第143回:杉並区長交代記念! 悪が滅び去った自治体の進む道はこれだ!〜街が賑わうための6つの奇策〜(松本哉)

 

 報道などでも伝えられている通り、杉並区長選挙では、街の再開発を推し進めようと目論んでいた現職区長がまんまと滅び去り、岸本さんという新たに登場した人が晴れて区長の座に就任した。再開発の極悪ぶりに関してはこの連載でも何度か書いてきた通りなので、詳細に興味ある方はそっちを読んでもらえればと思う。さて、この新区長の岸本さん、これがまた結構アナーキーでぶっ飛んだ性格の謎の人物なので、しょうもない予定調和や、凝り固まった現状をジャンジャンぶち壊しまくってもらいたい。再開発問題に関しても、即時中止の絶対反対派ではないもののかなりの慎重派なので、少なくとも前区長時代よりは遥かに事態は好転するんじゃないかと期待している。
 さて、問題はここから。選挙で悪いやつを落として、良さそうな人を当選させるのはいいことなんだけど、そのあと「いやー、よかったよかった。○○さんならこの街を良くしてくれるはず。これで次の選挙までの○年間は安心だ〜」と、完全に人任せにしちゃうことってよくある。で、いい政治が続けば「さすが○○さん」と褒め、政治が混乱したり失政があれば「やっぱりあの人はダメだ」となる。これはひどい。それって完全に政治を人任せにしてるので、これも政治的無関心の一種だ。そう、本来は世の中を作るのって、政治家じゃなく街をウロチョロしてる我々自身のはず。我々が社会を作っていく上で、スムーズにやらせてくれたり邪魔してるものを取り除いたりするのが政治家の役目のはずだ。もっと言えば、政治家なんていなくても世の中がうまく回るのが理想の状態だけど、なかなかそうもいかないのでしょうがないから金(税金)を出し合って政治家を立てて、手伝ってもらってるっていうことを忘れてはいけない。どんな政治家が権力を握ろうと、社会は我々一般の奴らにかかっているのだ。
 と、いうことで! 今日はひとつ、悪を滅ぼしたあと、これをやってくれたら助かるっていうことを、街をウロチョロしてる人間の立場から無責任に提案してみたい。あ、もちろん杉並区限定の話ではなく、全国各地で将来自民やら維新みたいな意味不明な連中を追い払ったあとどうしたら面白いことになるかっていう提案も兼ねて。で、政策ってあまりに多岐に渡るので、言い出したらキリがないので、街の商売人の視点ってことで、今回はまちづくり限定で考えてみることにしよう。ただ、再開発問題に関しては何度も書いてきてるので、再開発以外の話で。じゃ、行ってみましょ〜。

奇策① 金もうけ至上主義に引導を渡す(リサイクルの促進)

 まずは、自分の職業柄、リサイクルについて。今さらいうまでもないが、金もうけのために大量に物を作って大量に捨てまくる無駄の塊のような社会に抵抗するためにリサイクル屋をやってる。しかし、現在のところ区内のリサイクルショップだけでは到底捌ききれないぐらいの不用品が死ぬほど排出されていて、大量の使えるものがゴミになってしまっている。
 と言うことで、リサイクルショップがなく、地域の物のリサイクルができていない空白地域で公営のリサイクル事業をやったらいい。例えばうちの店だって依頼が多すぎて半径1〜2km圏のモノを捌くので精一杯。リサイクル空白地を埋めてくれれば、モノも無駄にならないし、中古品を使う文化も根付くし、みんなが助かる。
 そして、リサイクル屋っていうのは、配達や買取などで近所の家を回るので、やたら近隣の人たちと仲良くなる。ってこともあるので、原則同じ地域の人に働いてもらえれば、地域の人のつながりが再生できる。本来は銭湯とか八百屋や魚屋などで人のつながりができてたけど、みんな下火なので老若男女まんべんなく知り合いになるリサイクル屋は、今や重要な存在。しかも下火どころか足りなすぎるぐらい。
 そして、理想は数年後でも軌道に回ってきた段階で、運営を担ってきた地域の人に独立してもらったらいい。ま、希望があったらだけど。それに、いま世の中にはモノをリサイクルできる人材(目利きやメンテナンスなど)が圧倒的に不足してるので、その人材育成も急務。自然とリサイクルショップが増えるのを待ってたらキリがないし、そうこうしてる間にも金持ち連中の都合の無駄なサイクルで環境破壊もされ続けてる。やつらの悪だくみは早く止めないといけないので、やはりここは杉並区発の地獄のリサイクル軍団を養成しまくって、なんなら他都市の人たちに修業に来てもらい、各地にリサイクル文化を増やしまくるしかない。田舎はともかく、特に都市部ではゴミが大量に出まくってるのにリサイクルができてない。これはなんとかしたいところ。いや〜、至る所にリサイクルショップ、できてほしいねー。

