第150回:原発事故とアジア圏交流と入管法問題(松本哉)

 いや〜、入管法の問題が大きくなってる。要はただでさえ厳しすぎる難民受け入れをさらに厳しくするというもの。いま日本には汚職だの無駄な軍備増強だの増税だの問題山積だけど、自分としては入管法の問題って、これまた他の問題に増してムカつくんだよね〜。
 なぜかというと、元をたどれば忘れもしない2011年の原発事故。あの時、当初はほとんど情報がなく、下手したらこのまま関東東北一帯は住めなくなるんじゃないかって危惧もあったぐらい。そのとき真っ先に頭に浮かんだのが、原発問題に限らず、天変地異にしろ戦争にしろ「今まで自分が暮らしてた場所に住めなくなる可能性ってあるんだ!」ということ。自分は東京生まれ東京育ちで、東京で店を構えたりコミュニティを作ったりしてきたので、自分にとって本格的な“移動”なんて概念は1ミリも考えたことなかった。でも、それ以降は自分の中で“移動”はすごい重要なテーマになった。「東京(日本)がメチャクチャになったら東京(日本)を出なきゃいけないのか〜!」と、初めて考えた。同時に「どこ行きゃいいんだよ」と、イメージもゼロ。
 で、海外を見渡してみたら、いろんな国や地域の人たちが様々な個々の問題で「うちの国やべえ、もう住むの厳しいかも!」みたいなこと言ってた。いざとなったときは「とりあえずこっちに逃げて来い〜」とも言いたいし、逆に「悪い! 今こっちヤバいからしばらくお邪魔するよ〜」なんていうことができるようになっておきたい。そう、それ以降、アジア圏を中心に近隣の海外との交流に活動の軸を移した。
 そして今回の入管法問題。ふざけんなコラー!! 国を預かろうなんてやつらがそんな懐の狭いミミっちい狭い了見でどうする〜!!! ってわけで、今回はちょっとこれまでの流れをおさらいしてみたい。

2011年から始まったアジア圏大バカ交流!!

 2011年以降、本格的に海外に目を向け始めた訳だが、「近隣諸国との国際交流」なんて言うのは簡単だけど、じゃあどうすりゃいいのか。つべこべ言ってもしょうがないので、ひたすら海外各地に行ってみることにした。当時は飛行機代もやたら安かった時代で、2万円程度あれば海外に行けたので、やみくもに行きまくる。とは言っても観光地巡ったりしたところで意味はないので、観光地は全部無視。現地に一人でも知り合いのいるところに片っ端から飲みに行く。で、一人でも知り合いがいたら、あとは適当に一緒に遊んでるだけで芋づる式に現地の面白いローカル情報がたくさん入ってくるし、新たな友達もたくさんできる。ただそれだけ。特に壮大な計画も立派な理屈もなく、むやみに飲み歩いてバカな友達増やし、毎回「ところでオマエなにしに来たんだ!? ま、また飲みに来いよ〜」なんて言われつつ、日本に帰ってくるだけ。それを各国各都市へと永久に繰り返す。

