第251回:ぼくの個人的(アホらしい)抵抗運動(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

原発立地県の酒は飲まない

 「大寒」を過ぎて、寒さは一層厳しくなってきたような気がする。こんな時、やっぱり嬉しいのは熱燗だよなあ。日本酒好きのぼくにとっては、寒波を乗り切るいちばんの味方である。きりたんぽ鍋に秋田の地酒……黄金のバッテリーです。
 ところで、ぼくはかなり前からある個人運動(笑)を実施してきた。それは「原発立地県の酒は飲まない」というアホらしい運動である。福島原発事故以前からやっているのだから、まあそれなりに年季が入っている。
 むろん、醸造元にも酒店にも居酒屋にも何の罪もない。お前はバカか、と言われれば、まさに、はいバカです、ごめんなさい。
 なぜこんなことを始めたか。
 動機はマジである。
 それは1986年4月26日の「チェルノブイリ原発事故」に触発されたものだった。当時、ぼくはある月刊誌の編集部に異動したばかりだった。芸能誌から若者向け総合月刊誌への異動だったから、けっこう取材意欲に燃えていた。そこで原発事故に取り組み始めたのだ。高木仁三郎さんや広瀬隆さんなどに取材し教えを受け、それなりに原発の危険性を理解していった。
 でもね、そんなことより、ほんとうはもっと個人的な理由があったのです。
 1986年、ぼくの娘は6歳と4歳。可愛くて可愛くて、ぼくはメロメロの父親だった。様々な報道から、日本にも放射性物質の飛来が確認されていた。むろん、大した量ではなかったけれど、それでも影響がないとは言い切れないと思った。本気で娘たちの健康を心配していたのだ。
 自宅から多摩川が近い。子どもを連れての川遊びが休日の定番だった。しかし事故以来、ぼくは子どもたちに川に入って遊ぶのを厳禁した。意味の分からない娘たちは不満たらたらだったけれど、それでも許さなかった。雨の日は、なるべく外に出さなかった。雨にも放射性物質が含まれているとの情報もあったからだ。カミさんは加入していた生協のミルクの生産地をチェックして、放射性物質の値を公開するよう求めた。夫婦そろって、マジに子どもの未来を考えていたのだった。
 ぼくは、雑誌で何度も「原発記事」を特集した。当時、反原発運動はかなり盛り上がったけれど、どうも隔靴掻痒の感があった。そこで、何かもっと個人でもできるいい方法はないかと考えた。それが「原発立地県の日本酒拒否」というなんともアホらしい個人運動(?)だったわけだ。
 繰り返すが、醸造元や酒屋さんには何の罪もないし、ぼくも何の恨みつらみも持っていない。けれど、居酒屋で店員さんに「その酒はどこの?」と聞いて、新潟だとか福井、福島などと知れば、銘柄を問わず、ぼくは「じゃ、別の県の酒を」と言ってしまうのだった。すると、一緒に店に入った友人知人は、必ず怪訝な顔で「なんで?」と問いかける。ぼくは「原発立地県の酒は飲まないことにしているんだ」と答える。
 そこで、原発是か非か、という議論が始まる。まあ、けっこう政治的な思惑も絡む話題なので、最初から何のきっかけもなく話題にすれば座が白けるだけだが、立地県の酒ということになれば「そんなアホな」とか「へえ、面白いな」「じゃあ、あの県は?」「おれの県はどうだったけかな」などと話が膨らんで、ぼくはなるべくやわらかく原発のヤバさに触れることができた。
 とまあ、こういう仕掛けである。

与党のポスターが貼ってある店は忌避する

 2011年の福島原発事故もあって、けっこう厳密にこの運動を続けていたのだが、時間が経つにつれ、ぼくも最近はかなり軟弱になっていた。
 やはり飲兵衛の性、時折、立地県の酒しか置いていない居酒屋では、うーむ、今日はまあ仕方ないか…などとすぐに崩れてしまう。まことに飲兵衛はだらしない。
 しかし最近また、この個人的抵抗運動(なんて立派なもんじゃないけれど)を、やや厳密化し始めた。だって、岸田首相が「GX(グリーン・トランスフォーメーション)」などと訳の分からない横文字を使って、突然、原発の新増設・リプレースなどを言いだしたからだ。これは、日本のエネルギー政策の根本にかかわる大転換だ。だが例によって、国会に諮らず、国民にも問いかけず、政府の御用諮問委員会や経産省の御用専門家会議などの結論をいいことに、閣議決定という小狡い手法で決めてしまった。
 怒らないわけにはいかない。
 もちろん、この「マガ9」のコラムや、ほかの雑誌や機関紙で「書評」に託して岸田原発政策批判をするし、関わっている市民ネットTV「デモクラシータイムス」でも、できるだけの発信はしている。「鈴木耕の原発耕論」なんて番組も作っている。それにツイートやフェイスブックでも意見は書く。でも、やっぱり物足りない。
 で、またもアホらしい個人運動を始めたのだ。
 それは、店を選ぶこと。
 居酒屋や商店などで、よく店先に政治家のポスターが貼ってあるところがある。それを見て、店を選ぶことにしたのだ。
 連立与党のポスターがある店には入らない。その商店で物は買わない。ともかく、日本の原発建設を押し進めてきたのは与党両党なのだから、原発に関してはこの2党の責任は重いのだ。
 最近はコロナの影響で、友人たちと居酒屋へ繰り出すということもさっぱりなくなったから、前ほど「ここはあの党だからやめとこう」なんて話す機会もそんなにはない。それに、居酒屋さんだって、近所づきあいってもんがあるし客商売でもあるのだから「ポスター貼らせて」と頼まれれば、簡単にイヤとは言えないだろう。
 だから、店先に、複数の党のポスターが貼られている店もかなりある。そういう店は、ぼくは拒否しない。心情は分かる。
 だけど、与党2党だけのポスターが貼ってあるような店は忌避する。

抵抗しようよ

 はいはい、「お前はバカか」という声が聞こえてきます。いいんです、それで。自分でだって、これはちっぽけな「自己満足」「ひとりよがり」でしかない、アホらしい仕業だとよく分っているのですから…。
 それでも、どうしても今の自公連立政権に、ぼくは納得がいかない。ならば、自己満足でもいいから、自分なりのささやかな(アホらしい)抵抗をするしかない。まあ、個人的不買運動みたいなもんです。みなさんも、自分なりの不服従運動(そんな大仰なものじゃなくてもいい)を考えてみたらいかがでしょう。
 むろん、ぼくが支払う酒代なんか数千円程度のもの。何の抵抗にもなりはしないことは十分に分かっている。自己満足だと言われればその通りである。けれど、数人の飲み友達には、ぼくがなぜ自民党と公明党を拒否するのかを、酒を飲みながら(むろん、別の店で)話すことだって、ほんのミミズの心臓ほどの役には立つんじゃないか。

 岸田首相、そうとうヤバい感じになってきた。
 国防について「国民の決意を求める」なんて発言までし始めている。これ、考えると凄く怖い話だ。なんだか「戦争前夜」じゃないか。タモリさんが言っていた「新しい戦前」が、ぼくらの足許までひたひたと押し寄せてきているようだ。
 ぼくはそんな決意なんかしない。
 抵抗しようよ。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。