第35回:被災地ツアー報告(3)「人の出会いも人をめぐる出来事も、螺旋のように繋がる大きな流れの中にある」(渡辺一枝)

 2日目に夕立に遭った他はお天気にも恵まれた2泊3日の被災地ツアー、最終日の報告です。参加された4人は皆さん一様に、参加して良かったと言い、何度もボランティアで福島に来ているSさんからは、「防護服を着て帰還困難区域に入ったのは初めてで、原発事故の惨さを体感したように思いました」という感想が出ました。
 私は自分が見聞したことを文章にしたり語ったりもしていますが、それでは伝えきれない、伝わりきらないと痛感しています。「百聞は一見に如かず」です。それでこうしたツアーを企画するようになりました。今回も今野寿美雄さんにすっかりお世話になりましたが、今野さんあってこそ実現できている被災地ツアーです。
 

◎6月26日

 ツアー最終日。
 古滝屋さんの朝食膳は、そのまま夕食にしてもいいくらいにテーブルいっぱいにご馳走が並ぶ。「すごいねぇ」「お腹いっぱい」と言いつつ、残さずにいただいた。食後、一旦部屋に戻って荷物の整理をして、皆で9階の「原子力災害考証館furusato」を見学に行った。

原子力災害考証館furusato

 部屋の中央にある、(東日本大震災の後の津波で行方不明になっていた)木村汐凪ちゃんの捜索現場についての展示のところには、この春に若者たちと一緒に、沖縄に「ガマフヤー(沖縄の言葉でガマを掘る人の意)」として沖縄戦の遺骨収集を続ける具志堅隆松さんを訪ねたことを綴る、汐凪ちゃんの父・木村紀夫さんの文章パネルが展示されていた。流木や砂の上に置かれた遺された汐凪ちゃんのスニーカーのサイズは16、17cmくらいだろうか。今年のお正月に具志堅さんが木村さんを訪ねてこられ、木村さんと共に捜索に入られた時に、奇しくも汐凪ちゃんの大腿骨が見つかった。その脚が履いていた靴を見ながら私は、11年という時の流れを思った。人の出会いも人をめぐる出来事も、何か大きな流れの中に、螺旋のように繋がる大きな流れの中にあるように思えてならない。
 考証館はこれまでの部屋の他にもう一部屋場所が増えていて、そちらには書類関係が多く置かれていた。今度いつか古滝屋さんにゆっくり逗留して、当主の里見さんが集めてこられたこれらの資料をじっくりと読ませていただきたいとも思った。

 考証館見学を終えて全員ロビーに集合。古民家風のフロントラウンジは、ブックカフェにもなっている。壁面いっぱいの書棚にはたくさんの本が、ほぼジャンル別に収まっている。もちろん原発関係の本が並ぶ棚もあり、何冊か拙著も置いてくださっている。別の棚には温泉関係の本も並び、そこにはいわき湯本の地誌を載せた本もある。
 昨夜、食事を終えてからのこと、里見さん、今野さんと私の3人で、このロビーでまたしばしの歓談をした。その時に、何の話からだったか今はスパリゾートハワイアンズという名称になった常磐ハワイアンセンターが話題になった。今野さんが「ハワイアンズのダンサーたちの踊りを見た時、涙が出てきたよ」と言い、里見さんもまた「僕も感動して泣けてきましたよ」と言ったのだ。私は20代の頃に、常磐炭鉱が閉鎖されてハワイアンセンターができたことをニュースで知ったが、「石炭産業が廃れてレジャー施設ができた」という認識しかなく、興味も持たなかった。原発事故後、一時閉鎖されていたが再開されたこともニュースになり、また高校を卒業した若い娘さんがダンサーになる夢を持っているというようなローカルニュース読んでも、特に思うことはなかった。が、今野さんと里見さんの言葉を聞いて、福島県の人の胸の内はもっと違うのだと思い至った。
 そして、石炭産業が廃れて原発に代わっていったエネルギー政策の問題を考えていくために、常磐炭鉱ツアーを企画しようと思った。原発問題を考えるなら常磐炭鉱の歴史から考えたいと思ったのだ。そして里見さん、今野さんにガイドをお願いするとお二人とも快く引き受けてくださった。里見さんは炭鉱遺構も案内してくださるという。早速日程も決めて、8月末に実行する予定だ。
 そんなことのあった前夜を思いながら、ロビーに集合したみんなで記念撮影をしてツアー全行程は終了した。

白水阿弥陀堂

 今野さんが「帰る前にどこか寄りたいところはありますか?」と問い、みんなが答えに窮していると、「いわきには県内唯一の国宝があるけれど、そこに行ってみますか」と提案してくれた。みんなが同意すると、今野さんは「一枝さんは前にも行ったことがあるけれど、白水阿弥陀堂というところです。古い仏像が安置されていますから拝観してから帰ってください。それから泉駅まで送ります」と言って出発した。
 白水阿弥陀堂は平安時代の浄土式庭園を兼ね備えた御堂で、県内唯一の国宝建造物だそうだ。受付でもらった栞を読むと、藤原清衡の娘、徳姫が夫の岩城則道公の供養のために建立したという。平安時代後期の代表的な建物だそうだ。
 国会では選択的夫婦別姓が論じられ与党議員の中には強固に反対する輩も多いけれど、平安時代も、いやきっとそれよりもっと以前から、そしてまたその後も、明治31年に「妻は婚姻に依て夫の家に入り、その家の氏を称する」と定めた民法が制定されるまでは、別姓が当たり前だったのだ。家父長制堅持にこだわる輩たちは、「別姓にすると家族の絆や一体感が損なわれる」とか「けじめのない結婚が増える」などと妙な論を言い立てているけれど、彼らにこそ、この阿弥陀堂を拝観させたい。だって徳姫は、その時代には当たり前の、いや市井の庶民は姓など持たなかった時代に、「別姓婚」だった亡き夫の供養のために、後に国宝となるような堂を建立するほど、夫との間に深い絆を築いていたのだから。また同姓の夫婦でも夫のあるいは妻の不倫騒動がメディアを賑わすのは珍しくない様子を見れば、「けじめのある結婚」って何? とも思う。
 そんなことを考えさせてくれる国宝拝観だった。広い池のある庭園の銀杏や紅葉などの樹木が緑陰をつくり、池にはカメや鯉が泳ぎ、気持ちの良い空間だった。

 今野さんに送られて泉駅で解散した。ここからツアー参加者のうち2人は高速バスで帰路へ。私は友人2人と一緒にJR常磐線で東京へ。
 私たちは駅でチケットを買うのに苦労した。窓口は開いておらず駅員の姿はなく、乗車券自動販売機が2台並んでいた。その操作が分かりにくくて手間取り、すると機械の向こうから「呼び出しボタンを押して、出た人の指示に従って操作してください」とアナウンスされた。そして改札口の向こうにあった扉が開いて、女性駅員が出てきた。「なんだ、人が居るんじゃないの」と思いつつ、機械から流れる指示を聞きながら操作をしていった。女性駅員は隣で私の操作を確認しながら、間違えそうになると正してくれた。機械から流れる声は、どうやら駅舎からではなく中央制御室のようなところからの遠隔操作のようだ。だが最初の「呼び出しボタンを押して、その指示に従って操作してください」は、この女性駅員の声だった。そんなことなら2台の自動販売機は1台にして、窓口を開けておけば良いのにと思った。なんでもかんでも機械化、合理化と進めていくことから生じる不合理を思った。人間がロボット社会の奴隷化していきそうだと、怖くも思った。

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渡辺一枝
わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。