第110回:シェルター? それが助かる道ですか?~政府、先島を優先に設置検討~(三上智恵)

 9月16日、沖縄の二つの新聞にはまた衝撃的な見出しが躍った。

〇先島に避難シェルター
〇政府検討 有事想定
〇石垣市など複数候補地

 政府は2023年度の概算要求で、武力攻撃に耐えうるシェルターの調査費を計上した。台湾情勢が緊迫しているとして、避難が困難な離島に地上型・地下型、共に検討するという。

 私は青ざめた。やはり戦場になるのかと実感したから? とんでもない。そんなのは2015年から十分すぎるほど、そのテーマで映画を2本作るくらいの危機感はとっくに持っている。そうではなく、ペロシ議員の台湾訪問以降、アメリカの挑発に乗って中国の軍事威嚇行動も過熱し、さらにアメリカは原子力空母を韓国に入れたり、カナダの戦艦と台湾海峡を航行したり台湾有事は近いという報道が日ごと増える中、「シェルター」に予算が付いたと報道されれば人々は一気に不安に陥り、あらぬ方向に空気が動きかねないと懸念するからだ。

 シェルターは各戸につくられるのか? 何人入れるのか? 食料は備蓄したとして、水道や下水はどう維持するのか? 放射性物質には耐えられるのか? 予算が足りず、シェルターが行き渡らないとか、案外早く戦場化するとか、そうなると結局ガマ(自然壕)に再び駆け込むことにならないか? こんな妄想と不安で瞬時に頭がパンパンになる。シェルターの議論は「どうやって助かろう?」という思考に流れてしまう。

 人はみな、なんとか家族だけでも助けたいと思うものだ。だからシェルター工事の順番の取り合い、逃げ勝負が始まったら大衆はもう収拾がつかない。しかし本来はまだ冷静にこう考えるべきだ。
 「今本当に危機が迫っていますか?」「なぜ私たちの島が攻撃されないといけなくなったのですか?」「それはまだ、止められますよね?」と。

 それをみんなで考える段階を一足飛びに越えて、避難のシミュレーションや食料や水の備蓄合戦に乗り出してしまったら、それは戦争を止めるのに使うべき力を戦争準備につぎ込んで、逆に有事を引き寄せることにもなりかねない。シェルター議論に埋没するのは、戦争準備を進めたい側の思う壺になることを即座に指摘しなければ!

 この状況は一刻を争う、ということで、私たち「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」(以下、ノーモア沖縄戦の会)では朝からすぐに連絡を取り合い、連休明けの20日火曜日に県庁で記者会見を設定、シェルターや戦争準備に予算をかける前に、南西諸島の軍事要塞化中止を求めることになった。そして翌日21日水曜日には、初めて「ノーモア沖縄戦の会」が中心となって県庁の前で緊急集会を開くことを決めた。今回の動画は、この日の11時半と6時の2回、昼休みと仕事帰りの時間に行われた集会の模様をまとめた。たぶん、沖縄で加速度的に強まって行くこの危機感は、本土にほとんど共有されていないだろう。だからぜひ10分間の動画を見て欲しい。

 「ガマは……本来手を付けてはいけない、聖地なんです」
 共同代表の具志堅隆松さんは苦しそうに顔をゆがめた。
 「あそこは……。亡くなった人のことを考える場所であって、あそこでもう、二度と人が死ぬようなことはあってはならない。ああいう場所で二度と人を死なせてはいけないんです」

 ずっと遺骨収集のボランティア活動に取り組んできた具志堅さんは、死者をきちんと家族のもとに帰すまでは戦争は終わらないと考え、頑張って来た。ところが、前の戦争の処理も終わらぬうちに次の戦争犠牲者がこの島から出ようとしていることにいたたまれず、この会の共同代表になった。今の危機を共有してこの流れを止めようと国連にも出向いて訴え、精力的に動いてきたが、あれよあれよという間に沖縄で軍隊と共に避難訓練をするとか、シェルターをつくるという話になり、そしてあろうことか「沖縄には避難に適した自然壕がある」などと発言する議員まで出て来て、なんて不謹慎なのかと憤っている。

 「ぼくは、有事になったら全国の首長と議員たちは、全員を避難させた後に最後に避難してくれと言っている。それを見届けてから、ぼくは避難しますよ」

 具志堅さんは十数年前、同じく「ノーモア沖縄戦の会」共同代表の石原昌家沖縄国際大学名誉教授らと共に「無防備都市宣言」の地域を増やして沖縄を平和にする活動に乗り出したこともある。シェルターもガマも、沖縄にいる150万人全員の分の命を守り切れるはずもない。それよりは、基地も軍隊もいない文民だけの地域をつくり、ここに来ればとりあえずは攻撃を受けないという場所を確保する方が現実的では。そんな「無防備宣言の島」をいくつも確保しておくことも同時に考えないと間に合わないのでは? という焦りは私の中にもある。具志堅さんも、それもやりたいけれども、と前置きをしたうえで、でも逃げ方や隠れ方を考えるより先にやるべきことがある、と今は主張しなければならないと言い切る。シェルターは最後の議論、その前に戦争をさせないことを優先して取り組まないといけないと、引き金を引かせない努力が先だと訴えている。

