第258回:沖縄は今(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

ミサイル部隊が来るなら島を去る

 ツイッターを見ていたら、思わず胸がつまった。大袈裟太郎さんがツイートにあげてくれた映像が、あまりに悲しく切なかったのだ。
 3月18日、沖縄の石垣島で、自衛隊駐屯地(基地)へのミサイル弾薬搬入が始まった。反対する人たちが搬入を阻止しようと集まった。しかし、屈強な警官隊が人々を排除、鉄柵で作った檻に収容してしまったのだ。その中に、ご高齢の山里節子さんがいた…。
 山里さんのお話を、ぼくも何度か沖縄の集会で聞いたことがある。沖縄戦体験者のおひとりで、民謡の唄者でもある。今は杖が必要なほどお体も弱っているが、戦争反対、基地拡張反対の意志は変わらない。こうして現場まで足を運ぶ。
 その山里さんまでが、帽子にマスクとサングラスでまったく人相の分からぬデカい警官たちによって、鉄の檻に入れられてしまったのだ。
 反対の声は、防衛省はもちろん、政府には届かない。岸田首相の“聞く耳”などはあっさり素通りである。今の日本でこんなことが起きていることを、残念ながら本土のマスメディアはあまりきちんとは伝えない。まるで、外国の出来事のようである。

 当の石垣市の中山義隆市長は、朝日新聞のインタビューで次のように答えている(17日付)。

 ――石垣駐屯地の開設をどう考えますか。
 「有事の際、標的になるという声もあるが、特に南西諸島の場合は駐屯地の有無にかかわらず、相手からの攻撃対象になるだろう。何もないところは早々に上陸され、空港や港湾が相手の軍事拠点になる可能性が高い。やはり、島の守りには自衛隊が必要だ」
 ――敵基地攻撃能力(反撃能力)を持つミサイルが配備される可能性は。
 「反撃能力を持つことは必要だろう。では、石垣に配備が必要かどうか。常識的に考えれば、長射程ミサイルなので石垣に持ってくる必要はない」
 ――長射程ミサイル配備が決まればどうしますか。
 「私が聞いて納得できない話であれば、市民も納得できないと思う。防衛上、必要性が理解できれば協力する部分もあるかもしれないが、納得できなければノーだろう」(略)
 ――有権者の4割が部隊配置の是非を問う住民投票を求めたのに、2019年に市議会が否決しました。
 「安全保障の話に住民投票はそぐわない。石垣市の民意だけで決めれば国全体を危険にさらしてしまう。実際、今も住民投票が必要かと聞かれれば、あまり必要だとは思わない」
 (略)

 ぼくはどうにも納得できない。住民投票は要らない、というのであれば、住民は国家のために黙って犠牲になれ、ということになる。そんな中山市長でさえ「長射程ミサイルは石垣に持ってくる必要はない」と述べている。「私が聞いて納得できない話であれば、市民も納得できないと思う」とも言う。それならば、住民投票を実施してきちんと決着をつければいいではないか。まるでリクツになっていない。
 自分が誘致の旗を振ったのだから、住民投票で反対が多数を占めれば面目が立たない。ただそれだけの理由だろう。ケツの穴の小っこいヤツだ(汚語でごめん)。
 だが現実はどうか。着々とミサイル基地化し始めているではないか。防衛省や政府の言うことがいかに信用できないかは、同じページで外間守吉(ほかましゅきち)前与那国町長が、「自衛隊駐屯地」を誘致してしまった自身の反省を込めて語っている。

(略)――昨年末にミサイル部隊配備が発表されました。
 「監視部隊の誘致はしたが、ミサイル部隊は聞いていない。とんでもない話で、だんだんと人やモノ、予算が注ぎ込まれて強化しているのを感じる。ミサイル部隊配備や米軍との共同使用には反対だ」(略)
 ――「台湾有事」についてはどう見ますか。
 「我々は、政府よりもずっと近くで台湾を見てきた。中国が台湾に銃口を向けることはないと思っている。政府は米国に追随し、言いなりのように見える。ミサイル部隊配備は、自ら緊張をあおるようなものだ」
 ――誘致した町長としてミサイル部隊をどう見ますか。
 「防衛省の予算案に用地取得費を組み込み、いきなり明らかにした。こんな有無を言わさないやり方で島を『要塞化』するのはおかしい」
 ――今後、島はどうなっていくと見ていますか。
 「最近はミサイル部隊が来るなら島を出る、という人も出てきた。我々の穏やかな島の生活が脅かされそうになっており、声をあげなければならないと思う。『国の専権事項』ですまされる話ではない」

