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濃厚接触者になってしまった
6月20日、夫が新型コロナ感染者となり救急車で入院。私は濃厚接触者になってしまった。保健所からは、7月4日まで(2週間)は外出禁止自宅待機を言い渡された。幸い私自身は全く異常なく、体温平熱、血中酸素濃度も心拍数も平常、味覚嗅覚異常なし。いつもと何ら変わるところはなく過ごし、7月1日に受けたPCR検査は陰性だった。
最初の3日ほどは病人の容態も非常に案じられる状況だったし、私も病院や保健所、その他各所への連絡などで落ち着かない日々だった。だがそれが過ぎると一人居の気楽さと、買い物には出られないけれど、備蓄食品を消化するのにちょうど良い期間と思えた。
普段は、なかなか本を読む時間が作れない。電車で移動の時とか、出かけた先で順番を待つ間などの細切れの時間を利用しての読書タイムの日々だ。大抵の本はそうやって読み進めてきたけれど、そんな読み方ではなく、じっくりと向き合って読みたい本があった。他にも買ったままで積ん読になっている本がたくさんある。
コロナ蟄居となって1週間、読みたかった本に向き合う時間が取れた。病院や保健所との連絡、片付けなければならないのに放っておいた諸々にこの際だからと手をつけて、ようやく片付けも済んだ。朝食を済ませたら本とコーヒーのカップを持って、居間のソファへ移動。本を開いた。
「姉さん、絵を描くと、気持ちが少し楽になるの」
読みたかったのは、『咲ききれなかった花 ハルモニたちの終わらない美術の時間』(イ・ギョンシン:著/梁澄子:訳/北原みのり:解説/アジュマブックス)だ。2018年に韓国で出版されたこの本を、一般社団法人「希望のたね基金(キボタネ)」が広く日本で紹介したいと声をあげ、出版社「アジュマブックス」とともにプロジェクトを立ち上げて、クラウドファンディングで協力者を募って誕生した本だ。
「希望のたね基金」は、日本の若者が「慰安婦」問題について学び、性暴力のない社会作りに役立てるための基金で、北原みのりさんと梁澄子さんが代表理事を務めている。日韓の若者間の意識のギャップを埋めて「終わらせる」のではなく、「記憶・継承」することで二度と同じような被害を生まないための取り組みを、日韓の若者、ひいてはアジアの被害国、さらに世界の人々と共に行えるように「希望のたね」を撒いていくことを目指している。
2015年、「慰安婦」問題について日本と韓国の政府は、「最終的かつ不可逆的な解決」として合意した。それは当事者たちにとって、真の解決だったのだろうか? 合意に基づいて日本政府の資金拠出によって「和解・癒し財団」が設立され、元「慰安婦」を対象とする支援事業を行なったが、支給の支援金を受け取らなかった元「慰安婦」や家族もあったという。
これらを受け、韓国では2016年に元日本軍「慰安婦」問題解決に向けて「正義記憶財団」が設立された。この財団の募金キャンペーンを受けて、2017年に日本の市民が主体的に立ち上げたのが「希望のたね基金」だ。
キボタネは設立以来、様々な活動をしている。講演会、スタディツアー、読書会、映画上映会、ゼミ活動、若者による「慰安婦」問題に関する企画への助成など……。私も何度かこうしたイベントに参加してきた。そして上に記したように、この「キボタネ」プロジェクトで、『咲ききれなかった花 ハルモニたちの終わらない美術の時間』出版のためのクラウドファンディングが呼びかけられた。私もクラウドファンディングへ協力したことへの返礼品として、6月初めにこの本が送られてきたのだった。
本書には、韓国「ナヌムの家」(元「慰安婦」の女性たちが共同生活を送る施設)に暮らすハルモニ(おばあさん)たちが、絵を描くという行為を通して自らの生を取り戻し生き直していく軌跡が綴られている。美術大学を出たばかりの新米社会人だったこの本の著者イ・ギョンシンさんが、ある日、何気なく聴いていたラジオから、ナヌムの家でボランティアを探しているという放送が流れた。それより2年前に彼女は、新聞で金学順(キム・ハクスン)という元「慰安婦」の女性が「日本軍性奴隷被害者である」と証言した記事を読んでいて、その記事が深く心に刻まれていた。それで、少し逡巡しながらもイ・ギョンシンさんはナヌムの家に通い出す。
