第15回:震災支援ネットワーク埼玉で起きた性暴力、その対応がダメなわけ(小林美穂子)

 今回はいつもと違う話題です。ズバリ、東日本大震災の被災者支援団体である震災支援ネットワーク埼玉で起きた性暴力とその対応について。
 この件について語るのは簡単ではない。
 それは、震災支援ネットワーク埼玉の代表である猪股正氏やそこで活動している人たちをよく知っているから……では決してない。協力関係にあろうが、知り合いだろうが、そんなことは関係ない。むしろ、知り合いだったり、友人であればなおさら、性暴力を隠蔽したり、被害者に二次被害、三次被害を与えるような対応に「それ、ダメじゃんね」と言える関係でありたい。それこそが本当の「友達思い」や「仲間意識」だと私の辞書には書いてあるからだ。
 では、なぜなのか。
 私が性暴力やハラスメントについて語るのが辛いのは、それは、できることなら地中奥深く、それこそ外部マントルくらいの深さに埋め込みたいような、思い出したくもない記憶の数々が泥温泉にブクブクと湧くあぶくのように浮かんで甦るからだ。そうなるとダメだ。浮かんでくるそれらを一列に並べて、その時だけ韓国系アメリカ人俳優マ・ドンソクの太さ50~60センチの腕を借りて、殴り倒して歩きたくなる。さぞかし長い列ができるだろう。マ・ドンソクといえど、右腕が持つかな(暴力に対して暴力で対抗するのはいけないことです。妄想です、念のため)。

記憶は消えずにずっと残り続ける

 ずっと前にすでに忘れたつもりでいたのに、パソコンに向かう私の心臓は早鐘のように打ち、呼吸も苦しくなる。
 小学生高学年の時に本屋で痴漢に遭った。女子高時代には露出狂がコートの前をはだけて待ち構えていた。アルバイトや就職後の職場などの働く現場で、セクハラや性暴力は激化した。それは凄まじいほどで、詳しく思い出そうとすれば、いますぐ当時勤めていた会社に飛んで行って、脳を揺らすパンチを食らわせてしまいそうなので、ちょっと蓋をする。悪霊どもの記憶よ、外部マントルへ戻れ。ハウス! 速やかにハウス!
 二十代からセクハラ、性暴力の雨あられを浴び続け、結婚すれば収まるかと思いきや、違った。その頃、私は通訳派遣の会社に登録していて、ゲーム機器を作る会社や、自動車会社に派遣される通訳者になっていたため、雇用側と派遣社員という立場の違いを利用された。
 私が若かった時代はしかし、電車の痴漢を止めてくれる人もいなかったし、セクハラや性暴力に対応する環境も整っていなかったから、声を上げたところで泣き寝入り。耐えがたい被害を被った人たちが傷つき職場を去っていくのを私は見てきた。
 だから、こんなことは過去にしたいんだよ!!
 本当に心から願う。
 良いことをしていると思われ、主張もしているあちこちの支援団体で、性暴力被害が頻発している。そして、その対応や謝罪は、たいていは素早さに欠け、遅きに失して被害者の傷を深め、あるいは炎上対策くらいにしか考えていない不誠実さが透けて見え、被害者に二次被害、三次被害を与えている。
 性暴力がいけないのは当然だが、起きてしまった時に被害者をいかに守れるか、傷をそれ以上深めることなく、癒すことができるか、すべてはそこにかかっていると思う。

震災支援ネットワーク埼玉でなにがあったか

 2022年1月26日に被害女性がインターネットに発表した文章を読んで欲しい。

●I’m Here「震災支援ネットワーク埼玉事務局長による性被害について」https://imherekoko.blogspot.com/2022/01/blog-post.html

 〈これまでの経緯〉「ウネリウネラ」公式サイトより

2017年 12月 女性が事務局長から性被害を受ける
2019年  5月 女性が事務局長を提訴
2020年 3月 さいたま地裁が被害行為を認める判決
4月 事務局長が控訴
12月 東京高裁で「和解」(双方の合意による訴訟終結)が成立
2021年 4月 女性が猪股代表にメール。再発防止策などについての話し合いを求める
8月 猪股代表が返信。団体の代表としては女性と会わない旨伝える
12月 女性が再度、性被害への見解を求める書面を団体に送付(10日付)
2022年 1月 書面への回答がないため、女性がインターネットで文章を発表(26日)

 団体のこれまでの活動を否定するものでは決してない。ただ、弱い立場に置かれた人の人権を守るために行われる活動の中で、立場を利用した性暴力があった。裁判を通して被害が認められても尚、加害者側は事務局長の座にとどまり、活動を続け、そして団体はあくまで「個人間の問題」として、団体としての対応することを避け続けた。その結果、4年の月日が流れ、被害女性がついに1月26日、前述の「I’m Here」という悲痛なタイトルのブログで文章を公開することになった。

