第244回:壊れゆく国(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

共産党区議の不用意な発言

 さすがに、岸田政権(というより自民党政権)はもう終わりでしょう。これだけ疑惑の連鎖が浮かび上がると、いくら自民党岩盤支持層のネット右翼諸氏だって、かばいようがない。だから、最近それらしき人々の勢いがない。
 反日だ! 売国だ! といつものように喚きたくても、それを強調すれば、彼らの大好きな安倍晋三氏にブーメランだもの、黙るしかない。
 ところがサッカーW杯に関して、ある共産党の区議さんが「日本代表は勝っちゃうしで、残念」などと、おかしなことをツイートしたものだから、ネット右翼諸氏の溜まりに溜まっていた憤懣が一気に爆発した。しかも共産党区議が相手だから、その噴出ぶりはすさまじい。考えてみれば、その区議さんもバカな発言をしたものだ。
 マスメディア、とくにテレビの異様なほどのサッカー報道に嫌気がさしている人は多い。ぼくだってそのひとりだ。ぼくは別にサッカーが嫌いじゃない(ラグビーのほうが好きだけれど)。W杯だって、試合を見ているのは楽しい。今大会も、夜中にひとりで日本戦を楽しんだりした。でもぼくは、「過剰」が苦手なのだ。みんなが一斉に熱くなって同じ方向に突っ走る「過剰な同調」が嫌なのだ。
 多分、あのツイッターの区議さんも、そんな軽い気分でツイートしてしまったのだろう。開催国カタールの人権侵害に抗議したドイツのサッカー協会の態度と、日本サッカー協会田嶋幸三会長のひどいコメントを比較して、この区議さんは「日本とドイツのサッカー協会の差を見せつけられちゃうし…」という前置きを書いているのだ。それはまっとうな批判だったのだから、そこで止めておけばいいものを、つい余計なことまで書いちゃった、というのがことの真相だろう。
 でもぼくは、そのツイッターを見た時に「あ、こりゃダメだ」と思った。スポーツと政治の絡みを批判する言説には強く反応し、「スポーツを政治の世界に引き込むな」などと叫ぶネット右翼の主張に、この区議さんは無防備だったということだ。当然のように〈反日! 売国!〉と罵倒されることなる。そういう反応が出るということに気づかなかったのなら、政治家としてはかなりお粗末だと思わざるを得ない。
 ネット右翼の人たちが、噴出場所を見つけられず、鬱々と自分の中に溜め込んでいた憤懣のはけ口を、この区議さんはわざわざ提供してしまったのだ。
 案の定、ネット右翼大爆発。いやはや、その罵倒ツイートの凄まじいこと。ここにはとても書けないような汚語のオンパレード。“ニッポン大好き”の人たちだから、誰に遠慮することもなく、ありとあらゆる罵声を浴びせることができた。しかも対象が、あの「共産党」である。ここぞとばかりのお祭り状態。
 久しぶりの鬱憤晴らしとなったわけだ。
 さすがに困ったのは、日本共産党。すぐに「あのツイートは区議個人の感想であり、日本共産党としての見解ではない」などとツイートもしたけれど、一度見つけた標的を、そんなに簡単に手放すネット右翼諸氏ではない。だって、ほかにパンチを浴びせられる対象が見つからないのだから固執するのだ。

ネット右翼の陥った矛盾

 安倍晋三氏の死によって拠り所を失った岩盤支持層とされるネット右翼層。比較的リベラルだとされる宏池会の岸田氏には、いまひとつ乗りにくい。しかも、閣僚は次々とドミノ辞任してしまう。岸田支持とは言いにくい。
 統一教会癒着疑惑は収まらない。ネット右翼諸氏も、教団創設者の文鮮明が徹底的な日本蔑視の言説を繰り返していたことを知れば、癒着議員を応援するわけにもいかない。教団を批判すれば、安倍批判につながってしまう。それでも安倍氏にすがるしかない。それが今、ネット右翼が陥っている矛盾なのだ。

