第21回:粗末に扱っていい命(小林美穂子)

命は平等か? 165万円の軽さ

 「ねぇねぇ、165万円って、なんでそんな少ないの?」
 スマホを指で繰りながら私に聞いてきたティーンエイジャーは、日本に住む外国人の境遇に興味を持っている。
 茨城県牛久市の入管施設「東日本入国管理センター」で2014年、収容中のカメルーン国籍の男性(当時43歳)が死亡した。持病があり、「死にそうだ」と体調不良を訴えたにもかかわらずに放置された挙句の死だった。165万円は、水戸地裁(阿部雅彦裁判長)が11月16日、国側に命じた賠償額だ。
 ウィシュマ・サンダマリさんの死が記憶に新しいが、入管施設の被収容者の死亡事件は後を絶たない。死に至らずとも、施設内での入管職員による人権侵害や暴力により、消えない傷を心身に負った人を、私は何人も知っている。
 「ねぇ、ねぇ、人の命だよねぇ。165万なんて、なんでそんなに少ないの?」
 十代の子どもにどうやって説明すべきか、私はしばし沈黙したあとで、「とっても悲しいことだけど、この国には粗末に扱っていいと思われている人たちがいるんだよ」と答えた。
 子どもに「命は大切で、誰であっても平等なのだ」と伝えられない「現実」が私は悲しく、悔しい。
 国の責任が認められた初めての判決である。そのことは歴史的ではあるが、この判決が出るまでに何人が犠牲になったか。死なずに済んだ人たちが命を落としたか。
 「命は大切」と学校で教えられるこの国で育つ人たち、育った人たちは、理不尽な扱いや暴力や受けて失われる命の存在をどのように感じているのだろう。
 「命は平等」「同じ命」「命は地球より重い」
 そんな言葉が「理想」であり「たてまえ」でしかないことを、私は生活困窮者支援の現場にいて、イヤというほど知っている。粗末に扱っていいと思われがちな人たちと生きているからだ。

被害に遭っても相手にされない

 かつては路上生活も体験したことのある高齢者が、早朝のコンビニで別の客から理由もなく暴行を受けた。
 店員に警察を呼んで欲しいと頼んでも相手にしてくれないどころか、迷惑そうな顔をされた。まるでクレーマーでも見るような目で。
 仕方なく不自由な体で交番へ出向き、被害を訴えると、「自作自演じゃないのか」と言われた。悔しくて悔しくて……と彼は泣いた。

 別の日の夕方、友達と飲んで下町を歩いていた桐生さん(仮名)が交通事故に遭った。バックしてきたタクシーに背後をぶつけられ、したたかに腰を打ってアスファルトの道路に吹っ飛んだ。衝撃に気づいたのか、タクシーは一旦止まってドアを開けて顔を出し、何が起きたかを確認したのち、そのまま桐生さんを放置して走り去った。
 本人はどうしていいか分からずに帰宅したものの、足と腰の痛みが徐々に激しくなり、歩行も困難になって私に電話をしてきた。
 桐生さんは自分で警察署に電話をしているが、「そのあたりは防犯カメラも少ないから難しいですねー」で終わってしまった。有名な観光地である。防犯カメラが少ないわけがないのだが……。
 彼は事故当時一緒にいた友達に相談すると、過去に同様のことがあり警察に相談したら「当たり屋じゃないのか」と疑われたと聞かされ、診察も、警察への報告すら躊躇していた。
 もし、足の骨が折れていたら、彼は一生足を引きずるかもしれない。
 路上生活経験のある人で暴行被害に遭う方は珍しくない。交通事故に遭い、治療もせずに後遺症を抱えている人もいる。警察に助けを求めたり、被害を訴えたりする人はほとんどいない。

刃物を持った男が!

 長い年月をネットカフェやファストフード店で過ごしていた女性は、池袋の駅前を歩いていた時に後方でざわめきと悲鳴を聞いて振り返った。ほんの先に刃物を持った男性が歩行者を襲う瞬間を見てしまい、慌てふためいて近くの交番に駆け込んだ。
 「刃物を持った男が歩行者を刺してます!」
 しかし、警察官はニヤニヤして彼女を見ている。行動しない警察官に業を煮やし、振り返ると、刃物の男がこちら側に歩いてくるのが見えた。交番にいても守ってもらえないと思った彼女は、交番を飛び出して逃げたという。その時の事件をネットで見つけ、私は言葉を失った。

偏見・差別が目を曇らせる

 被害に遭ったり、怖い目に遭った彼らが一様に口にするのは、「これまでもそんな扱いばっか受けて来たから。慣れてるから」というもの。死亡事故にならないと相手にもされない。被害を訴えても、加害者のように扱われる、まずは自分が疑われる。
 これは警察に限ったことではないかもしれない。私達の中にある偏見や差別意識が、ものごとを見えなくさせてはいないだろうか? 私達みんなが自分自身の心の奥底に問いかけてみないといけないことだ。相手の見た目や印象で「被害に遭ってもしょうがない」「この人に非があったのではないか」と思うところはないか。

 警察官の話が続いたが、中には素晴らしい人物もいることにも触れておきたい。
 飲みすぎて歩けなくなったおじさんを家まで送り届けてくれた警官、「おまえホームレスだろう」と酔っ払いの若者二人に蹴られるおじさんを助けた警官、謝罪をしない上役の代わりに頭を下げてくれた警官……上記3件は全員女性の警官なのだが、希死念慮のある若者を保護して私に連絡をくれたり、家に送り届けたりしてくれた男性警官も知っている。

