第573回:週末は衆院選投開票日 私が選挙に行く理由。の巻(雨宮処凛)

 とうとう今週末、衆院選の投票日だ。

 と言っても、この国では約半数の人が選挙に行かないし、おそらく興味もない。

 別にそのことを、とやかく言うつもりなどない。私自身がそうだったからだ。選挙や政治のことを本気で意識するようになったのは30代になってから。

 20代前半は、どこで選挙がやっているかも知らなかったし、選挙のお知らせが来たところで、すぐになくしていた。そもそもいつが選挙期間中なのかも知らなかった。ただなんとなくうるさい時期で、それは気がつけば終わっていて、選挙なんて「運悪く遭遇した天災」みたいなものだった。

 そんな私がいつからガチ勢になったのかというと、はっきりいつと言えるわけではない。ただ、20代の頃、ふと思った。

 私はこのまま行けば、政治や社会について真剣に考えることなど一切ないまま死んでいくのではないか、と。

 当時は1990年代で、日本はすでに不況だったけれど「平和で豊か」という神話はまだ生きていて、本気で政治のことを考えなくても特に問題なく生きていけそうな、世界で唯一くらいの国だと多くの人から思われていた。そんな国に生まれて、このままだったら半径5メートルのことだけで生きていけそうなのが、ものすごくヤバいような気がした。

 そんなこともあって、「可愛い子には旅をさせろ」とばかりに、私は自分自身を過酷な旅にブチ込んだ。右翼団体に入会させ(2年で脱会)、北朝鮮やイラクに行かせたのである。もともと知識もない上に関心がないので、とにかく「興味を持つ」には極端な方法をとるしかなかった。それくらいしなければ、「この女(自分)は社会に目など開かないだろう」という確信があったのだ。
 そうして少しずつ開かれていった私の目は、31歳にして、初めて視界がクリアになった。

 きっかけは、何度も書いているが2006年に訪れたフリーター労組のメーデー。そこで話されていたことにより、長年の「謎」「もやもや」に答えがもたらされたのだ。

 その時、私は物書きデビューして6年目になっていた。ではそれ以前に何をしていたのかと言えば、フリーターだった。19〜24歳の頃だ。

 そんなフリーター時代、就職氷河期世代の私の周りにいたのは同じくフリーターか、バブル崩壊後に吹き荒れたリストラで仕事が何倍にも増えた過労の正社員で(時給で割ると最賃を下回るくらいの給料)、なぜかみんながみんな、どんどん心を病んでいった。

 ある人は、就職できず、不安定な生活を続けていることを親や周りの大人たちに執拗になじられることで。ある人は、厳しいノルマと長時間労働に身も心も苛まれて。そういう私もフリーター時代はリストカットを繰り返し、薬を大量に飲むオーバードーズをやらかして救急車で運ばれたこともある。筋金入りの自殺志願者だった。

 当時、私は自分が生きづらい理由を、自分の生き方が不器用だからなのだと思っていた。

 しかし、今の私は自殺願望に取り憑かれていない。それは自分に仕事があり(不安定だけど)、その仕事でそれなりに「人間扱い」されているからだと断言できる。

 翻って、フリーター時代の私は「誰にでもできる仕事」を「誰にでもできる」とバカにされながら低賃金で担い、いらなくなったらすぐに放り出されていた。そうして次の職探しに一週間もかかれば、電気やガスが止まった。そんなふうに困窮を極める非正規労働者だったのに、「フリーター」という軽い語感からなぜか「好きでやってる」「働く気がない若者」といった文脈でバッシングばかりされていた。自分でも自分が「貧困」だということに気づかず、リストカットを派手にやってしまうのが、決まってバイトをクビになった日だということにも気づかずにいた。

 そんな中、友人知人の多くが自殺という形で命を落とし、またウツになってひきこもった。

 そのような私たちの苦境の背景には、非常に大きな政策の転換があったということを、私は06年のメーデーで初めて知った。大きいのは95年に日経連が出した「新時代の日本的経営」だ。これによって、働く人をこれからは三つに分けましょうということになったのだ。

