第56回:ふくしまからの日記──風力発電所を見て考えたこと(渡辺一枝)

 3月27日、仙台高裁での「子ども脱被ばく裁判」傍聴後は仙台のホテルで一泊し、翌28日は2月に雪が深くて行くことができなかった吾妻山の風力発電所行きに、再挑戦でした。

3月28日、吾妻高原風力発電所

 吾妻山へ向かう道中は窓の外に桜、レンギョウ、コブシ、また、風に揺れる菜の花を見ながら行った。菜の花の黄は、ひまわりやマリーゴールドのように赤を含んだ黄色ではなく青をふくんだ色で、スッキリと爽やかな黄色だこと! と思いながら見て過ぎた。まだ葉も出ず花も咲かない果樹園の桃や梨の樹下には、イヌノフグリの青色が広がっていた。
 桜の開花は早かったのに、それからまた冬に逆戻りしたような寒い日が続いた。しかし流石に3月ももう末なので山間部にはまだ少し雪は残っていたが、全く通行には心配なく道を辿った。2月にはその先は進めず方向転換してメガソーラーへの道に進んだ分岐点を、あの日とは別の方へと進んだ。私には初めて通る道だったので、「これは風車建設のために造った道ですか」と今野さんに問うと、「いや、前からあった道ですよ」と答えが返った。また一ヶ所、道が分岐する所があり、そこは下る道を取らずに上り坂を進んだ。
 芽吹き始めようとする広葉樹林帯で、梢の高い木立が山肌を埋めている山道だった。その道がカーブして山肌を巻こうとした時に目の先が開け、薄水色の空の下、向こうの稜線に陽光を受けて白々と並ぶ風車が遠くに見えた。
 「あった! あそこだ」と私が言うと、運転席の角度からは見えなかったようで「見えましたか。この道で良かったな」と今野さんは言い、そこへ行くのは初めてなのだと続けた。緩やかな起伏の丘が連なる山容の山肌を巻き上げるように進んで行くと、やがて連なる起伏の上に建ち並ぶ巨大な風車群が見えてきた。遠いものから数えて全部で9基、どれも緩やかに羽を回していた。私たちはその内の一基の間近に車を止めて降りた。
 厚さ50cmほどの矩形のコンクリート土台の中央に130mほどかと思われる円柱のタワーが建ち、そのてっぺんで巨大な3枚のブレード(羽)が回っていた。それぞれ1枚は50mあるそうだ。青い空にゆっくり回る白い3枚羽の風車は、風向きによって頭の方角を変えるようだった。そればかりか風向き・風力によって羽の向きも変えるのだという。ブレードは平らではなく縁の片側が立っていて、L字型のようになっている。それで風をうまく掴めるのだろう。
 青空の下の風車は間近に見ると、とても巨大だった。そこに降り立った時にまず感じたのは「うわっ! 大きい!」ということだったが、同時に私は、「美しい」と思った。そして、そう思った自分を訝しくも思う私がいた。
 すぐそばに私の背丈ほどのスチール製のボックスがあり、今野さんはそれを電圧計だと言った。だが、風車のどこにも電流を流すコードのようなものは見当たらず。風車が生んだ電気はどこにどう蓄電されるのか、あるいは送られるのか見当がつかなかった。
 今はまだ風車が回っているだけで、電力を生み出す仕組みはこれからの工事になるようだった。そんなふうに結論づけた時に、ちょうど下から上がってきた車があって私たちの前に止まり、降りてきた二人連れは、風車のコンクリート土台部分の防水作業にきた人たちだった。発電システムはまだ稼働していないことを作業員に確認して、ついでにいつから稼働するのか尋ねると「さぁ、僕たちは防水工事を頼まれただけですから……」との返事だった。稼働してからのメンテナンスも彼らの会社が請け負っていると言った。
 9基全てが見渡せる場所に移動して大きな景色の中で、全容を眺めてみた。一番遠くの風車のタワーは、すぐここにある風車の、ちょうど羽の長さほどに小さく見えた。吾妻山中腹のここは福島市李平(すももだいら)地区といい、放牧場の跡地だという。広大な敷地だ。帰宅してから調べたら、吾妻高原風力発電所の事業者は、合同会社「吾妻高原ウィンドファーム」で、9基で年間出力32400kW(キロワット)、1万5300世帯分。今年の5月から稼働の予定だそうだ。
 吾妻高原風力発電所へ続く道路は、現場近くの一部は新たに造られたものだが、今走っているところも以前から通じていた道だと帰りの車中でも教えられた。風車建設のために大きく自然が壊されたわけではないことが判って少し安堵しながら、でも私の中では気持ちの収まりどころが見つからない。そんな私を見透かしたように、今野さんが言った。「原発を動かすよりは良いですよ」。
 ああ、確かに私もそう思う。でも、なぜかその一言では収まりきらない気持ちが、私の中にはあった。風力発電なら良いのか?