誕生日のローストビーフ

 この社会の冷たさを書いていたら段々悲観的になってきてしまったので、話題を変えよう。普段社会から見下されたり、差別されるのがデフォルトになっている人たちと私が過ごす豊かな時間を自慢させてほしい。
 先日、カフェ潮の路(毎週木曜日12時~15時まで弁当販売)で珍しく牛肉を使った料理を作った。比較的安価で手に入る鶏肉と豚肉を調理するのに私が飽きたのだ。牛肉の塊を買ってきて、ローストビーフを作った。
 少々火が通りすぎたローストビーフ弁当を買ってくれたYさんは、長い路上生活で一番つらかったこととして、「隣で寝ていた知人が、みんなでご飯食べたあとに突然倒れて亡くなってしまったこと」と涙を流しながら語るとても繊細で優しい人だ。
 日頃からつくろい東京ファンドのゴミ捨てを一手に引き受けてくれている働き者。Yさんの早起きの作業に対して謝礼を払いたいと申し出ても、Yさんはずっと固辞していて、私達が何度も何度も頼み込んで、ようやく渋々了承してくれた。その代わりみたいに、木曜日になるとお弁当を2個、総菜を2個買っていくようになった。
 「自分、先週誕生日だったんですよ。そしたらローストビーフがあって。自分、ローストビーフ食ったの、生まれて初めてです」。Yさんは照れ臭そうに体を揺らしながら言うと、頭を下げた。
 頭を下げたいのはこっちだと思った。私の方が嬉しい。気まぐれに牛肉買った自分グッジョブ! おめでとうございますとお祝いを言える相手がいるのは、とても嬉しいこと。

夜の青空

 月の明るい夜に、空を見上げる。
 「あ、青空だ」と、夜のとばりの向こうに見える深い蒼さに目を凝らすとき、6年前シェルターを逃げ出した伊藤さん(仮名)をようやく見つけ出して、並んで路上飲みをした真冬の夜を思い出す。
 その頃の伊藤さんは大の病院嫌いで、検査が怖くて逃げてしまったのだが、その後はアパートに入り、ずっと安定して暮らしている。
 今年のはじめ、足の血管が詰まって歩けなくなった。コロナ感染者が爆発的に増え、医療崩壊が起きている真っ只中であり、仲間が呼んだ救急車で搬送された際にはあっさり帰されてしまった。いよいよこのままではマズイという段階がやってきて、今度は私と同僚の村田さんで同行し、「治療してくれるまで、テコでも動かん!」という構えで待合室に居座っていたら、幸いなことに入院が決まった。「もう少し放置したら足切断でした」と、看護師さんに優しい声で言われて、私達は冷や汗を流した。
 その入院経験が良かったせいで、伊藤さんはまた日課の散歩ができるようになったし、病院嫌いも完治した。今では定期健診にも行くし、血圧の薬も飲む。そして、病院嫌いの仲間たちに「ちっとも怖くねーよ。優しいよぉ」と治療を勧める人になっている。
 夜でも青い空が見えることを教えてくれたのは伊藤さんだ。
 太陽が照らさなくても、青空は頭上にある。昼間、見えなくても星が存在しているように。伊藤さんに教わらなかったら、私はずっと夜の青空を知らないままだったろう。

あらゆる「異」を超えて

 私達の仕事は、辛苦に満ちたいろいろな人生を知ることでもある。
 若い人が想像を絶するような苦しい境遇に置かれていた。到底背負いきれない重荷を背負って苦しんでいる。苦しむその人を前にして、私はかける言葉が見つからずオロオロしていた。嘘や、ごまかしや、軽い慰めをすべて濾過して言葉を選んでも、言葉はあまりに虚しく、あまりに無力だった。 
 大人として私は何をしたらいいのかも分からず、途方に暮れていた。たとえ私の心が痛み、血を流したところで、当人の痛みには比べようもないし、その痛みを和らげもしないだろう。
 そんな過酷な人生を背負わされる人がいる理不尽に怒り、悲しみ、無力感を全身に漂わせながら事務所に戻ってくると、シェルター在住のアフリカ籍の男性がいた。彼は彼で、これまた想像を絶する苦労をしているのだが、私の前ではいつも能天気だ。
 「げんき?」ヘラヘラと笑いながら私に声を掛けてくれる。
 「元気じゃない」と答えると、「Why? なんでよ」と日英ミックスで聞き返す。
 「誰かの辛さをどうすることもできなくて悲しいのです」と英語で言うと、彼は顔を天井に向け、普段見せない真摯な表情をした。教会の懺悔室で告白に耳を傾ける聖職者のように。私の嘆きを体中で吸い込むように。言葉はなくとも伝わる共感。
 少し元気になって「ありがとう」と礼を述べると「オゲ!」と普段の彼に戻った。ほんの少しの痛みを表情に残して。

 常に言っていることだが、私達は支援する側に留まらない。いろんな形で利用者や相談者に助けてもらってもいる。存在するだけで人は相互に作用する。これは断言できる。
 国籍とか、その人の生きてきた背景とか、年齢とか、職業とか、あらゆる「異」を分断の基準にするのではなく、どんな人も生きられる社会が形成された時、お互いの存在は必ずマイナス以上にプラスに働くはずだ。
 粗末に扱っていいと思われる人がいなくなり、建前ではなく誰の「命」も「人権」も尊重されるようになった時、この社会は強者にとっても生きやすい豊かな場所になるはずだ。そんな社会で、私は深呼吸したいと願っている。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。