ。
 つまり、この裁判においては、「国内避難民となった原発事故被災者の居住権」問題について、「法の欠缺」状態にある災害救助法が、「国内避難民の居住権」を保障する国際人権法に適合するように解釈されなければならないのだ。
 本来なら県民である避難者を守るべき福島県が、その守るべき避難者を加害者として訴え、その上、地裁も高裁も最高裁も東京地裁への移送を却下するなど、避難者いじめとしか思えない。“被告”とされた2名の避難者は、現在東京に住み収入も低額なのに裁判のために福島まで行く交通費も自己負担となる。こんな馬鹿な、アベコベの話はないだろう。
 また福島県のこの訴えの不条理は、他にもある。避難者が現在居住する東雲住宅は国家公務員宿舎で、国が管轄しているところだ。もし仮に避難者らが不当に居住しているというなら、管理者の国が訴えるなら手続きとしては筋が通る。だが、国は奥に引っ込んでいて、福島県にやらせている。このような裁判は、到底許し難い。

開廷前、裁判所前で支援集会が開催された

5月14日、第1回口頭弁論

 裁判は2名の件を一緒に審議するのではなく、1名ずつ別々の裁判としていた。だから、この日は2件の裁判が行われたことになる。

被告N・Mさんの裁判

 裁判官は小川理佳氏(女性)、書記は柳郁子氏(女性)
 訴えられたNさんは傍聴席の方に居て、被告席には柳原敏夫弁護士が座った。
 裁判官は予め提出されていたNさんの意見陳述書を、代理人の柳原弁護士に確認した。
 Nさんの陳述書の概略は以下の通り。
 「私は区域外から東京に避難し、避難先になったホテルで生活しながらハローワークで仕事を見つけて働いていたが、半年後にその会社が倒産した。避難所だったホテルが閉じられ、東京都から紹介されて東雲の国家公務員宿舎に入居した。無償で提供されたので仕事を失っても預金を切り崩しながら生活してきたが、先行きを考えると夜も眠れず、病院の診断でバセドウ氏病・心臓病と言われた。そして、発症には避難から2年間の精神的ストレスが関わっていると診断された。一時は入院もしたが、悩むと体が動かない状態で、その後は定職につく自信がない。
 2017年3月の住宅無償提供打ち切り前から東京都や福島県の職員に相談してきた。東京都が都営住宅を300戸用意したと聞いて希望したが、県の職員から単身者では難しいと言われ断念した。
 提訴前に東京簡易裁判所の調停にかけられ、その場で県から示されたのは、都営住宅、雇用促進住宅、UR賃貸住宅、民間賃貸住宅に当たれというものだった。都営住宅は落選続き、雇用促進やUR賃貸は民間賃貸より家賃が高く、家賃の3倍以上の収入がないと入居資格がない。民間賃貸はインターネット情報で打ち出したデータを紹介されたが、月4万の物件は、10平米で風呂なし、築40〜50年で駅までバスというようなものばかりだった。
 私の願いは、せめて都営住宅の当選か公営住宅が確保されるまで、現住居の東雲に居させてほしい」
 そして柳原弁護士が次のように意見陳述をした。
 「国が裁判当事者にならずに県にさせていることがおかしい。被告の居住権に関して、原告は災害救助法に基づいて訴えているが、国内法である災害救助法ではなく、上位規範である国際法で考えるべきである。つまり、『国内避難民』という認識に立って、国際法に基づいてNさんの状況を読み返すべきである。そうすれば今回の訴訟はなかった筈である」

※裁判官は、今回はN・Mさんと次のI・Mさんの裁判を分けて審議したが、被告側からの申し入れもあり次回から併せて審議する方向ですることとし、次回期日は7月15日15時からと告げて閉廷した。

被告I・Mさんの件

 N・Mさんの件と法廷の部屋は変わらなかったが別個の裁判で、裁判官は太田慎吾氏、書記は中村聡志氏となった。
 Iさんは出廷せず、Nさん同様に柳原弁護士が被告代理人として意見陳述をした。
 予めIさん提出の陳述書概略は以下の通り。
 「沖縄出身の56歳だが東京で就職し結婚した。長女の入学時に夫の実家の福島県南相馬市に引っ越し、そこで次女が生まれた。平成14(2002)年に夫と離婚し、2人の子供を引き取り母子家庭となったが、介護ヘルパーの資格をとって病院や介護施設で働いていた。
 平成23(2011)年の東日本大震災と原発事故後、避難指示が出たので3月13日に避難し、翌日東京に着いた。避難所を4ヶ所点々とした後で、7月末にやっと国家公務員宿舎の東雲住宅に入居した。9月に避難指示が解除されたが、放射線に対し大きな不安があり、子どもを守るために南相馬に帰ることは出来ず、そのために勤め先を退職し、借家であった住居も解約した。本当に辛く苦しい判断だったが、我が子を守るためで間違いではなかったと今も思っている。
 当時、持病の腰痛を抱えていて、下の子の学費、生活費などは私のアルバイトと長女の収入でなんとかやりくりしていたが、生活は大変だった。さらに、子どもが慣れない学校生活で不登校や保健室登校を繰り返すなど困難は想像以上で、精神的に滅入ってしまい、何も手につかず先のことなど考えることすら出来なかった。住まいが無償だったからこそ、やっと生活が成り立っていた。
 平成29(2017)年3月で福島県は住宅提供を打ち切ったが、前年暮れに県は住んでいる住宅に今後も有償で住み続けたいかどうかの意向調査をした。
 住まいがなくなると困ると思い申請書を出したが、当時の状況ではその先賃料を払い続けていけないという不安があり、契約書は提出できずにいた。そのために県から責められ、玄関先で待っているから契約書にサインをと言われたこともある。今は都営住宅への入居を希望しているが、世帯要件が合わず、その後も当選していない。
 県民に寄り添っていくと言っていた福島県が、なぜ私たち県民に対して酷い方針を立てているのか理解できない。現在県は、地元に戻ってくるようアピールし、戻る人には手厚い保護や手助けをしているが、『戻る権利』があるように『戻らない権利』もあって然るべきであり、戻らない選択をした人たちにも、同様に責任を持って寄り添うべきだと思う。今やっと職も見つかり、少しずつだが生活をなんとか整えている状況の中で、住宅の追い出しをしてくる福島県の酷い方針に納得できない」
 そして柳原弁護士の意見陳述は、以下のように締めくくられた。
 「やむにやまれずに避難した被告には生存権があり、また国の起こした国難により避難しているのである。国が表に立つべきところを、県に代理させていることも非常に問題だ。福島県は未だ安全安心に生存できる場ではなく避難には正当性がある」

※裁判官は前の小川裁判官の言葉を受けて、次回期日を7月15日でN・Mさんの後15時30分と告げて閉廷した。

 この裁判については、昨年11月14日に催した「トークの会福島の声を聞こう!vol.35」で、福島県から訴えられたN・Mさんと避難の協同センターの熊本美彌子さんがゲストスピーカーとして話してくださいました。その時にも参加者の皆さんに支援をお願いしましたが、どうか今後も、支えてくださるようお願いします。

一枝

「原発避難者追い出しは人権侵害!」の横断幕を掲げる

「原発避難者住宅追い出し裁判」については、「避難者の住宅追い出しを許さない会」で情報が発信されています。下記口座にて、裁判費用のカンパも受け付けています。

原発避難者住宅裁判を準備する会
■ゆうちょ銀行 記号:10120 番号:51890061
■他金融機関からの振込の場合 店番:018 預金種目:普通 口座番号:5189006

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渡辺一枝
わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。