「再生可能」「持続可能」は大事だけれど……

 今からもう十数年前に見た光景が、脳裏に蘇る。中国新疆ウイグル自治区のウルムチから、陸路でチベット入りした時のことだ。雪で道が閉ざされる前に聖山巡礼をと、カイラスを目指した10月初旬だった。ウルムチを出た翌日だったか2日目だったか、友人のロサン・ニマが運転する車は、タクラマカン砂漠の辺縁の道を走行していた。
 途中、ロサン・ニマが私の名を呼んで前方を指差したのだが、その指の先に見えたのは、数十基、いや100基以上かと思われる風車群だった。その辺りは以前、「砂漠に植林を」などと言って苗木の植樹が試みられたところだった。しかし、その日に私が見たのは風車の林だった。朱く乾いた大地に目の届くずっと先まで、夕日を受けて眩しく風車は続いていた。それは、とてもおぞましく思える光景だった。
 それよりもっと後の2017年に、河合弘之弁護士が監督した映画『日本と再生 光と風のギガワット作戦』が公開された時には、すぐに観た。映画では、中国の内モンゴル自治区のメガソーラーと大規模風力発電所が好意的な視点で取材されていた。私はその光景に、強く拒絶感を覚えた。もしかしたら私のそうした感覚は、新疆ウイグル自治区も内モンゴルも、いずれも少数民族の居住域だったことが、大いに関係しているかもしれない。自然環境に大きく影響する原発や風力発電所、また水力発電所などは、日本も中国も社会的構造面でいえば同じ視点で設置場所が決められていると思った。
 翌年公開された渡辺智史監督の映画『おだやかな革命』も、風力発電を取り上げていた。生活クラブ生協が建設した秋田県にかほ市の風力発電施設「夢風」では、鳥海山の稜線に18基の風車が回っていた。この映画では他に岐阜県郡上市石徹白(いとしろ)の水車発電などを取り上げていて、全編がエネルギーの地産地消という観点でつくられていたせいか、秋田県の山陵に並ぶ18基の風車に、私は拒絶感を持たなかった。拒絶感こそ持たなかったが、けれども何か小さな棘が刺さったような違和感が残った。
 あれだけ巨大な風車が回っていると、その振動が地中に伝わるのではないだろうか? それは植物や昆虫、動物など他の生き物に、きっと何かしらの影響を与えるのではないだろうか? 建設前に環境への影響は調査してのことだろうが、その調査項目や方法も人間の尺度で考えられたものではないのか。
 「再生可能」また「持続可能」という言葉を聞けば、それは大事なことだと思う。けれども私の中には天邪鬼のように「再生可能なら良いのか?」「持続可能なら良いのか?」と思う気持ちがある。「失う」ことや「消えていく」ことは、そんなに悪いことなのか? そう思う私が居る。そしてまた、こんなことも思い出す。これもチベットでのことだ。夏の草原で牧畜民が暮らす、ヤクの毛で織った黒いテントの入り口には、小さなソーラーパネルが置かれているのをよく見かけた。またソーラーパネルではなく手作りの小さな風車に蓄電装置をつけて置いてあるのも見かけた。あるいは十数戸の集落でのことだったが、柵を巡らせた囲いの中に一辺が両手を広げたくらいの大きさのソーラーパネルが数枚あるのを見た。集落全戸の夜間の電力を賄っているとのことだった。それらは送電線が空を区切ったりしていない地域で、個人宅や小さな集落の電気エネルギーを慎ましく生み出していた。
 そうした光景を見てきたのは東電の原発事故より以前のことだったが、そのようなエネルギーの自給自足の暮らしぶりに強く惹かれた。チベットでのそんな体験の後で今住んでいる家に越してきた時、ソーラーシステムにしたいと業者に頼んだら、屋根の勾配がありすぎて無理だと言われた。だから我が家ではエネルギーの自給は、全くできていない。電力は供給先の電力会社を選んで買っている。
 吾妻山の巨大な風車の前に立った時、「美しい」と思った私が居た。そう思った自分を訝しく思う私も居た。私の中には矛盾する思いがあるようで戸惑うが、風力発電についてももっと知りたいし、考えていきたいと思う。

 3月の裁判傍聴の翌日の28日は吾妻山の風力発電を見た後、「沢の茶屋」で「ゆず味噌焼きおにぎり」の昼ごはんを食べた。ゆずの北限は福島だというが、このゆず味噌焼きおにぎりは、文字通りほっぺたが落ちそうなほど美味しかった。昼食後は飯坂でNさん家族に会ってから、桜咲く花見山を散策して帰宅した。

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渡辺一枝
わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。