 すると近隣各国に死ぬほど友達ができてきて、今度は逆に続々と遊びに来るやつらが急増してくるので、受け入れ先として宿泊施設を開く。2013年ごろから準備して2014年には、観光客は絶対に泊まらないほうがいい史上最低の宿泊所「マヌケゲストハウス」を高円寺にオープン。
 ただ、ゲストハウスをオープンしたにはしたんだけど、これ別に金もうけで始めたわけじゃなく、海外との水面下交流が目的。宿泊予約サイトなんかに登録して無目的に観光客を受け入れたってしょうがないので、宣伝は全て口コミのみでいくことにした。ただ、口コミで知り合いが来るのを待ってるだけじゃ、ゲストハウスなんて一瞬で潰れてしまう。これはやむを得ない! と、海外飲み歩き作戦をさらに加速。ゲストハウス開業以来、月一のペースで海外各都市へ飲みに行く。で、1日2日いたところで深く友達にはなれないので、1都市1週間を原則として飲み歩く。この1週間というのがまたよくて、ひと通りその街の面白いスポットを回るのがひと段落して2巡目に入る感じ。カフェでも飲み屋でもライブハウスでも古本屋でも、「あっ、アンタまた来たね」って言われるのが覚えてもらえて仲良くなる第一歩。その間にもどんどん新しい人や遊び場を紹介してもらって世界が次々に広がってくるので、行った先々で「東京でゲストハウスやってるから、東京遊びに来なよ〜」と言ってまわり、ゲストハウスのフライヤーやステッカーをばら撒きまくる。で、1週間遊び歩いてると「まだいるの!?」「オマエ住んでるのか?」みたいな空気感が出てきて、だんだん日本に帰りたくなくなってくるので、危険を察知して東京へ帰る。
 ここでちょっとオマケ。仲良くなる秘訣をひとつ。特殊地域・日本を除いては、若い人や遊んでる人たちは政治や社会の話をバンバンするので、社会の話になったら「日本の政治とか最悪だよ、あいつら全員くたばった方がいいよ」なんて話をすると向こうも「やっぱり、そっちもそうなのか! うちの国もクソばっかりだよ」ってなって、「あんなやつらほっといて、うちらはうちらで勝手にやろう」と結束が固くなる。これがもし、いい年して「自分は政治に興味ありません」みたいなこと言うとバカだと思われるので、それだけは御法度だ。

 さて、その飲み歩き作戦が功を奏し、海外の各地から「来たよ〜!!!」なんて言いながら続々とどこかで会った人たちや、どこかで紹介されてきたなんて人たちがどんどん訪ねてくる。音楽や芸術、研究者、商店主など、何かやってる人たちも山ほど来るので、そんな人たちが来るたびに、トークショーやらライブイベントなどをやったり、飲み歩きながら友達をどんどん紹介したり勝手に仲良くなったり、いい意味で収拾つかなくなっていく。こんなことが無限ループのように次から次へと巻き起こって、アジア圏を中心として世界各地のアンダーグラウンドの奴らがどんどん繋がっていく。そして、自分らとは別で海外交流をやってたところとも各所でリンクしてきたりして、いよいよ交流はカオス状態になってくる。
 そう、これは当初目指したように、自分の街や国がいよいよヤバいことになった時に異国の街に行ったとしても、そこにはちゃんと仲間がいて地続きの生活がある状態。これをどれだけ各地に作っていけるか。ま、国際法上はこれを“難民”と呼ぶのかもしれないけど、別に難もヘッタクレもなくて、ただ仲間がいる街に行って当面ご厄介になるだけ。家が雨漏りするから親戚の家に間借りするようなもので、なんにも珍しいことじゃない。当たり前のことだ。
 さて、2011年から徐々に始めて来てる「国を超えて全員飲み友達になっちまえ〜」という、謎の国際交流作戦。ここまで来ると、もはや自分達には把握できない規模になってきて、全く知らないところで国を超えた友達が友達を作り、もはや完全に制御不能の取り返しがつかないぐらいに最高に楽しい状態に突入してくる。2016年以降は、そんな各国に散らばった飲み友達が一挙に集結して各種イベントをやりつつ飲みまくる「NO LIMIT」というイベントも始まった。これで、さらにマヌケなやつらの輪が広がって、困ったことがあったらお互い国を超えて助け合ったりする社会になっていくんじゃないのか〜!? いやー、最高! 未来は明るすぎる!!

