今年も残すところあとわずかだ。
2022年は2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、7月には参院選中に安倍元首相が銃撃されて命を落とし、そこから自民党と旧統一教会の関わりが次々と明らかになるなど、あまりにも不穏で怒涛な一年だった。
そんな2022年はある凄惨な事件から半世紀という年でもあった。
それは連合赤軍事件。
「政治の季節」を経た1972年、過激化した学生たちが「世界同時革命」などを目指し、「革命戦士」となるために山岳ベースで共同生活をした果てに12人が仲間によって殺害された事件だ。
死の入り口は「総括」。神聖な革命の拠点だというのに恋人といちゃついていた、指輪をつけていたなどの理由で「総括」が迫られる。その果てにある者は集団で殴られ、ある者は極寒の野外で縛られたまま放置され、次々と命を落としていく。
凄惨な「仲間殺し」に世間はドン引きし、この事件がきっかけで、この国の若者からは「政治や社会にコミットする回路」がことごとく寸断されたように思う。
例えば事件から3年後の75年に生まれた私は、小さな頃から政治や社会について目を塞がれ、社会に疑問を持とうものなら「社会のせいにするな」と牽制されるような空気の中で育ってきた。とにかく「若い奴らを政治に近づかせないこと」が「使命」とばかりに先回りして目隠しされるような感覚。しかし、あらかじめ政治や社会への回路が閉ざされると様々な問題はすべて「個人の責任」=「自己責任」となる。そんな思考回路は自らを責めた果ての自傷や自殺にも繋がっていくのだが、そのような「副作用」を当時の大人たちはおそらく想定もしていなかった。
さて、そんな私が連合赤軍事件を知ったのは20代のこと。その時の、さまざまなことが腑に落ちた感覚は鮮明に覚えている。
そうか、これがあったから私たちは政治からことごとく遠ざけられていたのだ。
過剰な自己責任論や「社会のせいにするな」という圧力、またその果てに生まれた冷笑的な空気の背景には、革命を目指した果ての若者たちのあまりにも悲惨な末路があったのだ。「こりゃ、日本中が傷つくわ」。そう思った。
同時に、連合赤軍を恨むような気持ちも生まれた。この事件のせいで、日本社会からどれほどの「まっとうな声」「当たり前の疑問」が奪われただろう、あらかじめ「なかったこと」にされただろうと。
このように、現在40代なかばの私は「連合赤軍の呪縛」をそこかしこに感じながら育った世代である。
しかし、数年前、私はこの国がその呪縛から解放された瞬間を目撃した。それは15年の安保法制反対運動の現場でのこと。大学生らによるSEALDsや高校生らによるティーンズソウルの台頭によってだ。若い世代が当然のように安保法制に反対の声を上げて続々と登場してくる姿を見て、「やっとこの国の若者は連合赤軍の呪いから解放されたのだ!!」と嬉しくなった。何か、歴史的な光景を見ている気がした。日本社会がそこに至るまで、実に43年という年月を要した。
11月23日、そんな若者たちと再会する機会があった。今年の夏に連合赤軍のイベントを主催した人が企画した「戦争」に関するイベントでのことだ。
安保法制の時、中学生・高校生で運動に参加していた人々は大学生になっていて、それぞれの立場で活動を続けており、「気候正義」などについて語っていた。そんな若者たちの姿はとても眩しかったのだが、その数日後、ある本を読んだ。
それは『虚ろな革命家たち 連合赤軍 森恒夫の足跡をたどって』。
出版されたばかりのこの本は開高健ノンフィクション賞を受賞。著者は平成生まれの佐賀旭氏で今年30歳。史上最年少での受賞だという。これまで、連合赤軍に関するイベントなどに出演するとだいたい私が一番年下だった(最近は大学生なども増えたが)。しかし、とうとう自分より若い世代で連合赤軍を書く人が現れたのだ。
帯には、以下のような言葉がある。
「28歳の青年は、なぜ革命を志し、なぜ同志を殺し、そしてなぜ自ら命を絶ったのか」
本書の主人公は森恒夫。この名前を知っている人はどれくらいいるだろう。年配の人は知っているだろうが、おそらく若い世代はまったく知らないだろう。
森恒夫は連合赤軍のリーダー。同志殺しを主導した森は72年に逮捕され、73年元旦、初公判を前に東京拘置所で首を吊って自殺している。
本書は、そんな森恒夫がなぜ運動に足を踏み入れたのか、そこからどのような経緯を経て連合赤軍に辿り着いたのかが多くの証言とともに綴られる。登場するのは「森君」の同級生や北朝鮮のよど号グループなどなど。
高校の剣道部で主将だったものの、今でいう「いじられキャラ」で運動神経もいいとは言えなかったこと。
しかし、大学に入り、学生運動を始めて激変したこと。
