第176回:憂鬱なる雑感(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 「雑感」とは「とりとめのない感想、思い」のこと。以下、ぼくの「雑感」です。

 ぼくは最近、絶不調である。
 いわゆる「コロナ鬱」の一種だと思うが、気分が落ち込んでいる。その影響か、体調も思わしくない。私的なことでも少し悩み事がある。いろいろあって、絶不調である。
 ぼくは、周囲からはそんなに感情の起伏が激しいほうじゃないと言われている。落ち込んでもわりと回復は早いタイプだとも。けれど、世の中全体が「総鬱状態」なのだから、ぼくの鬱もなかなか回復しない。

 お盆休みが明けた。
 個人的にもこの国にとっても、こんなに切ないお盆休みもなかっただろう。ぼくも、ふるさとの墓参りには行けなかったし、まだ一度も会えていない初孫のところへも訪ねて行けなかった。
 社会全体が鬱屈の中にある。

 やっと、あの喧騒のオリンピックが終わったと思ったら、凄まじい豪雨災害が待ち構えていた。まるで梅雨末期のような長雨が続く。線状降水帯というらしい。まさに、日本は「災害列島」である。
 列島を横断するように覆う薄黒い雨雲の帯。濁流渦巻く川と、まるで悲鳴を上げているような崖や橋、流されていく車や家屋。
 パラリンピックをやっている余裕なんかあるのか、と思う。

 しかも、新型コロナにはデルタ株という暴れん坊が出現して、爆発的感染拡大の一途を辿っている。さらにはラムダ株という変異株も手ぐすね引いているらしい。
 政府はなすすべもなく「中等症患者は自宅療養で」と言いだすが、猛批判を浴びて「中等症でも重症化の恐れがある場合は入院を」と、よく分からない方針転換(?)をした。後手どころか、まったくの泥縄だ。
 医療関係者からは、ついに「制御不能」との声が上がるが、菅首相の口から出るのは「ワクチン接種」の一点張り。他の対策は聞かれない。
 やっぱり、パラリンピックなんかやってる場合か、と思う。

 バッハ会長の銀ブラ(懐かしい言葉だなあ)について、丸川珠代五輪担当相は「不要不急かどうかの判断はそれぞれがお決めになること」と発言。
 帰省などの旅行や買い物の外出すら控えるように求める一方で、その発言はないだろうと大炎上。「もう彼女にしゃべらせるな」と与党内からも大ブーイング。
 小池百合子都知事も「今年はふるさとへの旅行は諦めてください」と言う。けれど、パラリンピック開催の是非については発言しない。それどころか「パラリンピックは、ぜひ子どもたちに見せたい」。さすがに「今度はこどもたちを危険にさらすのか」と、批判殺到でこれも炎上中。
 ぼくには、どうも政治家たちがみな、正気を失っているように見える。

 一方「パラリンピックは開催する」と、菅首相は強気の姿勢を崩さないが、尾崎治夫東京都医師会会長は、東京新聞のインタビューで、きっぱりと「パラリンピック開催は無理」と言っている(東京新聞8月14日付)。

 各地から「感染者数が過去最高」という知らせが届く。もはや、東京だけではなく日本全国が爆発的感染に直面している。「感染者数よりも重症者数が問題。そちらに注意すべきです」と言い張っていたのが西村康稔コロナ対策担当相。だが、その重症者数もうなぎ登り。西村氏は、これに関してはなぜか沈黙。
 かつての大阪のように、医療崩壊を起こしてコロナ死者が続出するのに、もうそんなに時間は残されていないのかもしれない。

 「医療はとっくに崩壊している」と言う医療関係者は多い。
 積極的にコロナ対策と医療現場の実情をテレビ等で報告してくれていた倉持仁医師は、ついに「為政者はあまりに無責任。菅首相と小池都知事は辞任すべきだ」と、TBS系のニュース番組で真剣に怒った。その場のアナウンサーやコメンテーターたちが凍りついた。勇気ある発言だった。テレビで、あれほど明確に為政者の責任に言及した場面は珍しい。
 かつて「報道ステーション」の放送中に、元経産省官僚の古賀茂明さんが「I am not Abe」と書いたフリップを掲げて安倍批判をし、番組を降板させられた事例があるけれど、倉持さんに圧力がかからないか心配だ。
 それにしても、TVジャーナリストたちは、あの倉持発言をどんな気持ちで受け止めただろうか。倉持さんのほうが、よっぽどジャーナリスティックだ。

 感染者は東京では5千人を超え、全国では2万人の大台に乗ってしまった。しかも、自宅待機患者数は急上昇、さらに重症者ベッドももはや満床に近い。救急車で搬送されながら100カ所以上もの医療機関に断られた、というような状況も起きている。それに伴い、「自宅でコロナ死」というニュースも増え始めた。

 東京五輪は、日本の金メダルラッシュに沸き、一定の成功を収めたと菅政権も組織委もホッと胸をなでおろしているらしい。だから「五輪開催は、コロナ感染の原因にはなっていない」と強調する。しかし、五輪閉幕と軌を一にするように、日本で感染爆発が起きていることは事実だ。
 第5波の感染爆発は、感染力の強いデルタ株の蔓延が大きな原因だという。しかし、五輪による人の流れの増加、「五輪ができるくらいなら、コロナもたいしたことはないだろう」という一般市民の気の緩み、そして「路上」競技への観客の密集なども感染爆発の一因になっているのは明らかだ。
 「無観客」とは言いながら、全体としては「無観客」ではなかったのだ。つまり、東京五輪の開催が、人々の外出気分のハードルを一気に下げてしまったということだ。

 東京五輪は、人命尊重、コロナ感染抑制の立場からは、やはり開催すべきではなかったとぼくは思っている。パラリンピック開催も、もっと慎重に考えたほうがいい。それは、無観客か有観客かという問題ではない。開催そのものを検討すべきだと思う。
 パラリンピックは8月24日に開会式を迎え、9月5日の閉会式まで13日間の予定が組まれている。選手はもちろん、関係者やボランティアたちの中にもハンディキャップのある方たちが大勢いる。その方たちのコロナ感染に万全の対応策が取れていると言えるのか?

 ともあれ、メチャクチャだった「東京オリンピック」の後始末は、きっちりとつけてもらわなければならない。
 今ごろになって、公用車でゴルフ練習場通い、数百万円のレッスン代を組織委へ付け回していたという疑いがもたれた平田竹男内閣官房東京オリパラ推進本部事務局長(内閣官房参与)が辞任した。誰の金だと思っていたのか。どれだけ腐った組織か。バレなきゃいいと思っていたのか。

 JOC会長の贈賄疑惑での退任、組織委の女性蔑視発言、総合プロデューサーの女性容姿侮蔑、次々と開会式や閉会式の主要メンバーが辞任するという不祥事、1億円を超える弁当や食品の廃棄問題などなど……。
 これほど醜聞まみれのオリンピックも前代未聞だろう。それらを、ひっそりと闇に葬ってはならない。

 使われた金は、国のものでも都のものでもなく、ましてや「電通」のものなんかでは絶対にない。我々の税金だったのだ。バッハ会長の広島での警備費さえ税金だったという。
 返してほしいよ、その金はもっと有効に使うから。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。