奇策② ヒマな哲学者をたむろさせる(社会の余裕を再び)

 前、ドイツに行った時、とある劇場にお抱えの哲学者という謎の存在のオッサンがいた。で、そのオッサン、いつも庭とか空とかを見ながら物を考えるのが仕事。これ、意味不明すぎて最高。で、この哲学者が思いつきの企画を打ってみたり、イベントで演者や出展者と対談してみたり、劇場から出す出版物に文章を載せたりしてる。とりあえず自由にウロウロさせてるのだ。この、まるで意味がないようで一番意味のある存在がすごくよくて、「無駄なもの」こそが文化を産むというのをまさに体現してて、謎すぎて感動した。
 と、いうことで新生杉並区でも「無駄に物を考える人」をむやみに抱えてみたら面白い。行政機関が哲学者を抱えるようになったら、「日本どうなってんだ!?」と、さすがに世界もビビるはずだ。ドイツの劇場みたいに企画やったり自由に何かやってもらったらいい。あるいは、区役所の庭に謎の泉かなんかがあって、そのほとりに無駄な哲学者がいたら最高。で、煮詰まった区民はそこの泉に行って、哲学者からなんの役にも立たない話とか聞いてみたり。あるいは、金に汚そうな企業がつまんないもうけ話とか持ちかけてきたり、東京都や政府と折り合いが合わず圧力をかけられそうになったら、交渉に謎の哲学者の老人を投入してケムに巻いたり、いろいろと活躍してくれるに違いない! もちろん哲学者だけじゃなく、文学者とか考古学者とか、天文学者とか芸術家とか、あまり就職の役に立たなそうなことやってるやつらを続々と抱えて街の至る所に配置したら、かなりおかしなことになって絶対に面白いことになるに違いない! なんだかせせこましい日本社会に、社会の余裕を見せつけてビビらせてしまおう!

奇策③ 空き店舗でバカな若い奴らに店をやらせる(商店街の活性化)

