第204回:戦争に「解」はない(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

「核抑止」の破綻

 連日、報道されるのは戦争。
 流されるニュース映像は、瓦礫の山と化したかつての美しい街並み、泣き叫ぶ子どもたち、戦車の隊列と銃を撃ちまくる迷彩服の兵士たち、そして粗末な木の十字架が立てられた墓が並ぶ空き地……。
 繰り返される映像が僕の夢の中にまで侵入してきて、冷たい汗とともに目覚める日々が続いている。
 このコラムの原稿も、ともすれば戦争についてのものになる。でも、ぼくの想いや考えなど、何の役にも立ちはしない。戦争に触発された一方的な愛国心高揚にはついていけないし、かといってプーチン大統領のやり方には、何がどうあろうと賛成などできない。つまり、ぼくの思考は堂々巡りでどこへも行き着かない。
 だがこんな状態になっているのは、ぼくだけではないらしい。元東大教授で国際政治学者の藤原帰一さんだって、朝日新聞のインタビュー(4月2日)では、「解がない状態」であるということを、こんなふうに告白している。

(略)―3月7日に行われた東京大学での最終講義では、ウクライナでの戦争は解のない状況に陥ったと分析し、「国際政治学者に答えはない」とまで語りましたね。

 「核戦争へのエスカレーションを恐れなければいけない状況に追い込まれてしまったからです。『核戦争になれば相手も自分も破滅してしまう』と双方が思っている相互抑止状態のもとでは、逆説的ですが、核戦争にエスカレートしてしまう懸念なしに通常兵器による戦争が遂行できます」

 「しかし今回、NATOがエスカレーションの懸念なしに通常兵器でロシア軍を攻撃できるかといえば、答えはノーです。核兵器を持つプーチン氏が『核を使うかもしれないよ』と脅している現実があるからです。相互抑止を破って自滅の可能性を選ぼうとしている相手を武力で撤退させるのは不可能です。『侵略している相手にひるんでよいのか』」という問題に直面しつつも『ひるまなければ戦争がエスカレートしてしまう』という問題もあって、解がない状態なのです」(略)

 つまり「核抑止」という概念が破綻した、と言っているに等しい。
 テレビでは、専門家といわれる人たちが、戦況を詳しく解説してくれる。新聞でも停戦交渉の一方で、各地の戦闘は収まるどころかますます熾烈さを増している、と伝える。どうすればこの戦争を終わらせることができるのか。各国の首脳はしきりに会談を重ね、停戦合意にこぎつけようと必死だが、プーチン大統領が振りかざした拳をどうやって下ろさせるのか、誰にも「解」はない。

善悪二元論では理解できない

 どちらかが事態を完全掌握して一方的な勝利を収めなければ、この戦争は終わらないのか。それとも、何らかの妥協点を見出して「撃ち方やめ」に持っていけるのか。むろん、ぼくは早くそうなることを祈るけれど、実は、もし停戦になったとしても、この後始末には多くの問題があるのも事実なのだ。
 「アゾフ大隊」という存在を知っているだろうか。この存在があるからこそ、ウクライナ戦争は複雑なのだ。
 戦争当初は、完全に「勧善懲悪」だった。すなわち「ロシア(プーチン)=悪、ウクライナ(ゼレンスキー)=善」という色分けがなされていて、あらゆるマスメディアがその図式通りに報道した。悪を懲らしめ、善に味方しなければならない。ぼくも確かにそう思っていた。
 むろん、ロシアが一方的にウクライナに侵攻したことは間違いない事実だ。その意味で、プーチン大統領の大罪(悪)は明らかだ。けれど、ではウクライナが完全に「善」なのか? そこが悩ましい。
 日本の公安調査庁のHPには、注目すべき記述がある。ピックアップする。

 2014年、ウクライナの親ロシア派武装勢力が、東部・ドンバスの占領を開始したことを受け、「ウクライナの愛国者」を自称するネオナチ組織が「アゾフ大隊」なる部隊を結成した。同部隊は、欧米出身者を中心に白人至上主義やネオナチ思想を有する外国人戦闘員を勧誘したとされ、同部隊を含めウクライナ紛争に参加した欧米出身者は約2,000人とされる。
 他方、白人至上主義組織が運営する軍事訓練に欧米出身者が参加しているとの指摘もある。米国国務省が2020年4月に白人至上主義組織として初めて特別指定テロリスト(SDGT)に指定した「ロシア帝国運動」は、ロシア西部・サンクトペテルブルグで軍事訓練キャンプを運営しているとされ、ドイツやスウェーデン、フィンランド出身者が同キャンプに参加したと報じられた。訓練を終了した者の中には、ウクライナ紛争に参加したものもいるとされる。このほか、ネオナチ思想を有する者が主催する音楽コンサート、総合格闘技等のイベント会場も、極右過激主義者が接点を持つ場所として指摘されている。

 断っておくが、これは日本の公安調査庁の資料だ。多分、欧米の情報に依ったものであろうが、これが日本政府のウクライナについての認識だ。ドンバス地方やクリミア半島での紛争に、すでに彼らは参加していたのである。
 現在、ウクライナ各地の戦闘でウクライナ軍の中核を占めているのが、実はこの白人至上主義極右の「アゾフ大隊」だといわれている。

