第187回:「金々節(かねかねぶし)」の世の中で(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

1日で100万円!

 なんだか「お笑い政治劇場」ってな雰囲気でしたね。
 急に「文通費」なるものが脚光を浴びて、政界はてんやわんやの大騒ぎ。火元は維新の新人議員小野泰輔氏のツイート。「たった1日で100万円満額はおかしい」という、それ自体は真っ当な意見だった。でも、その先がわけ分からない状況になった。
 この「文通費」って言葉、そのまま受け取れば、なんだかほのぼの。かつてパソコンもスマホもなかった時代の少年少女たちの淡い恋の「文通」を思い出させる(ぼくらの時代ですな…)。でも実際は、そんな青春の甘酸っぱい思い出にはほど遠い。とにかく生臭いカネの象徴みたいなものだ。国会議員には給与のほかに、月100万円。年間で1,200万円が無条件で渡される。これを正式には「文書通信交通滞在費」といい、その略称が「文通費」というわけだ。
 言葉どおり、交通費や文書発送費などに使うのが主な目的だが、実は領収書も要らなければ使途を明らかにする義務もない。つまり「第2の給与」なのだから、議員にはおいしいことこの上ない。
 今回の衆院選の投票は10月31日に行われたのに、10月分をそっくり支給ということになった。つまり、10月31日の、名目上たった1日だけの議員さんたちに、100万円の満額支給となったわけだ。オマケもあった。議員の公設秘書給与も税金で賄われているのだが、その秘書給与も1日だけで満額支給なんだそうだ。
 かつて『ショウほど素敵な商売はない』というミュージカル映画があったけれど、まさに「議員ほどおいしい商売はない」である。

 明治・大正期に活躍した演歌師・添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)に「金々節」ってのがあるけれど、今の議員たちもまさにかねかねぶしだ。

金だ金々 金々金だ 金だ金々 この世は金だ
金だ金だよ 誰がなんと言おと 金だ金々 黄金万能
金だ力だ 力だ金だ 金だ金々 その金ほしや
ほしやほしやの顔色眼色 見やれ血眼(ちまなこ)くまたか眼(まなこ)…

 とまあ、こんな具合に続くのだが、現在の血眼連中に聞かせてやりたいよね。金と力で上級国民を気どる連中に。
 当て逃げの交通事故や無免許運転などで何度も辞職勧告をつきつけられた木下富美子東京都議が、都議の座にほとんど妄執的にしがみついていたのも、この「金々節」を手放したくないからだったかもしれない。22日に小池知事に引導を渡されて、ようやく辞任を表明したけれど、何とも見苦しかったなあ。それでも、欠席中の議員給与は返還しないらしいから徹底している。
 ま、木下都議なんてわけわからん人はアッチに置いとくが、この新人議員1日100万円満額支給には、さすがにカネのことだけに、国民の目が集中した。

巨大ブーメランが突き刺さったが

 維新の吉村洋文大阪府知事も、さっそく「1日だけなのに、文通費を全額支払うのはおかしい」と正義の味方ぶりをアピール。
 ところが、吉村氏は2015年10月1日に大阪市長選に立候補するために衆院議員を辞職した際、10月1日の、たった1日だけなのに10月分の文通費100万円をしっかり受け取っていたことが判明。9月30日に辞めていれば10月分は発生しなかったはずだから、わざと1日遅らせたのは、100万円を受け取るためだったのではないか、とまさにブーメランがグサッ!
 それでも吉村知事、蛙のツラになんとやら、ブーメランは認めながらも「でもよかった。与党も返金を決めた。我々が騒がなかったらこうはならなかった」と開き直るありさま。さすが維新の面目躍如!
 さらには、松井一郎維新代表が「新人議員の文通費は日本維新の会へ全額寄付させる」と言明。党から被災地支援やコロナ対策などへ寄付するというのだが、それだってきちんと詳細を明らかにしなければ、結局、どこへどう消えたか分からなくなってしまう。この党については、「セルフ領収書」なる言葉が有名だ。自分から、自分が責任者を務める政党支部へカネを移したことを示す領収書を発行するという、何ともおかしなカラクリ。カネの使い道を明らかにしなければ信用できない。
 しかも、維新から橋下徹氏(維新の“創業者”)へ、数千万円の「講演料」名目のカネが流れているという。身内のカネの流れ、怪しさフンプン。