最初の頃は何をしてもピントが外れて、ハルモニたちも彼女自身も、なんとなく互いによそよそしいのだが、イ・ギョンシンさんは美術家である自分にできることは絵の指導だと思い至り、画材を持って通うようになる。絵を描くことに関心のないハルモニもいたが、興味ある人だけがやれば良いと思って、美術指導に毎週通った。写生から始めて、感情を絵に描き表すことを提案し指導していった。
そしてイ・ギョンシンさんはアートセラピーについて学びながら、ハルモニに故郷を思い出して絵に描くことを勧め、やがてハルモニたちは自身に起きたことをキャンバスに描き出す。イ・ギョンシンさんはそれらの絵が、日本軍の蛮行を告発するだけではなく、事実を描きながら、見た人に作品として感動を与えられるようなものとなるようにと願った。けれどもその指導法は直接的な言葉で説明したり、手を取って教えたり、彼女がハルモニの絵に手を入れたりすることではなく、対話によってハルモニ自身が表現方法に気付いて描いていけるようにすることだった。「姉さん、絵を描くと、気持ちが少し楽になるの」とは、そうして絵を描き始めたハルモニの一人が口にした言葉だ。
イ・ギョンシンさんは日本語版の巻頭で、こう言っている。
『咲ききれなかった花』が日本で出版されて、とてもうれしい。ところが私は、序文の最初の一文を書いた後、ただただそれを見つめてばかりいた。願っていたことが目前に迫ってきているのに言いたいことが多すぎてかえって言葉が出ない時のように、何からどう始めればいいのか気持ちが雑然としている。韓国と日本は地理的には近いのに、いまだに解けない歴史的な問題を抱えているからだと思う。
(中略)
私は本書『咲ききれなかった花』が、傷ついた人々にどう生きていけばいいのかを示す羅針盤のような教科書になることを願う。(中略)
私は、日本により良い社会を希求する立派な市民社会があることをよく知っている。また、この問題が日韓両国の市民たちの連帯によって国際的な成果をつくり出しながら現在に至ったこともよく知っている。しかし、いまだ問題は解決されておらず、その責任が戦後世代である私たちに残され、時代の課題になっている。この30年間、政治家たちには成し遂げることができなかった。政治ができないならば、私たちが果たさなければならない。私がおり、私たちがおり、社会と国とこの世界があるように、まず私が変わることから始めればできると思う。私たちの出会いが、両国の絡まった糸を解きほぐす端緒に発展することを願う。(後略)
イ・ギョンシン 2021年5月 韓国にて
この本を、多くの人に読んでほしいと強く願っている。とりわけ、「慰安婦」などいなかったという人たちに、謝罪の言葉のないまま日韓合意で片付いたことだと言い張る政治家と彼らを信奉する主権者たちに。私はまず、孫たちに読ませようと思う。
なぜこの国では、不合理な巨大プロジェクトが暴走してしまうのか?
次に読んだのは、4月に刊行されるとすぐに買ったまま開けずに積んでおいたこの本。
『リニア中央新幹線をめぐって 原発事故とコロナ・パンデミックから見直す』(山本義隆:著/みすず書房)
以前からいつもとても不可解に思っていた。リニア中央新幹線のことが、さほど話題にされずにいることに、合点がいかないのだ。問題にしているのは、その工事現場近辺に暮らす人ばかり。もちろん他の地域の人でも大いに問題視している人たちは少なからずいるのを知ってはいるが、「世間」ではまず問題にしていない。メディアも何か動きがあったときだけしか取り上げない。この本を読んで、私なりにその理由が判った。闇はとてつもなく深く大きいからだ。
リニア中央新幹線建設計画を始めて知った時私は、なぜそんなものを造る必要があるのかと大いに疑問を持った。どこを通るのかとか、どんな構造なのかとか、具体的なことについてはよくわからないまま、ただ単に東京―大阪間を1時間で走るという速度が喧伝されていることに「嫌な感じ!」という思いを抱いたからだった。その後私も関わっている雑誌『たぁくらたぁ』24号(2011年秋発行)で、リニアのトンネル建設が進む長野県大鹿村で村会議員を務める河本明代さんが書いた記事「脱原発社会にリニア新幹線は要らない」を読んで、問題が具体的に見えてきた。
『たぁくらたぁ』ではその後も33号(2014年春発行)で「リニアと伊那谷の今」の特集を組み、35号から48号までは現地発の記事が連載された。49号、52号でも取り上げ、53号からは連載が始まり、それらの記事から私は学んでいった。もちろん『たぁくらたぁ』からだけではなく、他からもリニアに関しての情報は私なりに得て、速度を誇示することへの嫌悪感からだけではなしにリニアを否定する思いを強くしていった。だが、思いがけない所で思いがけない言葉を聞くことになった。
