第11回:またも不当判決──「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟」(渡辺一枝)

 福島第一原発事故後、国策として原発を推進してきた国と津波対策を怠ってきた東京電力を相手取って、30件以上もの裁判が提訴されてきました。福島県南相馬市の住民808人が国を訴えた「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟」もその一つ。私は支援者として第1回裁判から傍聴を続けてきました。今回の「一枝通信」は、7月12日に出されたその判決についてお伝えします。

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 7月12日(月)は、「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟」の判決期日でした。2015年の提訴から6年間闘ってきた原告の訴えを踏みにじる、あまりにも不当な判決が下されました。 

◎判決までの経過

この裁判について 

 2011年3月11日に起こった東京電力福島第一発電所の事故の後、同年4月22日に、政府は原発から20キロ圏内を「警戒区域」、20〜30キロ圏内を「計画的避難区域」「緊急時避難準備区域」と指定した。その後、6月30日以降、これらの区域外でも年間の積算放射線量が20ミリシーベルト以上になると推定されるホットスポット地点について、「特定避難勧奨地点」を順次設定。福島県南相馬市の中では7行政区の152世帯が特定避難勧奨地点とされた。
 その後、年間の積算放射線量が20ミリシーベルト以下となることが確実であるとして、2012年12月から段階的に特定避難勧奨地点の指定が解除。南相馬市の152世帯についても、2014年12月28日付で解除が通知された。そして解除によって、さまざまな支援措置は終了した。
 これに対して、南相馬市の特定避難勧奨地点が所在する行政区の区長・住民は、いまだに高線量の地点があること、また解除基準として年間20ミリシーベルトは高すぎる数値であり、安心して子どもを育てられず、安心して暮らせないとして、地点の解除に反対してきた。そして特定避難勧奨地点に指定された世帯の6割と、指定世帯に隣接する非指定世帯、あわせて206世帯、808名が原告となり、国に対して、原告らが地点に指定された地位にあることの確認と地点解除の取り消しを訴えての行政訴訟、および違法な解除によって生じた精神的苦痛への一人10万円の慰謝料請求という国家賠償訴訟を提訴した。

裁判の意義

 原告らは、この裁判を起こした理由や意義をこう説明している。

*これは、年間20ミリシーベルトを避難基準とする政府の避難政策や避難指示解除について正面から争う裁判であり、南相馬だけの問題ではなく広く私たちすべての問題でもある(その意味からも原告らは、この裁判を福島地裁ではなく東京地裁に提訴した)。

*地点の解除によって支援策と賠償が打ち切られたが、これは事実上帰還の強要である。健康への不安から、ほとんどの世帯が帰還を希望しないにもかかわらず支援を打ち切ることは、不当である。

*特別避難勧奨地点に指定された世帯の6割と近隣の非指定世帯、また指定された行政区の全区長が参加しての地域一帯での異議申し立てである。

原告の主張

 裁判での原告の主張は以下のとおり。

*指定地点の住民に対する解除にあたっての説明会では、一方的な説明のみで賛成する住民はおらず、地点指定や解除にあたっての測定のやり方にも問題があった。

*公衆の被ばく限度が、年に1ミリシーベルトを超えないことを確保するとしている国の義務に違反している。

*政府が放射線防護の基準として採用しているICRP(国際放射線防護委員会)勧告に違反している。

*政府が事前に定めた解除手続き(住民の意思決定への関与の確保など)がないまま、解除が強行された。

裁判で明らかになったこと

 たとえば第6回期日では、「ふくいち周辺環境放射線モニタリングプロジェクト」の線量マップでは196地点が4万ベクレル/㎡(放射線管理区域の基準)を下回るのは2地点のみで、194地点は全て上回っていたこと、40万ベクレル/㎡を超える地点が50地点(これは、手を触れてはいけないような数値)あったことが陳述された。
 また、第4回期日では住民無視の解除であったことが明らかにされた。2014年12月21日午後に区長説明会、住民説明会が予定されていたのだが、その日の朝のNHKニュースで、解除が決まったことが報道された。説明会以前に、解除は決定されていたことが露呈したのだ。
 さらに、情報開示請求によって入手された国と南相馬市との打ち合わせ議事録からは、次のようなことが明らかになった。
 再除染について内閣府原子力被災者生活支援チームの井上参事官は「除染ではなく、家の掃除をすることで個人線量を下げる方法を模索している」と発言。添田補佐官の「情報開示請求がたくさんくるので、ご注意いただきたい」などの発言もあった。原子力災害現地対策本部の福島次官は「説明すれば、国としては協議は終了と考える」と言い、別の時には井上参事官が発した「説明会であり、協議の場ではない!!」の言葉に驚いた南相馬市職員が、!マークを二つもつけて記録している。
 また、2012年8月に原子力安全委員会は原子力災害本部長に宛てて「緊急防護措置を解除し、適切な管理や除染、改善措置等の新たな防護措置計画を立案する際には、関連する自治体、住民等が関与できる枠組みを構築すべき」と述べた文書を出している。この文書には「原子力災害対策特別法20条に基づき」とあったが、裁判にあたって国側はこの「原子力災害対策特別法20条に基づき」の部分をそっくり削除した文書を提出。つまり法的位置付けが無かったような誤魔化しをしていた。

