第10回:中野区生活保護課の庁外移転計画と差別問題について(小林美穂子)

 東京都・中野区役所新庁舎が現在建設中である。
 約3年後に完成が予定されている新庁舎から、生活保護課が排除されるという事実が判明してから、現場や区議会は大騒ぎになっていて、私の心の中にも嵐が吹き荒れている。

 経緯についての詳細は、「週刊女性PRIME」(9月16日)に書いた記事を参照してほしいが、中野区では新しい区役所の基本構想に「ワンストップ型サービスの構築」を掲げているにもかかわらず、なぜか生活援護課の中の生活保護課だけが別ビル(スマイル中野)に出される案が決まったのだ。

 区が生活援護課を新庁舎外に出すと決めた当初の理由は、「コロナの影響で申請者の増加が見込まれるから」だった。しかし、移転先として決まったのは現状より狭い場所なので、「え??」となるのは道理である。そこで出されたのが、生活援護課を新庁舎に、生活保護課を別ビルに置いて分ける奇案だ。新庁舎の生活援護課(最初に相談する課)と生活保護課(利用開始後に担当になる課)の連携は必要不可欠であるが、離れてしまって業務は成立するのだろうか。

 何度でも言うが、生活保護課は他部署との連携がもっとも多い部署である。
 生活保護利用者の大半を占める高齢者や障害者にとって、本庁舎と生活保護課が分かれることは「区民の利便性」という面で考えれば最悪であるだけでなく、職員の業務も成立しなくなる恐れがあり、無理に立させようとすれば莫大なコストがかかり、現金が動く課の性質上セキュリティ面での課題も残る。
 メリットが何一つなく、デメリットしかないこんな案が、区民の声も、現場職員の声も聞かずにここまで進んでしまったことに動悸が激しくなるが、ここにきて中野区側が「区民から寄せられたパブリックコメントや現場の声を真摯に聞き、検討したい」と、一旦立ち止まる姿勢を見せたことを歓迎したい。

なぜいつも生活保護課だけ?

 豊島区、渋谷区でも、新庁舎が建設されると、なぜか生活保護課が外に出されるという現象が起こっていて不思議に思っていた。だが、時間が経つうちに「そういうもんなんでしょ」と納得しはじめてしまっている自分に気づいて衝撃を受けた。
 待て、待て、待て、自分。不思議に思っていた地点に戻って聞こうではないか、「なぜ?」と。
 なぜ、新庁舎ができると外に出されるのは生活保護課なんですか?と。
 そして、なぜ私が納得し始めていたのかも、自身の胸によく聞く必要があるだろう。自分の中にも偏見、差別がなかったか。
 だから、私は中野区新庁舎から生活保護課が排除されることに反対している。豊島区、渋谷区で起きたことが、私が働く中野区の地でまでも繰り返されて欲しくはない。豊島区、渋谷区では聞けずにスルーしてしまった「なぜ?」を、声を大にして問うていく。

私たちのことを私たち抜きに決めないで

 9月14日、無所属議員の石坂わたるさんは中野区議会で一般質問を終えたあと、生活保護課の庁外移転に絡め、生活困窮者の人権について以下のように発言した。

 「『区職員において生活困窮者への差別や偏見は存在しない』と言い切ってしまう部長の答弁に、かつての学校が『いじめは存在しない』と公言してしまうのと同様の、問題の解決のしなさと、同じ構造を感じてしまいました。
 また、生活困窮者当事者や支援者の声を、聞くことやそのための工夫を行ったのかと言うことについては、通告なし、原稿なしでの再質問も致しましたが、有無についての回答をしてもらうことはできませんでした。障がい者の権利について語られるときに『私たちのことを私たち抜きに決めないで』という言葉があります。これは障がい者だけに限ったことではないと私は考えています」

 生活保護課の現場の職員たちは、どのような気持ちで庁外移転のニュースを聞いただろう。そして、保護課を利用する生活保護の利用者さんたちはどのような気持ちになるだろうか。私は職員たちの気持ちを聞ける立場にはないが、中野区で暮らす生活保護利用者の知人はたくさんいる。聞くまでもないし、付き合いが長いからどんな返答があるかもだいたい想像もできるが、出会う人たちに聞いてみた。それは自分で想像していたよりもしんどい作業だった。

差別されて当たり前、生活保護利用者の声

*あちこち行かないで済む方がいい。みんな(全部の部署が)まとまってる方がいいよ。保護課はどこになるの? ブロードウェーの近く? で、新庁舎は? ええ? 遠いな……。【80歳男性 要支援2】

*(全部の部署が)一緒であることに越したことはない。なにかしら書類取りに行ったり、ハローワークの就労支援に行く際などに場所が別々だと困る。ハローワークとケースワーカーの連携はどうなるのかな、大変だろうな。生活保護課はいろんな部署との連携が必要だから、ほぼほぼ間違いなくケースワーカーは不便する。聞けば聞くほどおかしい。今までバラバラに点在していた部署を、新庁舎になるのをきっかけに一つにするならまだしも、その逆って……。生活保護を受けている身でこんなこと言うのはいけないんでしょうけど。【20代男性】