 国はウソをつくのである。与那国島では、当初は監視部隊ということだったのだ。過疎に悩み、人口減少をなんとか食い止めようとする小さな島を、金の力でいいように騙し、結局はミサイル基地を強行建設する。
 与那国島民の中には「ミサイル部隊が来るなら島を去る」という人まで出てきているという。自衛隊員で島の人口は多少増えたかもしれないが、元からの島民が去れば、結局、過疎化は進行するばかりだ。これも切ない話である。
 この二つの島に限らず、沖縄は今、凄まじい勢いで軍事基地化されつつある。多くの弾薬庫やミサイル保管所を沖縄本島にも配置するという。当然のことながら、もし台湾有事が起きたら、保管庫等は恰好の攻撃目標になる。敵基地攻撃能力の長射程ミサイル基地であれば、これも当然の攻撃目標である。
 石垣市の中山市長は「長射程ミサイルは必要ない」ととぼけたことを言っているが、これまでの防衛省のやり口を見ていれば、いずれ配備されるに違いない。中山氏だって、それは先刻承知だろう。
 そうなれば、石垣島もミサイル攻撃にさらされる。その時になって、極右派と言われる中山義隆石垣市長は、どう責任を取るのか、取れるのか⁉ (ちなみに、かつてぼくは石垣島を何度も訪れたけれど、この中山氏が市長になってからは、一度も足を踏み入れていない。あんな市長のもとでは、気持ちよく観光なんかできそうにもないからだ)

住民避難とシェルター

 だいたい中山市長は、有事の際に、どうやって住民を避難させられるというのか?
 沖縄タイムス(3月18日電子版)に、以下のような記事が載っていた。

先島12万人 輸送に6日
住民避難 県、初の図上訓練

 件は17日、国民保護法に基づく武力攻撃予測事態を想定した住民避難に関する初めての図上訓練を県庁で実施した。先島の住民ら計約12万人を九州に避難させるための経路や輸送手段などを確認。航空会社や船舶会社の協力を得て輸送力を最大化した場合、1日当たり通常の2.36倍の人数を運べるとの試算が示された。(略)
 訓練は石垣、宮古島、与那国、竹富、多良間の5市町村と、内閣官房や県警、自衛隊、第11管区海上保安本部の担当者らが参加。日本周辺の情勢が悪化しているとの想定で、参加者が卓上に集まり、避難に向けた準備状況を報告するなどした。
 住民避難に関し、県は通常の約2.36倍となる輸送力を確保した場合、1日に九州7県へ運べる住民や観光客を計約2万1800人と推計。避難にかかる日数は13日から6日程度に短縮される。
 ただ、輸送に関わる人員体制などを考慮していない他、天候にも左右されるため、想定した輸送量を確実に確保できるかは不透明な点が多い。(略)

 図上訓練だから仕方ないとはいえ、ほんとうに絵に描いた餅である。輸送を担当する人員をどれだけ確保できるかが分からなければ、計画など立てられまい。
 緊急事態に陥った場合、沖縄本島の住民の避難も考えなくてはならない。先島諸島に本島から人員を送り込むことなど不可能だろう。航空機や船舶を石垣島や宮古島、与那国島などに派遣する余裕があるとは、とても思えない。
 ではどうするか。そこで出てくるのが「シェルター設置案」だ。だがこれも絵空事。ここに退避するのは軍事指揮を執る自衛隊幹部のみだとされる。住民保護のためなら、10万人規模のシェルターが必要になる。あんな小さな島に、そんなシェルターが造れると思っているのか。まさにバカバカしい机上の妄想だ。
 こんな図上演習をしなければならないような事態に陥らないための外交こそが、最も求められているはずだが、それは後回し、軍事優先の岸田政権である。

沖縄の司法よ、お前はすでに死んでいる!

 岸田首相は優柔不断、何をしたいのかさっぱり分からないと評されているが、実は、この軍備拡張だけはやる気満々なのだ。財源も使いみちもまるで示すことなく、とにかく43兆円という途方もない“軍事予算”は強引に閣議決定してしまった。ふにゃふにゃ顔だが、内実は戦争支度に余念がない。恐ろしい多重人格なのかもしれない。
 沖縄は、まさにその人身御供に差し出されている。

 3月16日、福岡高裁那覇支部は、辺野古埋め立てを不承認とした沖縄県側の全面敗訴の判決を下した。毎日新聞(17日)を引こう。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設計画で、16日の福岡高裁那覇支部の判決は、埋め立て予定海域にある軟弱地盤の改良工事を不承認とした県の処分を「違法」と断じた。県側全面敗訴の内容で、争いは最高裁に持ち込まれる見通しだが、移設阻止掲げる玉城デニー知事は厳しい状況に追い込まれた。(略)
 判決は、県が軟弱地盤の改良工事を不承認とした理由にまで踏み込み、その判断をことごとく「裁量権の逸脱、乱用」と判断。県に承認を迫った国土交通相の是正の指示を「敵法」と認め、取り消しを求めた県の訴えを棄却した。(略)

 もう、言うべき言葉もない。ここまで何も考えない司法判断も珍しい。「沖縄の司法は死んでいる」とは前々から言われているけれど、こうもあからさまに政府べったりの判決が続けば、それもうなずける。
 かつてアメリカ施政権下の沖縄では、裁判権さえ米軍に奪われていた。米兵が殺人を犯そうが女性に暴行しようが、酔っ払い運転で人を殺そうが、米軍基地に逃げ込めば沖縄の警察は手も出せない。そして米軍の裁判では無罪や軽い判決で本国へ送還。被害者は賠償金も貰えず泣き寝入り。それが復帰前の沖縄の現実だったのだ。
 今の沖縄の裁判は、アメリカにゴマをする日本政府の意向に沿った判決ばかり。復帰前の米軍裁判と、いったいどこが違うのか。