◎そして、判決

 こうして2015年4月(第一次)、6月(第二次)に東京地裁に提訴された「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟」は2020年8月27日、第18回期日で結審し、判決期日は2021年2月3日と告げられた。しかし、新型コロナによる緊急事態宣言が発出されて原告団の上京が難しく、6月10日に延期された。しかし、この日もまた延期となり、7月12日(月)15:00〜の判決となった。
 通常なら東京地裁103号法廷には96席の傍聴席があるのだが、コロナ禍で人数制限がかかっていて、46席となっていた。50人ほどが並んだが、私は抽選に当たり傍聴席に座ることができた。

判決言渡し

 裁判長裁判官:鎌野真敬、裁判官:網田圭亮、野村昌也の3名が入室、全員起立して迎え、着席。テレビ局による法廷内の撮影があり、この間約2分。撮影隊が退出してから判決言渡しとなった。

「主文 ①本件訴えのうち、特定避難干渉地点の設定の解除の取り消し及び特定避難干渉地点に設定されている地位にあることの確認を求める部分をいずれも却下する。②原告らのその余の請求をいずれも棄却する。③訴訟費用は原告らの負担とする」

 それだけ言って、3名はさっさと退出した。わずか12秒だった。原告のほうを見ることさえなく、判決文書を読みあげただけで。
 原告席も傍聴席も唖然として声さえ出せず、しばらくは席を立つことさえできなかった。こんな馬鹿な判決など、あるものか! この裁判は、南相馬だけの問題ではない。20ミリシーベルト基準を認めてしまえば、それは南相馬に留まらず全国基準にされていくだろう。私たちすべての問題なのだ。私たち、私たちの子どもや孫たち、全てに関わる問題なのだ。

判決要旨から読み解く

 日比谷コンベンションホールで報告集会が開かれ、判決要旨が配られた。そこには要約するとこのように書かれていた。
 「特定避難勧奨地点の設定は、緊急事態応急対策実施区域の定めにかかわらず行われたもので原子力災害対策特別措置法20条3項に基づくものではなく、その他に法的根拠は認められない。特定避難勧奨地点の設定は、警戒区域、計画的避難区域の設定がされた後、これらの区域外の一部地域で、計画的避難区域の設定基準である年間の積算線量が20ミリシーベルトを超えると推定される地点が複数存在し、一律に避難を支持する状況ではないものの、生活形態によっては年間積算線量が20ミリシーベルトを超える可能性は否定できず、また妊婦や子供が居住しており、南相馬市内の他の地域に比べて比較的高い空間占領が測定された地点もあることから、住民に上記の情報を提供し避難の検討を促したものであり避難を強制したとは認められない。
 本件解除は本件設定を受けた住民に解除後1年間の積算線量が20ミリシーベルトを下回ることが確認された旨の情報提供をするものであり、帰還を強制するものではない」
 指定解除は年間線量が20ミリシーベルトを下回ることの情報提供に過ぎず、訴訟の対象となる行政処分に当たらないから請求を却下するというのだ。慰謝料についても、「帰還を強制するものではなく、権利侵害は認められない」として棄却した。
 特定避難勧奨地点の指定も解除も、行政庁の処分その他公権力の行使にあたる行為(処分性)では無いとし、単に情報提供をしただけだと言い、解除にあたって原告たちが被った不利益もないとした。「処分性はない」と主張してきた被告・国の主張を、そのままなぞった判決だった。
 しかし実際には、解除によって、避難勧奨に伴ってなされてきた支援策が打ち切られ、とりわけ住宅提供が打ち切られたことで、多くの住民たちが帰還を余儀なくされた。またICRP勧告や原子力安全委員会の文書、原子力災害対策本部が避難指示解除の要件で求めている「住民との協議」が全く行われず、住民の意見を無視して解除が行われた。
 国は被ばく防護の規制を、ICRP勧告の公衆の被ばく限度年1ミリシーベルトを反映して、年1ミリシーベルトとしているが、それも無視された。またICRP勧告では、事故後の現存被ばく状況を1〜20ミリシーベルトとして、防護対策の目安となる「参考レベル」はその下方に設定し、さらにそれを1ミリシーベルトに向けて下げる努力をすべきとしているが、実際には避難指示の指定も解除も基準は20ミリシーベルト。ICRP勧告も守られなかったことになる。また、年間の被ばく線量を計算する基準となる空間線量率(3.8マイクロシーベルト/時)の計算式は、屋内については低減効果があるとして、低減係数0.4で計算されているが、実際には屋内の放射線量の平均は屋外の7割ほどで、屋外より屋内の方が高い場合もあった。
 原告が準備書面、意見陳述で訴えてきた、これらの事柄には一切触れずに、すべて無視しての判決だった。

 原告らは南相馬からバスで5時間かけて通い、毎回の裁判に臨んできた。5年間、18回の裁判期日を数え、そして迎えたのが、この判決だった。許し難い腐った司法だ。裁判で意見陳述のたびに、どの原告も同じように言っていた言葉がある。

「私たちの為ではない。賠償金が欲しいのではない。20ミリシーベルトを認めてしまったら、私たちの子どもや孫たちだけでなくこの国の未来の子どもたちに影響を及ぼすのだ。だからわたしたちは、これを認めるわけにいかない」

 もしどこかで再び事故が起きれば、国は躊躇なく20ミリシーベルトを基準にしていくだろうと、それを案じての言葉だ。私の思いも原告に沿う。原告の一員である心づもりで、これからも支援をしていこうと思う。

ぜひ、お手に取って読んでください。


『南相馬・避難勧奨地域の会 住民証言集』(ままれぼブックレット/定価1800円)
南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟を闘う。土・水・空気の汚染と内部被ばくを住民自らが検証。ままれぼ出版局のページで購入できます。(問い合わせ:contact@momsrevo.com)

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渡辺一枝
わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。