第48回:「原発避難者追い出し裁判」&「原発事故避難者住まいの権利裁判」傍聴記「この裁判はおかしいです。判決はおかしいです」(渡辺一枝)

 原発事故によって暮らしの安全を脅かされ、東京の国家公務員住宅で避難生活を送る避難指示区域外からの原発避難者に対し、福島県は当事者の声も聞かずに追い出しにかかっています。この件に関して係争中の裁判を、1月13日(金)と16日(月)にそれぞれ傍聴してきました。今回の「一枝通信」は2件の裁判傍聴記です。

 まず、区域外避難者の住宅問題について、裁判に至るまでの経緯を以下にまとめます。

2011年
 東日本大震災・東京電力福島原発事故により3月17日に福島全域に災害救助法が適用され、被災者に国有財産の無償提供が開始された(国有財産法に地方公共団体が災害発生時に応急措置等に供するときは無償で避難先自治体に使用許可できる規定がある)。東京の場合は東雲・九段下・東久留米の国家公務員宿舎が該当した。

2015年
 6月、福島県知事は「2017年3月で区域外避難者への住宅提供を打ち切る」と発表。この時点で東京への避難者の大半は国家公務員宿舎を含む公営住宅に入居中で、住宅提供打ち切り後の住まいや生活費、先行きに大きな不安を抱えていた。

2016年
 7〜9月にかけて東京都の自主避難者向け都営住宅300戸の入居者募集があったが、収入要件・世帯要件が厳しく入居できたのは142世帯(対象602世帯)だった。
 12月、福島県は国家公務員宿舎に入居する区域外避難者に、最長2年間は現在の住まいに有償で継続できるよう国に要望し認められたと伝え、入居継続の意向調査を開始。

2017年
 2月、福島県は入居継続希望者に申込書、誓約書、貸付概要書面を送付し、4月には「国家公務員宿舎セーフティネット使用貸付契約」(セーフティネット契約)の契約書を送付した。この契約書には、申込時の概要書面にはなかった「貸付物件が天災その他の事由により損壊し第三者に損害を与えた場合にはその責を負うものとする」「契約終了後も明け渡さない時は貸付相当額の2倍の損害金を請求する」などの条項が書かれていた。

2018年
 3月末、財務省から福島県知事に国家公務員宿舎使用許可書が出る。県は4月、避難者に新契約書を送付。家賃駐車場ともに値上げし1万円近くの負担増になる人も。

2019年
 3月14日、衆議院東日本大震災復興特別委員会で政府が「3月末までに退去できない避難者については強制退去、2倍家賃請求などの事態が生じないよう福島県と共に最後まで努力していく」と答弁。しかし2週間後の3月28日、福島県は避難者に退去届提出を迫り、未退去者には2倍の家賃を請求するとの通知を送付した。
 これに対して、避難者は弁護士を通して福島県に、損害金ではなく使用料を払いたいと5月に申し出たが、県はこれを拒否した。そして福島県は7月には、退去できないでいる世帯に2倍の損害金の納付書を送付。以後退去するまで納付書を送り続け、退去者には日割りで損害金の請求をしてきた。
 そればかりか県は、避難者の親族宅の所在を不当なやり方で調べて、親族宅にまで退去を促す書状を送り、また親族宅を訪問して圧力をかけるなどした。

2020年
 3月25日、福島県はセーフティネット契約を結べなかった4世帯の区域外避難者を相手どり、東京都江東区にある「東雲住宅」の明け渡しと家賃未納分の支払いを求めて福島地裁に提訴した。避難者を被告にして県が訴えるという、まるで原告と被告の立場があべこべの裁判である。
 ⇒【原発避難者追い出し裁判】

2021年
 福島県は、避難者に退去期限通知を3度に渡って送付した。

2022年
 3月11日、東雲住宅と埼玉に住む区域外避難者11世帯が東京地裁に、住まいの権利を求め、福島県からの明け渡し・損害金請求で精神的苦痛を受けたと、福島県を訴える裁判を起こした。
 ⇒【原発事故避難者住まいの権利裁判】

