第615回:安倍元首相銃撃事件から4ヶ月〜じわじわと心を蝕むカルト汚染〜の巻(雨宮処凛)

 安倍元首相銃撃事件から4ヶ月以上が経った。

 あの日以来、「パンドラの箱が開いた」かのように、旧統一教会と自民党とのズブズブな関係が白日のもとに晒されている(自民党だけではないが)。戦後日本の歴史そのものがひっくり返るような実態に、ただただ言葉を失うばかりだ。

 そんな中、私はなんだか放心している。

 この16年間、私は政治に対して声を上げ続けてきた。貧困問題はもちろん、特定秘密保護法や安保法制、はたまた原発問題に対してなど、数えきれないほどデモに参加し、時に主催し、また院内集会をし、原稿を書き、講演をし、声を上げ続けてきた。

 時にバッシングに晒されながらもそうしてきたのは、「いつかわかってもらえる」と思っていたからだ。この国の政権与党である自民党の人々に。

 そうして貧困・格差や非正規雇用、ロスジェネ問題や女性の権利について、そしてこの2年半はコロナ禍で必要な困窮者支援の緊急性について訴えてきた。議員会館での政府交渉にも何度も参加し、発言してきた。

 このようなことは、夫婦別姓やLGBT問題などなどに取り組む人たちもやってきたことだと思う。

 自分自身を振り返れば、時に世界の潮流や海外事例、そしてデータを駆使しながら、「政策としてこのようにした方がもっと多くの人が生きやすくなるし、日本全体にとってもプラスになる」ことをできるだけ丁寧に説明してきたつもりだ。ロスジェネ支援などについては経済効果だって試算したりした。そうしたことを積み上げていけば、きっといつか理解してくれて政策に反映される。そう私は素朴に信じていた。だからこそ、16年も続けてきた。

 だけど、そんなことはまったく関係なかったのだ。これまでの行動は、まったくもって全然一切、なんの意味もなかったのだ。

 旧統一教会と自民党とのつながりが明らかになればなるほど、そんなシンプルな事実を突きつけられる。

 だって、相手はカルトとズブズブなのだ。蓋を開けてみたら、そこには果てしない空洞が広がっていたような、なんだか狸とか狐とかに化かされたような、怒りを通り越して「ポカンとする」感覚。同時にこの4ヶ月、「いったい私、この十数年間何やってたんだろ」という思いがじわじわと大きくなっていて、徒労感のようなそれはボディーブローのように私をゆっくりと消耗させている。現在進行形で。

 旧統一教会問題が明らかになり始めた頃、思ったことがある。

 これ、他の国で起きていたら、どう思っただろうと。対岸の火事気分で、私たちはそのような国を「終わってる」と笑ったのではないだろうか。

 何しろ、保守を名乗るA国の政権与党が「愛国」などと言いながら国を売り渡すようなことをしていたのだ。しかも売り渡す先は、よりによって保守政党が敵視する姿勢を隠さなかったB国発のカルト宗教。しかもその宗教は、B国を植民地支配したA国は「エバ国家」であり、神に選ばれしB国は「アダム国家」、償いとしてA国がB国に尽くさなければならないなどと説いているのである。そのような教団のイベントや集会にA国の政権与党の議員たちが出席しまくり、来賓挨拶などをしていただけでなく、一部は政策協定まで結んでいたというのだからどこからどう見ても「カルトに乗っ取られた国」ではないか。

 もし、そんなことが他の国に起きたらとしたら、「映画かよ」と大笑いするだろう。しかし、それが現実で、自分が生まれ育ってきた国で起きているのだから、なんというか、本当に笑えない。本当に怖いし、これまで生きてきた土台がガラガラと崩れたような気持ちだ。

 と、そんなふうに打ちのめされながらも貧困問題に取り組む活動を続けているのだが、最近、カルト汚染が自分にもたらす影響をひしひしと感じることがあった。それは10月20日のこと。貧困問題に取り組む人々によって政府交渉が行われ、私は「コロナ禍での女性の貧困」について各省庁の役人たちに「もっと踏み込んだ対策を」などと訴えたのだが、どこかシラけてしまう自分がいることに気づいたのだ。

 コロナ禍では4回、政府交渉に参加してきた。これまでは「なんとかして政府に要求を聞き入れてもらわねば」という思いでいっぱいだった。しかし、今回。安倍元首相銃撃事件以来、初めての政府交渉の場で役人たちを前に訴えながら、頭の片隅にずーっと響き続けていたのは「果たしてカルトとズブズブの政権が担う政府と交渉して何か意味があるだろうか?」という言葉だった。

 この傾向は、非常に危険だと思う。これまでも、どれほど声をあげても変わらない中、時に「学習性無力感」に押しつぶされそうになりながら活動を続けてきた。が、今、私が直面しているのは、「学習性無力感」が裸足で逃げ出すほどの無法地帯だ。あまりにも空っぽで、論理とか整合性とかが一切通用しないカルトの世界。「政治への信頼が失われる」とか、そんなレベルをとっくに超えているのだ。

 このような状況は、数ヶ月後、数年後、この国に手痛いしっぺ返しを食らわせるだろう。

 「もういろいろ無理なんじゃないかな、カルトだし」と私まで諦めてしまいそうになる。思考停止したくなる。

 さて、旧統一教会の問題を受け、11月はじめ、被害者救済の新法が今国会に提出することが報じられた。が、その党内調整役が、ズブズブ度が非常に高い萩生田光一氏。この時点でもうブラックジョークになっている。

 また、統一教会との関係について「記憶にない」を連発、大臣を辞任した山際大志郎氏だが、なんとその4日後にはコロナ対策本部の本部長に就任。安定の「有権者を馬鹿にする」人事が続いている。

 客観的に、他の国の出来事だったら、と考えてほしい。こんな状況、驚愕しないだろうか。それが今、私たちに起きていることなのだ。

 とにかく、諦めてしまわないこと。疲弊しつつ、そのことを自分に言い聞かせている。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。