第106回:在外邦人には渡してもらえぬ「バッテンをつける紙」(想田和弘)

 先日行われた衆議院総選挙では、最高裁判事の国民審査がいつになく注目された。

 というのも、最高裁が今年6月、夫婦同姓を強制する現行法について、「合憲」との判断を下したからだ。

 この判断を受け入れがたく感じている僕らにとっては、「合憲」と判断した4人の判事(深山卓也、長嶺安政、林道晴、岡村和美の各氏)に対して、「ノー」を突きつける絶好の機会となったのである。

 実際、4人の判事に対する不信任率は、他の判事のそれよりも1%程度高めに出た。あの判断に不満な人が、少なからずいたのであろう。

 もっとも、不信任率が最も高かった深山氏ですら7.85%に過ぎないので、罷免に必要な過半数には遠く及ばない。つまり4人の判事は難なく信任されてしまった。

 とはいえ、1%違えば60万人弱の違いがあるそうだから、一定の意思表示にはなったのではないだろうか。

 しかしこの国民審査に参加し意思を表明する権利が、海外在住の140万人の日本人には許されていない事実を、皆さんはご存知だろうか。

 衆院選の投票に行っても、在外邦人には選挙区や比例の投票用紙が渡されるだけで、あのバッテンをつける国民審査用の紙は渡してもらえないのである。

 僕はアメリカで衆院選の在外投票を初めて行った際、そのことを知って驚いた。憲法ですべての日本国民に保障されているはずの権利が、海外に住んでいることを理由に、行使できないのはおかしいと思った。

 そもそも在外邦人は、長い間、選挙で投票する権利すら奪われていた。それが在外邦人による裁判闘争で違憲判決を勝ち取った結果、2000年から比例代表選挙だけ投票が可能になり、さらに2007年からは選挙区でも投票できるようになった。ところが国民審査の権利だけは、なぜか置き去りにされたままなのだ。

 そこで2018年、知り合いの弁護士に誘われた僕は5人の原告の一人として、「国民審査権を行使できないのは憲法違反」だとして国を訴えた。その結果、僕ら原告側は東京地裁、東京高裁で違憲判決を勝ち取った。

 当然の判決だと思う。

 にもかかわらず、国側は最高裁へ上告し、国会は法改正を行わないまま、今回の選挙に突入してしまった。したがって140万の在外邦人は、このたびの選挙でも国民審査権を行使できなかった。まったく酷い話である。

 ちなみに、在外邦人による国民審査ができない理由として国側が主張しているのは、ちょっと信じられないようなものである。いわく、「国民審査用の紙の印刷と配布が間に合わない」というのである。

 悪い冗談のようだが、これは本当のことだ。嘘だと思ったら、裁判資料を読んでいただきたい。 難しい国家公務員試験を通ったエリート官僚や弁護士たちが、大真面目にそう主張しているのである。

 いずれにせよ、この件は近々、最高裁の大法廷で審理される予定である。

 皆さんには、どの裁判官がどういう判断をするのか、注視していただきたい。

 そしてもし「合憲」判断を下すような不届きな裁判官がいたら、次の国民審査では大きな「バッテン」をつけるしかないだろう。

 そういう機会を確保するためにも、国民審査制度は形骸化させてはならないし、在外邦人を含むすべての主権者に審査権を保障すべきなのである。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ):映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。最新作『五香宮の猫』(2024年)まで11本の長編ドキュメンタリー作品を発表、国内外の映画賞を多数受賞してきた。2021年、27年間住んだ米国ニューヨークから岡山県瀬戸内市牛窓へ移住。『観察する男』(ミシマ社)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)など著書も多数。