第19回:「扶養照会は原則しなければならない」は本当か? 福祉事務所の言い分を検証する(小林美穂子)

扶養照会の運用は改善された

 以前にこのコラムにも書いたが、全国から相談が来るのでしつこく書いておきたい。2021年2月26日、そして3月30日の二度にわたり、厚生労働省は生活保護申請に伴う扶養照会の運用を一部改正した事務連絡を各自治体に向けて発出した。
 この事務連絡は、職員たちがマニュアルとして使う「生活保護手帳別冊問答集」にも反映された。その取り扱い改正内容は以下の通りである。照会の対象となる親族が以下に合致する場合、福祉事務所は扶養照会を省いても良いとされた。

■暴力や虐待を受けたことがある場合(これに関しては扶養照会はしてはいけない
■おおむね10年以上音信不通である
■縁が切れていて、著しく関係が悪い
■しばらくは仕送りを受けるなどの援助を受けていたが、これ以上の援助は無理な場合
■親族の年齢がだいたい70歳以上、あるいは未成年である
■親族が生活保護受給中であったり、障害があったり、働いていないこと(家庭の主婦など)
■親族が長期入院している、あるいは社会福祉施設入所者である
■この親族と相続トラブルがある
■経済的援助が見込めないこと
■暴力や虐待はなくても、この親族に扶養を求めることが、明らかに自分によって有害である場合

 また、ここが肝なのだが、「可能性調査における聞き取りの中で、要保護者が扶養照会を拒んでいる場合等においては、その理由について特に丁寧に聞き取りを行い、照会の対象となる扶養義務者が『扶養義務履行が期待できない者』に該当するか否かという観点から検討を行うべきである。」とし、生活保護申請者の意思が尊重されるようになった。

 厚生労働省のお達しをすべて落とし込んだ書類(申出書&添付シート)がこちらからダウンロードできるので、必要な人に活用して欲しい。扶養照会をして欲しくないという意思を口頭だけでなく、書面で(←すごく大事)提出するのだ。

繰り返すが、扶養照会実績はほとんど無い!

 「親族に頼れるくらいなら、こんなとこ(福祉事務所)来てないよ」
 生活保護申請に同行した際に相談者がため息交じりに吐いた言葉だが、ほとんどの申請者を代弁した言葉だろう。
 親族に援助の可否を問う扶養照会の実績は都市によって変わってくるものの、全国平均でもたったの1.45%。都市部になると0%なんていうお寒い実績も珍しくない。
 切手代も労力もバカにならないうえに、照会通知を送った親族にも嫌がられ、時には怒鳴り込まれたり、ビリビリに割かれた通知が返送されたりする。
 扶養照会をされたことで壊れる家族関係もある。福祉事務所の職員が私に「扶養照会で壊れる家族なんてありませんよ」と笑ったことがあるが、「( ゚Д゚)ハァ?」である。スティグマの強い地方都市出身の若者が、生活保護を申請したことを親族に知られて大騒ぎになり、挙句に勘当されてしまった例を私は実際に知っている。「小さい村なんです。村八分になる」と、固い顔でうつむいた人を知っている。扶養照会で壊れる家庭がないなんて、一体、何を根拠にそんなことを言えるのか、驚く。
 扶養照会をしたところで結果にはつながらないのに、切手代と、ただでさえ超多忙な職員の労力と人件費がかかる。申請者も、その親族も、また、心ある福祉事務所職員をも苦しめる扶養照会。そこに税金が使われて無駄になっている。何年も、何年も。

「扶養照会を強行される」次々と寄せられる相談

 厚生労働省が事務連絡を出し、運用は変わった。
 扶養照会の高いハードルを前に生活保護申請に踏み切れなかった人たちが助けを求めやすくなったと私達は手放しで喜んだ。ところがどっこいである。
 驚くことに窓口では相変わらず「扶養照会は決まりですので」「原則しなくてはならない」。判で押したような対応が続いていたことを、私達はつくろい東京ファンドに届く問い合わせや悲鳴により知ることになる。
 なぜ?
 なぜ?
 申請者の前に立ちはだかるその高く厚い壁を、「取り除いてもいいよ」とお上からお達しがあったあともなぜ? 無駄と分かっているのになぜ? 超多忙で仕事が回らないと苦しんでいる職員の面倒な作業が一つ減るのになぜ? 明らかに税金の無駄遣いなのになぜ?
 なにより、申請者や親族を苦しめていることを一番知っている立場にいながらなぜ?
 なぜ? なぜ?
 まさか考えたくはないが、扶養照会を必要としていたのは福祉事務所だったのか?!
 まったく意味が分からないのだが、私はあえて努力して福祉事務所がそれでも扶養照会をしたがる理由を想像してみることにした。

「それでもやる」その理由を想像する

1. そもそも知らない

 厚労省から通知が出て運用が変わったことを知らない。多忙につき研修や勉強会が行き届いていない場合もありそうだが、ただの不勉強な人もいるかもしれない。体感としては、東京から離れれば離れるほど、時差が生じているように感じる。それにしても、もう1年4カ月が経過しているのに?