 「沖縄から、日米の軍隊が中国を攻撃する。それをするからここで戦争が始まる。しなければ始まらない。とにかくその危機を取り除き、そのあとに、危険要因である軍隊は全部撤去させるところまで行くべき。それが日本軍であろうと……」

 集会ではまず山城博治共同代表がマイクを握り、昼休みの県庁職員やサラリーマンたちに訴えた。

 「避難シェルターは、沖縄が戦場になると認めたようなものです。誰が沖縄で戦争することを認めたというんですか!? 馬鹿にするんじゃないですよ! シェルターをつくる前に外交をやれ! 北京に行け! アメリカに行け!」
 「バイデン! 耳をこじ開けてよく聞け! 沖縄はあなた方のものではないのだ。ここは私たちの島だ。ここで戦争することは、絶対に許さない」

 そして登壇者は口々に、なぜ沖縄県民が戦争に怯えなければならないのか、その原因を取り除くことに全力を傾けなければ、150万県民の命はシェルターなどでは到底救えないと怒りと危機感を露わにしていた。そして戦争をさせないためには沖縄県民の団結が必要で、県民大会を開催するべきだという意見が上がって来た。

 「シェルター設置は、沖縄で戦争をやっていくんだという宣言だと思います。こんなものを認めたらそれは戦争を認めたのと同じになっちゃうと思いました」(20代男性)

 「中国はすごい武器を持ってるんだと中国の脅威を煽る人たちは言うが、一方でシェルターがあれば安全だろって言う。矛盾している」(20代男性)

 「県や自治体に、避難計画や避難経路を作ることが求められていますけど、そういうのを作る前に戦争をしない力を私たちは広げて行かなくてはいけないのでは」(60代女性)

 「沖縄県民は日本軍から、ガマから追い出されたじゃありませんか。またシェルターからも追い出されますよ」(70代男性)

 参加した人たちの不安と怒りは想像以上だった。でもこの問題は、実はとても難しくて、すでに新たな分断を呼んでしまっている。命の危険が迫っているのに「シェルターいらない」とは何事か、と同じ反戦平和を目指す陣営からも非難の声が出ている。逃げる場所を確保するのがなぜいけないのか? 政府がつくると言っているなら少しでも安全な場所を増やしておいた方がいいではないかと。

 そして、自衛隊配備の問題と戦ってきた宮古島や石垣島の人々からも困惑の声。「私たちは安全に避難できる方法を確立してくれ、保護計画も不十分なうちはミサイルを配備するな、と訴えてきたもので、シェルターいらないという闘い方はできない」という。それも当然だろう。ミサイルが飛んでくる恐怖をよりリアルに感じている地域の人にしてみたら、沖縄本島でとんでもない主張を始めたと誤解されるかもしれない。もちろん、戦争を止めるというゴールは同じわけだが、シェルターを断ったからと言って戦争を止められるわけでもないという虚しさを感じるのも理解できる。

 しかし、だからこそ冒頭で書いたように共通認識と主張する順序が大事なのだ。「入れる人はシェルターに入ろう」「逃げられる人は逃げ場を確保しよう」と我先に逃げ勝負が始まってしまうと、シェルター需要にたかる業者が島を闊歩し、不安を煽り、出ていく先がある人は出ていく、余裕のある人とそうでない人が分断される、という具合に共同体が崩れていくだろう。そんな末期の段階に至る何歩も手前にいる今だからこそ、無意識に戦争への道をゾロゾロと歩いていく人たちの群れにあちこちからブレーキをかけることができる。今それを先にやらないでどうするかという局面にある。

 7月、玉城デニー沖縄県知事が神奈川県知事との対話の中で、「ビッグレスキュー」という米軍と自衛隊も参加する住民避難訓練について、神奈川を手本に沖縄も実施すべきという立場を表明してしまった。しかも知事から米軍に打診してみようという発言だったので、それはいかがなものかと批判が上がった。県知事として、災害からも有事からも県民の命を救うという観点からの発言だっただろうが、こうやって津波や大地震の備え、と言いつつ自衛隊の指揮のもとで、米軍の協力を得ながら大規模な避難訓練を実施するようになれば、不安な時は軍隊の指示通りに動く習性が刷り込まれていく。身の安全を軍事組織にゆだねるような従順な民が育ち、やがてバケツリレーから竹やり訓練へ。災害訓練から戦争訓練へと無理なく移行して行くだろう。軍隊が民を統率する手段として、どの国でも「避難訓練」が利用されてきた歴史の教訓を、私たちは十分に認識しておかなければならない。先日行われた知事選挙の前にも私たちは知事に対し、この「軍民合同の避難訓練」はやらないで欲しいという要請をしている。しかし年内に大規模訓練をするという話はまだ消えてはいない。

