第188回:隣国と、ぼくらの国と(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

楽しいお祭りでした

 11月28日(日)、ぼくの住んでいる辺りはとてもいい天気だったが、北風が吹いてかなり寒い。府中市の府中公園では、毎年恒例の「朝鮮文化とふれあうつどい」という催しが開かれていた。ぼくの家からは徒歩で45分ほど、ゆっくり歩いて出かけた。
 会場は広い公園だが、千人は超えるだろう人たちが楽しげに集まっていた。たくさんの屋台があって、さまざまな朝鮮料理が販売されていた。ぼくとカミさんは食いしんぼだから、とりあえず昼飯! サムゲタン(参鶏湯)とキンパ(朝鮮海苔巻き)で腹ごしらえ。寒さで少し冷えた体には温かさが沁みる。けっこう満腹。
 それから、ざっと会場を見て回る。
 フリーマーケットは大盛況、ステージでは歌やテコンドーの演武、子どもたちの気合が会場に響く。いろんな国の人たちが集まっている。人種を越えてのお楽しみ会場。なかなかいいもんだ。
 ぼくの知り合いやカミさんの知り合いもいた。みんな笑顔だった。

朝鮮文化とふれあうつどい。屋台からは、いい匂いが……。昼飯はサムゲタンとキンパです。美味! フリマも大盛況。ステージではテコンドーの演武

巨大本『人工島戦記』をゲット!

 帰りは久しぶりにリアル書店に立ち寄って文庫本を爆買い。カミさんが会計係。だってぼくは『人工島戦記 あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいのかのこども百科』(橋本治/発行=ホーム社/発売=集英社/9800円+税)などというとんでもない本を、少し前に買い込んでしまっていて、本代がなかったんだ。
 この本、すごい。内容は橋本さんだから素晴らしいのは言うまでもないが、なにしろ本の体裁が、厚さ6.5センチの箱入り。本というよりは巨大な弁当箱みたいな代物。これを足の上に落とせば骨折確実、十分に凶器になり得る(苦笑)。
 1376ページのボリュームで、「人工島戦記地図」という橋本さんの手書きの地図帳までついている。「小説すばる」連載中に少しだけ読んではいたけれど、こりゃ終わりそうもないな、単行本にまとまってから読もう、なんて思っているうちに、作者の橋本さんがお亡くなりになった。彼の担当をしていたフリー編集者の刈部謙一くんもその少し前に旅立っていた。
 多分あちらで
 「橋本さん、途中になっちゃったけど、集英社が本にしてくれたみたいですよ」
 「あ、刈部だ。わたしもこっちへ来ちゃったよ」
 「橋本さん、お久しぶりです。でも、ちょっとこちらへ来るの、早すぎます」
 「待ち構えてたの? こっちでも仕事をさせる気かい、もうヤだよ」
 「でも、せっかく本にしてくれるって言うんだから、装丁くらいは考えましょうよ」
 「編集の現役連中に任せるしかないだろうよ、こっちからじゃ手が届かないんだから」
 「そうですね。でもぼくが念を送っておきましたから、けっこうカッコよく仕上がったみたいですよ」
 「ほう、それにしてもデカいなあ。わたし、こんなに書いたっけ?」
 なんて、例の調子でバカっ話をしているんじゃないかなあ。ぼくと刈部くんで仕事の依頼に行くと、いつもそんなふうにふたりで漫才をやっていたものなあ。
 というわけで、ぼくは読むのを忘れて、しげしげと本の手触りを愉しんでいる。そういえば、最近は箱入りの本なんて、とんと見かけなくなった。その意味でも、ちょっと珍しい本である。

スゴイ本を買った。これです!

 夕食には、「朝鮮文化とふれあうつどい」の屋台で買ってきたキムチを入れて、キムチ鍋です。好きなんだなあ、これが。家じゅうにキムチのにおいが満ちて、誰かが来たらたじろぎそうだけれど、そんなの知ったこっちゃない。お隣の国の味を、我が家の食卓で味わう。これが友好というものだろう。
 でも、あんなに楽しく仲良く集っているのに、その人たちを排除しようという一群の連中がいる。一度、あのお祭りへ来てみりゃいいんだ。ヘイトなんか忘れちまうから。

