第253回:改めて、原発について(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

岸田首相のGX(グリーン・トランスフォーメーション)

 立春を過ぎたけれど、まだまだ寒さは厳しい。
 その厳しさに輪をかけるのが電気料金の高騰だ。すでに北海道などでは、毎月の電気代が10万円超という家庭も出ているという。電力会社の勧めに乗って、オール電化住宅にしてしまった家庭では、泣くに泣けない状態だ。母親が家計の足しにとパートで稼いだ分が、そっくり電気料金に消えてしまうのでは、たまったもんじゃない。

 そんな折、各電力会社では、ほぼ一斉に電気料金の値上げを予定している。多分、この4月から値上げされる。
 むろん、理由は燃料費の高騰だ。ウクライナ戦争で燃料費が上がって、それを電気料金に上乗せしなければならないのだという。それは分かる。しかし、分からないのは、それに乗じて岸田政権がGX(グリーン・トランスフォーメーション)などと訳の分からぬことを言い出したことだ。

 自民党政権というのは、何かをごまかそうとするときには、決まって妙な言葉を作り出す。岸田首相が言い出したGXというのもその例に漏れない。簡単に言えば「原発大増設」である。原発リプレースともいう。
 つまり、今まで自民党政権ですら言い出さなかった原発の新増設を始めようということだ。あの福島原発事故の反省など、ポイッとどぶに捨ててしまった。

電力供給の逼迫を理由として

 「電力不足が心配される。これからも燃料輸入が不足しないとも限らない。寒さを乗り切るためには新たな電源が必要で、それは原発しかない。また、原発は温暖化の原因ガスを排出しないクリーンなエネルギーだ。温暖化対策としてぜひとも必要な電源だ」というのがそのリクツだ。一見もっともなリクツに聞こえる。
 だが、こんな発言をする人は、原発は建設にどれくらいの期間と費用がかかるかを知っているのだろうか?
 原発新設の場合、建設に少なくとも10年以上はかかる。多くの場合、新設の場所探しから始まるから、現地の住民や立地自治体との交渉も必要だ。いまや原発を新たに受け入れる自治体がそんなに簡単に見つかるはずがない。それを考えると、新設には少なくとも15~20年ほどは見なくてはならない。
 これでは現在のエネルギー不足に間に合うはずもない。デタラメなリクツであることが分かるだろう。

 「廃炉にした原発の跡地に建てればいいではないか」とか「廃炉原発の敷地内に限ればいい」と言う人もいる。しかし、廃炉作業と新設作業を同時並行で行うことなど、ほとんど至難の業だ。同時にできる能力を備えたメーカーは見当たらない。
 だいたい、廃炉にいったいどのくらいの時間がかかるとお考えか。
 日本には54基の原発がある。福島事故以来、廃炉決定の原発はすでに21基、それ以前に決定済みの3基と合わせて24基の廃炉が決まっている。これからも続々と廃炉原発が増えるだろう。しかし、そのうち廃炉工事が完了した原子炉はまだ1基もない。それほど廃炉には時間がかかるのだ。気が遠くなる未来の話だ。

 反論が来るだろうから断っておく。実は、1基だけ廃炉完了した原発がある。しかし、これを「廃炉実績」に入れていいのかは疑問なのだ。
 日本原子力研究所(現在の日本原子力研究開発機構)の動力試験炉である。これは文字通り「試験炉」で、実際の電力供給にはほとんど役立っていなかった。
 1963年から76年まで運転、20年後の1996年に廃炉完了した。だが、この出力はたったの1万2500kWであり、現在の原発出力のほぼ90分の1という小さなものだった。こんな小さな試験炉でさえ、運転休止から廃炉完了までに20年を要したのだ。
 現在の100万kW級の原発の廃炉となれば、そんな短期間で終わるわけがない。しかも、廃炉作業に伴って出る使用済み核燃料の廃棄処分をどうするか。それがいまだに決まっていないのだ。

使用済み核燃料再処理工場と最終処分

 青森県の使用済み核燃料再処理工場は、昨年9月に26回目の完成予定延期を発表せざるを得なかった。1993年に建設開始、97年に完成予定だったが、それからほぼ30年かけても完成の見込みさえ立たず、沖縄辺野古新基地工事とともに「永久工事事案」ともいわれている、まことにアホな工事なのだ。
 その費用ときたら、当初は7千億円予定だったものが、ついには3兆円を超え、更に工事が延びれば、いったいいくらになるのか予想もつかない。

 核のゴミの最終処分場問題はなおさらだ。
 地下300メートル以上の深さに、核のゴミを埋めるというものだが、金で横っ面を引っ叩くようにして、北海道の寿都町と神恵内村で文献調査が始まっているものの、これはほんとうの初期段階で、実際に地下掘削工事にかかれるかどうか、まったく見当もつかない。
 とくに日本のような「地震多発国」では、どこに埋めようが危険性はついて回る。我々の後の世代へ、どうかお願いします、というわけか。

 つまり、再処理も進まないし、最終処分場など絵に描いた餅。これでいったい、54基もの原発から出る核のゴミをどうするつもりなのか。お先真っ暗なのに、さらに新増設だなどと、とても正気の沙汰とは思えない。
 オレたちが生きている間には、もう原発事故は起きるまい。後始末は、これからの世代に付け回そう。原子力ムラの住人や政治家どもは、そう考えているとしか思えない。無責任極まりない。

次世代新型炉?