 ところで、全国紙にもキナ臭い記事が増えているが、最近特に産経新聞の論調に恐怖を禁じ得ない。どこの社も使っている「台湾有事は日本有事」という短絡的な言い方は沖縄を一足飛びに戦場に近づけるものでとても受け入れがたいのだが、産経は「南西有事」という言葉を使い、ここが戦場になるのは既定路線のように記事を展開している。そして、今の弾薬保有量では圧倒的に足りず、戦闘継続力がない。20倍にしないと中国の侵攻に対抗できないという見方を繰り返し報じている。さらに、最前線の自衛隊部隊に必要な弾薬量のまだ1%しか南西諸島に運び入れられていないとして、貯蔵庫が不足しているため、米軍の弾薬庫を間借りする提案までしている。

 この議論は、南西諸島に生活する人間からすると恐怖でしかない。「南西有事」に備えて20倍に増やす弾薬というのは、占領されたあとに、島にいる敵をせん滅させ逆上陸する作戦の中で、私たちの島に向けて撃ち込まれるものである。自分たちを焼くための火薬を増やせ、持ち込ませろという議論には怒り心頭である。国防を考える人々の頭の中には、77年前も今も、島に生きる命は最初から透明人間のように全く見えないかのようだ。

 このようなことを言ったり書いたりすると、すぐに「じゃあ日本が侵略されてもいいの?」という反論が来る。私たち「ノーモア沖縄戦の会」の活動がヤフーニュースに載ったとたん、バッシングが酷くなっている。だがこの沖縄の平和運動を敵視する人たちは、同じ国民の命や暮らしを犠牲にしてでも、自分の安心だけは確保したいと公言しているようなものだ。自分は絶対に現地に近寄らず、助かる側に入りたいというみっともないまでの利己的な発言をしてしまっていることに気づいてないのだろうか? 本気で死にたくないのであれば、武器弾薬を送り込めば戦争が勃発しても南西諸島で食い止められるという甘い現状認識こそ自分の首を絞めていることを理解するべきではないだろうか。

 私は幼いころからなぜか戦争が怖くて、よく祖父母や両親に戦争の話を聞いては「なぜ、あの戦争が止められなかったの?」と訊ねた。答えに窮する姿を見て、当時の大人たちは「騙されやすくて意気地がなかった」「愚かで情けない人たちだった」と思っている自分がいた。
 でも今、まさに私たちは愚かで、鈍くて、戦争がこんなに迫っていても「まさかやー」と思っている、令和の情けない人たちになりつつあるのだ。絶対に戦争を起こさせない、と立ち上がり、政府やネトウヨの嫌がらせも恐れずに暗雲を吹き飛ばしていく知恵と力がないから、中国をやっつけろ! という勇ましい言動のグループを好み「自分だけは大丈夫」と思わせてくれるものにすがろうとする。あの戦争で夥しい血を流して獲得した不戦の誓いをいとも簡単に捨てようとする勢力に加担し、一部を犠牲にしてでも強い国を目指す方が得だと考えてしまう。私たちは実に弱く、学ばない、「戦争を止められない愚かな令和のニホンジン」なのだ。

 最後にもう一度言う。私たち全員シェルターに入ることはできません。沖縄県民約150万人が避難する術もなく、受け入れ態勢の構築も非現実的。病気や高齢で移動不可能な3万人を置いて逃げるつもりもありません。それを考えるよりは、軍事作戦にここを使うのをやめてもらう方がずっと現実的です。そうすれば私たちが島を捨てて避難する必要はない。この島から出ていくべきは軍事組織の方です。「どう避難するか」を考える前に、どうやって「戦争に向かうこの流れを止めるか」にまだ全力を尽くしてないじゃないですか!

三上智恵監督『沖縄記録映画』
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標的の村』『戦場ぬ止み』『標的の島 風かたか』『沖縄スパイ戦史』――沖縄戦から辺野古・高江・先島諸島の平和のための闘いと、沖縄を記録し続けている三上智恵監督が継続した取材を行うために「沖縄記録映画」製作協力金へのご支援をお願いします。
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三上 智恵
三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移住。同局のローカルワイドニュース番組のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。14年にフリー転身。15年に『戦場ぬ止み』、17年に『標的の島 風(かじ)かたか』、18年『沖縄スパイ戦史』(大矢英代共同監督)公開。著書に『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)、『女子力で読み解く基地神話』(島洋子氏との共著/かもがわ出版)、『風かたか 『標的の島』撮影記』(大月書店)など。2020年に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社)で第63回JCJ賞受賞。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)