第22回:カップラーメン炎上が語るもの、バッシングにかき消された本意(小林美穂子)

 9月24日にカップラーメンの値段をツイートした以下の連ツイ(連続ツイート)が炎上した。

 昼食代を節約しようとカップヌードルを買ったら231円。思わずレジの金額表示を三度見した。路上で暮らしながら空き缶や段ボール収集で雀の涙ほどの現金収入を得る人、ビッグイシューの雑誌販売者が量販店で100円のカップ麺を夕飯にしていたのを知っている。今後はカップ麺も高級品になるのか。
 家の無い人たちだけではない。生活に困窮している人たちが食べているのは100円ローソンや量販店で売られるカップラーメン。物価は上がるのに生活保護基準は引き下げられ、労働者の収入は上がらず、非正規労働者は貯金もできない中で、今後どうなるのか。国は、いつまで無策のまま突き進むのか。

 このツイートをすると、昨今の物価上昇を憂う人たちが次々と共感してくれたのだが、そのうちコメントや、投稿を引用して個人個人が意見を加筆する「引用リツイート」に変化が訪れる。

節約アドバイスの雨あられ

「スーパーで5個入りのうどんを買ってきて使うと節約になる」
「どこどこの量販店ならカップラーメンも安い」
「自炊や作り置きして冷凍すると安上がり」
「弁当を作れ」などなど。

 最初の投稿が引用リツイートだけでも1895件あり、コメント数たるや936件。とても読めないので、気が付いたものだけ目を通していたのだが、「いや、違うんだ。そういうことを言ってるんじゃないんだ」というもどかしさが募り、ほどなくして以下のツイートをした。

 カップ麺の値上げをツイートをしたら、安いもの情報をくださる方が多いのですが、そうやって頑張り限度をどんどん上げて「まだまだ!まだまだやれる!」と耐える限り、この国の労働条件は良くなりません。公助も寝たフリを続けます。その間に、最もきつい条件下を生きる人たちが亡くなります。
 もう耐えるのをやめてもいい頃です。格差はどんどん広がり、モノの値段など知る必要もない人たちがいます。政治はそちらを味方につけたいから優遇している。いい加減、粗末に扱われていることに怒ってもいい頃です。安価な製品・食品は安い労働力で作られています。労働条件、収入の底上げが必須。

 一投目よりも主張内容をダイレクトにしたつもりなのだが、この投稿は一投目以上に関心を呼び、より拡散された。しかし、このあと私が想像していなかった方向に展開しはじめる。バッシングと言葉の暴力が吹き荒れたのだ。矛先は、我慢強い国民の上にあぐらをかいて、貧困問題や経済格差に何の対策も講じない国に対して? と思うあなたはとても健全だと思っていいだろう。ハズレ。怒りと憎悪の矛先は私に向かったのだ。私は目をぱちくりさせて、本意からどんどん離れていく論争を見ていた。

ブルジョア認定される私

 どうやら一投目の「値段を見ずにコンビニでカップラーメンを買って、値段に驚く」という点がお気に召さぬようで、その部分だけが独り歩きし始めて、私はなんとブルジョア認定された。カップラーメンをコンビニで買うとブルジョアらしいです。
 そのこと自体が、現在の貧困の深刻さを物語っているというのに、なぜ怒りは政府には向かわずに、コンビニでカップ麺買って値段に驚いた私に向けられ、ブルジョア認定がなされるのか(というか、ブルジョアって悪口なの?)。
 不条理だ。周囲の人たちに話すと、みんなお腹を抱えて笑ってくれた。講演先でも結構な数の方々がツイートをご覧になっていたので、アイスブレークに役に立った。
 更に吉川ばんびさんが文春オンラインにこの現象を記事にして、「貧困ジャッジマン」というネーミングをつけてくれた(→『SNSで巻き起こる「カップ麺は贅沢か否か」論争から見えた、弱者を選別する“貧困ジャッジマン”たちの存在』)。
 生活困窮者に向けられる社会の視線を、とても分かりやすく、鋭く指摘してくださっていて、燃えた甲斐があったと思ったものだ。
 他にもこの炎上現象を書いた記事があったが、全体的に生活困窮者を見下している文章だったので、途中まで読んで離脱。