 商店街の活性化策っていろいろあって、商店街のイベントに金を出したり、ホームページ作成とか商店街の事業や業務に補助金を出したりしてる。これはこれでいいんだけど、各地で商店街がさびれてきてることの本質はちょっと別のところにある。それは、若い奴らが商売をやる楽しさを実感できるキッカケがないことと、店を始めるハードルの高さ。これに尽きる。これをなんとかしないと商店街活性化なんてできっこない。
 例えば、戦後や戦前に店を始めた人たちは、店をやりつつ奥や二階に住んでたりした。家賃は安かったし、商売が上手くいけばその物件を買うこともできた。ところが今は、そんなかつての商店主が引退して、テナントとして貸し出したところを借りて店を始める。そして管理会社とか変な開発屋とかが間に入って家賃も上がる一方。そうなってくると、自分の食いぶち+大家さんの生活費まで捻出しなきゃいけない上に、家賃は昔より高い。しかも、今は昔みたいに適当じゃないから、消防署とか保健所とかいろいろちゃんとクリアしないといけないから、何かとお金がかかる。もう未経験のまま一大決心をして踏み出さないといけない感覚だ。それと、トラブルをやたら避けたがる傾向の今の世の中、大家さん側も「面倒くさいのは嫌だ」という理由だけで空き物件を貸し渋る人がかなり多い。そりゃ、個人商店や商店街も滅びるよ。
 ということで、空き店舗を使って大バカな若い奴らにお試しの店をさせまくるのがいい。まずは、商店街の空き店舗で借り手のないところを、行政で借りまくる。で、そこを3カ月限定とかのお試しショップとして大バカたちにどんどん貸し出す。そして、行政側の役人っていうのは商売人の魂をわかってないのが多いから、あまり出しゃばると絶対つまらないことになるので、その店の運営は商店街に任せちゃえばいいし、その期待の新人たちも商店街の長老かなんかに任せちゃう。そしてまずは、その長老の子分として向こう三軒両隣に挨拶のまんじゅうを一緒に持っていくことから始め商売の基本を伝授して、あとは「さあ、好きにやっていいぞ」と解き放つ。
 これでしばらくお試し商売をやってみれば、その期間が終わる頃には本人も商売が面白いと思うかどうか、向いてるかどうかがわかる。「店なんか二度とやらねえ」ってやつもいるだろうし、他の街や他の商店街も見てみたいと短期のお試しショップを転々と回ってもいいし、一発で街の人や大家さんに気に入られて「お前、もうここで店やっていいよ!」なんて言って初期費用とかオマケしてもらえるかもしれないし、なんらかの結果は出る。
 商店街で店をやることがお試しでできたら、商店街活性化にとってはこんなに近道はない。それに元々の商店主側としても謎の新人がどんどん来た方が刺激になっていいし、いいことずくめだ。

奇策④ 広場の解放(人の営みの解放)

 区内各所の駅前など、各エリアの中心地に広場を確保して、自由に使ってもらう。
 本来なら街の路上というのは、通行の障害にならず、その他各法令に触れなければなんでもやっていいはず。でも今の日本社会ではそれができていないどころか、「公共」のことを「国家の所有物」という意味と勘違いしてる人もたくさんいるぐらい。これはやばい。「公共」の概念は社会と自治の第一歩なので、それをまず広場で実現。
 ただ、「なんでもやっていいですよー」なんてわざわざ言うと、わざとめちゃくちゃやりに来る人が続出するので、わざわざおおっぴらにそんなこと言わなくていい。ただ、区としては無意味なオブジェとか置かず、極力広めのスペースを確保し、あとは余計な口を出さないようにするだけでいい。行政が自由な広場を運営するんじゃなく、余計な干渉をしないと言うのが重要。
 そうなったらあとは自由。朝から老人たちが集ったり、夜は若者たちが遊んでたり、自分の作品を展示できたり、小規模なイベントが勝手に行われてたり、簡単なライブとか、デモの出発地になったりしてもいい。その地域に住んでる人たちの遊びや人々の出会い、表現や主張などが目に見えるっていうのは、いい街の証拠。
 …ていうか、これ別に誰かが作るもんじゃなくて、自然とそうなってるのが普通だと思うけどね〜。ま、ないならないで、意図的にそんな空間を確保するのも大事だ。

奇策⑤ 駅前裁判所の創設(揉め事の復権)