また、連合赤軍は赤軍派と革命左派からなるのだが、森恒夫が赤軍派側のリーダーとなった背景には、大菩薩峠の「福ちゃん荘」での大量逮捕(赤軍派は首相官邸襲撃を計画しており、その訓練のために集結したものの、凶器準備集合罪で大量逮捕される)、赤軍派議長・塩見孝也氏(この連載にもよく登場してきた世界同時革命おじさん、17年に死亡)の逮捕、よど号ハイジャックで赤軍派9人が北朝鮮に渡ったことなどがあること。
そこで最古参の森恒夫がリーダーになるものの、革命左派とどちらがヘゲモニーをとるかという「マウント合戦」が繰り広げられ、それが過激な総括へと繋がっていく。その経緯が関係者の口から語られる。
「銀行強盗やったくらい」の赤軍派と、交番を襲撃して死者を出し、銃砲店を襲って銃器弾薬を獲得し、さらに仲間二人を「処刑」している革命左派。
「口先の赤軍と、何も言わないけどやるときはやる革左みたいな関係になっているわけよ」(元連合赤軍の雪野健作氏)
しかも連合赤軍結成時、赤軍派メンバーは9人なのに対して革命左派は19人。どう考えても不利なのは森恒夫率いる赤軍派だ。
だからこそ、互いがささいなことでマウントをとろうとする。
例えば山岳ベースに来る時に水筒を持ってこなかった革命左派のメンバーを、赤軍派メンバーは執拗に非難する。これに対して革命左派のリーダー・永田洋子は赤軍派の女性メンバーが指輪をしていることを「革命戦士としての資質に反する」と批判する(結果、この女性は総括を迫られた果てに死亡)。これに対して森恒夫が打ち出したのが「共産主義化」という言葉だった。
が、何をどうすれば「共産主義化」されるのか、誰にもわからない。しかし総括は日常のささいなことをきっかけに行われ、死に至るまで続き、次々と犠牲者を増やしていく。
総括に消極的な人間も総括の対象とされていく。すでに指名手配されていた彼らは閉鎖的な山岳ベースで、不安と恐怖を増幅させていく。そうして疑いと敵意は次々と仲間へと向けられていったのだ。
以下、本書からの引用だ。
「人は何かを守ろうという防衛意識を持つとき、それには正義感に裏付けられた強大な加害性が伴う。『国を守るため』『防衛のため』と言いながら、多くの戦争は始まってきた。ナチスドイツのヘルマン・ゲーリングが第二次世界大戦後、アメリカ人心理学者のグスタフ・ギルバートと刑務所で面会時に話した内容の一説を引用する。
一般国民は戦争を望みません。ソ連でも、イギリスでも、アメリカでも、そしてその点ではドイツでも、同じことです。政策を決めるのはその国の指導者です。……そして国民はつねに、その指導者のいいなりになるよう仕向けられます。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやり方はどんな国でも有効ですよ。
『ニュルンベルク軍事裁判(下)』ジョセフ・E・パーシコ 白幡憲之訳」
そうして連合赤軍は、多くの仲間を殺し続けた。
が、彼らだけが特殊かと言えば決してそうでなはい。
「われわれは攻撃されかかっている」というやり方は、今も多くの国が利用している。当然、日本も例外ではない。
一方、組織のために「個」をなくすような教育は、企業社会では当たり前のものとなっている。
元連合赤軍で殺人8件、強盗致傷1件、強盗1件などで懲役20年の判決が下され、出所後は静岡でスナックを経営していた植垣康博氏は、日本の新入社員教育を「俺たちの総括と似ているよ」と指摘する。
「集団で自分の問題を語って自己批判する。(略)会社という一つの組織への順応というかね、考え方を含め組み込んでしまう。それが新入社員教育なんだよ。その新入社員教育で一番大事なのが個人としての自覚、意識、そういうのを解体する。これは連赤の総括要求と全く一緒」
本書には、ある新入社員教育の動画の様子が紹介されている。
講師の前で、何を言っても「本当のことを言いなさい!」「事実を隠している!」などと罵倒される訓練生。仕事はきれいごとではなくお金のためで、これから必死に仕事をすると誓約しなければ訓練は終わらない。
「建築家になりたかった夢をここで今、捨てます。これからは社長の命令に従い、必死で良い社員になるよう努めます」
何度もダメ出しされた果てにそう言って初めて「合格」となるのだ。
革命戦士となるために「個」を捨てた連合赤軍の姿と、それは非常に近いものに思える。そして今、「新入社員教育と同じ」と分析する植垣氏も、かつてはどっぷりとその中にいた。山岳ベースで恋人を殴るよう命令されて拒否できず、救うことができなかった。
彼の恋人は、総括の果てに命を落としている。
凄惨な事件から、半世紀。
今年は元日本赤軍最高幹部の重信房子が出所し、話題となった。
赤軍派議長だった塩見氏は17年に亡くなり、毎年、連合赤軍のイベントに出演する植垣氏は、今年のイベントには姿を見せなかった。
半世紀前の事件。やっとこの社会は連合赤軍の「呪縛」から解放されつつあるけれど、条件さえ揃えば誰だって森恒夫になる可能性はあるし、あらゆる組織は閉鎖的になるほど危うさと隣り合わせだ。
『虚ろな革命家たち』を読んで、改めて、いろいろなことを考えさせられた。