議員には「性悪説」がよく似合う

 自民党の茂木敏充幹事長も「自民党の新人議員の文通費は全額返納させる」と応じて、与野党ともにこれまで知らんぷりをしていた文通費については、一定の改革に踏み出す構えだ。しかし「文通費の支給は、在任期間の日割り計算にする」という程度の改革で落ち着きそうだ。なんだ、そりゃ? そんなもん、改革と呼べるのか!
 日割り計算にしたところで、領収書もいらなければ使用報告義務もない。ほとんど前と同じではないか。日割り計算する場合は、選挙時にしか発生しない。
 法律を改正するのであれば、使用に応じて支給するというのが当たり前。「こういうことにこれだけ使いました」との領収書を添えて請求し、それが妥当であれば使用分を支給するというシステムに改めなければ、不正使用が是正されるとはとても思えない。国会議員の中には「性善説」ではなく、残念だが「性悪説」をとらなければならない人たちがワンサカいるのだから。
 まだある。彼らには他にも「議員特権」がある。選挙区を往復するとの名目で、無料航空券や無料新幹線切符が、各3回分ずつ与えられているのだ。それなら「文通費=文書通信交通滞在費」なんか要らないはずだ。
 少なくとも文通費から「交通費」は差っ引かなければおかしいじゃないか、と思うのは普通の感覚。これまで、このチケットを使って議員本人ではなく家族が使用して問題になったこともある。彼らの感覚は普通じゃない。
 ね、性悪説をとらなければならない事情、分かってくれたよね。

機密費、毎日307万円

 こんな「議員特権」も相当ひどいけれど、そんなの小せえ小せえと言わなきゃいけないのが「官房機密費」なる闇のカネだ。
 少し古い記事だが、2月24日の毎日新聞「政治プレミア」の小池晃参院議員(日本共産党)が、インタビューで内閣官房報償費(いわゆる官房機密費)について語っている。やや長いけれど、引用させてもらおう。

 内閣官房報償費(官房機密費)の「政策推進費」は、領収書を必要とせず、官房長官の判断で支出できるブラックボックスのお金だ。赤旗が情報公開で手に入れた文書によると、菅義偉首相(引用者注・当時)が官房長官在任中の2822日間に支出した総額は86億8000万円に上る。
 これは1日当たり平均307万円を使い続けていたという途方もない額だ。政府には一定程度、機密性が高いお金は必要だと思うが、全くチェックされずにこの金額が支出されているというのは許されない。国家財政が厳しいなどと言っているさなかに、いつまで高額な使途不明金の支出を放置しておくのか。
 政策推進費は「施策の円滑かつ効果的な推進のため、官房長官としての高度な政治判断により機動的に使用することが必要な経費」(加藤勝信官房長官の答弁、引用者注・当時)だという。官房機密費にはこのほか、必要な情報を得るための経費「調査情報対策費」(会合の際の飲食代など)、円滑な活動を支援する経費「活動関係経費」(慶弔費、交通費など)があるが、これらは事務の担当者が出納管理をしている。しかし、政策推進費は官房長官に渡された時点で「支出完了」。帳簿も領収書も要らず、使い道を知っているのは官房長官ただ一人だ。
 菅氏は7年8カ月の官房長官時代、官房機密費の総額95億4200万円のうち9割以上の86億8000万円を政策推進費に振り分けている。菅氏は日本学術会議に関し「年間10億円を使っている。国民に理解される存在でなければならないのに閉鎖的で既得権益になっているのではないか」という趣旨の発言をしている。しかし、菅氏は1人で学術会議全体よりも多い毎年度11億円以上のお金を使っていた計算になるのだ。(略)
 あきれたのは、昨秋の自民党総裁選の最中も使い続けていたことだ。情報公開で入手した文書によると、総裁選に出馬表明する前日の昨年(引用者注・2020年)9月1日、菅氏は空になった官房長官の金庫に政策推進費9020万円を入れているが、総裁に就任した同月16日時点で残っていたのは4200万円。その差額である4820万円を使っていたことになる。この間の予定を調べてみると、台風10号に対応するための関係閣僚会議や定例記者会見のほかは、連日、テレビに出演したり、公開討論会に参加したりと総裁選に忙しかったようだ。この期間に官房長官として高度な政治判断を行う仕事があったとは思えない。総裁選で多額のお金を使ったと思われても仕方がないだろう。(略)

 これは「赤旗」がすっぱ抜いた情報公開スクープだけれど、残念ながらこの後追い報道はほとんどなかった。
 しかし、驚くべき話ではないか。現在はどうか知らないが、官房長官という個人が、個人の裁量で毎日307万円ものカネを使う。毎月じゃない、毎日だよ。
 食事費や会合費などはきちんと事務担当の官僚が出納管理しているというから、そんなカネじゃない。つまりは政治的費用、誰かに渡したり裏工作に使用する、ということだとしか考えられない。
 あの広島選挙での河井案里氏側へ渡った1億5千万円も、ここから出ていたという観測もある。つまり、本来は公平に使われなければならない税金が、一党の思惑で勝手に浪費されているのだ。菅氏が恣意的に使ったこのカネは、元はと言えば「国家予算」の一部。ということは、我らの税金が原資だ。100万円なんてちゃんちゃらおかしいと、菅元官房長官は腹の中でせせら笑っているかもしれない。そう思うと、モーレツに腹が立つ。

 やはり、政治家の感覚は、我々庶民とは完全にかけ離れている。
 コロナ禍を必死に耐えている人たちを横目に、持てる者たちの高笑いが響く。
 「金々節」が罷り通る政治風土が国を歪めている。
 添田唖蝉坊の時代から、この国は少しもすすんでいない。

添田唖蝉坊(1920年)

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。