第208回:憲法と世論調査(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

憲法報道について

 5月3日といえば「憲法記念日」である。先週は「マガ9」が合併号でお休みだったから、今回は少し遅いけれど「憲法」について考えてみたい。考える、とは言っても「改憲か護憲か」という議論に踏み込むつもりはない。その報道の仕方について考えてみようということだ。
 5月3日は新聞もテレビも、それなりに「日本国憲法」に関するニュースを流す。なんだか、夏の「戦争」「広島・長崎」や、3.11の「大災害」「原発」みたいなある種の「季節ネタ」の感じもするけれど、まあ、やらないよりはましだと思う。

 ここ2年間はコロナ禍で中止されていた「護憲集会」が、今年は東京江東区の有明防災公園で開催され、1万5000人(主催者発表)が集まったという。残念ながら、ぼくは所用があって参加できなかったが、まだ収束したとはいえないコロナ蔓延の中で、よくこれほど集まったものだと思う。ほかにも京都などたくさんの地方で同様の集会が行われ、多くの人たちが参加したという。それだけ、「改憲への危惧」が高まっている、ということなのかもしれない。
 新聞もテレビも例によって「公平」「両論併記」を発揮、当然のように「護憲集会」も「改憲集会」も報じていた。改憲派は東京千代田区で開催、約500人が参加、ネット中継もしたらしい。そこへ岸田首相もメッセージを寄せ「施行から75年が経過して時代にそぐわない部分も出てきた。そこは改正していくべきだ」などと述べたという。改憲集会へは、自民公明の与党のほか、維新、国民民主党の議員らも参加していたという。
 国民民主党は、岸田内閣の予算案にも賛成、ほとんど与党気取りだったが、ついに改憲派集会にまで参加するようになってしまった。完全に野党の仮面を脱ぎ捨てたわけだ。
 さすがに連合の芳野友子会長はここへは参加していなかったが、本心は演台に上って共産党批判とともに、改憲論をぶちあげたかったのではないか。いつの間にか、世は挙げて右へ右へとなびいていく。

そんな質問でいいんですか?

 新聞各紙やテレビ各社は、5月3日に合わせ「憲法に関する世論調査」を行っている。それらを見ると、各社とも「改憲賛成」が「改憲反対」を上回っていると報じている。ここ数年の傾向だが、しかしその差はたいして広がっていない。国民の間で「改憲機運」が高まっているとは思えない。
 改憲の理由としていちばん多いのは「時間が経って現実とそぐわなくなった部分は改めるべき」という、まるで岸田首相談話と同じようなもの。そこのところが、ぼくにはどうにも納得がいかない。
 世論調査の定番「この内閣を支持しますか?」で「支持する」と答える人の理由では「ほかの内閣よりよさそう」が、いつだってダントツである。要するに、その内閣のどこがいいのか、などということとはまるで関係がない。ぼくにはそれが意味のある回答結果だとは思えない。
 「憲法についての世論調査」でも、同じことが言えるのではないか。「日本国憲法」を読んだことがあるかどうかも聞かないで、「あなたは憲法改正に賛成ですか、反対ですか?」と問いかけるのは、いささか、いや、かなり乱暴だとぼくは思うのだ。
 ぼくは5月4日に、以下のようなツイートをした。

憲法に関する世論調査について一言。まず最初の質問として「あなたは『日本国憲法』を読んだことがありますか?」を入れるべきです。まったく読んだこともないのに「変えますか、守りますか?」と訊かれて、適当に答える…という人もかなりいるんじゃないかな。

 別にそんなに深く考えて書いたわけじゃない。ところがこのツイートが意外な反響を呼んだ。4日に発信したのだが、5日にはすでに「いいね」が8000件を超え、インプレッションはなんと32万件にのぼった。ぼくと同じように思っている人がとても多かったようで、反応も「同意します」「私もそう思う」などの賛意が大多数だった。発信者のぼくがびっくりしたほどだ。

「雰囲気で改憲」って、ヤバくない?

 ぼくはいつも、改憲に「賛成か反対か」を前提なしに訊くという方法がうさん臭いと思っている。だって、どこをどう変えるかではなく、なんとなく雰囲気で「これまで一回も改正されていないのだから、(多分)時代に合わなくなっているだろう。そろそろ変えてもいいんじゃないかな。ほかの国だってしょっちゅう変えているみたいだから…」が回答の主流に思えるからだ。それってヤバいでしょ。
 「どの条文を変えるのか」については、調査するほうも「9条」以外にはほとんど触れない。その上で「改正に賛成か反対か」を問うというのは矛盾している。これでは、日本国憲法は第9条しかないみたいだ。だから「全体としては、憲法改正賛成派が多いが、9条については変えなくてもいい派が多い」という、なんだかわけの分からない結果になってしまうのだ。
 そこを取り上げて「改憲派」は、「憲法改正の国民の声は高まっている」とこじつけてしまう。つまり、改憲派はどこでもいいから改憲して、最終的に「9条改憲」へ持ち込もうとしているのだろう。ただひたすら「改憲」をしたいだけなのだ。その上で、堂々と胸を張って「敵基地攻撃能力」(これを反撃能力などと言い換えるのは、ドブ川を清流と言い繕うみたいなものだが、どうごまかしたってドブの臭いは消せまい)や軍事費の倍増、更には「核シェアリング」などを言い出そうという魂胆だろう。