1月13日、福島地裁:原発避難者追い出し裁判 第9回期日 判決

 これは、さまざまな事情でセーフティネット契約を結べなかった4世帯が福島県に訴えられた裁判だ。その4世帯の内、審理が併合された2世帯についての裁判を、私はずっと傍聴してきた。この裁判において県は、人の足を踏んでいながら「オレの足の下のお前の足を退かせよ。早くお前の足をどかせなけりゃ、もっと踏みつけるぞ」と、理不尽な言いがかりで弱いものいじめをするジャイアンみたいな態度なのだ。
 1月13日、開廷の1時間前から裁判所前の歩道で集会を持ったが、この日の裁判所職員たちの対応はとても異様だった。いつもは2人ほどの職員が、集会参加者の足が裁判所敷地内に入ると注意を促すのだが、この日は、その何倍もの職員が出てきて、しかも誰もがピリピリと神経を尖らせたような表情で、ちょっとでも敷地と歩道の境界線を踏もうものなら、即座に飛んで来て出て行けと言う。集会は歩道の真ん中を開けて通行人の邪魔にならないように左右に分かれて集まっているのだが、向こうから通行人が来るのがわかると職員はすっ飛んできて通行人を誘導し「歩道を空けてください」などとことさらに声を上げるのだった。それはまるで、「権力の犬」の様相を表しているようだった。

裁判官と傍聴人のみで、原告も被告も姿のない法廷

 開廷時刻は午前11時50分。この開廷時刻も、なんとも人を馬鹿にしたような時刻だと思う。法廷内は、原告席も被告席も空っぽだった。傍聴席だけが埋まっていた。被告席が空なのは、被告の避難者も代理人弁護士もこの裁判へのボイコットの意思表示で出廷しなかったからだ。一番前列の記者席は、珍しく全て埋まった。
 原告(県)の代理人が出廷しなかったのは、判決内容が判っていたからだろう。被告(避難者)とその代理人は裁判所まで来たが法廷には入らなかった。記者と傍聴人しかいない法廷で小川理佳裁判長はボソボソと聞き取れない声で判決を言い渡した。傍聴席から「声が小さくて聞こえない」と声が飛んだが、それには構わず主文を読み上げた。退去済みの避難者には未払いの家賃1,318,647円を、退去できていない避難者には未払い家賃と明け渡しまでの家賃1,475,268円の支払いを命ずる主文を読み上げたのだった。傍聴席が騒然とする中、小川裁判長はそそくさと逃げるように退廷した。
 この間わずか1分足らず、小川裁判長は入廷時から一度も傍聴席に顔を向けることもなく終始下を向いたままだった。

裁判は格闘技

 こんなことを言うと顰蹙を買うかもしれないが、裁判は論法による格闘技のようだと私は思っている。原告と被告双方が意見を出し合い、それらの意見から裁判長は審理をしていく。予め提出した準備書面の内容に則って、法廷では口頭で意見を陳述し、また相手方の陳述に対して反対意見を述べ……というように意見の応酬があって双方の主張が明らかになっていく。裁判官からの質問があればそれにも答える。こうして裁判官が、双方の主張をよく審理して判断するのが裁判なのだと私は思う。その判断が公正かどうかは、裁判官が真に民主主義に根差した曇りない目で審理を尽くしたかどうかによるだろう。
 しかし裁判官によっては、そのような体裁をとってはいても最初から片目片耳を塞ぎ、権力におもねって判断を下す、いわば「権力の犬」のような裁判官もいる。学校では「三権分立」と教えられてきたが、現実の社会では、そうではない事実を嫌というほど見せつけられている。ある人はこのような司法の姿勢を称して「三権連立」と揶揄していた。
 それでも、きちんと審理を尽くして判断する裁判官も居て、そうした裁判官の下した判決や意見に、私たちは司法への希望を繋ぐのだ。

