第612回:ウトロ地区放火の男と植松聖死刑囚との奇妙な符合。の巻(雨宮処凛)

 「現在、日本、世界において多くの人が、罪のない人々が見殺しにされ、多くの困窮者が支援を受けられず、南米、アフリカ、アジアのそうした国々から来られた方も、支援を受けられず見殺しにされている。これはひとつの事実でございます。
 しかし一方で、戦争の被害者であるという、そうした一方的な理由によって、国民以上に支援を受けようとしている人がいることも、また変わりはない。
 今回の件で私が被害を与えてしまった方々に、直接的な罪じたいは何もないのかもしれません。しかしながら私のように、そうした方々への差別、ヘイトクライムという、そうした感情を抱いているという人は、国内のみならず至るところで多くいるという現実は認識しなければなりません(後略)」

 この言葉は、京都のウトロ地区に放火して逮捕された男が法廷で述べたものだという。『創』2022年11月号に掲載された安田浩一さんの原稿「ウトロ放火事件判決とヘイトクライムの深刻さ」から引用したものだ。

 事件が起きたのは21年8月。在日コリアンが多く暮らすウトロ地区で火災が発生。この年の12月、非現住建造物等放火などの罪で逮捕されたのは、奈良県在住の22歳の男性だった。

 「韓国が嫌いだった」という男は、ウトロ地区に放火する前月、在日本大韓民国民団の愛知県本部の壁に火をつけたとして愛知県警に逮捕されていた。それだけでなく、奈良の民団支部でも同様の犯行をしていたという。

 様々な報道を見ると、男は在日コリアンへの差別意識と、被害者意識に近いような憎しみを抱いていたようで、例えば BuzzFeedNews の取材に対しては、以下のように語っている。

 「コロナ禍で自分を含めて経済的に貧困状態にいる、保護を受けたくても受けられない人が多数いるような状況のなかでも、彼らは特別待遇を受けている」

 ネットで使い古された「在日特権」という言い分だが、思い出すのは安倍元首相の国葬を前にして出てきた「外国人生活保護反対」の声だ。

 当初2億円と言われていた予算が16億円と発表され、「国葬反対」の機運が盛り上がる中、それに対抗するように「国葬反対より外国人生活保護反対」というハッシュタグが登場したことを覚えている人は多いだろう。外国人が日本人より保護を受けやすいかのような書き込みが多く見られたが、それがまったくの事実無根であることは第607回の原稿に書いた通りである。

 さて、ウトロ放火に戻ろう。

 男に対しては、8月30日、京都地裁で懲役4年の判決が言い渡された。

 が、安田氏の原稿を読んで驚いたのは、今年5月から始まった裁判で、男は放火という手段が誤りだったと認めつつも、一貫して目的は正しかったと訴えたことだ。以下、原稿からの引用である。

 「韓国民団に放火したのは19年に開催された、あいちトリエンナーレの企画展『表現の不自由展』に慰安婦を模した少女像が展示されたことなどへの抗議であり、ウトロ地区への放火は韓国による『領土侵犯』に対する抵抗だとして動機を正当化した。そのうえで在日コリアンがウトロ地区で生活することは『許されない』のだと彼は強調した」

 さらに男は「使命感」という言葉を用い、法廷で以下のように述べたという。

 「(放火という)行動を示すという面において、たとえそれが意味がなかったとしても、その態度を示すという面で、皆さんに考え方を改めていただきたいと思っている」

 「社会に対する反発・闘争という意図が残っている以上、謝罪を申し上げることはできない」

 「一方的な主張を続けているのは韓国や中国。これに対する不満を世の中になんらかの形で発信していきたいという気持ちは、正直なところ、今なお残っている」

 そうして裁判の最後に述べたのが、冒頭に引用した言葉というわけである。

 驚愕するのは、そんな言い分のあと「同様の事件、いいえ、さらに凶悪な事件さえも起こることは容易に想像できる話です」「今度は本当に命を失うことになるかもしれません」など、次のヘイトクライムを「予言」さえしていることだ。