回答がくるまでが地獄

 本件についてブログに記事を掲載した物書きユニット「ウネリウネラ」のウネラ氏は、過去、朝日新聞社に勤めていたときに性暴力被害を受けている。ウネリウネラのお二人はその時のことを振り返りながら、こう書いている。

 (ウネラ氏が被害を受けたときは)「調査申し入れ」を行ってから、回答がくるまでの数か月間が地獄だった。いつ回答するか、会社は全く伝えてこなかった。「今日回答が来るかもしれない」「回答はいつ来るのか。まさか、このまま無視するのか」と混乱させられた。そういう状態が数か月続いた。そうやって誠実に対応されず、何も分からない状態で待たされた人間の地獄を想像してみてほしい。応答が返ってこない一分一秒に、どんどん追いつめられていった。毎日、生きていくのがやっとの状態だった。「私が死ねば会社はコメント出すのか」。そういうことを何度も考えた。
 筆者(ウネリ)が想像するに、猪股代表に話し合いを求めるメールを送ってから、10カ月くらいのあいだ、女性はウネラと同じように苦しんでいたのだと思います。ウネラは朝日新聞社のことを一定程度信頼していました。筆者の知る限り、今回被害を発表した女性も、代表の猪股氏のことを信頼していました。信頼を寄せる相手から対応を拒まれるのは、とてもつらいことだと思います。
 〈ウネリウネラ「震災支援ネットワーク埼玉」の性被害対応について〉
 https://uneriunera.com/2022/02/04/seijitsunataiouwo/

 本件の被害女性やウネラ氏と同様に語るのは憚られるが、私も似た体験をしている。
 集団によるハラスメントで自律神経をやられて、まっすぐ歩くことができなくなった。朝、目が覚めると、変わっていない現実を今日も耐えるのかと絶望的な気持ちになった。
 その職場では、当時としては珍しく、いっちょまえにセクハラやパワハラの相談窓口を設けていた。職場とつながりの深い外部の「専門家」が窓口を担当していた。精神力が限界に達した時、震える手で助けを求めるメールを送った。
 返信を待つ間が地獄。頻繁にメールのチェックをしては頭を垂れる。
 助けて欲しい、その一心だった。
 ところが、待てど暮らせど返事が来ない。後で分かったことだが、なんと相談窓口となっているメールアドレスから「専門家」へメール転送がされてなかったのだ。故意ではないにしろ、相談窓口は形だけのものだった。膝から崩れ落ちるほどの脱力と絶望を味わいながら、私はそれでもその「専門家」を信じて、連絡先を調べて直接連絡をし、ようやく話し合いが持たれた。すがるような思いで自分の身に何が起きているのかを話したのだが……。
 「あなたの思い過ごしじゃないの?」専門家が笑いながら言った時、目の前の景色の色が失われ、声が遠のいた。

 私にとっては遠い過去の出来事である。それでも、体中に刻まれた数々の傷は癒えてはいない。今でも思い出せば動悸が激しくなるし、顔も険しくなる。
 私が訴えたハラスメントは否定され、私は孤立していて、検証も、再発防止を望むこともできなかった。私は、当時私を苦しめた人たちすべてを心の底から軽蔑し、そして自分が決して彼らのようにならないと誓うことで自分の尊厳を保っている。

震災支援ネットワーク埼玉の「謝罪」を考察

 震災支援ネットワーク埼玉に話を戻そう。
 話し合いの申し出を何度にも渡って無視された被害女性は、ついにブログで文章を公開した。その後、SNSで拡散された女性の「I’m Here」という文章は、関係団体や女性たちに衝撃を与え、そこにきてようやく震災支援ネットワーク埼玉は団体ブログ内で初めて団体としての謝罪を掲載した。
 これがまた、えらい分かりにくい。団体HPの「最新のお知らせ」の一番上に「当団体職員による性被害に関する謝罪及び再発防止の取組について」とある。

 そこをポチると、この画面が出てくる。

 この本文をクリックして初めて謝罪文に行きつくという、マトリョーショカ作り。マトリョーショカが言いすぎなら二段仕込み。お酒なら美味しくなるかもしれないが、これはいただけない。できれば隠したいという意図が匂い立ってしまうから。その証拠に、団体は団体のフェイスブックページや、ましてやツイッターでも、謝罪文を公開していない(2/17時点)。
 フェイスブックの最新の投稿が悲しい。
「お困りごとを抱えている方の相談に応じ、弁護士、司法書士、臨床心理士、社会福祉士がそれぞれの立場から知恵を絞って課題解決に取り組む。これこそが震災支援ネットワーク埼玉。」

周知させたくないのは分かった。中身はどうだ?