 と、思ってたら、事件は起きた。

2020年、謎の疫病が発生し世界の国境が閉鎖

 出ましたー! 毎度おなじみ新型コロナの旦那が鳴物入りで世界に登場! 2011年から徐々に始めてきた、世界中を巻き込んで国境をいかにすり抜けたり無効化していくかという、壮大な計画に暗雲が立ち込める。まったく、どんなタイミングなんだよ〜。
 ご存知の通り、真っ先に大パニックになったのが中国の武漢だった。武漢といえば、中国におけるロックやパンクの聖地のようなところで、インディーズ音楽シーンやDIYシーンがかなり栄えてるところ。そんなこともあって、いろんな繋がりも深く、友達も多いし行きつけの店やライブハウスもたくさんあって、かなり馴染みが深い。現にコロナ目前の2019年の夏にも武漢へ遊びに行ってたところ。じゃあ、これはひと肌脱ぐしかないと、すぐに武漢の仲間たちを救済するイベントをやったり、集めたカンパで武漢に物資を送ったりした。
 ところが、結局コロナは世界を覆ってゆき、世界のほとんどの国が国境を閉じてしまい、人の行き来も完全に途絶えた。こりゃまいった。オンラインイベントみたいなのも最初は面白かったんだけど、すぐ飽きて面白くなくなる。ZOOM飲みなんかも流行ったけど一回やれば十分で、あんなもの面白くもなんともない。SNSやオンラインって広く薄く世界と繋がるにはいいんだけど、実際の交流の代替にはなり得ないことが如実にわかってくる。
 …さあ、どうする! このまま国境の対岸にいる人たちと疎遠になっていっていいのか? ヤバい状況になった人を迎え入れたり、こっちがヤバくなった時に避難しに行ったりっていう助け合いの世界はさらに遠くなるのか!?

 そこで思案の末に登場したのが、昭和の置き土産にして伝家の宝刀「深夜ラジオ」だ。深夜ラジオ聞いたことある人はわかると思うけど、あの密室感、そしてそのおかげでラジオパーソナリティと親密になったような錯覚を起こすぐらいの距離感。これだこれだ、ってことで、かつてやっていた“素人の乱ラジオ”を復活させた“素人の乱・残党ラジオ”を開始! 2021年初頭から、月に2回のペースで生放送で行い、番組の放送中のコーナーでは海外各国のスペースや重要人物に電話で繋いで「どうですか最近?」「どうにもこうにもこっちはコロナで大変だよ!」「なにかロックダウンを突破する秘策はないの?」「いや〜、このあいだ食料配給の列に2回並んで成功した」みたいなどうでもいい話なんかで盛り上がる。さらに、海外のインディーズ音楽を日本のリスナーに紹介するコーナーをやったり、海外の大バカなやつらからのくだらないネタのハガキを読んでみたり。完全に国を超えた深夜ラジオ。
 で、これが大成功で、SNSなどでうっすらと伝わってくる海外情報しかないなか、あの深夜ラジオの密室感で直接繋ぐと、「いや〜、そっちも相変わらず元気そうだな〜」と、お互いが再確認できる。1箇所ずつ丁寧に繋ぎ、コロナ期間中に徐々に疎遠になってしまうのを防ぐ役割を果たした。さらに海外地下文化を直接知らない日本のラジオリスナーも、ロックダウン中の海外の人たちの生の声を、ものすごい近さで雰囲気を感じることができるので、ああ今あっちはこんな感じなのか〜、とリアルな様子が伝わる。いや〜、あの昭和の残骸の深夜ラジオが、まさか国境間の断絶の隙間を埋めることになるとは!!(ちなみにそのラジオはこちら

国際マヌケ交流の再開と入管法改悪

 そして、2022年終わり頃から急速に各国の国境は開いていき、一挙に人の行き来が爆発的に再開! みんなずっと我慢してる“溜め”の時期が長かっただけに、コノヤローとばかりに、以前にも増して一斉にやって来る。
 さあ、深夜ラジオの力で首の皮一枚繋がった各国の国境を超えたアンダーグラウンドのマヌケたちの交流。もうこっちのもの。あとはまた以前と同様に網の目のように広がったとんでもない奴らのつながりがまた無限の拡大を見せていくことは必至! いや〜、危ないところだった〜。