信州上伊那で
2013年、長野県阿智村に「満蒙開拓平和記念館」が開設され、開設直後に私も会員の一員である「方正友好交流の会」で見学に行った時のことだった。戦争中に日本は、多くの満蒙開拓団を「満州」に送り込んだ。敗戦後、避難民となった日本人の多くが集結したのが方正(黒竜江省ハルピン市)で、この地で亡くなった人も多く、そこには「方正地区日本人公墓」がある。「方正友好交流の会」はそんな関係から設立された団体だ。
平和記念館と、すぐ近くの山本慈昭記念館(山本慈昭は自身も満州開拓民の一人だった僧侶、中国残留日本人孤児の帰国に多大な尽力をした)を見学した翌日は、戦後帰国した開拓団の人たちが入植して開墾していった飯田市の果樹農園を訪ねた。見学後に集会所で農園主たちと、昼ごはんを食べながらの歓談の場が設けられた。帰国した開拓団2世にあたる人たちで、親や祖父母たちの苦労を見聞きしながら成人し、既に子や孫も居ながら、果樹栽培に勤しんでいる人たちだった。その一人が言ったのだ。「リニア新幹線ができたら東京や関西方面への出荷もずっと便利になるから、美味しい果実をより新鮮なまま消費者に届けられるようになる。完成が待ち遠しい」と。論議する場ではないと思ったのでただ聞いていたが、リニアをそのように捉える人がいることにとても驚いた。
大鹿村で
その後、私が大鹿村のトンネル建設現場を視察したのは2年前、2019年6月末だった。リニア中央新幹線建設に反対する現地の人たちが立ち上げた、「大鹿の10年先を変える会」の学習会に呼ばれてのことだった。私はリニアには反対だったが現地の状況を知らなかったし、大鹿村は行ってみたい場所だったから嬉しく出かけた。
「変える会」と私の繋がりは2017年12月末に発信された、S N S情報からのことだ。土砂崩落で通行不能になった大鹿村へ至る県道の復旧工事を早急に行ってほしい、と要請する署名を募る情報だった。私は署名を送信した。それから間も無くのことだったが、「大鹿の10年先を変える会」の宗像充さんからメールが届いた。今度は「リニア説明会などのオープンな取材を求める共同声明」の、賛同人になって欲しいというものだった。JR東海が開催する説明会で、メディア取材ができないという話は聞いていた。これももちろん賛同人になった。
宗像さんからはその後も折に触れて現地の情報が送られてきた。そして2019年6月に「変える会」の学習会で、話をしてほしいと依頼を受けたのだった。依頼されたテーマは「チベットから見たリニアと自治」で、これだけ見るとチベットとリニアは関係ないと思われるかもしれないが、普遍的な問題として語れるテーマだと思った。チベットは「自治区」とか「自治州」という言葉がついていても、実質的には国家の統制下にあって自治はない。一方、リニアのような国家プロジェクトでは、地方行政の自治権が発揮されにくいことが往々にしてあるのではないかと思うからだ。
この学習会の前に、宗像さんに現地を案内していただいた。トンネルを掘って出た残土の置き場や、トンネル建設予定地、「仮置き場」として大量の土砂が山積みされている場所や、残土置き場にすることを地権者が拒んでいる場所、ボーリングしている場所、作業員宿舎などを見て回った。樹木も生えず山肌が露出した斜面には幾層もの砂防ダムが築かれているが、その斜面の下が残土置き場に予定されているなど、正気の沙汰とは思えない計画だった。
また、川の流れが湾曲しているところを残土置き場にという計画にも、住民は強く反対している。反対は当然だ。もしそこに残土を積んだら、川水が増水したときには上流からの水の勢いで残土が流出して、下流に甚大な被害を及ぼすだろう。そもそも大規模な活断層がある地域だから、トンネルを掘るなど正気の沙汰とは思えない。この日はあいにく雨が激しく降る日だったから十分な視察とはならなかったが、また天気の良い時にじっくり見たいと思った。
2017年の県道土砂崩落は、リニア工事自体に因る事故ではなくリニアのトンネル掘削で出た残土を運び出すための道路拡張工事の際の崩落事故だった。
私は思う。道は文化だ。人が歩いてきた山間の街道を、山肌を削って2車線4車線道路にすることが、進歩や発展とは思えない。再度訪ねた時には、この問題を尚しっかりと考えていきたいと思った。
大田区雪谷で