憲法第21条 ①集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。②検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
憲法第25条 ①すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 むろん「憲法前文」もぼくは大好きだが、この21条や25条について触れている調査を、残念ながらぼくはこれまで見たことがない。こういう重要な条文を含めて、憲法がどういう存在なのかを問わなければ、世論調査としてはおかしいと思うのだ。
 そりゃあ、調査するほうにも、そんな手間のかかる調査などやっていられない、との事情もあるだろうけれど、憲法とはそれほど大切なものなのだ。ところがなんとなく「まあ、憲法が発布されてから75年も経ったんだから、そろそろ改憲してもいいかな」との「雰囲気に流され改憲」では、あまりに無責任だ。そういう空気を作り出していることに加担しているのを、報道各社は自覚しているのだろうか。

どこまで堕ちるか日本の自由度

 毎年恒例の「報道の自由度ランキング」が公表された。
 東京新聞(5月4日付)を見る。

報道自由度 日本↓71位 ロシアも下落155位

 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は三日、二〇二二年の世界各国の報道自由度ランキングを発表した。対象百八十カ国・地域のうち、日本は昨年から四つ順位を下げて七十一位。ノルウェーが六年連続で首位だった。ウクライナ侵攻に絡み、報道規制を強化したロシアは百五十五位へ五つ下落した。(略)
 日本についてRSFは、大企業の影響力が強まり、記者や編集部が都合の悪い情報を報じない「自己検閲」をするようになっている国の例として韓国やオーストラリアとともに言及した。(略)

 日本だけを取り上げちゃまずいと思ったのか、ロシアを道連れのタイトルにしたところが笑えるけれど、この記事を書いた記者や編集デスクはどう思ったことだろう。「大企業の影響力で自己検閲をしている」などと指摘されている本人たちは、記事を書きながら忸怩たる思いはなかったのか。批判されているのは、アンタたちなんだぜ!(まあ、東京新聞は頑張っていると思うけれど)
 記事は「大企業の影響力」とそれに伴う「自己検閲」に触れている。これを正さない限り、日本の報道の自由度ランキングは、どんどん低下していくだろう。
 政府や権力の圧力ではなく「自己検閲」って、なんと情けない言葉だろう。これは、少し前に大流行した「忖度」と同義語である。世論調査までが、財界や自民党の顔色をうかがう「自己検閲」に陥っているとしたら、ことは重大である。

第1問 「あなたは日本国憲法を読んだことがありますか?」

 繰り返すが、ぼくはやはり憲法についての世論調査の質問の第1項目は、「あなたは日本国憲法を読んだことがありますか?」、もしくは「あなたは学校で『憲法』についての授業を受けましたか?」であるべきだと思う。
 こう書くと、「文科省の通達で憲法教育について丁寧に説明している」との反論が来るだろう。確かに、「社会科の中で憲法を取り上げ、国家の理想、天皇の地位、国民としての権利及び義務などについて学習する」と文科省は通達している。(参考・「小学校から高校までの教育課程における憲法教育について」平成24年3月22日 文部科学省)。
 だがそれでは足りない。それほど丁寧に「憲法」を学んでいるなら、なぜ内容を知らないのか。
 実際、ぼくの友人の元教師に聞いても「憲法を教えると、校長や教育委員会から内容をチェックされるので、ざっと触るだけで詳しい中身には入らない。各条文の理念説明などしたこともない」という答えが返ってきた。憲法にこだわる教師は、どうも危険人物視されるような世の中になっているらしい。
 憲法を詳しく教える教師が危険人物視される。どんな国なんだ!

 ぼくは、必修の独立課目として「憲法」の時間を取るべきだと言いたいのだ。「日本国憲法」は、全部で99条、補則を入れてもたったの103条だ。丁寧に1条ずつ学んでも、大した時間もかからない。
 憲法教育体制を確立することが先決だ。
 その上で「改憲すべき」と答えた人には「改めるとしたら、どの条文をどのように変えますか」と質問を重ねるのが当たり前ではないか。だけど残念ながら、「読む機会がなかった」や「そんなことを教わらなかった」というのが多くの人たちの実感だ。だからぼくは声を大にして言いたいのだ。

 義務教育で「憲法」を必修独立課目にせよ。

 国の基礎となるべき「憲法教育」を、なぜこの国はおろそかにするのか。しっかり「憲法教育」を行った上でなら、
 「あなたは憲法改正に賛成ですか反対ですか」
 「改正したいのはどの条文ですか」
 「それはなぜですか」
 という問いかけの世論調査は成立するだろう。
 だが『戦争を知らない子供たち』どころか、「憲法を知らない子供たち」ばかりが増えていく学校教育の下では、この問いは成立しない。
 もっとも、自民公明維新国民民主の改憲派にとっては、子どもたちに「憲法」を教えるなんてとんでもないことなのだろうけれど…。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。