「ひろゆき」なんか知らなかった
ぼくは最近、あまり物事に興味がなくなってきている。それが、歳をとったということなのだろうなあ、と思う。
興味のないことには関心も向かないから、ぼくは「ひろゆき」氏という人のことなど、ほとんど知らなかった。どうもSNS界隈では有名人らしいが、それはぼくの範疇外だ。別の「ひろゆき」氏ならやや関心があって少しは知っている。「細田ひろゆき」という。ほら、あのやたら逃げ回っているみっともない衆院議長ですよ。このコラムでも、彼の批判は散々書いてきたからね、もう親しみさえ感じている(苦笑)。
ところで、ぼくの知らない「ひろゆき」氏が、このところ、沖縄関連でやたらと目につくが、何なの、この人?
沖縄にはぼくはとてもひかれていて、毎年必ず、1度以上は行っていた(ここ2年間は、コロナのせいで行けていない)。それが30年以上にもなるから、ぼくの沖縄行は、優に40回は超える。だから、沖縄をざわつかせているこの「ひろゆき」氏が、ちょいと気になったのだ。
ぼくは、沖縄へ行けば必ず辺野古も訪れる。そして、短い時間だけれど「座り込み」にも参加する。そう、「座り込む」のですよ、ひろゆきさん!
「ひろゆき」氏は、わざわざ揶揄しに(本人は「なぜぼくが揶揄するかというと…」と実際に言っていた)辺野古へ行った。そして、座り込みがどうの、日数が違うの、辞書がどうの、字が汚いの、と言いまくっていた。
彼は沖縄へ、悪口を言うだけのために行ったのか。哀しいヤツだね。
まあ、そういう下劣な人がいるということも、残念ながら事実だから、アホかお前は!と、鼻で笑ってほっとけばいいと思う。けれど彼の、人の痛みを分かろうとしない、ほんとうに最低だと思う発言があって、ぼくも一言、言いたくなったのですよ。
ぼくは寡黙だった…
ひろゆき(ここからは敬称抜き)は、自らのYouTubeで沖縄の人たちの言葉遣いについて「方言があったりするので、文法的に主語が2個入っちゃったりとか、きれいな日本語にならない人が多い」と言った。実は、この部分にぼくはカチンときたのだ。「沖縄の人はきれいな日本語にならない」だと? ふざけんなよ、と思った。
ひろゆきがどこの生まれかは知らない。そんなことに興味はない。だが、自分が「共通語圏内」で育ったから、生れつき「フツーの言葉」を話せる、しかし沖縄の人たちは方言もあって文法がおかしい…と、高みから見下ろしての発言である。言葉の大事さを、まるで分っていない。
前にもこのコラムで書いたけれど、ぼくは秋田で1945年に生まれた。18歳で東京へ出てきた。最初は大学の寮に入った。
ぼくは、別におしゃべりではないけれど、それほど寡黙でもない、秋田ではごく普通の高校生だった。しかし寮に入ってからは、ほとんど話せなくなった。この寮では4人が同じ部屋で暮らしていたが、同室の先輩たちとも、あまり口を利かなかった。だって話すと、ひょいと秋田弁が出てしまうのだ。
ぼくが生まれたのは敗戦の年、むろん家にテレビなどあるわけがない。家にテレビが入ったのは、中学生になってから、そう、1950年代末のことだった。胸がドキドキしたことをいまでも鮮明に憶えている。
そのころ、周囲はすべて秋田弁だった。父母はもちろん、学校の先生だって、完全なる秋田弁で授業をしていたのだ。秋田弁で歴史を語る社会科の授業、想像するとちょっと微笑ましいでしょ? ナポレオンもリンカーンも徳川家康だって東北弁なんだよ(笑)。
今では秋田の子どもたちだって、きれいな「共通語」を話す。生まれた時からテレビを見て育ったのだから、それは当然だ。しかし、18歳まで秋田弁漬けだったぼくが、そんな「共通語」を話せるわけがない。だから、都会では「寡黙な少年」にならざるを得なかったのだ。
言葉は風土に根差す
ひろゆきは「方言があったりするので…」と言っていた。方言があれば、きれいな日本語は話せないのか? では、きれいな日本語とは何だ?
