第195回:権力は時間さえも金で買う(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

似通った光景

 23日投票の沖縄県名護市長選挙では、現職で自民公明が支持する渡具知武豊氏が当選した。新人で立憲共産れいわ社民沖縄社大の推薦を受けた岸本洋平氏を、約5,000票の差をつけて破った。ぼくはとても残念だと思う。
 要因はさまざまあるだろう。だがその中で最も大きかったのは、ぼくは「時間」だと思う。沖縄は、そして名護は、これまで何度も「米軍辺野古新基地工事拒否」を、民意として示してきた。しかしいくら県民や市民が拒否しても、日本政府は民意を一顧だにせず、強引に、「金」と「暴力」と「時間」を基に工事を推し進めてきた。

 ぼくはかつて全国の多くの原発を取材してきた。
 その原発立地地域の光景に、辺野古の光景がダブる。
 政府や電力会社は札束で住民の横っ面をひっぱたく。何度も何度もひっぱたく。抵抗する者は少しずつ地域から浮き上がる。
 金を得た者は、抵抗する者を批判する。後ろめたさの裏返しだ。それが長い長い「時間」の中で常態化する。抵抗者は沈黙し、やがて受け入れるか、去っていく。それが現実。沖縄の基地と原発はよく似ている。

時間は残酷

 時間は残酷である。
 時間の経過とともに、抵抗者たちも年老いていく。拒否は風化し、疲れ果てて言葉を失う。だから、金を持つ権力者は黙って時の経過を待てばいい。政府という無尽蔵の金(!)を持つ権力側は、権力に屈した者へは金を渡し、抵抗する者へはかつて支給していた当然の金を止めてしまう。いわゆる兵糧攻めである。
 金と力と時間の長さに、抵抗者たちは崩れていく。
 時間は、権力者に味方する。金を持つ権力者は、時間を下僕(しもべ)とすることができる。資金力のない人たちがいくら抵抗したところで、時間は抵抗を疲弊させる。金の威力を持つ権力は、黙って時間を買う。その間に、抵抗者たちは年齢を重ねる、資金も尽きる。感情だけでは抗えない。
 それが、名護の、そして沖縄の現状だろう。

繰り返された巨大抗議

 1995年の米兵による少女暴行事件への県民の怒りを背景に、当時の橋本龍太郎首相と大田昌秀沖縄県知事、それに米政府が1996年に普天間飛行場の全面返還に合意。それからでも、すでに26年も経っている。
 その26年間の間に、数度の国会議員選挙、住民投票、知事選などの首長選で、県民は辺野古新基地建設への反対の意思を、繰り返し表明した。だが政府はついに2017年、米軍辺野古新基地工事に着手した。

 埋め立て予定地に、マヨネーズ状とも言われる超軟弱地盤が見つかったのは、実は工事着手の3年前だった。つまり2014年にはすでに、沖縄防衛局は軟弱地盤の存在を把握していたとされる。それでも政府は工事を続行した。
 むろん、2022年現在、マヨネーズ地盤にはまだ手が付けられていない。手の施しようがないからだ。したがって、現在の土砂の投入量は、まだわずか全体の予定量の8.6%ほどに過ぎない状況だ。
 約5年をかけても9%弱である。すなわち、100%の必要な土砂投入完了まで、単純計算で少なくともあと50年近くかかることになる。
 工事は5年で終わる、と言っていたはずが、政府でさえ「12年はかかる」と平気で延期を口にする。さらに、経費は当初の3千億円から9千億を超えると言いだした。それだって、専門家によれば工期は最低でも15年、経費は1兆を軽く超えると試算されている。政府はいくらでもウソをついていいという安倍政権以来のやり口だ。
 なにからなにまでデタラメなのだが、政府はとにかく時間をかけて反対する人たちを抑え込む。26年の間に人は歳を取り、抗う人たちもまた老いていく。時間は人と状況を変えていくのだ。
 沖縄の人たちの「怒り」は深かった。

 1970年、米兵の住民軽視へのコザ暴動
 1995年、人間の尊厳を奪った少女暴行事件
 2007年、沖縄戦での住民集団自決を教科書から消し去った事件
 2010年、普天間基地の県外移設を求める県民集会
 2012年、オスプレイ配備に反対する県民集会
 2018年、普天間基地の辺野古移設反対県民集会

 沖縄の人たちは、何度も何度も立ち上がった。繰り返し大きな集会を開いて、米軍と日本政府への怒りを表明してきた。人口的に比較すれば、もし東京なら100万人規模の大集会を、何度も開いて意思表示してきたのだ。
 しかし、時間を金で買い取った日本政府は、黙ってそれを見ているだけで、なんの対策を取りはしなかった。
 いや、対策はとった。金と時間だ。金をばら撒き、時間をやり過ごせば、怒りも薄れる…。それが日本政府の一貫して変わらぬ沖縄基地問題への「対策」だった。

基地は“絶対に”完成しない

 人間には日常がある。仕事や学校や日々の暮らしがある。怒り続けてばかりもいられない。それを逆手にとって、権力は「人々の日常」さえ買い取ろうとするのだ。それが如実に表れたのが、今回の名護市長選挙であった。
 名護市長選の出口調査(NHK)では、辺野古新基地容認=35%、移設反対=65%という結果だった。人々は基地を容認してない。ただ、日常生活を選択せざるを得なかった。時間にくたびれたからだ。

 それにしても、とぼくは思う。
 自民党政権は、ほんとうに「辺野古新基地」を造ることができると信じているのだろうか? 大浦湾という、沖縄本島に残された数少ない「生物多様性の海」を完全に破壊して、グズグズのマヨネーズ状の地盤を埋め立てて堅固な滑走路を造れると、本気で考えているのだろうか?
 断言しよう。現在の自民党政権の面々が生きているうちに、この基地は絶対に完成しない。それはヤツラも分かっている。しかしヤツラは誰も責任を取らない。自分がいなくなってからのことなんか知らない!と、高をくくって利権とアメリカへの忖度で日を暮らす。

 ぼくらの税金を、ヤツラは辺野古の海へ捨てている。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。