第220回:時空を超える、詩人の想像力(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 わらべ歌にこんなのがある。

 ひ~らいた ひらいた
 なんの花がひ~らいた
 れんげの花がひ~らいた
 ひ~らいたとおもったら
 い~つのまにか つ~ぼんだ

 いつの間にかつぼんじゃったのは、れんげの花ばかりじゃない。なんと、召集されたばかりの国会が、たった3日間の開催で、8月5日に「い~つのまにか つ~ぼんだ」になってしまった。
 参院選で新たに選ばれた議員たちが、顔見世期間もないままに、はい、おしまい。これで歳費(給料)だけはそっくり懐に入るのだから、『議員ほど素敵な商売はない』(ハリウッド映画『ショウほど素敵な商売はない』のもじり)わけだ。

 国会はれんげの花じゃないのだから、いつの間にかつぼんじゃいけないのである。でも、さっさとつぼませてしまった意味はよく分かる。自民党は、なんとか一日も早く、統一教会問題に蓋をしたいのだ。だって、次々に出てくるわ出てくるわ……自民党議員と統一教会の薄汚い癒着。さっさとおしまいにしたい気持ちも当然だろう。
 「出てくるわ出てくるわ…」で、中原中也の詩を思い出した。
 『正午 丸ビル風景』という短い詩だ。

 あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
 ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
 月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振つて
 あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
 大きなビルの真ツ黒い、小ツちやな小ツちやな出入口
 空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立ってゐる
 ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
 なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
 あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
 ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
 大きいビルの真ツ黒い、小ツちやな小ツちやな出入口
 空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

 最初は「ぞろぞろぞろ出てくるわ出てくるわ」という一節を思い出したので、『中原中也詩集』(大岡昇平編、岩波文庫)をひっぱりだしてみただけの話。ところが全編を読むと、なんだか妙に、今に符合するので驚いたのだ。
 だって「大きなビルの真ツ黒い小ツちやな出入口」とか「空吹く風にサイレンは響き響きて消えてゆく」なんて、ね。

 真っ黒な出入り口からコソコソと通ってきてくれる統一教会の信者たちが、ほれ電話かけだ、ほらハガキ書きだ、さあビラ貼りだと、献身的に手伝ってくれるのだから、自民党議員たちにとっては美味しくてたまらない。そして、ぞろぞろぞろぞろ外へ出てきては、選挙運動のお手伝い。
 その上、空は薄曇り、埃さえ舞っている。埃だらけのこの世界を、ひょんな眼付で見上げると「桜」だもの。えっ、あの「桜」ですか、そんなことまで? とぼくが改めて驚いたのも無理はないでしょ?

 だけどね、サイレンが「響き響きて消えてゆく」にしてはいけない。せっかく警報(サイレン)が鳴り響いているのだ。これをいい機会にして、徹底的に統一教会と議員どもの癒着疑惑を暴かなくてはならない。「消えてゆく」ことになれば、まさに自民党の思う「壺」になってしまう。そういえば、統一教会は「金売り吉次」ならぬ「壺売り吉次」でもあったのだなあ。

 この詩と「統一教会疑惑」はまったく関係ないし、時代が遠く隔たっているのだから、ぼくの読み取り方はまったくの思い付きであります。もちろんそんなことは、すべて合点承知の助でもあります。
 中原中也ファンからは「そんなところに引用しないで」と𠮟られそうだが、詩人の想像力は時空を飛び越えるのかもしれない。
 自民党議員たちと統一教会との底知れぬ泥沼のような癒着と、それが発覚した時の議員たちの言い訳の厭らしさと胡散臭さを、中原中也の鋭い感性が意図せずに刺し貫いていると、ぼくは勝手に思った次第なのであります。

 これを書いているのは8月9日。このコラムの更新は明日(10日)だから、岸田首相の内閣改造人事は、まだ発表されていない。
 ぼくは数日前、自分のツイッターに、次のように書いた。

10日に内閣改造だという。この改造の本質は「統一教会からの脱却」でなければならない。その中身の判断は、萩生田光一氏の処遇にかかっている。もし萩生田氏が重要ポストに居座るとすれば、岸田首相は統一教会との関係を断ち切る気がないのだと思わざるを得ない

 安倍派の体質を色濃く引き継いでいるのが、萩生田氏と下村博文氏であるのは衆目の一致するところだ。だが下村氏は、統一教会の名称変更問題であまりに不誠実な対応を繰り返し、さすがに党内からも批判が噴出、とても重要ポストを与えられる人物ではないということが判明した。
 とすれば、残るのは萩生田氏だが、彼はテレビ朝日などに圧力をかけた政治家ではないかと名指しされているし、モリカケ問題の時にも、安倍氏の意を受けて暗躍したのは有名な事実だ。彼が居残れば、第2次岸田改造内閣は安倍亜流内閣になりかねない。

 ところが9日現在、どうも萩生田氏は「自民党政調会長」へ横滑りするとの観測がしきりだ。萩生田氏は経済産業相というポストに執心していて、記者会見でも「こんな大変なことを、人が代わっても大丈夫なのか。内閣の骨格は残すとのことだが、自分は骨格ではないのか」と異例の猛アピールをしていたが、それは叶わなかったようだ。
 だが、政調会長といえば党の政策を取りまとめる重要ポスト。結局、萩生田氏は疑惑を抱えながらも党の重職につく。
 岸田首相の言う「人心一新」はこんなものか。

 ところで話は元へ戻る。
 さて、現代の詩人たちよ、小説家たちよ、すべての文学者たちよ。
 鋭い感性の刃で、この時代に斬り込んでほしい。
 いずれその刃の切れ味の凄みが、政治を変える一閃になるように…。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。