被告と被告代理人弁護士が裁判をボイコットした理由

 この裁判は、初めから裁判長にはきちんと審理しようという姿勢が見えなかった。9回の裁判を傍聴してきて、私は原告代理人の陳述を聞いた記憶がない。原告代理人弁護士として4名の名前が挙がっているのだが、毎回法廷に出てきたのは30代後半か40代前半の、いつも同じ一人だった。それも原告席に座っている姿しか思い浮かばず、彼が意見を陳述している姿は全く印象に残っていない。
 被告とされた2人の避難者は法廷で意見陳述をした。その姿も声も、もちろんしっかりと記憶に残っている。被告代理人の大口昭彦弁護士と柳原敏夫弁護士は裁判期日のたびに意見陳述をした。私はメモをとりながら聞き入っていたし、熱い口調まで耳朶に蘇る。時には原告代理人に対して求釈明を申し立てた。「求釈明」などと言わずもっと平易な言葉を使えば良いのにと思うが、説明を求めることを表す言葉だ。そんな時にも、原告代理人からの返す言葉を聞いた覚えが私にはない。
 というのもそんな時には裁判長が、原告代理人に向かって「被告代理人からこのようなお尋ねがありますが、それは“カクカクジカジカ”ということなのですね」などと言い、原告代理人は裁判長の言葉に対して「はい、そうです」などと答えるばかりだったように思うからだ。もしかしたら私の思い違いかもしれないが、そんな印象しか残っていない。「論法による格闘技」の程をなしていない裁判だった。    
 裁判官は第7回までは小川裁判長の単独審査で、初めから県の主張を受け入れているような在り方だった。第8回で裁判官は3名の合議制になり小川裁判長は結審を言い渡したが、被告らは即座に「裁判官忌避」の申し立てをした。裁判官忌避とは、その裁判官が不公平な判断をするおそれがあるときには、当事者が、その裁判官が事件に関与することを排除されたいと申し立てることをいう。
 福島地裁は、この裁判官忌避を却下した。被告らは仙台高裁に即時抗告したが、それも却下され、最高裁に特別抗告した。その結論は、まだ出ていない。いま現に忌避を申し立てられている裁判官が判決を下すなど、民事訴訟法違反で明らかなルール違反の裁判期日であり、当然ながら出された判決も無効なのだ。被告・被告代理人は、そのような法律に違反した無効な裁判法廷に臨席することは、裁判官の違法行為を認めることになるとしてボイコットしたのだった。

被告らの主張

 この裁判で被告らが主張しているのは、被告らには居住権が保障されており、追い出しに応ずる義務はないことで、居住権の根拠は①国際人権法②県による裁量権の逸脱濫用にあるということだが、裁判所はこれらについてはほとんど検討せずに県の言い分を鵜呑みにして判決を出した。
 避難者への仮設住宅供与は災害救助法に基づいて行われたが、そもそも原発事故は被害の範囲も期間も、災害救助法が想定する天災とは大きく異なる。そして、放射能災害に適用されるべき法律は日本にはない。つまり「法の欠缺」状態にある以上、上位規範である憲法や国際法が適用される必要がある。たとえば、日本も批准していて国際法上の遵守義務がある「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」の第11条には「この規約の締約国は、自己及びその家族のための相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生活水準についての並びに生活条件の不断の改善についてのすべての者の権利を認める」とある。避難者の住居についても、この規約の内容に適合するような対応が求められるはずなのだ。
 国際人権法の専門家である青山学院大学の申惠丰(シン・ヘボン)教授は「放射線被曝防護の観点から、福島県の住宅無償提供打ち切りは、およそ正当化できない。県の明け渡し請求は明らかに違法性を帯びている」と意見書を提出している。

避難者の被告らは控訴

 福島地裁はこの裁判において、原告・被告の主張の争点整理がきちんとされないまま、また被告が申し立てていた証人採用も却下して証拠調べもしないまま、被告の主張する国際人権法や裁量権の逸脱濫用についてなんら応えようとせず無視した形で判決を言い渡した。
 閉廷後の記者会見で、被告の一人は「この裁判はおかしいです。判決はおかしいです。必ず控訴します」と言い、仕事の都合でこの日は福島に来られなかった他の一人の被告は「この判決には納得できないので控訴します」とメッセージを寄せた。
 引き続きこの裁判支援をしながら、控訴審の傍聴を続けようと思う。そもそも、避難者を訴えて被告席に座らせる県の姿勢は、断じて許されるものではない。

1月16日、東京地裁:原発事故避難者住まいの権利裁判 第3回口頭弁論期日

 これは避難指示区域外から国家公務員住宅に避難した11名が、先ほどの「追い出し裁判」とは逆に原告となって、福島県に対して精神的賠償と居住権を求めている裁判だ。2022年の3月11日に東京地裁に提訴し、この日、第3回口頭弁論期日を迎えた。この日は原告本人の意見陳述は行われず、代理人弁護士が意見陳述をした。その内容を下記に紹介する。