 ひとつは「長期蓄積能力活用型」。安定層の正社員。

 ふたつめは「高度専門能力活用型」。ものすごくハイスペックで高給取りの派遣社員。

 みっつめは「雇用柔軟型」。いつでも使い捨てにできる非正規労働者。

 この提言によって労働法制の規制緩和が進み、特に若者が狙い撃ちされるように非正規化、不安定化を始めたのだ。私たちは、まさにそれが直撃した第一世代だった。

 「どんなに頑張っても正社員になれないから死にたい」「フリーターでしょっちゅうクビになって、こんな自分は生きてる価値がないから死ぬしかない」

 自分の周りにあったそんな言葉たちが、初めて「一部を徹底的に見捨てる政策」と繋がった瞬間だった。私は怒り狂った。これまでに自ら命を絶った人たちの顔が浮かんだ。

 同時に浮かんだのが、当時の若者に対して、執拗にバッシングを繰り広げていた人たちの顔である。若者の実態など何も知らないのになぜか断言調で語るテレビの「ご意見番」みたいなタレント。若者バッシングを当然のように展開する、右肩上がりの経済成長の恩恵をたんまり受けた年長世代の人々。

 お前らが私の周りの人々を苦しめ、侮辱し、殺したのだ。「一部が犠牲にされる社会」を作ることに加担したくせに、犠牲にされた人々を傷つけまくってきたのだ。「お前らに殺されてたまるか」。そんな怒りが、私が政治に目を見開く大きなきっかけだった。何も知らないのにバッシングをする無知な大人たちを黙らせたい。それが動機だった。

 そうして、現在。若者たちを巡る状況は、当時より悪化している。

 賃金は上がらず、しかし学費は上がり、しかも奨学金という形で二人に一人の学生が借金を背負わされている。奨学金という名の「国の貧困ビジネス」のカモにされ、結婚に前向きになれないという声をどれほど聞いてきただろう。

 そんな中にやってきたコロナ禍だ。借金をしてまかなった学費を払っても、ずっとオンライン授業。バイト先も潰れてしまい、退学を考える学生も多くいる。それなのにこの一年半以上、コロナ感染者が増えるたびに「若者の身勝手な行動が」と槍玉に挙げられ、彼ら彼女らの苦境に目が向けられることはほとんどなかった。

 私が政治に関心を持ったのは、「クソな大人を黙らせたい」ということだった。

 あなたにそんな大人がいたならば、もしかして、選挙に行くことで、回り回ってその人たちを少しは黙らせられるかもしれない。

 少なくとも、今の自民党政権は、不安定雇用を増やし、奨学金地獄を作り出し、結婚、出産したくてもできない社会を作り出し、将来の計画を立てられないほど先が見えない人々を膨大な数、生み出してきた。その上、「どんなに長時間労働をしても倒れない強靭な肉体と、どんなにパワハラを受けても病まない強靭な精神を持った即戦力」以外はすべて使い捨てという地獄のような状況もだ。

 私は40代だが、10代でバブルが崩壊し、以降、この国ではずーっと経済的な停滞が続いて中間層が没落してきた。「失われた20年」は「失われた30年」に伸び、ロスジェネ年長世代はすでに出産可能年齢を過ぎつつある。それなのに、19年、麻生太郎氏は言った。

 「年をとったやつが悪いみたいなことを言っている変なのがいっぱいいるが、それは間違っている。子どもを産まなかった方が問題なんだ」と。

 ここまで書いてきて、つくづく思う。バブル崩壊以降、ほとんどの間の政権を担ってきて、実感として何ひとつ良くなってないって、自民党の人たちってただの無能の集まりなんじゃないの? と。今の若い世代は「右肩下がりしか知らない」というけれど、そんな右肩下がりをここまで放置させてきたのって誰? と。

 30年間、日本の賃金だけが上がらず、今や韓国にも平均賃金で追い越されている。これほど停滞が続いてるって、単純に、政権が無能だからだと子どもだって思うだろう。

 ちなみに議員として莫大な歳費を得つつも、国会で一度も質問せず、質問主意書も一度も出さず、なんの役職にもついていない議員を「オールゼロ議員」というが、そんな議員のほとんどが自民党だ。

 数年前、国会で大量の自民党議員を一度に見る機会があり、知らない顔ばかりだったことに驚いたことがある。参議院で106人、解散前の衆議院で275人もいるわけだが、あなたが顔と名前を知っている自民党議員は何人だろう? まったく知名度がなく、何をしているかもさっぱりわからず、「スーツ姿の警備員?」とその場にいるみんなが勘違いしたほどに、誰にも顔も名前も認識されておらず、次の選挙で自分が当選するための活動くらいしかしていない「仕事をしない議員」に、膨大な血税が支払われている。

 民間にたとえると、何年かの有期雇用で、任期中にひとつの実績も上げていないのに契約が更新され、べらぼうな額の報酬をもらう人間がうようよいる政党が自民党というわけである。そんな人間を、一人だって養い続ける余裕も理由も私たちにはない。

 もうひとつ、思い出してほしい。

 この夏、「自宅療養」という名の自宅放置で、どれほど多くの命が奪われたのかを。

 ということで、私は選挙に行く。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。