 安倍派(清和会)には、安倍後継といわれる人物がまったくいない。もとはといえば、自分の権力維持のために、きちんとした後継者を育ててこなかった安倍氏自身の責任なのだが、ほんとうに人材枯渇の安倍派である。
 名前の上がっている“安倍後継”は、萩生田光一氏、西村康稔氏、下村博文氏、松野博一氏、稲田朋美氏、世耕弘成氏の6人らしいが、いずれもキズが目立ちすぎて、とてもじゃないけれど派閥の領袖としての器量はない。
 萩生田氏は政調会長として一定の権力を持つが、なにしろその傲慢な性格と言動には反発が多い。何より統一教会との関係の深さが致命的だ。
 西村経産相も傲慢体質は同じ。出張時にはお付きの官僚たちが「お土産係」だの「荷物運び係」、さらには「食事の好き嫌い調査係」などと気を使わなければならないほどの俺様ぶり。これでは人気が出るはずもない。
 下村元文科相に至っては、大臣時代に統一教会の「世界統一平和家庭連合」への名称変更を突然認めたことへの批判に対し、シラを切り通すという厚顔ぶり。
 稲田元防衛相は、安倍の秘蔵っ子として「初の女性首相候補」などと持ち上げられた時期もあったけれど、選択的夫婦別姓制度を巡って、高市早苗氏や山谷えり子氏などの党内ゴリゴリ右翼連中から目の敵にされて、あえなく沈没。
 さらに世耕参院幹事長や松野官房長官も名前が挙がるけれど「あんな小粒に派閥を任せられるか」と、ベテラン連中からは鼻もひっかけられないという。
 こう見てくると、いずれも帯にも襷にも短すぎて使いようがない。せいぜい、羽織のヒモ程度。いずれ、派閥内抗争が起きて安倍派分裂、というのが大方のジャーナリストたちの見方だという。

立憲民主と維新の共闘? 冗談でしょ!

 岸田政権の命運は、どう贔屓目に見ても長くはない。国政選挙がない3年間は安泰で「黄金の3年間」になるだろうと、岸田内閣発足当初は言われたものだ。しかし、岸田氏のあまりの愚図ぶりに、もう解散総選挙しか道はないとの意見まで出る始末。
 そこで、本来なら「好機到来!」と意気が上がるはずの野党なのだが、これがまたどうしようもない。それこそネット右翼に「じゃあ野党に任せられるか」と言われると、考え込んでしまうような状態が続いている。
 ことに、ぼくが危惧するのは立憲民主党と維新の会の接近ぶりだ。
 ぼくは、立憲と維新の選挙共闘は絶対的に拒否する。ぼくが重視する「憲法」「原発」「防衛」の3つのテーマでは、絶対に維新とは相いれないからだ。憲法は改悪の方向、原発は推進、防衛費増大の軍事大国化に賛成。これが維新の政策の肝ではないか。そんな政党と腕を組むなら、そんな腕は切り落とせ!
 統一教会被害者の「救済新法」では、たまたま共闘できているようだが、これが選挙にまで影響を及ぼしかねないほど、立憲泉健太代表は前のめりだ。ぼくは野党共闘を強く支持するけれど、立憲民主党+維新の会の共闘は、まさに別の「悪夢」の到来としか思えない。

この国は、もうダメかなあ…

 安倍氏の死に伴って、統一教会と自民党との凄まじいほどの癒着が暴露された。埋め込まれていた時限爆弾が、安倍氏の死をきっかけに爆発したのだ。安倍岩盤支持層のネット右翼は、そのため一時の勢いを失った。それはいいことだけれど、溜まった彼らの鬱憤の矛先が、別のターゲットへ向かった。
 今に始まったことではないけれど、安倍バンザイが言えなくなって、その分、彼らのヘイトは沖縄と在日朝鮮韓国人へ向かった。彼らにとっては、ヘイトの対象は何でもいいのか? ひたすら他人の悪口を言えればそれで満足なのか?
 自分と違う(と認識した)人たちを罵倒することで鬱憤晴らしをする。それは、人間としてとても悲しいことだとぼくは思う。
 ぼくは「沖縄タイムス(電子版)」を購読している。地元に密着したジャーナリズムの在り方を、この新聞は(琉球新報も含めて)体現している。それを極左だパヨクだと、読みもしないで罵倒する連中。そして、まるでせせら嗤うように皮肉を言う「ひろゆき」という人やその支持者たちを、切ない目で見ている。
 内田樹さんがこんなツイートをしていた。

朝刊開いて記事読んでいたら、「もう日本は終わりかも」という暗い気分になってきました。官民問わず、システムを管理する側の人たちには「それではお天道さまに顔向けできません」とか「ことの筋目が通りません」とか「人としていかがなものか」というふうに考える習慣がなくなったようです。(11月29日)

 同じ29日、電通や博報堂の「五輪談合」の記事を読んでの感想として、実はぼくも、こんなふうに呟いていた。

しみじみ、この国はもうダメかなあ…と感じている。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。