第240回:「墓参り」の愉しみ(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 秋晴れの気持ちのいい日、小春日和という。英語ではインディアンサマーというらしい。そんな休日には、ふらりと「墓参り」に出かける。といっても、別に自分の係累や友人知人の墓に参るわけじゃない。近所の霊園散歩に行くのだ。我が家では、それを「墓参り」と称している。
 家から車で10分ほどのところに、「多磨霊園」という大きな霊園がある。車を霊園の中に停めて、中をゆっくりと散歩する。ここは駐車禁止区域じゃないから、違反切符を切られることもない。安心して停められる(笑)。

 樹々がほんの少し秋色になってきた。まだ紅葉というには早いけれど、でも確かに秋の匂いがする。
 歩きながら、さまざまな墓を見る。
 日本にはほんとうにたくさんの「姓」があるものだと感心する。読めない姓の墓も多い。それを「〇〇と読むのかしら」と、勝手に推測しながら散歩する。「鈴木家之墓」はたくさん目につく。やっぱり「鈴木」姓って多いんだなあ、とちょっとうんざりしながら、それでも何となく親しみを覚える。
 ところどころに人影がある。よく見ると銅像だった。そういえば、五輪汚職の元締め(?)政治家の像を作ろうなんてアホな話が出ているという。ほんとうにアホだ。

 霊園の中は樹々が影を作り、風も静かに吹いて気持ちがいい。時折、お線香の香りが漂ってくるのもまたしんみりと楽しい。

 樹々が多いから、野鳥たちもたくさん見かける。今いちばんうるさいのはヒヨドリだ。ぴいぴいヒ~ヨヒ~ヨと、ひっきりなしに囀っている。甲高く聞こえる鳴き声は、多分、モズだろう。たまに、コンコンコンっと木を叩く音、コゲラだ。縞模様が可愛い。ギャーギャーと鳴くのはオナガ。きれいな鳥だが、悪声である。
 オナガと似たような声で叫ぶのが、緑色の派手さが目立つ「ワカケホンセイインコ」という鳥だ。名の通り、インコの一種だ。むろん、日本の鳥じゃない。
 元々南方の産で、ペットとして飼われていたものが逃げ出し、いつの間にか野生化して棲みついた鳥だという。我が家から徒歩10分ほどのお寺の境内の大きなサイカチの木が住処らしく、ここからいろんなところへ餌を求め飛びたっていく。霊園には実をつける木も多いから、かっこうの餌場になっているのだろう。
 冬の、木の実などの餌が少なくなるころ、庭の餌籠にヒマワリの種なんかを入れておくと時折現れるから、ぼくとはけっこう顔なじみだ。
 この鳥、近所に棲みついてから、もうずいぶん長い。ぼくが初めて見かけたのが20年くらい前だから、サイカチの巨木を住処にしたのはもっと前かもしれない。この鳥たち、年々サイズが小さくなっているような気がする。日本の気候に合わせて、次第に小型化しているのかもしれない。

 正門から入ってすぐの右手には「外人墓地」がある。そんなに広くはないし、横浜の外人墓地のような風情もないけれど、異国で死んだ外国人たち、その生と死を想像すると、なんだか粛然とする。そういえば『異国に死す』という小説があったな。どんな物語だったか、もう忘れてしまったけれど。
 ここはなぜか、中国人、イスラム系の方たちの墓が多いような気がする。ぼくには読めないペルシャ文字(?)の刻まれた墓石が多いのだ。
 日本での「外国人タレント」のはしり、ロイ・ジェームスさんの墓もここにある。
 そんなふうに、霊園をめぐる。

 「名誉霊域」という通りがある。この霊園のど真ん中を貫いている広い道。その左側には巨大な墓、東郷平八郎と山本五十六の墓だ。ふ~ん、名誉霊域ねえ…。
 ここは1923年(大正12年)に開園した霊園。明治の元勲や高級軍人の巨大な墓が、あたりを睥睨するように建っていて、なんとなく戦争のにおいもする。
 西園寺公望や高橋是清など、歴史上の人物の墓もたくさんある。それを見ながら、歴史を顧みるのもなかなか愉しい。共産党の徳田球一の墓も見つけたよ。
 大将だの中将だの、侯爵や男爵などと麗々しく刻み込まれた、ぼくの知らないお偉いさんたちの墓。それらに比較して小さいのは尉官以下の将校や軍曹や末端の兵士たちの墓。死んでもなお、墓の大きさには差別があるのだなあと、少ししんみりする。
 日本では、第2次大戦以降、「軍人の墓」はここにはないはずだ。この先もずっと、「軍人の墓」が、ここに建てられることがないように……。

 著名人の墓もけっこう多い。歴代の首相クラスの墓も多いけれど、そういう墓は、ぼくは素通り。北原白秋の墓は珍しく、きちんとした明朝体で刻まれていて、ぼくの好きな墓だ。「好きな墓」ってのもなんだか妙な言い方だな(苦笑)。
 他にも著名人の墓は多いけれど、中でもいちばん有名なのは、三島由紀夫の墓だろう。散歩の途中、たいていぼくはここに寄る。ごく普通の、何の変哲もない墓だ。それでもファンは今でも参るらしく、いつも花が絶えない。
 三島は、ぼくが学生時代、もっとも読み親しんだ作家だった…。

 ぐるりと外周を回り、時折、小道に迷い込んで1時間ほど。けっこうな距離になる。春は桜の名所、それも壁墓地の横の枝垂れ桜は知る人ぞ知る。秋は紅葉の見どころ。

 そんな風に歩いても、まだ物足りないときは、多磨霊園に隣接した府中市の最高峰「浅間山」に登る。「あさまやま」ではなく「せんげんやま」と読む。何しろ、標高79.6メートルという高山(笑)だから、ぼくのような老人でもすぐに登頂(!)できるのである。

 この辺りは、かなり鬱蒼とした森になっていて、山沿いに小道を一回りすると、2キロほど。いい運動になるのだ。それに、ここは野鳥の宝庫。ぼくのツイッターのアイコンのオオルリなどの珍しい鳥も、けっこう現れるらしい。撮影に最適の場所があり、水場や餌台も作られていて、隠れた野鳥ファンの穴場になっている。いつ行っても大きなカメラを三脚に据え付けた野鳥ファンたちが、必ず数人はいる。ぼくは邪魔をしないように、そお~っと通り過ぎる。

 この多磨霊園には約20万柱のお骨が眠っているという。
 静かに生涯を終え、家族と一緒の墓に眠れるのは、幸せというものだろう。

 今回は老人の休日のお散歩話。
 静かに歩くのはいいものだよ。
 みんな幸せになればいいのに。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。