沖縄言葉は「しまくとぅば(島言葉)」といわれる独特な言葉だ。
秋田弁だって、秋田の風土が育んだ文化の賜物だ。つまり、言葉はその土地の文化の源なのだ。言葉なくして、文化は生まれない。「方言」とは、その地方の文化を象徴するものなのだ。それぞれの地方の言葉に「きれい」も「汚い」もない。
「標準語」などというのは、本来存在しない。それは高々「共通語」というだけだ。井上ひさしの『国語元年』など、ひろゆきは読んだことがないのだろう。
NHKアナウンサーの話すような言葉がいわゆる「標準語」だとされているようだけれど、それは実は、東京の「山の手言葉」の亜流に過ぎない。東京弁だって、下町言葉はそうとう訛る。「落っこちる」とか「ひっぱたく」、「歩(ある)って」など、他の地方では使わない言葉を平気で使っていたではないか。
ぼくの育った秋田や青森、岩手などの言葉にはとても濁音が多い。一説には寒さのために口を大きく開けないで話すために濁音が増えたし、言葉がとても短くなった…という。それが正しいかどうかは知らないけれど、まあ、なんとなく納得できる。
言葉はそんなふうに、地域風土に根差したものなのだ。それを「きれいな言葉にならない」などとけなすのは、まったく許しがたい発言だ。
言葉を笑うな!
秋田弁のために、ぼくがどれほど苦労したか。
ぼくが少年のころ、東北弁といえばほとんど笑い(それも嘲笑)の対象だった。
ラジオやテレビで、権兵衛(役)と田吾作(役)が「おら、はだけさ行くだんべ」「はだけさで何植えるだんべ?」などと、秋田では(東北でも)聞いたこともない言い回しで掛け合いをしているのを聞いて、ぼくら東北の少年少女がどれほど傷ついていたか。だいたい「だんべ」なんて言葉は使わない。
番組を創っているディレクターや演じている俳優たちは、笑いを取ろうとしていただけかもしれないが、言葉を笑い者にしちゃいけない。ぼくら東北の少年少女の腸は煮えくり返っていたのだ。これが「東北とは遅れた地域」というイメージを、どれほど日本中に植え付けたことか。
そんな間違った東北弁を1950~60年代ごろに、日本中に広めた俳優に若水ヤエ子という人がいた。この人が、ありもしない「東北弁(ズーズー弁)」を駆使して、ラジオや映画で大いに人気を得た。だが、彼女は実は東北出身などではなく、千葉県の生まれだと知って、ぼくは彼女を憎んだのだった。だいたい、ズーズー弁という言い方だって、妙に差別的ではないか。
ほかの地方の方言は、東北弁ほどバカにされない。例えば関西弁(大阪弁?)などは、出身者は平気で使う。訛りも隠そうとはしない。しかし東北出身者は、使えばバカにされる、と思い込まされてしまったのだ。それはなぜか。東北弁(≒ズーズー弁)を“笑いの道具”として消費し、商売にした連中がいたからだ。
1960年代、高度成長期にさしかかったころ、「金の卵」などと口先だけではおだてられて、不足した労働力を補うために、主に東北から大量の中卒の少年少女が都会へ集団就職で出てきた。たった15歳で故郷を離れた子どもたち。
その中には、過酷な労働環境に馴染めず職場を転々とした若者も多かった。そして、どうしても訛りが抜けない「東北弁」をからかわれて、ついに自殺してしまった若者たちも何人もいたのだ。
言葉を笑われることがいかに辛いか。
言葉は人をも殺すのだ。分かるか、ひろゆき!
「標準語」なんてないんだ
ひろゆきの「きれいな日本語にならない人が多い」という発言に、ぼくは自分の若かった頃のことを思い出したのだった。
いったいどういう文脈で、どんな言い回しを指して、ひろゆきは「きれいな日本語にならない」と言ったのか? 「主語が2個…」ってどういうことを指すのか? ぼくは何度も沖縄へ行っているが、そんな話し方には接したことがない。
言葉を大事にしない人が、自分の理解できないことに無理に言及して、正しいのは自分であり、「自分に理解できないことは正しくないのだ」と、一方的に決めつける。ひろゆきや彼のツイートに「いいね」を押すような連中は、それを「論破」と称して勝ち誇る。
違うね。それは「論破」などではなく、「自分に理解できないことは正しくない」という、まったくアホなヘリクツでしかない。自分の理解能力の欠如を棚に上げて「オレに分かるように説明しろ」と開き直る。
そう言われた側の人が、いくら丁寧に説明したところで「いや、そんなことは理解できない。オレに理解できないことは、オレにとっては正しくない」と言い放つ。これで議論が成り立つだろうか。
自分がたまたま「“標準語”圏内」に生まれたことがそんなに偉いのか。自分に理解できない「しまくとぅば」を話す人を「きれいな言葉ではない」と見下ろす発言は、ぼくにはどうにも許し難い。アンタはいったい何様だよ!
もし自分が方言の地に生まれていたら、などという想像力のカケラもない。
「標準語」などないのだ。たまたま権力が鎮座した場所の言葉を、権力が「標準語」と指定しただけだ。だからそれは「標準語」ではなく、せいぜいが「共通語」である。つまり、このひろゆきという人は、自分が権力の側にいるということを、はしなくも露呈してしまっただけに過ぎない。
沖縄の人たちは、そんなバカに関わる必要はない。
ただ「軽蔑」の一言を投げつければいいのだ。