祖国復帰闘争碑

 かつて沖縄では「祖国復帰運動」という高揚した闘いがあった。
 アメリカの苛烈な施政に喘いでいた沖縄の人々が、焼けつくような思いで「日本国憲法の下への復帰」を願った運動であった。
 日本国憲法はすべての日本国民の自由と人権を認めている(安倍政権以降、それも怪しくなっているけれど)。その憲法下で暮らすのが沖縄住民の夢だったのだ。沖縄はアメリカの圧政の下で、人権を奪われ、自由な発言を禁じられ、住む家も土地も勝手に取り上げられ、頻発する米兵の犯罪を裁くことさえできなかった。そこから脱し「日本国憲法の下」で暮らしたいという願い。
 1972年、沖縄は日本に「復帰」した。だが人々は歓喜を持ってそれを祝えたか。
 ぼくは沖縄を訪れると、必ず訪れる場所がある。沖縄本島の最北端、辺戸岬に建っている「祖国復帰闘争碑」だ。そして、その碑文に小さな決意を新たにするのだ。
 その碑文を書き写しておこう。

祖国復帰闘争碑
全国の そして世界の友人へ贈る

吹き渡る風の音に 耳を傾けよ
権力に抗し復帰をなしとげた 大衆の乾杯の声だ
打ち寄せる 波濤の響きを聞け
戦争を拒み 平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ
鉄の暴風やみ 平和の訪れを信じた沖縄県民は
米軍占領に引き続き 一九五二年四月二八日
サンフランシスコ「平和」条約第三条により
屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた
米国支配は傲慢で 県民の自由と人権を蹂躙した
祖国日本は海の彼方に遠く 沖縄県民の声はむなしく消えた
われわれの闘いは 蟷螂の斧に擬せられた
しかし独立と平和を願う世界の人々との連帯であることを信じ
全国民に呼びかけ 全世界の人々に訴えた
見よ 平和にたたずまう宜名真の里から
二七度線を断つ小舟は船出し
舷々合い寄り勝利を願う大海上大会に発展したのだ
今踏まれている土こそ
辺戸区民の真心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ
一九七二年五月一五日 沖縄の祖国復帰は実現した
しかし県民の平和への願いは叶えられず
日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された
しかるが故に この碑は
喜びを表明するためにあるのでもなく
まして勝利を記念するためにあるのでもない
闘いを振り返り 大衆が信じ合い
自らの力を確かめ合い 決意を新たにするためにこそあり
人類の永遠に生存し
生きとし生きるものが 自然の摂理の下に
生きながらえ得るために
警鐘を鳴らさんとしてある 

 「記念碑」とはいいながら、まさに怒りに満ちた碑文である。
 この碑は、1976年に建立された。すなわち「沖縄の祖国復帰」が実現してから4年後に建てられたのだ。それはなぜだったか。復帰後の沖縄が、彼らの願ったような復帰ではなかったことが、日が経つにつれて明白になったからだ。沖縄が「日本国憲法の枠外」に捨て去られたことが誰の目にも見えたからだ。
 沖縄の人々は、日本国憲法下への復帰をこそ願ったのだ。だがその願いは、この碑文にあるように、サンフランシスコ条約によって無残に葬られた。米軍基地は拡張され、日米地位協定によって沖縄県民の人権は無視された。
 その怒りを、「沖縄県祖国復帰協議会」の第3代会長だった桃原用行氏が起草し、同じく復帰協の第6代事務局長だった仲宗根悟氏が揮毫したものである。この碑文が、今になっても書かれた当時と同じ怒りを持ち続けなければならないのが、沖縄の悲しいかな、現実なのである。

すべての人に読んでほしい小説『南風に乗る』(柳広司)

 長い文章になってしまったが、最後に本を一冊紹介しよう。どうしても多くの人に読んでほしい本なのである。
 『南風(まぜ)に乗る』(柳広司、小学館、1800円+税)
 『ジョーカー・ゲーム』『ダブル・ジョーカー』などの、「殺してはならない、死んではならない」という信条を持つ戦前の特務機関の活躍を描く、特異なスパイ小説でぼくも大好きな作家だったが、こんなに沖縄に関心を寄せているとは知らなかった。
 瀬長亀次郎、山之口獏、中野好夫の3人を主人公に、沖縄の戦後を史実に即して描いていく。ほとんど「小説」という範疇を脱して、沖縄の戦後史を克明に描いた研究書のようでもあるのだが、さすがに手練れの作家らしく、ページを繰る手が止まらない。
 これは、ぜひすべての人たちに読んでほしい小説なのだ。
 ぼくは、柳広司さんという作家を尊敬する。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。