2. 扶養照会の武器利用を継続したい

 扶養照会が水際作戦(追い返し)の最大の武器になることを知っているために、その武器を手放したくない。また、福祉事務所職員が生活保護は「権利」ではなく「恩恵」であり、その「恩恵」を自分たちが施しているのだという歪んだメンタリティの持ち主であれば、申請者が意思を主張することにムッとする。腹立たしいと感じる。扶養照会は申請者にとっては一番痛い泣き所であるため、マウンティングの最強武器として使い続けたいと願っている。「するかしないかを決めるのはこっちだ」を手放せない。圧倒的な力の差異の中で、この公権力の行使は暴力に近い。

3. 緊急連絡先を知るために必要

 「例えば入院した時やお亡くなりになった時に親族に連絡ができないと困る」が、福祉事務所職員が口にする扶養照会の必要性ダントツ一位。
 これで思い出すのは、身寄りのない利用者のご遺体13人を最長で3年4カ月冷凍庫に放置していた名古屋市のケースだが、日本の法律上、親族の許可がないといろいろ手続きが不便なのは事実。
 ですが! で、す、が! あちこちで何度も言っているが、それは「扶養照会」という方法でしかできないものなのだろうか? 思考停止してないですか?
 生活保護申請と同時に扶養照会を迫れば、「要件」と誤解されても仕方がない。
 被保護者が扶養照会を拒んでいる場合、担当職員(ケースワーカー)は被保護者との関係や信頼を構築したあとで、「もしもの時の緊急連絡先はどうしましょう」と話し合っていけばいいのでは? 援助の可否とは別に分けて。援助(特に金銭的援助)はどうせ見込めないのだから、無駄と分かってる作業をすることはない。

4. 精神的援助があった方がいい

 これも3と同様で、保護利用者が必要と思えば自分で連絡を取ればいい。親族との関係性が悪くない場合、アパート設定ができて生活が安定した時点で自分から連絡をする利用者はいる。そこで精神的援助は得られるようになるだろう。役所が本人を飛び越えてやらなくていい。大人だから必要だと思えば自分でできる。

5. 安否が分かって喜ぶ家族もいる

 これも3と4と同様。本人が安否を知らせたいと思ったら本人がすればいいこと。職員は「喜ぶ家族もいる」と言うものの、「どれくらいいるんですか?」と聞くと目を逸らして「たまーに」と答える。「( ゚Д゚)ハァ?」である。
 扶養照会によって家族の安否を知れて喜ぶケースと、照会されることによってネガティブ(それどころか不幸)な結果になるケースの割合は比較にもならない、そのことは福祉事務所の皆さんが一番ご存じのはずだ。

6. 監査で厚労省に怒られる

 一番たちの悪い言い訳がこれ。
 扶養照会をしないと、厚労省や東京都の監査があった時に「なんでやってないんだ!」と怒られるという言い訳をする福祉事務所職員もいるが、いやいや、そんなまさか。
 厚労省が「省いていい」と言っているけれど、実際に省いたら「なんでやっとらんのじゃー!!」と怒るのだとおっしゃっているのだろうか?厚労省が二枚舌だと?
 ウソだねー。厚労省や都・県の監査で怒られるとしたら、それはケース記録に扶養照会を省いた理由がちゃんと書いていないから。そんな時のために、申請者のみならず、福祉事務所の職員にも便利で使える「扶養照会を拒否する申出書&添付シート」を作ってありますので、どうぞご活用ください。そして不要な作業を減らして過労を防いでください。

運用改正の事務連絡はリトマス試験紙

 厚労省発出の事務連絡により、扶養照会の運用は変わった。この運用通りであれば、扶養照会は実質的には誰でも止められると思ったが、私は甘かった。
 その後も全国から「関係の悪い親族に扶養照会されてしまう!」「親族に迷惑をかけられない」などと切迫したメール相談が日本中から寄せられる。
 なぜ、こんなことが起きるかといえば、それは厚労省の事務連絡が扶養照会を「省いてもよい」と書いているのであって、「してはならない」と禁止にしていないからだ。
 暴力・虐待・DVなどがあった場合は「してはならない」であるにもかかわらず、そんなケースにすら「決まりなんで、します」と言われたと切迫した相談を受けて、慌てて遠くの福祉事務所に電話をかけて止めてもらったりもした。