 住民間トラブルは自治の第一歩なので、とても大事なもの。というか、人がたくさんいる以上は揉め事は絶対になくならない。みんながちゃんとやりたいことを全開でやって、ぶつかった所でうまく折り合いをつけていくのが大事だし、それが自治の重要な原点。ということで、トラブル自体を減らすことを考えるんじゃなく、揉めた挙句の決裂を減らすことを考えた方がいい。
 でも、昨今の流れとしては、トラブルや揉め事を未然に防ぐために条例などでやたら禁止事項を作りまくっていたり、あるいは厳罰化をしてる。そういうことだから、住民たちは警察に通報するなど「お上に言いつける」ことばかりが横行し、肝心の揉め事を解決(あるいは決裂)するという自治の実践や練習ができなくなってしまっている。それでは民衆の自治力が退化する一方で、しまいには歩き方とか呼吸の仕方まで法律で定めなきゃいけなくなっちゃう。そんなのはゴメンだ。
 とは言っても、住民間トラブルの話し合いがずっと平行線になったり、お互い一歩も引かずこじれにこじれて刺しちゃったり火つけちゃったりしたんじゃ元も子もない。じゃあ裁判でカタを付けるとなると大事件だし時間も金もかかるので、そのハードルは異常に高い。
 そこで考案したのが、駅前裁判所。これは地元の弁護士などのヒマしてる法律家に交番みたいなノリで常駐してもらって、いつでも超簡易的な裁判、というか法律相談ができるところ。なんなら、ご近所に御用聞きに回ってもいい。「まいど〜、今日はどうですか? 揉め事のひとつやふたつあるんじゃないですか? ない? 大丈夫ですか?」なんて顔つないどけばより相談しやすくなる。
 そうなってくると、例えば土地の紛争だったり、騒音や振動、異臭のトラブルだったり、金を貸した貸さないとか、肩がぶつかったとか、いろいろ揉めた末に「おうおう、べらんめえ。じゃあ、出るとこ出ようじゃねえか」ってなった時に、コンビニに行く感覚で駅前に行って、法律の専門家に裁定してもらう。当然これはオフィシャルな裁判所じゃないので判決に拘束力はないが、「これ、もし裁判になったときは通常はこういう判決が下ることが多いから、そっちの赤い服のアナタ、謝っといた方がいいんじゃないかな~」って感じで十分。もちろん、世の中の出来事っていうのは法律だけで収まるものではないので、参考程度だけど、これは揉め事の解決(自治の実践)の手助けにもなるはず。あと、何でもかんでも通報という気持ち悪い社会からの離脱にもなればいい。

奇策⑥ 杉並区をさらに23区に分ける(自治を民衆の手元へ)

 自治は大事。でも、自治を実践するには「杉並区」っていう規模はでかすぎる。例えば、区の東端の高円寺からしたら、西端の西荻や北の井荻など雰囲気も文化も違うし完全に別の街だ。ましてや南端の久我山や高井戸あたりになってくると、もはや縁もゆかりもない距離感で、なんなら新宿や渋谷より行く頻度は低く疎遠なエリア。「自分たちの街を自分たちで作る」という原点から考えると、これはもはやさらに分割するしかない。
 杉並区内にさらにミニ23区を設けて、それぞれのエリアにまた議会とか区長なんかがいて、可能な限り権限を与える。それもその各地域の自治なので、それぞれの運営体制も自由だ。例えば、阿佐ヶ谷が突如大統領制に移行したり、高円寺では直接民主制が行われたり、荻窪に幕府が開かれて将軍がいたり、井荻で皇帝が即位したけど革命が起こって人民政府ができたりしてもいい(ま、どれも区の傘下だけど)。そのレベルの自治になると、もう田舎の村と同じで、だいたい人づてに顔がつながってる距離感になってくる。八百屋のオッサンが征夷大将軍になったり、豆腐屋のオヤジが皇帝に即位したらタバコ屋のばあちゃんがカラオケ仲間や近所のチビッコたちを率いて蜂起して革命起こしたりと、わかりやすくていい。
 こうなってくると、杉並区内も各エリアによって特色が出てきて面白い。高円寺区では路上喫煙が解禁されてると思ったら、阿佐ヶ谷帝国に入ったとたんにやけに厳しくなったと思いきや、南の青梅街道を渡って堀ノ内共和国に入ったら大麻が解禁されてたり。井荻民主主義人民共和国に行ったら私有財産が禁止されてたり、荻窪では給料が米で支給されるようになってたり大名行列が横切ったり、これは面白い。ま、さすがにここまで権限与えるのは不可能かもしれないけど、いろいろ特色があったら楽しそうだ。それに、自治というものが身近になれば、「社会はお上から与えられたもの」という奴隷根性が染みつきまくった日本社会に一石を投じることができるかもしれないし、セコい内乱やミニ革命、謎の討幕、イカサマ政権交代、プチ独立運動、百姓一揆未遂などが頻発してたら、社会は自分たちで作ってるんだっていう実感も湧きまくる。
 もちろんこんなことやってたら、杉並区内の話をまとめるだけでも大変なので、社会を回していく上で超非効率。でも、それでOK。非効率であればあるほど手間をかけてることになるので、そこで作られた社会は強固になる。逆にトップダウン式で上が全部決める強権政治をやれば、効率は良くなってパッパと物事は進むけど、そのかわり民衆レベルでは完全に人任せになるから、実体はスカスカの社会になっちゃう。こんなんじゃ、何か国を揺るがす大事件が起きるたびに地域社会まで大混乱になる。大きな目で見たら、そっちの方がよっぽど非効率だ。
 ということで、日々テンヤワンヤの超非効率な杉並23区、実現してもらいたいね〜笑。