避難者代理人弁護士意見陳述

*柳原敏夫弁護士
 第2準備書面について主張を述べた。
 「被告・県は、この裁判で適用される法律は『災害救助法第4条』及び『災害救助法施行令第3条』だと言うが事実に反する。国は2011年3月13日、福島原発事故を含む東日本大震災に対し、著しく異常で激甚な非常災害である『特別非常災害』に指定し、翌年4月17日に『特定非常災害特別措置法第8条』に基づき、本件を含む東日本大震災の被災者が入居する応急仮設住宅の供与期間を1年間延長の発令をしているからだ。
 しかし、この裁判で適用されるべき法律は、この『特定非常災害特別措置法8条』でもない。国自身が2013年以降の応急仮設住宅供与期間の延長について、自ら同条の適用を引っ込めたからだ。では、何がこの裁判で適用されるべき法律か。
 結論を言えば、この裁判には適用されるべき法律はない。2011年3月以前にわが国は、原発事故という大災害を想定していなかった。原発事故直後の救助のみでなく、その後の低線量、内部被曝を想定した長期にわたる救助において、災害救助法をはじめとしてその他の法体系も、原発事故に対応した救助法は何も想定していなかった。その結果、原発事故避難者の救済に適用する法令が無い。“法の欠缺”状態であった。
 法の欠缺状態であるなら、欠缺の補充をする必要がある。その際に大事なことは法体系の序列論だ。①上位規範である『国際人権法』、その中でも居住地から避難を余儀なくされた『難民』『国内避難民』の人権保障に関する規定に適合するように“法の欠缺”を補充すること。②我が国の最高法規である憲法の『生存権』規定に適合するように“法の欠缺”を補充するべきである。
 この裁判における補充の方法は憲法の『生存権』及び国際人権法の『難民』『国内避難民』も人権保障の規定に適合するように“法の欠缺”が補充されるべきである。
 国家公務員宿舎の一時使用許可の期間及びその延長期間の決定行政主体に関する補充については、国が決定主体であり各自治体の長ではない。もともと災害救助法も特定非常災害特別措置法も、全国の都道府県を跨ぐほどの全国規模の広域にわたる過酷事故である原子力災害の発生を想定しておらず、全国規模の広域に及ぶ災害・避難が発生した福島原発事故に対して各自治体レベルで適切な対応を取るのは極めて困難である。国家公務員宿舎の無償提供期間の決定についても全国規模の広域に及ぶ状況を把握している国をおいて、他に適切な行政主体は見出し難い」

*林治弁護士
 第3準備書面の要旨を陳述した。
 「原告・避難者が『緊急連絡先』として福島県に提出した連絡先以外の親族の名前や住所を、被告・県は違法な方法で調べた。そして親族宛に、原告らは国家公務員宿舎の賃料や損害金を滞納していること、退去できていないのは原告らが怠慢であるからのように伝え、原告らが早期に立ち退き賃料を支払うようにと圧力をかけた。
 このことによって原告らは『親族との関係に多大な悪影響を与えた』『親族の住所を調べた方法は、個人情報の取得について法の趣旨を逸脱したものだった』『県による親族訪問は貸金業法で混じられている行為に類する行為である』と主張し、被告は原告らのプライバシー権を侵害した」