 それでも、お調子者の岸田首相は、経産省におだてられ「オレがエネルギー革命の主役になる」とばかり、原発回帰路線をひた走る。それが突如登場したGXだ。
 そして「次世代新型炉」という5つの新型炉を提示した。では、その5種類とはいかなるものか?

(1)革新軽水炉
(2)小型モジュール炉
(3)高温ガス炉
(4)高速炉
(5)核融合炉

 以上の5種類が挙げられている。しかし、この中で実現性のある原子炉は存在するのか?
 まず(1)だが、なぜこれが「次世代型原発」と呼ばれるのか、さっぱり分からない。中身はほとんど従来の原発と変わらない。もしメルトダウン等の事故が起きた場合、デブリを受け止める「コアキャッチャー」というものが付け加えられる程度のこと。しかも、建設費は今や1兆円超ともいわれていて、経済性など完全無視。
 例えば、イギリスのサイズウェルC原発(160万kW 2基)は、費用総額は約4兆円だという。1基2兆円ということになる。
 (2)も同様、出力30万kW以下の小型原子炉で、部品の多くを工場で生産し現地で組み立てるので工期は短くなるという触れ込み。ただ小型というだけで、従来の原子炉と際立った差異はない。
 (3)~(5)に至っては、実現可能性が疑問視されているものばかり。
 最近、報道で「アメリカで核融合に成功」という記事が出た。一部の政治家(片山さつき氏など)が、核融合炉では核のゴミも出ないし、危険性もなく素晴らしい原子炉だ、などとテレビの討論番組で述べていたが、無知を笑うしかない。
 これは、ほんの一瞬時に核融合反応が起きたというだけで、継続した反応が起きたわけではない。しかも、もしこれが成功したとしても、1億度という高温に耐える炉が必要となる。それが現実に造れるかどうかは、神のみぞ知る。

原発運転期間延長

 もうひとつ、原発運転期間の延長問題だ。
 これはもう、メチャクチャというしかない。これまでは、原則の運転期間は40年間、規制委員会による“厳正”な審査を経て1度だけ20年間の延長もあり得る、としていた。ところがこれを、30年おきに審査して、その都度10年間の運転延長を可能とする、とした。つまり、30年後は、10年ごとに審査に合格すれば何回でも運転延長できるということだ。曖昧にしてはいるが、永久に運転し続けることだって可能となる。さらに、運転休止期間は運転期間に数えないというスゴ技を繰り出した。

 原発は定期点検が義務付けられているから、毎回数カ月の運転休止を余儀なくされる。休止期間は40年のうち10年ほどになることもある。これを運転期間とはしないので、40年にプラスしていい、ということ。つまり、運転期間は40年といいながら、最初から50年は可能ということになる。
 原子炉も他の機器も金属だ。当然、経年劣化は起きる。運転してはいなくても、時間の経過とともに劣化していく。原発自体は、当初から40年運転をめどに造られている。それを強引に引き延ばせば、何が起きるか分からない。

 それらを“厳正”に審査するはずの「原子力規制委員会」の劣化もまた著しい。ことに新しく山中伸介氏が委員長に就任して以降の姿勢は劣化どころではなく、もはや経産省(政府)の下僕である。原発の運転期間については「規制委が口を出すことではない、政府の決定事項」だなどと平気で口走る。いったい何のための規制委なのだろう。

原発事故は終わっていない!

 こんな記事が載っていた(東京新聞2月6日付)

東京電力福島第一原発では、6号機使用済み核燃料プールに保管されている核燃料の取り出し完了が、当初目標の2024年3月から25年9月までに遅れる見通しになった。東電が1月26日、発表した。
 6号機プールには1456体の使用済み核燃料が保管されていた。取り出しは昨年8月に始まり、これまで44体を1~4号機建屋の近くにある共用プールに移送した。(略)
 容器が密閉できないトラブルが発生。燃料に付着していた鉄さびなどの影響とみられ、燃料を1本ずつ洗浄する工程を新たに付け加える。(略)

 こんなところでも遅れが出ている。
 原発事故が終わっていないことの証左である。
 それでもなお原発新増設という「GX」を押し進めようとする岸田政権。
 ぼくには狂気の沙汰としか思えない。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。