「開高健ノンフィクション賞」創設のころ
かつてぼくが在籍した集英社から、毎月『青春と読書』という小冊子が届く。集英社の出版物を宣伝する役割の雑誌だが、連載小説やエッセイなども掲載されており、なかなか充実していて、面白く読んでいる。
その10月号に「第20回 開高健ノンフィクション賞」の受賞作の紹介と、選考委員たちの選評が載っていた。今回の受賞作は『虚ろな革命家たち――連合赤軍森恒夫の足跡をたどって』(佐賀旭)だという。興味をひかれる。それにしても、この賞ももう20回目なんだなあ…と、ちょっと感慨に浸る。
「開高健ノンフィクション賞」創設には、ぼくもいささか関わったのだ。選考委員の就任の依頼に飛び回った。そして、筑紫哲也さん、田中優子さん、崔洋一さん、佐野眞一さんの4人の方に引き受けていただいた。この選考会の司会を、ぼくは5年間にわたって務めた。会場は、いつも神田駿河台の「山の上ホテル」だった。
当初は5人を予定していたのだが、もうお一方がなかなか決まらず、結局、最初の選考会は意見が2対2で割れて、とても苦労したことを憶えている。そこでもうおひとり、ぼくが大好きだった小説家の重松清さんにお願いして、これで委員は5人。何とかうまくおさまるようになった。
選考会の後、このメンバーで近くの和風バーの二階座敷でビールのグラスを傾けながら、受賞作の感想など、談論風発。ぼくにはまさに至福の時間だった。ノンフィクション論から始まり、文学論、映画や演劇論、音楽、社会情勢から政治まで、何しろ斯界を代表する方たちの議論を聞いているだけで、ぼくの目から何枚のうろこが落ちたことか。
ぼくは定年で会社を辞したので、開高賞の司会も5年でお役御免となった。会社にはさほど未練はなかったが、この選考会の後の5人のみなさんとの飲み会に参加できなくなったことだけは、とても寂しかった…(なお、佐野眞一さんは9月26日に75歳で、肺がんのためお亡くなりになりました)。
「日本ジャーナリスト会議賞」について
なんでこんなことを思い出したかというと、実は9月24日に「日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞」の贈賞式に参加したからだ。
じつは数年前から、ぼくはこの賞の選考委員の末席に名を連ねている。
「著名な方々に加わるのは、とても無理ですよ」と、ぼくは固辞したのだが、「出版関係の委員もぜひ必要です」と口説かれて、少しでも出版界のお役に立てるならと、承知したのだった。
現在は、伊藤洋子さん(元東海大学教授)、斎藤貴男さん(ジャーナリスト)、酒井憲太郎さん(元朝日新聞写真記者)、永田浩三さん(武蔵大学教授、元NHKプロデューサー)、藤森研さん(元朝日新聞論説委員、元専修大学教授)のみなさんとぼくの6名が、選考委員を務めている。今回の選考委員会は8月31日に行われたのだが、喧々囂々、なかなか面白い議論だった。
決定した受賞作への贈賞式が、9月24日に行われた。JCJには各部会があり、新聞部会、放送部会、出版部会、広告部会、それに各地に地方部会もあり、それぞれから数点ずつ、計15点ほどの「候補作」が挙がってくる。選考委員会はその中から、JCJ賞4点、大賞1点、特別なものがあれば特別賞を選ぶというシステムだ。
まあ、どんな賞でも選考過程は似たようなものだろう。
今年の「JCJ賞」受賞作は…
JCJ大賞 映画 『教育と愛国』
ドキュメンタリー映画『教育と愛国』(斉加尚代監督)が選ばれた。大阪MBSテレビのディレクター斉加さんが、ほんとうに魂を込めて撮り上げた作品で、政治が教育に介入してくる現状を、危機感をもって描いている。「戦後レジームからの脱却」を謳う安倍晋三政権の下で、次第に戦前回帰の様相を深める教育とそれに抗う人々を、極めて丁寧に取材し、現実を表現している。観ていて震えがくる場面が連続する。ぼくは、これが大賞だと選考会に臨む前に決めていた。議論は沸騰したけれど、結局、大賞に決まった。ぼくは自分のことのように嬉しかった。
特別賞 沖縄タイムス社と琉球新報社の2社
