第122回:WBC出場のチェコの選手たちに思うこと(想田和弘)

 先日、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本vsチェコの野球の試合が配信で生中継されていることを知った。テレビを自宅に置いていない僕は、莫大な放映権が発生するドル箱のスポーツ中継もネット配信されるようになったのかと驚いて、画質等に対する好奇心もあり、ちょっとのぞいてみた。

 果たして、光回線でも動きがときどきカクカクする。画質は完璧ではない。しかしそれが気になるのは僕のような映像を生業とする人間だけで、たぶん一般の視聴者には何の問題もないだろう。テレビは確実に配信に取って代わられつつある。

 しかし今回中継を見て一番驚かされたのは、そんなことではなかった。チェコの選手たちが、みな野球以外に生業を持つアマチュアだという事実に驚いたのである。

 しかも彼らの戦いぶりが凄かった。

 たとえば、本業が電気技師だというオンドジェイ・サトリア投手は、速球のスピードが120キロ台しか出ない。あまりに遅いのでアナウンサーが解説者に「これは(変化球ではなく)速球でしょうか?」と確認してしまったくらいだ。

 ところがこの投手相手に、一流のプロ揃いの日本代表がなかなか打てない。それどころか、あの大谷翔平まで、三球三振に打ち取られてしまった。変な言い方だが、野球では一円も稼いでないであろう電気技師が、43億円以上の年俸を誇る世界のスーパースターを手玉に取ったのである。

 それだけではない。

 日本代表の先発投手は、あの佐々木朗希投手である。最速164キロの超豪速球を投げる、若手のスーパースターだ。僕が野球少年だった頃は、世界最速の男といえば162キロを投げる大リーグのノーラン・ライアンだった。佐々木はそれを超えている。普通に考えて、アマチュアが打てるような投手ではない。

 ところがチェコの消防士だの学校教師だの不動産会社の社員だのが、佐々木の豪速球をジャストミートする。普段は大学生だというプルプにいたっては、佐々木の163キロの速球を捉えて二塁打を放ってしまった。

 アンビリーバボー。

 思い出したのは、子どもの頃に愛読した、ちばあきおの漫画『キャプテン』(1972年―79年に連載)である。監督すらいない公立の弱小チームの墨谷二中が、プロ並みの施設とコーチ陣を擁する名門・青葉学園に対して挑み、キリキリ舞いさせる。

 思えば、あの作品には当時すでに巨大なビジネスと化していたスポーツ“業界”に対する強烈な批判が込められていた。そして僕は、スポーツの原点に立ちかえることの清々しさに子ども心に感動し、夢中になって読んだのだ。

 それはあのイチローや新庄剛志にとっても同様だったようで、彼らも『キャプテン』を愛読しながら、プロの野球選手になったのである。

 しかし皮肉なことに、選手はいわゆる「上」を目指せば目指すほど、高度にビジネス化された業界、カネを生み出す「システム」に組み込まれざるを得ない。組み込まれれば、自分も巨大な富を手にし得るが、同時にそれは、より巨額な富を得る人たちのコマのようになっていくことも意味しかねない。あるいは、ナショナリズムの高揚を図ったり、利権の分配を目論む政治家や政商に利用されたりすることを意味しかねない。動くカネが大きくなればなるほど、それに群がる輩が増えて、そうした危険性は強まるであろう。

 逮捕者が続出している2年前の東京オリンピックは、まさにその典型であった。僕が東京オリンピックを1分たりとも視聴せず、関連ニュースを読むことをも拒絶したのは、そういう堕落したオリンピック業界に少しでも肩入れしたくなかったからである。僕が中継やニュースを観ないからといって、誰も困らないだろうけど、少なくとも自分だけは拒みたいという気持ちがあった。

 実は同じような理由で、僕は今度のWBCも全く見るつもりはなかった。しかし先述した理由で、たまたま見ることになった。そしてチェコの選手たちを目撃して、新鮮な感動を憶えた。WBCという巨大ビジネスイベントに参加しながらも、どこかその枠から外れたような、人間がスポーツを楽しむことの原点を見たような気がしたからだ。

 ツイッター等を観ると、僕と同じようにチェコの選手たちの姿に感銘を受けた人たちは多かったようだ。大谷もインスタグラムに「Respect(リスペクト)」と投稿したらしい。そのことを素直に喜びたいという気持ちもある。

 しかし、そういう素朴な感動やチェコの選手たちすらも、結局は何らかの形で「ビジネス」ないし「システム」に回収されてしまいかねない。いや、確実に回収してしまうのが「システム」の特徴なのである。

 そう考えると、かなり複雑な心境である。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ):映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。最新作『五香宮の猫』(2024年)まで11本の長編ドキュメンタリー作品を発表、国内外の映画賞を多数受賞してきた。2021年、27年間住んだ米国ニューヨークから岡山県瀬戸内市牛窓へ移住。『観察する男』(ミシマ社)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)など著書も多数。