第26回:遺体長期安置や遺骨の行方――身寄りなき人の意思は尊重されるか?(小林美穂子)

死後一年間、遺体安置施設に放置された人

 2023年1月15日、灰色の雲に覆われた午後、私たちはつくろい東京ファンドの同僚たちと東京都江戸川区にある瑞江葬儀所にいた。
 昨年1月に亡くなった和木さん(仮名)を荼毘に付すためだ。引き取り手不在のその方のご遺骨は光照院(台東区)にある共同墓「結の墓」に埋葬する予定で、葬儀所には吉水岳彦住職も駆けつけて読経をあげてくださった。
 亡くなってから火葬まで一年。
 なぜ、一年間もの長い間、和木さんは遺体安置場で冷蔵、そして冷凍されなくてはならなかったのか。瑞江葬儀所の待合スペースに飾られた「尊厳」という書を見上げながら、私は申し訳ない気持ちと押し寄せる疑問の中にいた。なぜ、こんなことが起きてしまったのだろうかと。

身寄りのない方が死亡した場合

 和木さんが亡くなった昨年の冬、同時期にもう一人お亡くなりになった高齢者がいた。
 亡くなった直後であったこと、第一発見者が医療機関のスタッフであったこと、ご家族とも連絡が取れたことなどが幸いし、速やかに葬儀を執り行うことができた。
 私たちはその後、増加の一途を辿る生活困窮者支援に忙殺されて、和木さんがどうなったかについて顧みなかった。福祉事務所によってとうの昔に荼毘に付され、合祀されているものと思い込んでいたのが、今年に入って、和木さんがまだ冷凍庫にいる事を知って仰天した。
 福祉課課長に確認すると、「引継ぎの不手際」という説明と謝罪を受けた。その謝罪は私たちではなく、和木さんにこそ向けて欲しかったが、事務手続きが引き継がれず、和木さんは置き去りにされていたのだった。
 だが、しかし……とりわけ都市部であれば遺体安置場の数も少ない。コロナ禍で死亡者が増加する中、安置スペースが回転しないことで葬祭会社もお困りではなかったか。保冷施設は費用もかかり、葬祭会社の負担は無視できない。福祉事務所内での引継ぎミスがあったとしても、どうして1年も放置するに至ったか。
 キャリアの長い福祉事務所職員も同席していたが、「過去20年間で初めてのこと」と言った。和木さんの出来事を受け、福祉課では再発防止のための話し合いが持たれているという。
 説明を受けても私の疑問は晴れていない。しかし、和木さんが放置されていた責任は私たちにもある。私たちが気づいていたら、こんなに長い間放置されなかったはずだから。

 この一件から私は、自分がこれまで身寄りのない方の死後、どのような手続きが踏まれ、どうなるのかについて、全く無知だったことに気づかされた。そこで複数の葬祭会社や身寄りのない方の遺骨を埋葬する寺院、あちこちの自治体職員や元職員に取材をし、調べることにした。しかし、調べれば調べるほどに、ことは明確になるどころか曖昧になり、問題点はあらゆる過程に存在していることを知るに至る。
 数ある問題点の中でも、まず最初に不可解に思ったものが、死亡届人を定めた「戸籍法」である。死亡届人の署名がされた死亡届が役所に提出されて、はじめて火葬ができる。

身寄りのない方が死亡した場合、フロー

 戸籍法の説明の前に、身寄りのない方が亡くなった場合のフローを説明しよう。下記は私が調べた限りだが、実際の運用は自治体によって法の解釈に幅があり、地域によっても異なる場合がある。

【病院で死亡した場合】
 身寄りのない方が病院で亡くなった場合、病院の院長が死亡届を役所に提出する。死因は病死と特定できているため、不審死の疑いは除外され、警察は絡まない。生活保護利用者であれば、葬祭扶助によって自治体が火葬、合祀。

【施設で死亡】
 まずは警察が遺体を引き取り、監察医務院や病院にて検視がなされ、事件性の有無や死因をある程度特定後、葬祭会社に遺体が移送される。身寄りがない場合は、施設長やかかりつけ医が死亡届を役所に提出し、生活保護利用者であれば葬祭扶助で火葬、合祀。

【路上で死亡】
 路上で亡くなった方が身元不明の場合、「行旅病人及行旅死亡人取扱法」によって地元自治体が火葬する。警察→自治体→火葬→合祀という流れ。身元の調査をしても判明しなかった場合、○○太郎や○○花子といった形で名字にあたる部分には自治体名を入れた仮の名前が付与されたり、自治体によっては番号が振られて火葬、合祀がなされる。

