第103回:「ワクチン強制化」への流れを警戒し憂慮する(想田和弘)

 最初に断っておくが、僕はいわゆる「反ワクチン派」ではない。

 新型コロナワクチン接種には、それなりのメリットがあると思う。コロナ禍が長期化するなか、各国政府がワクチン接種を迅速に進めたい理由も理解できる。リスクとメリットを天秤にかけ、メリットが上回ると判断した人は打てばよい。その選択について、周りがとやかく言うべきでもない。

 しかし、というより、だからこそ、「世界」の趨勢が「ワクチン強制化」に傾きつつある傾向に、強い懸念と違和感を覚える。

 たとえばニューヨークのデブラシオ市長は7月26日、警察官や教員を含む市の職員に接種を事実上強制する方針を表明した。接種を受けない場合、マスク着用と毎週の陰性証明提示が必要になる。8月3日には更に、レストランやバーの屋内飲食やスポーツジム、映画館、コンサート会場などへ入場する際に、ワクチン接種証明書の提示を義務付けると発表している。

 一方、フランスでも7月下旬から美術館や映画館での義務化を開始した。8月9日からはそれらに加えて、飲食店や長距離列車、飛行機などでワクチン接種証明書や陰性証明書を提示することを義務化している。9月15日からは医療従事者や高齢者施設等の介護者にも接種が強制される。

 それに対して、フランスでは20万人規模の抗議デモが起きている。「英雄」と散々持ち上げられてきた医療従事者が、ワクチンを拒むなら仕事を失い、給料も失業手当も受けられなくなるのだから、反発は当然であろう。

 実際、ワクチン接種によって深刻な健康被害が起きる可能性は、少ないけれどもゼロではない。僕の身内にも接種直後に血圧が急上昇し、危うく死にかけた者がいる。急いで承認した新しいワクチンなので、予期せぬ長期的影響が起きないことも、現時点では検証できていない。これは厳然たる事実だ。

 ワクチンを打たない人は、えてして「陰謀論者」だの「非科学的」だのと決めつけられ、批判される。たしかにそういう人もいるから困るのだけれど、合理的理由によって慎重になる人もいるのである。事実、僕の知り合いの医者に接種しない方針の人もいる。

 ワクチンが100%安全ではない以上(ワクチンを100%安全だと言う方が非科学的だ)、そのリスクと利益を天秤にかけ、打つか打たぬか選択し決定できるのは、本人以外にはあり得ないはずだ。

 たしかにパンデミック下では、個人の選択や行動が、社会に対して普段より大きな影響を与えかねない。したがって個人の決断に委ねるわけにはいかず、一定の強制力が必要だという論理も、まったく理解できないわけではない。

 しかし、それでも結局ワクチン接種の結果を引き受けるのは、取り替えのきかない自分の身体である。万が一ワクチンのせいで深刻な障害や疾患が生じたら、それにつき合うのは他人でも政府でもなく、自分自身なのだ。というより、そもそも健康上・体質的な理由で打てない人もいる(そういう人の扱い、どうするんですかね)。

 いずれにせよ、「個人の自由」や「自己決定権」といった価値は、少なくともアメリカやフランスといった民主社会では、これまで最上位に置かれてきたはずだ。ところがそうした価値も、コロナの脅威の前ではいとも簡単に葬り去られ、個よりも全体を優先させる全体主義に傾いてしまう。そういう光景には、驚きと失望を禁じ得ない。去年の春頃、私権制限を伴う「ロックダウン」が、さしたる手続きも議論もなく政治的リーダーの一存で実行されたときにもびっくりしたが、今回も「またか」という思いである。

 非常時になると真っ先に捨てられてしまうのなら、「個人の自由」にいったい何の価値があるというのだろう。それほど脆弱な「個人の自由」なら、ひとたび戦争などになったらやはり簡単に放棄されてしまうだろう。要はファシズムの防波堤になどなりようがないのである。

 今のところ日本では「ワクチン強制化」の機運は高まっていない。強制化しようにも、ワクチンそのものが不足している状態だから、土台無理なのだろう。

 しかし、これがワクチンの供給が需要を上回り、いつでも誰でも接種できる状況になったら、どうなるだろうか。

 僕は日本でもワクチン強制化を望む大合唱が起きるのではないかと、今から憂鬱になっている。特に個人の自由や決定権を重んじるはずの「リベラル派」の方から、そういう声が多数出てくるのではないかと、今から憂鬱になっている。

 それが杞憂に終わってほしいと、心から願っている。

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想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ):映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。最新作『五香宮の猫』(2024年)まで11本の長編ドキュメンタリー作品を発表、国内外の映画賞を多数受賞してきた。2021年、27年間住んだ米国ニューヨークから岡山県瀬戸内市牛窓へ移住。『観察する男』(ミシマ社)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)など著書も多数。