沖縄復帰50年についての報道と特別企画の粘り強い報道が、この国の民主主義を考える上での貴重な活動であると評価された。沖縄に民主主義はあるのか、沖縄に日本国憲法は施行されているのかを問いかける地元2紙の姿勢は、まさに報道の名に値するとして「特別賞」の受賞となった。この沖縄2紙は、ほんとうによく闘っていると思う。自民党政権にどれほどひどい扱いを受けても決して屈せぬ沖縄県民に寄り添う姿勢は、まさに権力と対峙するジャーナリズムの在り方を示している。
更に、JCJ賞としては次の4点。
『土の声を 「国策民営」リニアの現場から』(信濃毎日新聞社)
日本列島の中央を貫くリニアモーターカーは本当に必要なのか。総工費7兆円ともいわれる「国家事業」の裏に透けて見える地元住民の苦悩。膨大な「掘削土」や、地域を揺らすダンプカー被害。それらに正面から取り組んだ企画は、報道の本質を示すもの。信濃毎日新聞社は昨年度も外国人労働者を真正面から取り上げた企画で、JCJ大賞を受賞している。企画力の素晴らしさには定評がある。
『ルポ・収容所列島 ニッポンの精神医療を問う』(風間直樹、井艸恵美、辻麻梨子/東洋経済新報社)
日本の精神疾患の患者数は400万人超といわれるが、そのうち精神病棟入院患者数は約28万人。それらの人々は、実際に入院措置が必要な患者なのか。日本の精神病院特有の強制入院制度「医療保護入院」の現実を克明に取材した本作品は、まさに調査報道の原点ともいえる。それにしても、医療という名目の陰で、こんな虐待にも似た行為が行われているとは、と驚かされた。この作品の上梓を機に、少しでも精神医療制度の改革が進めば、地道な調査が実を結ぶことになる。
『消えた「四島返還」 安倍政権 日ロ交渉2800日を追う』 (北海道新聞社編)
これこそ、資料として後世に残しておきたい作品。執拗に追いかけた地元新聞ならではのスクープや資料の発掘、更にはキーパーソンへのインタビュー等を絡めながら、安倍外交の失敗の構図を見事に描き出した。4島返還が2島返還(2島先行返還という詐術)へ転換した理由、そしてそれすらも足元を見られて崩れていく過程。プーチン大統領と安倍晋三元首相の27度にも及ぶ「首脳会談」という虚構。なにを得たか、なにを差し出したか、そしてなにを合意したか…。結局、空虚な言葉の羅列が残っただけの安倍外交の本質を明らかにした力作。
『ネアンデルタール人は核の夢を見るか~“核のごみ”と科学と民主主義』 (北海道放送)
原子力発電所は、必然的に“核のゴミ”を生み出す。どんなにきれいごとを並べ立てても、原発が存在する以上、放射性廃棄物の後始末という問題は避けては通れない。しかもこれが、10万年にもわたって隔離貯蔵しなければならないという、まことに厄介な代物。どんな地方自治体だって、そんなものを押し付けられてはたまらない。そこで莫大な金で頬をひっぱたくというのが政府のやり口。その金に乗るかどうかをめぐって、北海道寿都町と神恵内村が大揺れに揺れた。「迷惑施設」(核廃棄物最終処分場)の調査が町や村を二分した。役場を辞めて反対運動に身を投じた人など、カメラは人間の苦悩を正面からとらえている。これもまた「民主主義とは何か」を問う貴重なドキュメンタリー。
こんな作品が並んだ今回の「JCJ賞」は、この国にも素晴らしいジャーナリストたちが数多く存在し、そして日夜、作品を生み出すための努力を営々と重ねていることを示す場となった。
JCJ賞に自薦他薦で応募してこられた作品は、70点を超す。それぞれが記者や作家、ディレクターなどジャーナリストたちの想いのこもった作品ばかりである。それを考えれば、ぼくはマスメディア批判もするけれど「マスゴミ」などという言葉を、決して使う気にはなれないのだ。
24日の贈賞式では、各受賞者たちがスピーチをしてくれた。どの方も自作の作品への愛を語った。久々に熱気あふれる集会に参加できて、ぼくはとても嬉しかった。ちなみに、素晴らしいスピーチをしてくださったのは、次の方々である。
斉加尚代さん(MBS)
照屋剛志さん(沖縄タイムス社)
島洋子さん(琉球新報社)
島田誠さん(信濃毎日新聞社)
風間直樹さん(東洋経済新報社)
渡辺玲男さん(北海道新聞社)
山崎裕侍さん(北海道放送)
ほんとうに充実した一日だった。
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MBS製作の映画『教育と愛国』がJCJ賞の「大賞」に 日本ジャーナリスト会議が選定 | MBSニュース