東京・神保町の老舗の映画館・岩波ホールが、今年7月に閉館することになった。
同ホールのウェブサイトによると、「新型コロナの影響による急激な経営環境の変化を受け、劇場の運営が困難と判断」したことが理由だという。
映画界や映画ファンの間には、大きな衝撃が走った。僕にとってもかなりのショックである。岩波ホールといえば、アート映画の聖地のような場所だからである。
同ホールは1968年、多目的ホールとして開館したが、その後、高野悦子氏と川喜多かしこ氏の映画運動の拠点として、芸術性の高い映画をかける映画館になった。映画を「娯楽」というよりも「芸術」や「文化」として位置づけた映画館の、先駆的存在である。
80年代以降、日本全国に「ミニシアター」と呼ばれるインディペンデントなアートハウス映画館が多数作られていったのは、岩波ホールの成功に触発された面も大きいと言われている。同ホールは日本の映画文化に重要な影響を与えた存在だと言えるだろう。
閉館のニュースが流れると、僕は国内だけでなく、フランスのジャーナリストからもコメントを求められた。少しびっくりしたが、思えば岩波ホールはヨーロッパやアジアのアート映画を数多く日本へ紹介してきたのだから、当然といえば当然だ。あらためて、岩波ホールが異文化の架け橋でもあったのだなと実感される。
そういう映画館が閉館を余儀なくされるという事実からは、いくつかの重大な問題が示唆される。
第一に、2年におよぶコロナ禍で、映画館は想像以上に大きなピンチに追い込まれているということである。僕が聞いたところでは、感染状況が沈静化していた去年の秋でさえも、お客さんがあまり映画館に戻ってこなかったようだ。
つまり「映画館へ映画を見に行く」という生活習慣そのものが、コロナ禍でとぎれつつある恐れがある。だとすると、岩波ホールの閉館は序章にすぎず、今後、バタバタと倒れる映画館が出てくるのではないか。
第二に、観客の高齢化である。岩波ホールはその典型だが、今やアートハウスの常連客の中心はシニア層である。だからこそ、コロナ禍の影響をもろに受けやすい。
2007年にデビュー作『選挙』を劇場公開し、舞台挨拶のため全国のアートハウスを巡ったとき、各地の支配人が気になることを口にしていたのを覚えている。いわく、夕方6時台や7時台など、かつては最もお客が入ったプライムタイムに、お客が入らなくなってきたというのだ。代わりにお客が入るのは、午前中や午後の早い時間帯。要は映画館に来る中心は定年退職後のシニアで、昼間働いている世代が映画館に来なくなったというわけである。
2007年当時は、そういう傾向が現れ始めたばかりで、各地の支配人は「いったい、どうして?」と首を傾げている風だった。しかし今や「夜の回は入らない」というのは常態化し、日本の映画界の常識と化している。慢性的かつ深刻な問題なのである。
閉館で見えてくる第三の問題は、映画館の社会的位置づけである。
映画館は本来、学校や図書館や病院などと同様、公共性の高い「みんなの施設」であり、したがって公共のお金(みんなのお金)を使って守らなければならない存在だと、僕は思う。しかしそういう考えは、日本の政治や行政にほとんど根づいていない。映画館がコロナ禍を乗り切るために必要な支援は、それほど多額ではないはずだが、それすらも得られない状況が続いている。岩波ホールの閉館は、そのことをあらためて実感させるのだ。
行政が動かぬのなら、民間の力でなんとかするしかない。
朝日新聞の記事によると、岩波ホールの岩波律子支配人は閉館を惜しむ声が大きいことについて、「ここまで行き詰まって宣言もしたので、『やっぱり続けます』とはいかないと思う。ただ、いったん閉じるけれど、また新しい動きが出てきてくれれば、と私は若い子に期待しています」とコメントしている。
映画館のホールは去年改装したばかりだし、次の使用方法も未定なので、当面は施設もそのまま残す方針だそうだ。
岩波ホールがいったん閉じたとしても、もし再開しようという「新しい動き」が出てくるのなら、僕も微力ながら協力したいと思っている。
コロナ禍が始まった2年前、深田晃司氏と濱口竜介氏が始めたクラウドファンディング「ミニシアターエイド」には、3億3千万円以上の支援金が集まり、日本各地の映画館は束の間だが息つくことができた。同時に、私たち映画人はアートハウス映画館が人々に求められていることを知って、大いに勇気づけられた。
岩波ホールが新しく生まれ変わるなら、きっとあのときと同じように大きな支援が得られるのではないか。僕はそう、確信している。なぜなら閉館のニュースを嘆く声の量と強さをソーシャルメディアで眺める限り、岩波ホールは人々から愛されているからである。