 私達が作成した「扶養照会を拒否するための申出書」も、まともな職員は「むしろ助かります」と受け取り、「照会は省きます」と申請者を安心させてくれる。
 一方で、「そんな事務連絡は出ていない」と虚偽の説明をする職員もいれば、申請者が持参した申出書を受け取り拒否するようなすごい自治体も(知る限りでは東京都の杉並区荻窪福祉事務所オンリー)、出てくるのである。
 そして、厚労省が生活保護手帳別冊問答集に加筆した「要保護者が扶養照会を拒んでいる場合等においては、その理由について特に丁寧に聞き取りを行い、照会の対象となる扶養義務者が『扶養義務履行が期待できない者』に該当するか否かという観点から検討を行うべきである」についても、全く異なる解釈がされるのである。
 要保護者が何度も、何度も、何度も、扶養照会をしないでくれと頼んでいて、その記録も残っていて、加えて親族に援助する見込みもないし、照会を省いていい要件はいくつも当てはまる、そんな例ですら、職員はまったく耳を貸さずに最終的には諦めさせ、それを「丁寧に聞き取りをした結果、了承を得た」ということにしてしまう。よくもここまで捻じ曲げることができるものだと呆れ果てる。

 扶養照会は不要と思う職員が多い自治体の扶養照会実施数は、運用改訂後に確かに減っている。しかし、それでも変わらない自治体、むしろ実施数を増やしている自治体も存在していることが調査で分かっている。どういうことだろうか。

生活保護の手引きや申請書の改訂、様々な動き

 扶養照会をめぐる攻防はあちこちで続いていて、たとえば足立区は小椋修平区議の尽力の賜物だろう、生活保護申請書に扶養照会を拒否する理由を書き込めるようにした。
 また、中野区は「生活保護の手引き」の扶養照会の説明を改訂し、以下のように記述した。

 親子・兄弟などの扶養義務者からの援助は、生活保護法による保護に優先されます。ただし、扶養義務者がいるということで、生活保護を受ける事ができないというものではありません。扶養義務者に援助の可能性について照会を行うことがありますが、それぞれの事情により、「扶養義務の履行が期待できない」と判断される場合などは、基本的に福祉事務所から直接の照会を行わない事とされています。

 ほんの3カ月前まで、扶養照会は生活保護の「要件」であるかのような説明をホームページに堂々と上げていた自治体(東京都杉並区)とはえらい違いだ。

扶養照会の根っこにあるもの

 参議院選挙の選挙運動中、ある与党候補者が「家族の在り方」を説いている映像を見た。候補者は「今まで2000年培った家族の形が、だんだんと他の外国からの勢力によって変えられようとしているんです」とマイクで叫んでいた。時代に逆行したこの発言は、現代におけるマイノリティ差別や、ほぼ無意味な扶養照会を支持する福祉事務所職員の意識と重なった。
 「家族は助け合うもの」。家族の形態も変わり、雇用経済状況も大きく変わった今、それができる家族はどれほどいるのだろう。それどころか自分たちの生活でいっぱいいっぱいな人でこの社会は溢れている。だから扶養照会の援助実績は、限りなくゼロに近いのだ。こんな不毛で非合理的なことで人々を制度から遠ざけたり、親族を悲しませたりするのはやめないか。そのためには扶養照会は改善ではなく、廃止してもらうしかない。
 生活困窮した人たちや、扶養照会される親族のためだけでなく、被保護者としっかり信頼関係を築き、その生活や健康を立て直す手伝いをしたいと願う、健全な志を持つ福祉事務所職員たちのためにも、扶養照会は廃止してもらいたい。

《追記》
 この原稿を書いた日から3日後、安倍首相が応援演説中に銃撃されて不慮の死を遂げた。同時に、政治とカルトとの深いつながりが明らかになり始めた。参院選で「2000年培った家族の形」と発言していた候補者は当選したが、旧統一教会の「信者である」と教団側から紹介される動画もアップされた。
 時代や人々の生き方も変わり、現実味を失った「家族主義」がどうしてここまで力を持っているのかというこれまでの疑問の答えが突然立ち現れた形だが、私は途方に暮れている。
 日本会議や神道系宗教団体、加えて旧統一教会。それらの利害が政権と一致して、お互いに利用し合っているのだとしたら、どんなに非合理的であろうと、どんなに理不尽で税金の無駄遣いであろうと、扶養照会はなくならない。
 露見した黒いつながりが、メディアや、利益を受けていた人々によって隠蔽されることなく、追及されていくことを切に願っている。

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。