*(庁外移転は)めんどくせえからかな。生活保護だけをどっか隔離して、新庁舎は一般的な人たち専用にしようとしているのかな。役所の職員たちに生活保護の人は普通じゃないっていう感覚があるんだろうね。区民だけど区民じゃないっていう感覚なんだろうかね。(庁外移転だと)あっちこっち手続きも大変だ。何でどこも分けたがんのかな。分けてメリットデメリットあるんだろうけど、メリットねぇように思うんだけどな。めんどくせえのかな。隔離みたいな感じだよね。いい気分はしないよね。【60代男性】

*おかしいよね、やることがおかしすぎる。弱い者イジメだよね、言葉悪いけどさ。なんでそんなことやるんかね。【70代男性】

*(泣きながら)こういうの、差別だなって思うけど、私たちは声に出せない。病気であっても甘えてるって言われる、なんで頑張らないのって。そう言われるのが分かってるから表立って怒ることもできない。【30代女性】

 ここまで聞き取りをしていて、私は自分が「生活保護課だけが新庁舎から出されることについてどう思うか」と質問していること自体が暴力に思え、想像できていた回答の深い悲しさ、痛さに耐えられなくなって、これ以上の聞き取りは続けられなくなった。
 差別というものは、している側がどう思うかは 重要ではない。されている側がどう思うかだ。どう思わされているかだ。
 そして私たちは誰一人として差別と無縁ではありえない。どんなに取り除こうと頑張っても、偏見や差別心は私たちの心の中にオリのように沈んでいて、油断したり、心が荒れれば舞い上がり、浮かび上がる。「オリ」をずっと沈めておくためには、まずは私たちが差別心を持っているということを知ることからだと思うのだ。痛い作業ではあるが、そこからしか前進はない。

女性専用車両がある国

 今から10年以上前、私が上海で中国語を学んでいた頃、スイスだったかオランダだったかから来ていた、娘であってもおかしくないくらいに若いクラスメートと交わした会話が忘れられない。
 「シャオリン(小林)、日本の電車には女性専用車両があるんだって? どうして?」
 痴漢が多いからと私が答えると、彼女は「それは知っている」と答えて鼻で嗤った。
 彼女が言いたかったのは、性被害が多い電車で、被害者となり得る女性たちを守る手段が「女性専用車両かよ! 情けなっ!」ということだったと気づいてから赤面した。
 悪いのは加害者であるのに、その加害を撲滅するという根本原因の解決を放棄して、「被害に遭いたくなくば女性専用車両へ」と、なんっにも落ち度のない女性たちを隔離するという方法しか取れないでいる日本社会の未熟さを彼女は嗤ったのだった。
 私とて「そういうもんでしょ」と思っていたのだ。嗤われた時も実はムッとした。だけど、彼女に言われて初めて気づいた。私たちは女性専用車両が欲しいのではない。どの車両に乗っても、どんな時間帯であっても、性被害に遭わないでいられる社会の方がいいに決まっているじゃないか。

中野区を共生の町へ

 生活保護を利用していることがバレて、差別されたり白い目で見られるのは気の毒だから、庁舎外の方がいい、という声もある。悪意はない。しかし、そんな時こそ、私の上海時代のクラスメート(知らんがな)の言葉を思い出して欲しい。
 「どうして生活保護課だけは庁舎外なの?」
 ー他の市民に差別されるからだよ。
 「悪いのは、差別する方でしょう? どうして、差別される側が出て行かなくちゃならないの? 区役所は差別をなくす努力を捨てて、差別される人達を隔離するの?それは、守っていると言えるの? フンッ(←鼻で嗤った)」

 中野区はごちゃまぜが魅力の町だ。
 新庁舎ができたあかつきには、中野区が先頭に立って反差別の旗を振り、金持ちも生活困窮者も、外国人も、学生も、セクシャルマイノリティも、女性も子どもも、健康であろうとなかろうと、誰も白い目でなど見られず、肩身の狭い思いもせずに生きていける町を目指して欲しい。そのために、生活保護課は新庁舎内に再編して、プライバシーに配慮したレイアウトを作って欲しい(現時点の社会では必要だから)。
 いつか、お金がないとか、障害があるという理由で人を差別することの方がとても愚かしい行為なのだと、社会のコンセンサスが取れた時には、プライバシーに過度に配慮せずとも、誰もが堂々と来庁できるだろう。そんな日を夢想する。
 あちこちでジェントリフィケーションが進み、町が色を失くし、置いてきぼりをくらう人が増える中で、中野区が共生の道を選択すれば、地価は上がらなくとも他区にはないカラフルな価値は今まで以上に光るはずだ。……と、私は思うよ。

東京都・中野区役所

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。