※公安調査庁は4月8日、アゾフ大隊に関する記載を削除した

市民の戦いは支持するが…

 「アゾフ大隊」はナチスの象徴である「ウルフフック」「黒い太陽」なるエンブレムを隠そうともしない。つまり、ウクライナ正規軍の一角にネオナチの「アゾフ大隊」が入り込んでいるということになる。
 彼らは高度な訓練を積んだ武装勢力であり、その戦闘力は各国のネオナチ組織からの兵器の供給に裏付けられているとされる。さらに、武器供給はアメリカやEU各国からももたらされ、アゾフ大隊はそれらをも手にして強大化強靭化しつつある。ウクライナ正規軍とアゾフ大隊は一体化しているのだから、欧米の武器が彼らに渡るのは当然だ。
 彼らは今や「救国の英雄」視され、アゾフ大隊政治部門指導者のアンドリー・ビレツキーは元国会議員だ。
 こうなると、日本の報道がウクライナ一辺倒でいいのか、との疑問も湧く。むろん、必死に戦っている市民もいるし、抵抗の姿勢を非暴力で示そうと素手でロシア軍の車列を阻止せんとするデモの風景もある。
 ぼくはそのような市民を全面的に支持する。けれど、すでに欧米では「戦後の復興の過程で、ウクライナは『白人ネオナチの聖地』となる恐れもある」とも言われ始めているという。それが恐ろしい。

白人至上主義と差別

 かつて、アフガン戦争で、アメリカはソ連に抵抗する勢力に積極的に武器を与え、訓練を施した。それが後のタリバンの戦闘力の基になった。同じことが停戦後のウクライナで起きないとは言えない。アメリカ(+EU)は、極右白人至上主義を容認してしまうつもりなのか。そこが戦後復興の極めて難しい点なのだと思う。
 もうひとつ、疑問がある。
 確かにウクライナの人々への同情と救援は大切なことだ。しかし、そこにある種の差別意識はないか。
 アメリカが大量破壊兵器を口実にイラクへ「侵攻」したのが、2003年のイラク戦争であった。この戦争で、イラクでは約50万人ともいわれる膨大な死者が出た。それに対し、米軍中心の同盟軍の死者は5千人弱。この圧倒的な非対称。それだけ、兵器の差は大きかったということだ。そして多くのイラク国民が難民となって国外へ脱出した。
 だがその際、世界各国は今のように、積極的にイラクからの難民を受け入れたか。残念ながら、そうではなかった。なぜか。
 イラクの人たちは非白人であり非キリスト教徒だったからだ。これに比較してウクライナからの避難民への欧米のまなざしは圧倒的に温かい。ウクライナ人が青い目の白人であり、白人多数の欧米各国の同情を引きやすい。そこに、あからさまな人種差別が見える、とぼくは思う。
 日本は、とにかく欧米と方向を共にする。
 欧米の反応を見て日本政府は、さっそくウクライナ難民を手厚く受け入れると発表した。その協議をするために、林外相をポーランドへ派遣した。そして、20人のウクライナ避難民(この人たちを「難民」ではなく「避難民」としているところに注目!)を連れて帰国した。受け入れたウクライナ人には、もれなく10万円を支給するという自治体まで現れた。至れり尽くせりの待遇だ。ここにも、妙な白人優先が目立っている。
 ウクライナ避難民受け入れには、ぼくだって諸手を挙げて賛成だ。
 でもねえ、と思う。それだったら、なぜミャンマー難民をもっと積極的に受け入れないのか。技能実習生名目で入国させた外国人を、なぜもっと大切に扱わないのか。おかしいとは思わないか?

戦争の後で…

 ウクライナ戦争は、どういう終結を迎えるだろうか。ぼくは多くのことを考えさせられたが、やはりどうしていいのか分からない。
 しかし断っておくが、ぼくは今回のロシアによるウクライナ侵攻には、毛ほどの正当性もないと断言する。明らかに国際法違反であり、全面的に「ロシアの戦争」を否定する。ロシアも悪いがウクライナも悪い、などというつもりもない。政権選択はその国の国民による。不幸を招くかどうかは国民の選択である。
 4月4日の報道では、ロシア軍が撤退して解放されたキエフ近郊の街ブチャでは、数百人の市民の死体がむごたらしく放置されたままだったという。これが事実なら、まさに「戦争は人間を狂わせる」のだ。かつてベトナム戦争で「ソンミ村の虐殺」という村人5百人以上が米軍によって無差別に殺害された事件を思い出す。戦争の狂気だ。
 こんな画像を見せられれば、ロシア憎しの感情はいやがうえにも高まってしまう。だから、先頭に立って戦うネオナチを「救国の英雄」視してしまうウクライナ国民の気持ちはよく分かる。ロシアの非道は許されざるものというしかない。
 ともあれ、一刻も早く停戦に持ち込まなければならない。これ以上、死者を増やしてはならない。

 銃を置け、故郷へ帰れ、狂気から目覚めよ。
 それ以外の言葉を、ぼくは持たない。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。