第108回:過去とつながるタイムマシン(想田和弘)

 ひょんなことから、牛窓の自宅の近くにある築95年の古くて立派な蔵をお借りすることになった。
 きっかけは、去年の秋、この蔵が近々取り壊されるという噂を聞いたことだ。僕も妻の柏木規与子も仰天して、「そんなもったいない。壊すくらいなら、何かに使わせていただけないか」と持ち主の方に掛け合った。蔵は僕らの散歩道に建っていて、その佇まいがとても気に入っていたからである。
 ところが、聞けば取り壊しの計画があったのは約10年前の話で、今ごろになってなんでそんな噂が流れたのか、持ち主も見当がつかないという。
 当時取り壊しを考えたのは、屋根が古くなって、雨漏りがするようになったからだそうだ。しかしそのときも「壊してほしくない」と近所の人から熱烈に説得されて、壊すのをやめて屋根を補修したのだという。
 いずれにせよ、そのちょっとした騒動が契機となって、長い間使われずに埃をかぶっていた蔵を、僕らがお借りできることになった。瓢箪から駒である。

 主に柏木が太極拳を教えたり稽古したりする道場として使わせていただくが、ゆくゆくは瞑想の会や、ちょっとした映画の試写会、ワークショップなどにも活用できるのではないかと夢を膨らませている。
 蔵を建てたのは、かつて牛窓で船具店を営んでいた木崎家だ。女の赤ちゃんが生まれたことを喜んだお父さんが、1926年(大正15年)に建てたそうだ。牛窓が潮待ちの港町として栄えていたころのことである。木崎船具店もよほど商売が繁盛していたのだろう。
 梁にも柱にも床にも、現代ではちょっと見ないような立派な木材が、ふんだんに使われている。重厚でどっしりとした二階建てである。


分厚い扉

 扉を開ける鍵が木崎家に1本しか残っておらず、これを機会に錠そのものを新調しようと考えたのだが、木でできた扉が分厚すぎて現代の既製品は使えず、かなり高額な特別注文になってしまうという。そこで錠を取り替えることはやめて、スペアキーを作ってもらった。とはいえ、スペアキーも普通の雛形は使えないので、鍵屋さんを通じて鉄工所へ特注してもらった。
 また、蔵なので当然だが、二階の奥には当時船具店で使っていた古い道具や家具の数々が、95年分(?)の埃をかぶってそのまま残っている。これらをまとめて業者に廃棄してもらうという案もあったのだが、「先祖のものを捨ててしまうのは、先祖に申し訳ない」と木崎家の90歳の長老がおっしゃった。そこで僕らは古い道具をひとつずつ外へ出して、埃や汚れを水で洗い流し、乾かしてから蔵の棚にオブジェとして展示していくことにした。
 この作業がけっこう大変なのだが、面白い。
 たとえば、「大正二年十二月」と製造年と発注者の名前と住所が記された木の籠のようなもの。何の道具なのか僕にはわからないが、わざわざ年や名前が書かれているということは、たぶん高価で大事なものだったのだろう。実際、水で埃を洗い流してみるとツヤツヤと輝きを放ち出して、100年以上も前の道具とは思えない。

2階にあった籠のようなもの

その底面

 蔵自体もそうだが、昔の人は使い捨てを前提に物を作らなかったのだということを、肌で実感させられる。だからこそ、蔵も道具も100年の風雪に耐えられるのである。
 そして風雪に耐えた建物や道具は、当時の技術や工法、材料などの情報が詰まった、記憶装置として機能する。それは過去へのオーセンティックな入り口である。
 思えば、ここで柏木が稽古する太極拳の「型」も、世代から世代へと受け継がれてきた記憶装置であり、過去への入り口ではなかったか。
 蔵は今後、過去とつながる一種のタイムマシンのような場所になっていくのではないか。そんな予感に、かなりわくわくしている。

木崎船具店に当時かけられていたであろう看板

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想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ):映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。最新作『五香宮の猫』(2024年)まで11本の長編ドキュメンタリー作品を発表、国内外の映画賞を多数受賞してきた。2021年、27年間住んだ米国ニューヨークから岡山県瀬戸内市牛窓へ移住。『観察する男』(ミシマ社)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)など著書も多数。