 まぁ、まずは謝罪文を読んでみて欲しい。

当団体職員による性被害に関する謝罪及び再発防止の取組について

 なんだこれは?! というのが第一印象だった。これは、被害者女性を更に深く傷つけるから、読ませたくないと思った。更に、この謝罪文書が公開された直後、猪股氏の本件に関するメールが被害者も参加するメーリングリストにうっかり送信されてしまい、それが会員の一人によってツイッターで晒されるというハプニングがあったりして、もうどうしていいか分からない。非公式の場での発言だからここでは紹介はしないが、そういった一つひとつに、被害者が切り刻まれるような思いをしているのだと思うと、憤りを禁じ得ない。

【疑問1】「2017年12月に発生した当団体職員による性被害(以下「本件」)について」と始まるこの文章、「当団体職員」とある。加害者は事務局長であり、他の職員とは立場が異なる。なぜ、事務局長と書かないのだろうか。なんとしてでも、職員同士の個人的トラブルとして扱いたい気持ちが「職員」という二文字から立ち上っていて、誠実さに欠けると言わざるを得ない。木の葉を隠すなら森の中戦術か?
 職場内や活動内での暴力は、大体立場の違いを利用されて起きる。その典型であるのに、「事務局長」と書かずに「職員」とすることで相手の役職を曖昧にぼかす配慮は誰のためなのか?

【疑問2】性暴力の描写を編集して書いた意図を問う。
 謝罪文には「手足や背中のマッサージを行うなど身体に接触し」とある。しかし、ここで被害者のブログを読んで欲しい。「手足や背中のマッサージを行うなど身体に接触」も当然ダメなのだが、実際はそれ以上に生々しく、恐怖を伴うものだった。加害者のセリフの数々も含めて。そして、彼女を苦しめたそれらの具体的描写は謝罪文には見当たらない。
 敢えて加害行為を軽く見せようとする意図があったと思うのは私だけではないはずだ。
 どのみち謝罪文には加害行為の描写は書くべきではない。編集なんてなおさらだ。被害者女性のブログのリンクをこそ、貼るべきだった。どうしてそこまで彼女を無視できるのか? ここでも、猪股氏が誰に配慮しているのかが悲しいほどに分かってしまう。

【疑問3】 結びの「最後に、上述の諸点についての認識が不十分であったことから、当団体として適切な対応をしないまま時間が経過したことにつきましても、重ねてお詫び申し上げます。」の言葉の足りなさ。
 被害者女性の文章を読むにつけ、女性が猪股氏に対して、何度も、団体としての話し合いの場を持って欲しい、私の話を聞いてほしいとお願いしてきた様子が分かる。それでも「認識が不十分」の一言で片づけてしまうのは雑駁すぎないだろうか。「適切な対応をしないまま時間が経過」とまとめるには長すぎる時間が経過している。
 どうしてそうなってしまったのか。
 それは、猪股氏一人の問題ではないのかもしれない。
 ほかのスタッフ達も活動を優先するために、目の前の一人を犠牲にしなかったか。むしろ加害者側に共感し、女性の被害を軽んじ、女性にさらなる苦しみを与えなかったか。こんなことを偉そうに言いたくはないが、これまで4年間、団体の中で自浄作用が全く起きなかったことが不思議でならないのだ。
 一人ひとりが自分自身と向き合って欲しい。私とて、無関係ではない。私自身、被害者にも加害者になる可能性がある。だからこそ、そんな時に見たくない自分に向き合える人間でありたい。
 また、支援団体の一つに名を連ねる私が本件を問題にするのは、分断ではない。人権を大事にする団体の一人ひとりが(自分も含め)、ダブルスタンダードや自己矛盾に目をつぶるのではなく、より良い方向へ進めるようになって欲しいのだ。
 信頼する番組ディレクターが言った言葉がある。
 「私は具体的な誰かを思い浮かべて、その人に届くように番組を作っています」
 私は今、具体的な誰か、つまり被害に遭った女性を思って、つたない言葉を発信している。その彼女の後ろには、若き日の私も含め、大勢の葬り去られた被害者がいることが分かっているから。
 震災支援ネットワーク埼玉は苦難を抱えた方々の人権擁護に取り組む団体とある。多くの人々を助けてきたその実績が曇らぬよう、目の前の一人に真摯に向き合ってくれることを切に願う。個人も、団体も、アップデートし続けるためには、自分に都合の悪いことから逃げてはいけない。僭越ながら、そして自戒を込めてそう思う。

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。