 と、そんな時、次の大御所が現れる。そう、それがいま世間を騒がせている入管法の改定問題だ。しかも最近の流れは、軍備の強化とそのための増税、マイナンバーやインボイスなどの民衆管理の強化などがあり、そして海外から助けを求めてくる人たちを崖の底に蹴落とすかのような入管法改悪という状況。これ、近年国境の壁がどんどん壊れていってる現状の中で、このままだと「国なんかいらねえんじゃねーの?」っていう流れになりかねないことにビビった各国政府が、意地でも国の存在感出していこうと、あがいてる風にしか見えない。もう、江戸っ子の頑固ジジイの痩せ我慢のごとく「バカヤロウ、国境は要るんだよ! オレの目の黒えうちは国境にだけは触らせねえぞコノヤロー」と、家族が呆れ果てるなか意地になって一人で国境の壁を山のように積み上げ始めちゃってる感じなんだろうか。いずれにせよ往生際が悪いとしか言いようがない。ただ、いくら死にぞこないのジジイの悪あがきとは言え、迷惑なものは迷惑だ。勘弁してもらいたい。
 もちろん、今までやってきている海外アンダーグラウンドとの交流は、観光や留学、仕事やイベントなどで国を跨いでるので、困り果てて他国に行く難民とは話が違うのは確か。仮にこの入管法が改悪され、難民認定がさらに厳しくなったとしても、アンダーグラウンド圏の交流はさらに進むし、直接そこまで影響はないはずだ。でも、最初に話したように、各国地下文化圏を繋ぐっていうことは、別に単に海外の人同士仲良くなりましょうなんて軽いものじゃなく、国や国境を介さずに作ってきた自分たちの文化圏同士の交流で、世界中に繋がる一つの生活圏を作るということだ。そんな世界アンダーグラウンド生活圏ができた時には、「いや、自分はこっち向いてないからあっちの街に行こうかな」なんて移動もしたいし、それこそヤバい状態や危険な状態になったら別のところに避難もしたい。しなかったとしても、いざという時には移動してさらに自分の生活を続けられるっていう安心感が大事で、それがあるのとないのじゃ大違いだ。
 つまり、世界のアンダーグラウンド文化交流の行く先には移民・難民問題は絡んでくるし、移民したり難民として他国へ行くとき、世界アンダーグラウンド交流と繋がっていればすごい助けになるはずだ。これ、見落としてはいけないところ。

 さあ、で、いま我々の目の前にあるのが入管法問題。いまよく言われているように人道上の問題というのももちろんある。逃げてきた国に戻したら命が危ない人を、薄情にも追い返すっていうのか〜、って問題。もちろんこれはでかい。そんな血も涙もない人の道に外れたことやっちゃ、お天道様に顔向けができない。
 そしてもうひとつが、これまで書いたように、交流の拡大の邪魔になるってこと。国境って、国や政治の都合で線引きされた謎のリミット。都道府県や市区町村があるように線引きがあること自体は別にいいけど、国境だけ意固地になっちゃった頑固オヤジ級のハードルになってるのがかなり謎。難民を拒む姿勢は、文化圏・生活圏がこれから拡大していく上で「それ以上の拡大はダメよ」っていう制限を設けることだ。
 人道的にもヒドイ話だし、文化的にも迷惑な話。政府や与党・ニセ野党の諸君、こんなバカな改悪は一刻も早くやめたまえ! オマエら、将来の日本社会のこと考えてるのかー!!

 ま、民衆は知恵が働くので、どんな状況だろうと、いろんな手を使って交流は進めまくるけどね。

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松本哉
まつもと はじめ:「素人の乱」5号店店主。1974年東京生まれ。1994年に法政大学入学後、「法政の貧乏くささを守る会」を結成し、学費値上げやキャンパス再開発への反対運動として、キャンパスの一角にコタツを出しての「鍋集会」などのパフォーマンスを展開。2005年、東京・高円寺にリサイクルショップ「素人の乱」をオープン。「おれの自転車を返せデモ」「PSE法反対デモ」「家賃をタダにしろデモ」などの運動を展開してきた。2007年には杉並区議選に出馬した。著書に『貧乏人の逆襲!タダで生きる方法』(筑摩書房)、『貧乏人大反乱』(アスペクト)、『世界マヌケ反乱の手引書:ふざけた場所の作り方』(筑摩書房)編著に『素人の乱』(河出書房新社)。