【部屋で死亡】
 アパートの部屋で亡くなった場合はどうか。和木さんは生活保護を利用していて、ご自分の部屋で亡くなった。
 まずは警察が入り、事件性がないかどうかを調査。ご遺体は警察署に移送され、監察医(または病院の医師)によって検案がされ、死亡推定日や死因が特定される。監察医の検案が終了すると遺体は葬祭会社に引き取られ安置される。同時に警察による身元確認調査。
 必要な場合はDNA鑑定で個人の特定がされるが、親族が協力を拒むと難航を極めることになる。ここまでは施設でお亡くなりになる場合とフローは一緒。
 異なるのは誰が死亡届を提出するかという点である。
 身寄りがない人がアパートで死亡した場合、届出を出せる手続き対象者は、「戸籍法」によれば、家主、地主、家屋管理人、土地管理人、または成年後見人となる。
 「地主」――つまりその土地や家屋の持ち主(大家)ということなのだが、今の時代、地主はその土地に住んでいないことも多い。東京にいない場合も多いし、海の向こうかもしれない。そんな「地主」から火葬のゴーサインをもらうことは至難の業だ。

戸籍法第八十七条 届出について

 戸籍法第86条、第87条によって死亡の届出をする人は以下と決まっている。

 〈親族、同居者、家主、地主、家屋管理人、土地管理人等、後見人、保佐人、補助人、任意後見人、任意後見受任者〉

 また、戸籍法には記載されていないが、かかりつけや入院先の病院長や入所施設の施設長、警察署長でもOKらしい。
 成年後見人制度にはお金がかかる。公正証書を作成し生前の意思を遺すことは、生活保護利用者にとっては資金的に難しい。となると、身寄りのない生活保護利用者が部屋で亡くなった場合、その死亡届に署名できるのは、地主(大家)や家屋管理人にあたる不動産会社の社長になるのだが、部屋の残置物整理や原状回復費もかかる上に、個人情報も記載しなければならないとあって断られる場合も少なくない。
 どうしても戸籍法が定める届出人が確保できない場合、死亡者が生活保護利用者であれば、自治体の福祉事務所長が届出人となり、法定の届出人が確保できなかった旨を説明する「理由書」を付けて戸籍課に提出するという柔軟な運用をする自治体もある。しかし、残念ながら、死亡届に署名するのを断固断る福祉事務所もあるそうだ。その場合、誰が死亡届人を探して交渉をするのだろう。
 死亡届が提出されなければ火葬はできず、ご遺体はいつまでも葬祭会社の冷蔵庫や冷凍庫で安置される結果になる。また、先に触れたように、身元の判明に時間が掛かる場合も長期安置されることになる。冷蔵ののちに冷凍庫に移され一年も経過したご遺体は、「もう棺を開けて確認することもできない状態になっているでしょうね」と、ある葬祭会社の社長は憤った。

では、火葬が早ければいいの?

 路上生活者や旅行者など、外部の人間が多く集まる地域の自治体は、火葬までがとてもスピーディな傾向にあると感じている。経験値の高さにもよるのだろうが、その多忙さを考えると、どんどん手続きを進めないと忙しくて回らなくなるからだろうと想像している。しかし、またもや私の頭には疑問が湧きあがってくる。
 身元の判明はできているのだろうか?
 死亡届出人は誰がなっているのだろう?
 先ほども書いたように、関係者にお話を伺って分かったのは、身元不明の死亡者の場合、その後の身元調査のためにできるだけ手がかりを残した上で、行旅病人及行旅死亡人取扱法に基づき自治体が進めるということだ。前述のように、その際に氏名不詳なため、○○太郎、○○花子のように仮の名前が付けられるが、自治体によっては名前ではなく番号がつけられ、火葬、合祀されるのだそうだ。
 しかし、仮の名前で火葬されてしまうと、おかしなことが起きる。その人は、戸籍上は生き続けるのだ。だから、戸籍上は150歳とか、200歳とか、永遠に死なない人がこの国には何人も存在しているということで、何とも不思議な話である。

私が私である証明

 取材していてずっとモヤモヤしていた。モヤモヤの正体は、自治体、または警察署や警察官によって運用がまちまちすぎると感じたからだ。
 戸籍法で定められた死亡届の届け出人が誰も引き受けない場合は福祉事務所長でも可だったり、不可だったり、警察署が身元特定にこだわる場合とあまりこだわらない場合があったり、葬祭扶助の申請書フォーマットが各自治体によってバラバラで、その判断基準も自治体によって異なっていたり、手続きが厳格すぎる地域とそうでない地域があったり――それぞれ現場の運用が異なるために分かりにくいし、何が正解なのか分からない。
 戸籍法や墓地埋葬法という法律に一応は基づいているものの、実際の運用は三者三様で、管轄する担当者が何を優先させるかで変わってくる。その一貫性の無さによって、関わる人たちは大変な思いをしているし、なにより、故人が不利益を被ってしまっているように思えた。

生活保護利用、身内が確認、それでも氏名不詳?

