第18回:難民・移民フェスで見た夢(小林美穂子)

 2022年6月4日の土曜日、晴天に恵まれたこの日、私は練馬区にて開催された「難民・移民フェス」にいそいそと出かけて行った。

©️難民・移民フェス実行委員会

 チラシには、練馬駅徒歩1分とある。地図を見るまでもなく、熱気と人だかりがする方向へ吸い寄せられるように歩いていていくと、そこが会場の平成つつじ公園だった。
まだ開始前だというのに、いくつもの販売ブースには人が集まっていてとても賑やか。ミャンマーやチリ、インド、カメルーン、クルドのめくるめく料理やお菓子、アフリカの布製バッグやビーズアクセサリーなどが並んでいるのを覗きながら、あとでゆっくり買おうと呑気に構えていたら、その数時間後には完売していて、私は肩を落とすことになる。ココナッツケーキとクルド料理、手作りのピアスが心残りだ。

精霊もやってくる

 つくろい東京ファンドは企画にも運営にも直接関わっていないが、つくろい東京ファンドで活動する傍ら、NPO法人北関東医療相談会で外国人支援をする同僚の大澤優真さんがスピーチする予定が組まれていた。また、私が最もヒヤヒヤしつつも楽しみにしていたのが、つくろいシェルターに滞在中のアフリカ人男性のジャンベ演奏である。これは応援せねば! とフェスにノコノコとやってきたのだった。
 フェスを楽しんでいると、つくろい東京ファンドと長いご縁となる長老92歳が大樹の陰から顔をのぞかせた。一瞬、楽しい音楽に誘われて木の精霊が出てきてしまったのかと混乱したが、どうやら電動車椅子をデイサービスに放置し、バスに乗って自力で会場までやってきたらしい。慌てて駆け寄る。開口一番「腹が減った」と言われたので、「これ、一個食べる?」と売り切れ直前にすべりこんで購入したチリの丸いドーナツ(5個入り)を分けてあげようとすると、耳の遠い長老、「ありがと❤」と恵比須顔でパックまるごと鞄の中に入れてしまった。ムムム…やむをえない。
 知った顔、これまでお世話になった方々がたくさんいらしていて、それは他の皆さんも同様のようで、青空のもと、多国籍の方々があちこちで「やあやあ、こんにちは」と挨拶を交わしている。知らない者同士も笑顔で席を譲り合う。その光景は、とても幸せで平和だ。

©️難民・移民フェス実行委員会

©️難民・移民フェス実行委員会

仮放免とは? その過酷な日々

 市民有志の集まりである「難民・移民フェス実行委員会」が主催し、外国人支援団体が協力に名を連ねたフェスには様々な外国人がやってきていた。北関東医療相談会のスタッフでもある大澤さんが支援している外国籍の方々も大勢参加していた。
 「仮放免」という言葉になじみがない方に説明すると、仮放免者とは、日本で暮らしているけれども何らかの理由があって祖国に帰れない人たちで、在留資格を持たぬ人たちのことである。
 日本は他国に比べても難民認定率が極端に低く、なんとびっくりマジですかの1%未満である。難民として認められず、ビザが切れてオーバーステイになった人たちは出入国在留管理局の施設に収容されることもある。それは終わりのない反人道的な収容で、収容者が死ぬか、祖国に帰るという決断をするまで続く。
 ただ、病気療養が必要と判断された場合などは「仮放免」という扱いになって外に出してもらえることがある。2年前に新型コロナウイルスが日本にもやってきて、相部屋施設でのクラスター化が問題となった。入管施設も例外ではなく、そこで大勢の人が「仮放免」扱いになって地域に戻ってきた。現在、5000人を超える仮放免者がこの社会で暮らしている。
 しかし、である。
 仮放免中の外国人は働くことを許されない。労働の対価を得ることも許されないから少ない貯金が尽きれば家賃が払えなくなる、食べることもできなくなる。
 加えて、健康保険の加入もできない。健康保険に加入していない彼らに、医療機関は自費100%どころか200%、時には300%の医療費を請求する。むろん、そんな額を払える仮放免者は皆無に等しい。だから、体調が悪くても我慢する。我慢の果てに病状は悪化し、医療費は莫大になるだけでなく、手遅れになり命を落とす人たちを支援者たちは見てきている。助かる命が助からない。
 ほんの一握り、生計困難者への「無料低額診療事業」を実施する医療機関が最後の砦となって仮放免の方々を全力で受け止める。しかしその負担は病院経営を圧迫している。
 仮放免の人たちは社会保障へのアクセスもなにもない。それどころか、自由に県外へ移動することも許されていない。またいつ再収容されるかも分からず、見えない明日に怯えて暮らしている。まるで、全身をがんじがらめにされ、息することだけ許されているかのようだ。

「なら国に帰れ」というけれど

 たくさんの人が集い、眩しいほどの光の中、朗らかにフェスを楽しむ会場の端に、スリランカ出身のヘーラットさん(40歳)は立っていた。
 舞台の前に並べられた椅子に座ったら? と促しても、彼は伏し目がちに微笑んで「ここでいい」とすみに立ったまま、異国情緒あふれる歌が披露されるステージを眺めていた。

