第252回:戦争を知らない議員たち(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 なんだか地球が怒っているような気がする。
 猛烈な寒波が日本列島を襲い、一方ヨーロッパでは時ならぬ高温が続いているという。まさに地球の地軸が狂い始めているような感覚に襲われる。そんな中でも戦火はおさまらない。こんな時に、戦争なんかしている場合か、とぼくは思う。

 日本は「戦争をしないと誓った国」だったはず。だが、岸田文雄首相は戦争準備に余念がない。この人も、なんだかとちくるってしまったようだ。地球の怒りの火に油を注いでいるとしか思えない。
 戦争は、究極の「環境破壊」である。事実、ロシアのウクライナ侵略が、地球温暖化にどれだけ悪影響を与えているか、測り知れない。

 ドイツはとうとう「レオパルト2」という世界最強と言われる戦車を、ウクライナに提供することを認めた。ドイツは第2次大戦の反省から「紛争当事国に武器供与はしない」と決めていた。ドイツがレオパルト2の供与を渋っていたのは、そういう理由だった。だが、ウクライナのゼレンスキー大統領は強く要望したし、EU各国やアメリカもウクライナへの戦車や兵器供与を次第にエスカレートしていった。
 そこでついに、EUやアメリカの圧力に屈して、ドイツも最強戦車の供与を認めざるをアなくなったのだ。
 戦争はますます泥沼化する。

 ロシアはもう歯止めが利かなくなった。住宅地や市街地に、ほとんど見境なく砲撃を加えている。死ぬのは兵士だけじゃない。女性や子どもや老人が、逃げまどいながら死んでいく。インフラを破壊された街で、寒さに震えながら耐える市民。しかし、終わりの見えない戦争に、疲れ果て凍え死ぬ。

 戦争は、兵士だけではなく市民をも殺す。それが現実だ。
 勇ましいニッポン人たちは、戦力を強化せよ、軍備を拡張せよ、戦争に備えよ、防衛費を倍増せよ、と叫ぶ。まるで、自分だけは決して死なないと思っているかのようだ。だが、ウクライナの現状を見れば、女性や子ども、高齢者たちが逃げまどい、殺されていっているではないか。

 台湾有事に備えるために、沖縄のとくに南西諸島への、自衛隊による基地拡張、ミサイル配備等が急ピッチだ。それに伴い、避難訓練だの避難用シェルター論議なども湧きおこっている。しかし、なぜそんな訓練なんかが必要なのか。基地やミサイル配備等がなければ、避難もシェルターも必要ない。いかに好戦的な国でも、なんの脅威もない平和な島を攻撃する理由はない。

 もし中国が台湾に攻撃を仕掛けたらどうなるか。当然ながら、アメリカは黙ってみているわけがない。となれば、米中衝突の危険性は高まる。しかしそれは、米中間の衝突であり、日本には直接かかわりない、はずだったのだ、これまでは。
 ところが、日本は必然的に、その衝突に関与することになる。
 安倍政権下で制定された「安全保障関連法(平和安全法制)」というものがある。それまでは行使できないとされてきた集団的自衛権というヤツを、これによってあっさり認めてしまったからだ。

 その安保関連法によって、「存立危機事態」であれば集団的自衛権を行使できるということになった。では「存立危機事態」とはどういう状況を指すのか?
 自衛隊法76条1項2号によれば「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」とされている。
 アメリカは「我が国と密接な関係にある他国」であると、日本政府は言うだろう。すなわち、もし米中対立が武力衝突に至れば、日本は必然的にアメリカの味方として参戦することになる、いや、参戦しなければならなくなる。

 「台湾有事は日本有事にあらず」と、本来なら考えるべきなのだが、こんなアホな法律を安倍政権下で作ってしまったために、日本は自ら選んで巻き込まれることになってしまったのだ。
 それこそがアメリカの望むことであり、もっと軍備を拡張せよ、アメリカの盾となれ、どんどんアメリカ製の武器を買え、防衛予算を倍増しろ、と岸田首相に迫る理由だ。それを唯々諾々と受け入れて、バイデン大統領に肩を抱かれてさもしい笑いを浮かべる我が国の首相の姿。見ているだけで切なくなる。

 繰り返すが、「台湾有事」は、本来「日本有事」ではなかったのだ。敢えてそれを「日本有事」として取り込み、軍拡を推し進める岸田文雄首相は、ぼくには「亡国の徒」にしか見えない。
 しかも、問題は「台湾有事」に限らない。例えば、南沙諸島や南シナ海などに進出する中国艦船と、太平洋の遠い対岸からそこまで出張ってきているアメリカ艦隊が、偶発的接触で何らかの衝突に発展したとすれば、それだって日本にとって「我が国と密接な関係にある他国」への攻撃とみなすことさえ可能だ。
 そうすれば集団的自衛権の行使もあり得る。

 また、北朝鮮が対米強硬策を続け、何らかの暴発で、たとえばグアム島の米軍基地にミサイルを撃ち込む、などという事態が起きればどうするか。親密国家アメリカへの攻撃である。ここでいわゆる「敵基地攻撃能力」が生きてくる。
 北朝鮮がミサイルのさらなる発射準備に入った。それが、グアム標的なのか日本標的なのかは分からない。しかし、日本はそれを「反撃」しなければならない。ここで「反撃力」と称して準備に入ったとみられる「敵基地」を攻撃する。
 戦争勃発である。

 こんな状況に、いまや日本がどんどん突っ込んでいっているように見える。それは果たして、ぼくの杞憂なのだろうか。

 ロシアのウクライナ侵攻によって、「そら見たことか、日本も危ない。軍拡せよ、準備せよ」の声が喧しい。しかし、ロシアはいま、日本にかまっていられるような余裕はない。だから勇ましい人々は「中国は危険だ、中国に対する備えを!」と叫ぶ。
 しかし、中国がなぜ日本を侵略するのだろうか。台湾をめぐる米中対立が軍事衝突に至る可能性は、軍事評論家の田岡俊次さんも仰っているように、ほとんど0%に等しい。経済的にこれほど深い関係にある両国にとって、軍事衝突など考えられない。もしそうなれば、両国の経済的損失は計り知れないからだ。
 したがって、日本に台湾有事が波及することも考えられない。ならばなぜ、日本はかくも唐突に、軍備拡張に走るのか?

 岸田首相は党内基盤が弱い。そのため、党内最右翼の安倍派の威光を忖度せずには政権維持ができない。その安倍派は対中強硬派、対米べったり派、勝共連合の息のかかった議員の多い派閥だ。それに引きずられていく岸田内閣。

 かつて『戦争を知らない子供たち』という歌がヒットした。戦争を知らない子どもたちは「平和の歌を口ずさみながら」歩いて行こうと決めたのだった。しかしいまや“戦争を知らない議員たち”が闊歩し、“軍拡の歌”や“戦争の歌”を声高らかに歌い始めた。

 ともあれ、まず岸田内閣を打倒し、安倍派を解体に追い込み、外交こそ真の抑止力という政権への移行を成し遂げるしか、いまの日本の閉塞感を打ち破る手立てはないのではないかと、ぼくは思う。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。