 数年前、ある支援団体のシェルターで暮らしていた生活保護利用者が亡くなった。
 死後、日が浅いうちの発見であり、ケースワーカーも、関わってきた支援団体もご本人と確認したにもかわらずDNA鑑定がなされた。鑑定結果が出るまで、その人は半年以上も安置された。ところがこの鑑定が裏目に出てしまう。唯一の親族である妹さんとは異母(父?)兄妹だったために遺伝子が完全には適合しなかったのだ。そのため、戸籍があり、名前を持ち、妹もいたその人は、「氏名不詳」として荼毘に付されてしまった。
 生活保護を利用していて、戸籍照会もされていて、担当ケースワーカーが認めていて、支援団体のスタッフたちもその人を知っている。それでも名無しの権兵衛としてこの世を去ることの悲しさ、やるせなさ。
 過去に遺体を別人と誤って火葬してしまったケースがあったに違いない。しかし、どこまでも厳格にしたところで、その人がその人である証明など完全にできるのだろうか。

 少なくとも生活保護を利用していれば、身寄りがなくてもケースワーカーや支援者はその人が誰だか知っている。戸籍に記されている親族に一報を入れるのは良いとして、ご遺体を安置し続けて、なにがなんでもDNA鑑定での身元特定をするのは、関係者の負担も多いのではないだろうか。
 そして、死亡届出人になることを拒否する大家や不動産会社社長に頼み込んで時間を浪費するのではなく、福祉事務所長の届け出で速やかに葬儀が行われるようにして欲しい。
 それにしても……故人が生前希望していた旅立ちの形は、どうしたら尊重されるのだろう。
 「お金がなくて身寄りもない人の立場が一番脆弱なんです」
 取材した葬祭会社のスタッフが悲しそうに言った。
 人生の閉じ方、その時の見送られ方は尊重されるべきだが、法律的にそれをするにはお金がかかる。自分の代わりに意思を尊重してくれる親族も、いない。

最大の原因は結局「人手不足」

 調べれば調べるほど、開けてはいけない扉を開いてしまったような気がした。
 「問題がたくさんありすぎて、何をどうすればいいのか分からなくなってしまいました」と両手で頭を抑えたまま困ってしまった私を諭すように、「一つ言えるのは、長期安置などの問題の原因には自治体福祉事務所の人手不足があると思うんです」と葬祭会社のスタッフは言った。
 「福祉事務所のケースワーカーが増えて、一人あたりの担当する世帯が減れば、訪問回数も増やせると思うんですよね。そうすれば利用者さんの体調にも気づきやすいし、仮にお亡くなりになってもすぐに見つけてあげられると思うんです」
 ああ、福祉事務所の人手不足のしわ寄せは、利用者の死後にも及んでいるのかと溜息をついた。
 2022年、愛知県名古屋市ではコロナ禍の忙しさを理由に、身寄りがなく死亡した13人を火葬せず、最長3年4カ月間にわたり葬祭会社の保冷施設に放置していたことが新聞で報じられた。2018年には千葉県市原市が生活保護受給者や身元が分からない人の遺骨57柱を最長3年間も市庁舎内のロッカーで保管していた。

 家族や地域との関係がかつてとは様変わりした現代に、全く現実的ではなくなった戸籍法が苔むした状態で使われ続けている。現実的ではないルールだから関わる人たちに不利益をもたらす、負荷をかける、その果てに利用者の尊厳は著しく損なわれる。
 扶養照会もそうだが、血縁主義に依存する戸籍法もいい加減アップデートする必要があるのではないだろうか。

遺骨の行方も闇

 ご遺体を保冷施設に長年安置してしまった名古屋市や、遺骨57柱をロッカーに保管したままだった市原市のケースでも感じたことだが、生きている人間の尊厳や人権を守る余裕がない社会では、死者の尊厳は尚のこと守られるはずもないということだ。
 ある葬祭会社の社長は、有名な大寺が無縁仏の遺骨をあまりに乱雑に扱うのを見て、以来その寺だけは使わないと決めたと苦々しそうに話してくれたし、新聞記事を検索すると、マンションのゴミ集積所に遺骨を捨てた「改葬」請負人の男が逮捕されていたりと、遺骨の扱いもなんだかすごいことになっていた。
 納骨や墓地も一部ではビジネス化しており、特に土地が高い都市部では最近立体駐車場型の納骨堂が増えている。そこでは遺骨を全部納骨するとスペース効率が悪いため、数を稼ぐためにもキューブ状に圧縮した骨の一部を納骨するのだが、では、残りの骨はどこに行ってしまうのだろうか。どのように扱われているのだろうか。気になるところだ。
 いろいろな宗教観があるものの、私は自分とご縁のあった方がその人生を閉じたあと、放置されたりぞんざいに扱われたりするのは辛い。それが知らない人であっても。

脆弱な立場に置かれた人も大切にされる社会

 身元不明者の孤立死は年々増加の一途である。
 2010年にNHKスペシャルが報道した 「無縁社会~“無縁死”3万2千人の衝撃~」は社会に衝撃をもたらした。あれから13年、隔絶して暮らす独居高齢者の数は増えているだろう。今後も身元不明の遺体となる方の数は、増えることはあっても減ることはない。
 どうしたら、その人の生前の意思が尊重され、尊厳のある死に方ができるだろう。
 故人に関わった人たちが見守り、これまでの人生を労わり、懐かしみ、親しみながら大切にお見送りできるだろう。それは故人のためだけでなく、残された人たちにとっても大切な別れのプロセスだ。
 生きている人間の尊厳すら守られないこの国で、この国の行く末を憂い、悩み、先立った人たちに語りかける日々が続いている。

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小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。