 ヘーラットさんが来日したのは6年前。
 スリランカではネットカフェ、自動車部品販売店と携帯ショップを経営する実業家だった。グラフィックデザイナーと会計士の資格も保有していて、ビジネスマンとしても成功者だった。
 そんな彼の人生が一転したのは、政治的迫害を受けるようになってからだ。支援していた政党の反対勢力から脅迫を受けるようになった。権力のある議員の家まで放火されるような社会情勢の中で、政治運動に関わった一般市民の命なんて虫けらみたいなもの。
 身の危険を感じた彼は、両親を親せき宅に逃がし、自分は30万円ほどの現金だけ持ってスリランカを脱出、観光ビザで日本に降り立った。難民申請をしたものの、2021年3月に却下され、現在2度目の申請中である。
 品川入管に3カ月、牛久入管に5カ月収容された経験を持つ。収監中にコロナウイルスに罹患もしている。日本滞在中の6年間で、資産はすべて使い果たしてしまった。
 日本に来て6年。
 東京タワーも、ディズニーランドも、日本の観光地も全然知らない。
 「自分の人生はゼロどころではなく、この6年でマイナスになってしまった。積み上げてきたものをすべて失った。他の人は結婚して子どもや家族を得るが、私は何もできない。全部失って、まるで足をもがれたよう。何もすることがない。何もさせてもらえない。こんな状態で長年置かれるのは辛い、苦しい」
 入管施設に収容されていた間に必死に学んだ日本語で続ける。
 「(支援者の)大澤さんは食べ物送ってくれる。はずかしい。乞食みたい。いろんなことをお願いしたくない。あれもない、これもない、そんな願い事したくない。自分の力でアパート借りたり、お金払ったり、自分の生活をなんとかしたい。仕事をさせてほしい。日本のため、生活の為、社会のために生きたい。ただ『いるだけ』、こんな人生意味ない」

 仮放免者の置かれた過酷な状況を伝えると、「なら国に帰ればいい」という脊髄反射的なリプライが矢のように降り注ぐ。しかし、彼らは帰れないのだ。帰れないから日本で、さながら生き地獄のような日々を歯を食いしばって耐えている。

フェスに集まる人々の光と影

 スピーチに立った大澤優真さんは、「今日は本当に楽しいですね。良いお天気です。本当に楽しいです。ただ、私からは辛いお話をしなければなりません」と切り出し、仮放免者や難民が生きる過酷な日々を報告した。
 末期がんと診断され、お金がなくて治療もできず、挙句にホームレス状態になってしまったカメルーン人女性は、支援者たちが奔走した結果、しばらくして在留許可が出た。在留許可が出た同日、彼女は亡くなった。助かるはずの命がむざむざと消えていく現状を淡々と語る大澤さん。
 「今日は本当に楽しいです。だけど、このイベントが終われば、仮放免の方々は再び過酷な日々を生きることになります。そして、この楽しいイベントを支えてくれる人の多くは仮放免、難民の方々です」
 会場のすみでヘーラットさんがじっと耳を傾けていた。きらめくようなフェスが彼にほんの微かでもいい、希望の光を見せてくれたことを祈るばかりだ。

大澤優真さん©️難民・移民フェス実行委員会

異文化が交差する場所で

 つくろいシェルター利用中のアフリカ人男性Kさんはもともとプロのジャンベ奏者。
 大きな木々が作り出す心地よい日陰のステージで、つくろいスタッフの村田結さんのギター、沖縄出身の三線奏者とのコラボ。練習する時間が前日の一日しかなく、村田さんは一睡もせずに会場入りした。村田さんは朦朧としていたが、練習時間が満足に無かったにもかかわらず、ジャンベ奏者Kさんも三線奏者もなぜか余裕の構え。肝が据わってるというか、なんというか…。私もどうしてもハラハラしてしまう。
 演奏が始まる。
 ギターと三線が奏でる音を、Kさんは全身で受け止めながら、まるで本能のようにジャンベの上で手が踊る。リズムに誘われ、観客のアフリカ出身男性と日本人女性が踊りだした。
 Kさんは幸せそうな笑みを浮かべ、時折、頭上高くで揺れる木々を見上げながら、空間と一体化してジャンベを叩く。その姿は、「私は生きている!」と世界に叫んでいるようだった。そう、彼らは生きている。私たちのすぐ隣で、この社会で生きている。
 そんな彼らがこれ以上苦しまなくて良いように、共存共栄の道を切り開きたい。
 市民が主体となって開催したフェス、そこで繰り広げられた理想郷の縮図が社会にじわじわと拡がってほしい。
 人権的観点はもちろんだが、日本は今、深刻な労働力不足の問題を抱えている。日本にいる外国人はあなたの仕事を奪いはしない。この社会は彼らを必要としている。
 多様性は確かに複雑で面倒な部分もあるだろう。しかし、この国は一体いつまで鎖国メンタリティを持ち続けていくつもりなのだろう。そんなことで、私達の未来は少しでも豊かになるのだろうか? 私にはそうは思えない。
 言葉や文化の壁を乗り越えるにはエネルギーが要る。同質の集まりの中で一を言えば十が伝わるような環境に比べたら、自分が問われる作業もたくさん出てくるだろう。
 でも、乗り越えた先にあるものは豊かさと成熟だ。そのことを、私はカフェ潮の路やつくろい東京ファンドで学んだ。他者を受け入れることは、巡り巡って自分が受け入れてもらえることでもある。決して一方向ではないのだ。

 難民・移民フェスには5時間で800人もの人々が訪れ、多文化が混ざる豊かな空気を満喫した。フェスで見た美しい夢が、正夢になるように。仮放免の人々が、自分の「生」を生きられる日が来るように、願わずにはいられない。

©️難民・移民フェス実行委員会

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。