奇策⑦(おまけ) 環七を埋め立てて畑と商店街に

 ①〜⑥のようなことをやってると、国内の他のエリアと全く違う世界になってくるので、いよいよ政府に睨まれること必至で、場合によっては東京都や日本政府と関係が悪化する可能性もある。そんな時は、日本からの独立も辞さない。ということで、いざという時のために広い道路を全部埋め立てて畑や田んぼにする。当然、幹線道路は杉並区に入った瞬間に片側一車線の狭い農道になる。そして、奇策①〜⑥によって将来は個人商店だのみの社会になってしまってるはずなので、その農道付近には謎の個人店が乱立し、商店街になる。
 めでたし、めでたし。

 さあ、思いつきで書きまくるだけで既に誌面に限界がきたので、今日のところはこの辺で勘弁しておこう。とりあえず今回は街がどうやったら健全に賑わっていくかってことに絞って策を少し練ってみた。当然、謎の一市民がこんな物を無謀に提起したところで、採用されるわけはない。しかし! 「いや、こっちはこれぐらいのこと、やるつもりだから」っていうのを示しとくことが重要。さあ、諸君! 謎の政治家たちにおんぶに抱っこじゃ最後に幻滅して終わりなだけなんだし、結局のところ世の中を作っていくのって我々自身がやらなきゃいけないもの。そうとなったら、「こうなったら助かるんだけどねー」と示しつつ、政治家たちに「こいつらこんなこと考えてるのかー!」とビビらせつつ、あとは勝手に訳わからないことをやりまくり、謎の社会を作りまくるしかない。
 さー、今日も収拾つかない街をウロチョロしようかな〜。

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松本哉
まつもと はじめ:「素人の乱」5号店店主。1974年東京生まれ。1994年に法政大学入学後、「法政の貧乏くささを守る会」を結成し、学費値上げやキャンパス再開発への反対運動として、キャンパスの一角にコタツを出しての「鍋集会」などのパフォーマンスを展開。2005年、東京・高円寺にリサイクルショップ「素人の乱」をオープン。「おれの自転車を返せデモ」「PSE法反対デモ」「家賃をタダにしろデモ」などの運動を展開してきた。2007年には杉並区議選に出馬した。著書に『貧乏人の逆襲!タダで生きる方法』(筑摩書房)、『貧乏人大反乱』(アスペクト)、『世界マヌケ反乱の手引書:ふざけた場所の作り方』(筑摩書房)編著に『素人の乱』(河出書房新社)。