 独りよがりで歪んだ使命感、そして自身の事件に対する正当化。このような姿勢から思い出すのは、16年、障害者施設で19人を殺害した相模原事件の植松聖死刑囚だ。

 私は相模原事件の裁判を傍聴していたが、法廷で、植松死刑囚も自身の事件を正当化し続けた。

 例えば、包丁で刺殺するという「やり方」は間違っていたかもしれないが、「障害者は安楽死させるべき」という主張は決して曲げなかった。

 また、ことあるごとに、障害者がお金と時間を奪っている、障害者に使うお金を他のことに回せば戦争がなくせる、世界平和につながる、難民問題も解決できるなどの荒唐無稽な持論を展開し続けた。

 横浜拘置支所に面会に行った際も、発言は揺るがなかった。

 「障害者がいらない、というのは間違ってる」

 私と同行した人に言われた植松死刑囚は、ムキになって「それこそ間違ってる。不幸な人がたくさんいるのに、ヨダレを垂らしてるような人が生きているのがおかしい」と口にした。

 そうして中東の戦争などに触れ、世界ではこんなに大変なことが起きているのだから、障害者を生かしておく余裕などない、という内容のことを続けるのだった。

 このような「世界ではもっと大きな悲劇が起きているのだから、この人たちを助けている場合ではない」という言い分は、ウトロ放火の男と同じものだ。

 男の「日本、世界において多くの人が、罪のない人々が見殺しにされ」「南米、アフリカ、アジアのそうした国々から来られた方も、支援を受けられず見殺しにされている」という言葉を読んだ時、その「突然のスケールの大きさ」に面食らいつつも、植松との符合点に息をのんだ。

 二人には他にも共通点がある。ヤフコメだ。

 前述したBuzzFeedNewsの取材に、ウトロ放火の男は自身の情報入手先について、「ヤフーニュースのコメント欄です」と答えている。また、「日本のヤフコメ民にヒートアップした言動をとらせることで、問題をより深く浮き彫りにさせる目的もありました」とも語っている。

 一方、植松も事件前、ヤフコメの常連だったことは多くの人が知るところだ。

 と、話はここで終わらない。

 もうひとつ紹介したいのは、22年3月、立憲民主党の辻元清美氏の事務所窓ガラスが割られた事件。5月に逮捕された29歳の男は、「本人に危害を加えようと考えていた」と供述している。

 男が起こした事件はこれだけでなく、4月には大阪府茨木市のコリア国際学園に侵入して段ボール箱に火をつけ、5月には大阪市淀川区の創価学会の敷地に侵入。やはり窓ガラスをコンクリートブロックで割っている。

 そんな男の裁判が10月にあったのだが、法廷で、男は犯行動機について「立憲民主党は日本を滅亡に追い込む組織」「在日韓国・朝鮮人を野放しにすると日本が危険に晒される」「創価学会も日本を貶める組織」などと思ったことと語ったという。

 男が社会問題に関心を持つようになったきっかけは、旭川のいじめ自殺問題。そこからTwitterやYouTubeで情報収集をした果てに、立憲民主党、在日コリアン、創価学会を「反日的」と思うようになったという。

 男は法廷で、弁護人にヘイトクライムにまで発展したことについて問われ、「何か行動を起こさないといけないと思っていた」と語ったそうだ。そのあと、「善悪の判断がつかなくなっていた」と続けているが、やはり彼も「勝手な使命感」に駆られて事件を起こしたという点では二者と共通している。

 そんな三者に共通するのは、誰にも頼まれていないのに勝手に「日本のため」「世界のため」などという大義のストーリーを作り、社会や国を憂いた果てに事件を起こしているという点だ。また三者とも、20代、30代の若年男性という点でも共通している。

 気になるのは、彼らは少なくとも社会や政治に関心があったということだ。が、ひとたびネットで情報を集めると、ヘイトとデマにまみれた情報にあっという間に「ホイホイ」されてしまう。そうして「こいつらさえいなくなればすべて解決するのだ」といった短絡的なストーリーに絡め取られていく。

 そうしてデマが拡散されていくだけでなく、彼らはデタラメな情報を真に受けてこのような事件まで起こしてしまっている。

 膨大なデマとヘイトを前にして、いったいどうすればいいのか、途方に暮れそうになりながらも考えている。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。