血と炎と銃声と…

 お隣りの国といえば、11月23日、韓国の全斗煥(チョン・ドファン)元大統領が亡くなった。本来なら、韓国では大統領職にあった方が亡くなれば「国葬」を行うのが普通らしいが、全斗煥氏に関しては行われなかった。それは、1980年5月の「光州(クァンジュ)事件」の悲惨な記憶が、韓国の人々からいまも消えていないからだ。
 1979年、全斗煥陸軍少将が「粛軍クーデター」を起こし、1980年5月には金大中氏ら民主派を逮捕、全土に戒厳令を敷いた。
 全羅南道の光州市では、それに抗議した約20万人とも言われる学生や市民に対し、陸軍空挺部隊と警察機動隊が鎮圧に乗り出し、無差別に銃を乱射して、多数の死者や負傷者を出すに至った。犠牲者の数は今も明確になってはおらず、数百人とも千人を超すとも言われている。血と炎と銃声の記憶である。
 光州事件は映画にもなり、名優ソン・ガンホが演じた『タクシー運転手 約束は海を越えて』は韓国のみならず、世界中で大ヒットした。
 後に、全斗煥は光州事件や民主派弾圧の罪に問われて逮捕され、裁判で無期懲役を言い渡されたが、金大中大統領によって特赦、釈放された(1997年)。
 全斗煥氏の死後、妻の李順子(イ・スンジャ)さんは、全氏の死後すぐに「夫の在任中に苦痛を受けたり傷ついたりした人たちに対し、夫に代わって深くお詫びいたします」との謝罪文を発表。全斗煥氏側からこのような謝罪の態度が示されたのは、事件以来、これが初めてだという。妻が謝罪の姿勢を示さざるを得なかったのは、まさに、光州事件の記憶が韓国民の間から消えてはいないということを意味するのだろう。

Chun Doo-hwan 1983 (cropped).JPEG
全 斗煥
By Al Chang / Wikimedia Commons

日本では…

 日本政府は、そんな全斗煥氏とどう向き合ってきたのか。
 同じころ日本の首相であった中曽根康弘氏は、全氏と親交を結んだし、1984年に全大統領が訪日の際には、天皇との会見までセットされるという厚遇ぶりだった。世界で批判された「光州事件」の市民虐殺を十分に知りながら、その首謀者を手厚くもてなすというのが日本政府の態度だったのである。
 確かに全斗煥大統領は、いわゆる「開発独裁」の手法でソウル五輪を成功させるなど、一定の経済発展をもたらした面はあったとはいえ、日本の厚遇ぶりは、国際的にはかなり突出したものだったといえよう。現在は人権外交を標榜する日本政府ではあるけれど、その内実は、このころから一歩も進んでいない。人権問題に関して、中国に強く抗議することなど、考えたこともないに違いない。

 前述したように全斗煥氏は大統領退任後に逮捕されたが、韓国では他にも退任後に逮捕された大統領の例は数多い。
 全氏のほかにも、盧泰愚(ノ・テウ)、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)などの各氏が、退任後に逮捕され、裁判で刑を言い渡されている。それ以外にも、元大統領の親族が逮捕された例も数多い。
 では、日本ではどうなのか? 東京新聞(11月19日付)にこんな記事。

安倍氏「桜」領収書廃棄巡り
元秘書 また不起訴 東京地検

安倍首相元首相の後援会が「桜を見る会」前日夜に開いた夕食会の領収証を廃棄していた問題で、政治資金規正法違反容疑で東京第五検察審査会が「不起訴不当」と議決した配川博之・元公設第一秘書と資金管理団体の元会計責任者の二人について、東京地検特捜部は十八日、再び不起訴とした。
特捜部によると、配川元公設第一秘書は嫌疑不十分、元会計責任者は起訴猶予。領収書を巡る捜査はこれで終結した。(略)

 いやはや、である。
 元大統領やその親族までも逮捕し裁判にかけるという韓国に比べ、日本の検察はどうだろう。
 たとえば、甘利明前自民党幹事長のことを思い出してみる。不審なカネが渡ったことまでも明らかになっていながら、なぜか放置されたままだ。それはなぜ?
 安倍晋三氏など、疑惑のてんこ盛りだったではないか。議会で100回以上ものウソ答弁を繰り返したことも分かっているし、森友・加計学園を巡る疑惑も何ひとつ解明されていない。韓国では親族の疑惑も逮捕に至っているが、菅前首相は「息子は別人格」などと開き直ってそのまま。それはなぜ?

 政治家、それも自民党の大物議員は、少々の疑惑があっても不問に付される。そうは思いたくないけれど、やはり検察にもどこかに政権中枢部への忖度があるのではないかと、勘ぐってしまう。
 韓国への日本国民の感情はこのところ悪化していると言われるけれど、少なくとも、きちんと理非を正すという意味では、日本よりも進んでいるのではないだろうか。司直が疑惑の政治家の行状に応じた処置をきちんと取っていたならば、もう少し、この国の政治は風通しが良くなるに違いない。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。