2020年3月18日に、東京・大田区で区議会議員をしている奈須りえさんからお声かけいただいて、リニア中央新幹線の東雪谷非常口建設現場の視察に同行した。東急池上線洗足池駅集合で、奈須さんほか地元の方達3人と、大鹿村から宗像さんも来ていた。
建設現場は洗足池駅からほど近い住宅地の中で、幹線道路と池上線の線路に挟まれたところだった。工事用の高い塀で囲われているために中の様子は全く見えず、車両が出入りする時以外は開閉扉は閉じられていて、その前には警備員が3人張り付いていた。車両の出入りは頻繁で、開く度に中を見に近づこうとすると警備員に阻止された。私たちは道路を挟んで立つマンションの前にいたが、現場の入り口にはなんとしても近づけなかった。入って行く車両は空のダンプカーで、出てくるのは掘り出した残土を積んでいる。運転席のフロントガラスには「○○組」というように請負業者名などが貼ってある。入って行く空の車の1台に「汚染土搬出」とあるのを見つけた。これは原発事故後に福島で使っていた車両を、こちらに流用しているのではないかと思われた。
遮蔽壁に沿って、工事現場のぐるりを歩いた。大きな工事現場ではどこも設置されているのだろうが、ここにも騒音と振動の数値がデジタル表示されていた。地元からの視察者のお一人は、騒音計測器や振動センサーを使って、塀に設置されたデジタル表示と比較していた。それはあたかも福島で、国が設置したモニタリングポストと自前の線量計での数値を比較するのとそっくり同じだった。デジタル表示が設置されている場所は、すぐ脇を電車の線路が通っている。電車は頻繁に通るから、騒音や振動の数値が基準をオーバーしていても、電車のせいにできる。
現場は警視庁官舎の跡地だそうだ。直径40mの穴を掘り、地表から90m深度まで掘り下げて、換気装置や乗客の緊急避難のエレベーターや階段を作るらしい。非常口はトンネルを掘削するシールドマシンの設置や保守に使う立坑で、5kmごとに設けられる。完成後にリニアが通る地を線状で示し、立杭が設けられる地点を書き込んだ地図を見せられ、二の句が告げなかった。地上の状況では間が5kmよりもっと空いたりしているが、それにしてもこの計画を見ればリニアが通る地域の地下は穴だらけになるのだ。奈須さんは立杭が地下水脈を切ってしまうのではないかと案じている。また、地下には下水道やガス管、通信ケーブルが埋設され、東京都が多摩川への導水管を通す計画もある。リニアはその下を通す計画だが、交差部分での振動の影響でそれらの管の破損や地盤の緩みが生じることを強く懸念しているという。
現場を視察した後で駅の方へ戻り洗足池のほとりに立った。池の周囲には桜が咲き、水仙や菜の花が咲き、池の周囲を散策する人もいる。公園には親子連れの姿や、保育園のお散歩の時間だろうか、揃いの帽子を被った子どもたちを連れた保育士たちの姿もあった。近くには「勝海舟記念館」があり、「なぜ?」と奈須さんに尋ねると、勝海舟は洗足池の近くに「洗足軒」と称する別荘を持っていて勝海舟と妻の墓所もそこにあり、勝海舟縁の地だということだった。
リニアと原発の関係
さて、『リニア中央新幹線をめぐって』だ。この本では、リニア、原発、コロナ・パンデミック、それぞれが持つ問題点を具体的に示しながら、ではなぜこの国では合理性のない巨大プロジェクトが次々に暴走してしまうのかを説いている。リニアは深刻な大環境破壊をもたらすが、それにもかかわらず突き進んでいくのは政治権力の私物化や、ナショナリズムと科学技術の結びつきが、それを可能にしてきたからだという。
読み進めながら頷き、また「そうだったのか!」と気付かされた。深度40m以深は地権者の同意や用地買収なしに公共事業に利用できるとする「大深度地下の公共的使用に関する特別措置法(大深度地下使用法)」が決定されたのは平成12(2000)年、施行は翌年からだった。こんな法律があることを、私は全く知らなかった。
国鉄が分割民営化された1987年に、国鉄から東海地方の営業を引き継いで誕生したJR東海は、その年にリニア対策本部を設置している。2007年に総事業費5.1兆円を全額自己負担する形で事業化の方針を表明した。その後事業費の見積もりは9兆円まで膨れ上がっている。JR東海は「全国新幹線鉄道整備法」に則って国にリニア中央新幹線計画の認可を申請し、国交省は2011年に省内で判断を諮問し、小委員会は「計画は妥当である」とした。そして福島第一原発事故からわずか2ヶ月後の5月に、政府はリニア中央新幹線計画を整備計画として決定。営業主体にJR東海を指名した。リニア走行に必要なエネルギーは電力で、リニアにとって原発は必要不可欠という図式が、この本からとてもよく解った。問題点が次々に解ってきて、空恐ろしい。