匿名性と暴力

 私のことを許せないと憤る人たちが次々と現れては、冷笑、攻撃的、暴力的な言葉や悪口、人格否定を、会ったこともない(会ったことがある人もいるかも?)私に向けて叩きつけていく。その暴力性は雪だるまのようにどんどん大きくなって、憎悪をぶつけていい対象、誰もが寄ってたかって叩いていい対象としての私が勝手に作られていく様は、見ていて怖いし、同時に不思議な感覚に陥った。一言で表すとすれば、「困惑」。
 だって、「ブルジョア」が悪口になっていたり、「お前は貧困じゃない」とか言われているけれど、そもそも私はどこにも自分が貧困だとは書いていないからだ。
 確かに私は税金の支払いにプルプルしたり、働けなくなった将来に向けて心細さを募らせる身ではあるが、現段階では貧困というほどではない。でも、裕福でもない。パン屋でサイズが縮小した上に衝撃を受けるくらいに値上がりした美味しそうなパン達を前に、トレイを持ったまま呆然と立ち尽くし、そっとトレイを戻して帰るくらいの経済感覚だ。買うお金は財布の中にある。しかし、パンにかけて良い金額のラインが私の中にある。そして、実際の私はカップラーメンは滅多に食べないが、ものすごく忙しいのでコンビニは利用している。
 食品や物価の値上がりは庶民の一人としてとても憂いていて、これまで買っていたものの銘柄を安いものに変えたり、買い物をする量を減らしたりはしている。そのくらいの「節約」はしている。
 しかし、一方で値上げは仕方がないとも思っている。それどころか、トイレットペーパーの幅が短くなり、ティッシュボックスの高さが半分くらいになった頃、あるいはカントリーマアムやさつま揚げが驚くほどミニサイズになった頃に、サイズや量を減らすことで凌ぐのではなく、値上げをするべきだったのだと考えている。もちろん、ものの値上げに連動して、賃金や生活保護費も上げなくてはならないのに、上げないどころか生活保護費に至っては削減し、誤魔化し誤魔化し、知恵と工夫で乗り切ったつもりになってきたところにコロナがやってきて、そのタイミングでロシアはウクライナに侵攻して、完全に詰んだ。
 もう、今更どうにもならないほどに膨れ上がったツケを、今、国民は一気に払わされているのではないか。これは果たして私達一人ひとりが背負うべきツケなのだろうか? 日本の賃金はバブル崩壊以降、30年間上がっていないのに。
 非正規雇用など不安定就労の拡大、上がらぬ賃金…そこにこそ、コンビニでカップラーメンを買うのが「贅沢」と罵られる理由がある。怒りをぶつける相手は私ではない。

(井上伸@雑誌KOKKOのツイッターより)

頑張り限度を引き上げて生活は楽になるのか?

 もちろん、苦境に対する耐性を競い合うように上げていくのも違う。
 「100均や量販店を利用すると安い」と節約術を磨いたところで、量販店が値上げをするのは時間の問題だ。そこでも買えなくなったら、食べられる野草をどれくらい知ってるかを競うのだろうか? それに関しては私も負ける気がしないが、そんな競争はしたくない。
 政治に対して文句を言わず、従順で、愚痴らず、前向きに生きるのが美徳となりつつあるこの国で、節約術の本が売れる。そのたびに「ちがーう!!」と心の中で叫んでしまう。
 私達が耐えれば耐えるほど、いいなりになればなるほどに、国は私達の苦しみを放置する。実際に放置し続けているではないか。
 「コンビニは高くて買い物ができない」
 その怒りを国に対してぶつけない限り、私達はどんどん安く買いたたかれる。コンビニでカップラーメン買った私などとは桁違いの富裕層たちが優遇され続ける。そんな富裕層たちは、税金まで優遇され、ネットでスケープゴートを探してガス抜きしている庶民からは想像もできないような暮らしをしている。だから、頑張り限度を引き上げるのはもうやめにしないか。
 権力側について政権批判する人間を叩いても、あなたは強くなれないし、生活が楽になるわけでもない。

誰もが生きられる世の中にしたい

 「こんなやつに支援される人がかわいそう」ともネットには書かれていたが、バブル期を経験した一人として、バブル崩壊以降に生まれた人たちの希望の無さに責任を感じている。こんな社会を作ってきてしまったのは私達(本当はもっと上の世代)だと思っているからこそ、金にもならない活動をしている。後進にもっとマシな社会を遺したい。
 ネット上で誰かを叩いてうっぷん晴らしをしなくても済むほどに、選択肢や可能性を広げたい。その一心であちこち走り回り、時間の隙間に「食べる時間がないけど何か温かいものをお腹に入れなくては」とコンビニの狭い通路を滑るように走り、手に取ったカップラーメンの値段にビックリしたというのがすべての事の発端だった。

 値上げに苦しむ人たちからもこれほどまでの集中砲火を浴びたのは、ジェンダー的な理由もあるのだろう。私が最近までツイッターに参入しなかった理由が、これまでにひどい目に遭わされている女性発信者たちを見聞きしているからだ。
 政権批判を許さない、モノ言う女性を許さない風潮は絶対にある。そんな環境下でどんなに嫌がらせをされても発信を続けたり、ときに休んでまた再開したりして闘う女性たちやマイノリティの方々を心から尊敬している。また、本質とは無関係の、ただのイジメのようになったタイムライン上で、果敢にも応援してくださった人たちの良識と勇気にも励まされた。ありがとうございました。

 最後に、こんなこと書けばまた叩かれるのは分かっているのだが、どうしても言っておきたい。
 私はねぇ、自炊がめっちゃ得意なんですよ!!
 人というものは、あなたの想像通りではない。攻撃的な文面を見れば鬼にしか見えないあなたも、実際は鬼ではないように。

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。