第180回:気にかかる人(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

「気にかかる人」っている。別に面識はないのだが、時折ふっと「最近、あの人の噂を聞かないけれど、元気かなあ…」などと考えたりする。
 ぼくは歌が好きだ。歌……「短歌」のことだ。
 自分では作れないけれど、新聞の短歌欄にはたいてい目を通すし、好きな歌人の本が出れば買い求める。新聞の短歌欄では、やはり「朝日歌壇」のレベルがいちばん高いように思える。だから日曜日の「朝日歌壇」は、ぼくの楽しみのひとつである。もちろん、同じ紙面の「朝日俳壇」もきちんと読む。

 さて、その「朝日歌壇」だが、このところ気になっていたことがあった。ある歌人の歌が、最近まったく見かけなくなったのだ。「郷隼人」さんという。いかにもペンネームっぽい名前で、もちろん本名じゃない。この人、実はアメリカの刑務所の囚人なのだ。

 郷さんの詠む歌は、決して洗練されているとは言えないけれど、じわりと胸に沁み込んでくる。
 郷さんは1996年に「朝日歌壇」に初入選、以来300首を超す歌が入選してきたという。一時は、毎回のように選ばれる「朝日歌壇」の常連歌人だった。ぼくはそこで郷さんの名を知った。それがここしばらく、まったくその名を見かけなくなっていたのだ。
 カミさんも郷さんの歌が好きで、日曜ごとに「今日も郷さん、載ってなかったねえ」などとぼくと言い合っていた。
 けれど、12日「朝日歌壇」に掲載されていた歌人の中條喜美子さんの文章が、郷さんの消息を伝えてくれた。事情があってあまり歌は作れないが元気でいる、という便り。少しホッとした。
 その中條さんの文章の冒頭に置かれているのが、郷さんの登場の経緯を歌った歌である。「郷隼人」が本名でないことが分かる。

実名のあいつは死んであの日より虚名の「郷」が生きて歌を詠む 郷隼人

 中條さんはカリフォルニアの文芸誌「移植林」の仲間として郷さんと知り合い、のちに短歌誌「新移植林」で、郷さんの作品に接してきたという。
 掲載されていた中條さんの文章によれば、郷さんはロサンゼルスから300キロほど北にある刑務所に収監されていたのだが、最近、別の施設に収容先が変わった。そこはバラック状の平屋建ての二段ベッドで、90人近い囚人が同居、騒音がひどくとても短歌を作れるような環境ではない、とのことだ。
 2020年3月を最後に投稿が途絶え、心配して「新作依頼」の手紙を送った中條さんに郷さんから、そんな近況を知らせる返信があったのだという。中條さんの文章の末尾にはこうあった。

(略)先月、7カ月ぶりに届いた頼りには「とても健康です。精神的にも身体的にも」と書かれていて安堵したが、「騒音に悩まされ、本も読めない状態」とあった。
 しばらくは難しいだろうが、創作意欲の強い彼のことだから、いずれ現在の境遇にも慣れ、新しい歌が生まれるのではと期待している。

 ほんとうに、早く郷隼人の新作が読みたいと思う。少し未来の日曜日の朝、新聞を開いたらそこに「郷隼人」の名前がある。そんな日を、ぼくもカミさんも心待ちにしている。

 『LONESOME隼人 ローンサム・ハヤト』という歌文集がある。2004年、幻冬舎発行の本、著者はむろん、郷隼人である。その奥付の「著者紹介」。

郷 隼人 鹿児島県出身。若くして渡米。1984年、殺人事件で収監。以後、終身犯として20年 米国の刑務所に服役中。独学で短歌を学び、所内より投稿を続け、96年朝日歌壇に初入選。2001年11月より、朝日新聞大阪本社版に10回にわたり、「歌人の時間」としてエッセイを連載。

 隼人、という歌人名は鹿児島県出身だったからなのだ。
 どんな事件だったのか、ぼくは知らない。しかし、終身犯として、いまもなお郷さんは獄舎にある。この本を出版してからでもすでに17年が経つ。中條さんがお書きになっているように36年以上も囚われの身なのである。

 この、郷隼人の本。多くの歌がせつなく並んでいる。
 「朝日歌壇」初入選の歌は、ことに淋しい。

囚人のひとり飛び降り自殺せし夜に「Free as a Bird」ビートルズは唱う

 他に、ぼくの心を震わせた歌をあげてみよう。
 とくに、望郷の歌、故郷の母を歌った歌に胸がつまる。

整然と並ぶ獄舎の裏窓にひとつひとつの人生がある

一条の陽の光とて逃がすまじと顔押しつける朝の獄窓

母親の訃報に囚友(とも)の泣き伏せる背に慰めの言葉もあらじ

獄に読む老母(はは)の文(ふみ)こそ哀しけれ父の介護に疲れ果てしと

ブーメランのような三日月寒空に獄庭を散歩する我を見ている

獄窓(まど)に聴く夜汽車が次第に遠のけば望郷の念沸々と湧く

我を待つ母が切り抜き送り来し郷土紙の記事「特攻花咲く」

肉じゃがと糠味噌漬を想う時日本へ帰りたくてたまりぬ

「仮釈放を拒絶さる」とは老い母へ手紙に書けずふた月経ちぬ

ベトナム語のテープより突然流れ来し「襟裳岬」に耳欹(そばだ)てぬ

わが親の金婚の祝いに行けずとも必ず届け真実の祈り

獄に在りでき得る事は母の日のカード作りて贈ることのみ

老い母が独力で書きし封筒の歪んだ英字に感極まりぬ

 この本が、ぼくの大事な一冊であることが分かっていただけたろう。
 人は、どこに在っても人なのである。

『LONESOME隼人 ローンサム・ハヤト』(郷 隼人著/幻冬舎)
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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。