特に最終章で示される戦後の歴史から掘り下げての問題提起に、闇の深さを思った。私自身の上伊那や大鹿村、大田区雪谷での体験と、また福島に通う中から見てきたことを思いめぐらせて、学ぶことの多い、非常に考えさせられる良書だった。繰り返し、繰り返し読んでなお理解を深めていきたい。
「顔」の話
これは新聞の書評欄で、池澤夏樹さんが評を書いているのを読んで、すぐに読みたくなって購入した。『「顔」の進化 あなたの顔はどこからきたのか』(馬場悠男:著/講談社ブルーバックス)。池澤さんの書評には全幅の信頼を置いているので、池澤さんが薦める本は、できるだけ読みたいと思う私だ。でも、もし書店の棚でこのタイトルを見たら、たとえ池澤さんの書評を読んでいなくても、すぐに飛びついただろう。とても興味をそそられるタイトルだ。
「序章」を読んだだけで、もうワクワクして来る。「なぜそこに『部品』が集まっているのか」と説き起こす。顔はいつも変化し、エネルギーや情報が出入りする生きた存在だという。意識するとしないとにかかわらず、コミュニケーション情報を交換する場だという。そして、こうも書くのだ。「人間の場合はまた、顔は年をとるにつれて、人格を代表する存在にもなる」。
もう、ここまで読んだだけで私はすっかり、著者の馬場さんのファンになってしまった。だって、安倍、麻生、菅、二階などの面々を思い浮かべたら、膝を打って「その通り!」と叫びたくなるではないか。
「顔とは何か」から説き起こし、動物の顔の進化を①咀嚼器の進化、②感覚器の進化、③「柔らかい顔」の由来…という順番で解説していく。③では「魚類や爬虫類の顔は非常に硬く、表情がない。彼らの顔は薄い皮膚が骨にじかに張りついていて、顔面筋もないので、皮膚を動かすことはできないからである。これに対して哺乳類の顔は、皮下組織と顔面筋が発達しているので柔らかく、皮膚を動かし、感情を表すことができる。にもかかわらず恥知らずで感情を見せない人間の顔が『鉄面皮』といわれるのはよくわかる」などとあって、面白く読み進めた。
人類学者の著者は最後に、日本人の顔が華奢になってきたと書く。それも縄文人の時代から説き起こして、現代の子どもや若者では歯並びの悪い人が多くなっていることを挙げ、幼児期から歯応えのある硬い食べ物を食べるのを「心地よい」と感じる様な食習慣の必要を説く。給食を改善して顔を鍛えようと提案し、学校では各教科の勉強で頭の脳を鍛え、体育で身体を鍛えているが、頭と身体の中間にある「顔」の筋肉と骨を鍛えることを忘れていると指摘する。
最後に著者はこう言う。
人類進化の物語は、たいていはサクセスストーリーだ。祖先たちが厳しい環境を、直立二足歩行、道具使用、言語使用などによりいかに生き延び、発展してきたかが語られてきた。しかし、農耕牧畜を始めて文明を築くようになると、快適な生活と虚構の権力への欲望が拡大し、母なる自然の恵みをいただくのではなく収奪するようになった。人類はいまや地球上に満ちあふれ、子孫たちとの共有財産であるはずの地球資源を浪費している。私たちはどこかで間違ったらしい。(中略)
我々が我々の子孫である22世紀の人類に遺す可能性がある世界は、二通りしかない。一つは、文明という名の欲望充足装置をのさばらせたままの、崩壊しつつある、あるいは崩壊してしまった世界である。もう一つは、欲望を根本的に抑え込んで、つつましやかだが平和に持続的に暮らせる世界である。もしも後者の世界を実現しようとするなら。それは、ホモ・サピエンスが獲得した高い共感能力にもとづく思いやりの心を、現在の同胞だけでなく、未来の子孫まで拡大できるかどうかにかかっている。(後略)
最後まで読んで私は、また「序章」の「人間の場合はまた、顔は年をとるにつれて、人格を代表する存在になる」という言葉と、それを体現している政治家達の顔を思い浮かべた。メディスンマン(ネイティブアメリカンのリーダー)の言葉にある「7代先」までを見据えた政治を司る政治家を選ばずにいる私たちを憂い、そして、もっと自分の顔に責任を持ちたいと思った。
書棚には、まだまだ読みたい本が山積みになっていて、再読したい本もたくさんある。読書三昧の日々が持てずに過ぎてきた中で、思いがけずに「災い転じて福」となったコロナ禍中での数日だった。
一枝