*井戸健一弁護士
 第4準備書面について陳述した。
 「東電は2022年5月、水中ロボットによる1号機格納用機内の調査の結果、原子炉圧力容器を支える鉄筋コンクリート構造物『ペデスタル』のうち、厚さ1.2mのコンクリート部分が溶けて失われていることを発表した。
 ペデスタルは原子炉圧力容器を支える部材だから、これが欠損すれば原子炉圧力容器の耐震性は大きく損なわれ、さほど強い地震動でなくても圧力容器が落下、転倒し、再び大事故が発生する恐れがある。この問題について三菱重工で原発設計などに従事していた森重晴雄氏は、400ガルの地震動が福島第一原発1号機を襲えば、原子炉圧力容器が倒壊し、原子炉格納容器を突き破り、格納容器内の大量の放射性物質が環境に放出される恐れがあると予想し、警告を発している。
 二度と放射能から逃げ惑うような経験をしたく無いと思い、避難元に帰還できない原告らの判断には十分な合理性があり、その判断は尊重されなければならない」
 井戸弁護士はまた、2022年秋に来日した国連の国内避難民人権特別報告者のセシリア・ヒメネス・ダマリー氏のステートメント(声明文)について述べた。
 「ステートメントにおいて、ダマリー氏は次のように指摘した。
〈国内避難民への支援が災害救助法で行われたが、自主避難者と呼ばれた人々に対しては相当程度の差別が存在し続けていた。
 国内避難民を支援するのではなく、説得して帰還させるか、またはいかなる支援も失う事態に直面させる方向に向かっている。
 福島原子力災害においては『強制避難者』と呼ばれる人々も、『自主避難者』と呼ばれる人々も国際法のもとで国内避難民である。災害を契機とする避難の権利は、移動の自由に基づく人権である。リスクからの安全を求める権利は、移動の自由と関連する権利である。
 住宅支援の打ち切りは、貧困な状態にある人々、生活手段のない人々、高齢者、障がいのある人たちに特に深刻な影響を与えてきた。国家公務員宿舎に居住している国内避難民は、彼らを相手取って提訴された立ち退き訴訟に直面している。政府は、特に脆弱な立場にある国内避難民に対して、住宅支援の提供を再開すべきである。
 国内避難民には、帰還・その地域での生活・他の地域での定住という3つの選択肢がある。決定をする権利は持続可能性に関する完全な情報に基づいて、自由にかつ自主的に実施されるべきである。
 予備的結論として、国内避難民は、強制避難指示を受けたか否かに関わらず、全員が国内避難民であり、日本国の市民と同じ権利と権限を有する。援助や支援を受けるという点での『強制避難者』と『自主避難者』という分類は、やめるべきである。人道的な保護と支援は権利とニーズに基づくべきであり、国際人権法に根拠のない地位に基づく分類に基づいて行われるべきではない。
 避難生活を続ける国内避難民に関しては、避難中には受け入れ先の地域社会への社会的統合という観点を含む、特に脆弱な人々のための住宅と生活手段の状況に関する基本的な支援が継続されるべきである〉
 このステートメントが現在の国際人権のレベルである。避難指示を受けていようと受けていまいと避難者には同様の人権が保障されなければならず、住居の決定は『持続可能』をキーワードに自由かつ自主的になされなければならず、避難者に住居を与える決定には、避難者自身が参加する権利が与えられなければならないのである。避難を続ける必要がある避難者から強制的に住居を奪うことは許されてはならない」

 私は一支援者として、また「原発事故避難者住まいの権利裁判を支援する会」代表世話人の一人として、この裁判も傍聴を続けていこうと思っている。次回の裁判期日は3月22日午後4時、東京地裁103号法廷で開かれる。多くの方の支援、傍聴をお願いしたい。

☆推薦図書

この二つの裁判で避難者側の主張の大きな支えになっている国際人権法についてもっと知りたいと思っていたら、格好の本に出会ったので紹介します。


『武器としての国際人権 日本の貧困・報道・差別』(藤田早苗著/集英社新書/1000円+税/2022年12月21日)

「私たちは、生活のあらゆる場面において人権を『行使』している。しかし、国際的な人権基準と照らし合わせてみると、日本では人権が守られていない。
 コロナによって拡大した貧困問題、損なわれ続ける報道の自由、なくならない女性の差別や入管の問題…そうした問題の根幹には、政府が人権を保障する義務を守っていないことがある。その状況を変えるためにはどうすればいいのか。国際人権機関を使って日本の問題に取り組む第一人者が実例を挙げながらひもとく」(カバー袖の文章より)


『災害からの命の守り方 ―私が避難できたわけー』(森松明希子著/文芸社/1700円+税/2021年4月20日初版第2刷)

もう1冊は原発事故後に郡山市から大阪に避難した、国内避難民の森松明希子さんの本です。
森松さんは「日本というこの国で、ごく普通に暮らす一般市民の私が、原発事故の被災者として、避難者として、一人の人間として伝えたいこと」として、この大部(473ページ)の本を書いたそうです。天災列島ともいえる日本で、また心憂うるニュースが新聞やテレビを賑わす日々に、平易な言葉で大切なことを伝えてくれる本です。多くの人に読まれて欲しい本です。

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渡辺一枝
わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。