第639回:なぜ維新なのかについてのロスジェネ的考察。の巻(雨宮処凛)

 日本維新の会が人気だ。

 毎日新聞が5月に実施した「立憲民主党と日本維新の会、どちらが野党第一党にふさわしいか」(支持政党にかかわらず)という世論調査では、維新と答えた人が47%、立憲と答えたのは25%。倍近い差がつく結果となった。

 維新を支持する層についてはこれまでさまざまな分析がなされてきた。低所得者が多いのではと言われていたがそうでもない、中堅サラリーマンや自営業などのプチ成功者が多いらしいとか、いろいろだ。

 それらに対して私ごときでは検証しようもないわけだが、これまであまり語られてこなかったことに「ロスジェネの維新支持」という現象がある。

 周りを見渡しても、2005年の小泉郵政選挙で自民党を支持し、今は維新支持というロスジェネは普通にいる。小泉の時は「既得権益批判」によって自分が上にいけると思い、今は維新を支持する層だ。正社員もいれば非正規もいる。

 で、最近、見るともなしにテレビを見ていたら、非常に印象に残る言葉に出会った。

 おそらく20代だろう男性が、選挙に行ったかのインタビューを受けていたのだが、彼はユーチューバー。しかし、登録者数はまだ数人だという。そんな彼は投票に行ったそうで、インタビュアーはさすがにどこに入れたかまでは聞かなかったのだが、ユーチューバーが投票先を決める理由として語ったことに非常に感銘を受けたのだ。

 それは、自分が有名になった時に税金たくさん取られない方がいい、というもの。

 それを聞いて、深い既視感を覚えた。いったいこれまで何度、若い世代からこういう言葉を聞いてきただろう、と。

 現在40代のロスジェネから、ゆとり世代、さとり世代、ミレニアル世代、Z世代に至るまで共通することがあるとすれば、私は「経営者マインドをナチュラルに搭載している」ということだと思う。

 末端の労働者なのに、発想は経営者。例えば自身が最低賃金で働いているのに、「時給を1500円にしろ」なんてデモを見ると「バイトの時給なんか上げたら企業が潰れる」「バイトがその額に見合った働きなどしない」などと口にする。

 なぜそのようなことになるかと言えば、「自分がずっと労働者でい続けると思ってる人」=上昇志向がないダメ人間という価値観の社会で育ってきたからである。ロスジェネとそれより若い世代にとって、労働組合や労働運動なんかよりも、「いつか一発逆転すること」の方がずっとずっとリアリティがあるのだ。それがどれだけ夢物語だとしても。このことについては最近、イミダスの原稿「私が『冷笑系』だった頃〜『リトルひろゆき』たちとの楽しくも不毛で、だけど必要だった日々」でも書いたので参考にしてほしい。

 なぜ、そんなことになっているのか。私の親くらいの世代(団塊世代)からするとこの辺が本当にわからないらしいのだが、親世代を思うと、例えば「バイトしながら夢を追う」とかの生き方はなかなかできない時代だったと思う。

 それがさらに遡って江戸時代とかだったらなおさらだ。農民の子に生まれたらずっと農民だったわけで、引越しの自由も職業選択の自由もなかった時代。それが近代化に伴い、変わってくる。高度成長を経て、「夢を追う」「やりたいことで生きる」ことができるようになったのだ。いや、それは現実には非常に難しいことなのだが、いつからかこの国では「やりたいこと」を見つけ、夢を追い、それを叶えることがもっとも善なる生き方であるかのような喧伝がなされてきた。その反対に、「やりたい」こともわからない人間は「ボンクラ」「意欲がない」と全人格を否定されるような扱いを受けてきた。

 1975年生まれの私は、そんな価値観に子どもの頃からどっぷり浸って生きてきた一人だ。

 何しろ「小学〇年生」とかの子ども向けの雑誌には「松田聖子物語」(うろ覚えだけどそんな感じ)みたいな当時のトップアイドルのサクセスストーリーを描いた漫画が載り、それ以外にもメディアには「夢を叶えた人」のストーリーが盛りだくさん。学校に行けば偉人の伝記を読まされるなど成功物語を被曝するように浴び、それはいつからか「とにかく夢を持ち、それを叶えろ」という脅迫になっていた。

 なんたって私が若者だった頃に一番人気のあったアーティストの名前までがそれだったし、夢を持たない奴、現状に満足してる奴はダメ人間というメッセージを日々、手を替え品を替え吹き込まれていた。自由な時代なんだから、人はなんでもできる可能性に満ちているんだからとにかくチャレンジしろという暑苦しい圧。一方、普通に働き社会を支える人にスポットがあたることは滅多になかった。

 翻って、現在。ロスジェネとそれより下の成功者と言えば、ホリエモン(ロスジェネより少し上だが)、ひろゆき氏、元zozo前澤氏など全員トリッキーな一発逆転系自己責任論者。こつこつ頑張って何かを成し遂げたキャラは見事に一人もいない。昭和とかだったらいた気もするけど、もうそんな人にはしばらくお目にかかっていない。

 さて、それではなぜユーチューバーは今無名で「やりたいこと」での収入もないだろうに、有名になった時に税金をとられたくないということで投票先を選ぶのか(彼がどこに投票したかは不明。そしてどこに投票したかはそれほど重要ではない)。

 「経営者マインド」だけでなくもうひとつ理由があると思う。それは非常にシンプルなものだ。私自身もそうだったが、夢を追っている貧乏な時期は「仮の姿」だと思ってた。本来の自分ではなく、それまでの我慢する時期。これが過ぎたらすぐに忘れたい不本意な黒歴史。だからこそ、私は当時バイト先でひどい目にあっても当事者意識は皆無だった。どうせこんなことすぐやめる。自分には関係ない、と「なかったこと」にしていたからだ。

 ちなみに私はフリーター時代、一度も投票に行っていない。が、もしどうしても行かなければならなかったとしたら、経営者マインドならぬ「為政者マインド」で投票したと思う。今の自分の貧乏な生活をなんとかしてほしいとかの要求からは決して始まらず(だってそれは仮の姿なのだから。その意味でユーチューバーの彼が「成功した本来の自分」の目線から税制を考えるのはとても理解できる)、なんかものすごく高みから天下国家を熟考した果てに、自民党に入れた気がして仕方ない。もちろん、その時の「主体」は今の惨めな自分ではなく「成功してウハウハな未来の自分」である。

 さて、私はフリーター生活を5年やったところで物書きデビューしたわけだが、私の周りにはフリーター生活が20年30年と続いている人がいる。そんな中には途中で自らの不安定雇用や低賃金といった問題に向き合い、労働組合に入るなどしたロスジェネもいる。が、むちゃくちゃ少数派だ。

 そうして世の中を見渡してみれば、私が若かりし頃より「夢を叶えろ」的な脅迫はより日常的な風景になっている。声優の専門学校とか芸人養成学校とか、どう考えても入学者の1%もその仕事で食べてはいけなさそうな学校という名の夢ビジネスだって私が20代の頃よりずっとずっと花盛りだ。

 私自身、今もフリーターだったら、と時々考える。あるいはフリーターでなくとも、20年近く「反貧困」の活動をしてきて政策提言などをする今のような立場でなかったら。日常的に国会議員と接することがなかったら(そもそもそういうこと自体が稀すぎる)。

 そうしたらどの政党を支持していただろうと思うと、メディアなどを通してよくわからないけどふわっと維新を支持していたかもしれないと思う。政策とかじゃない、雰囲気・イメージなのだ。例えば何もしてなくても「AもBもダメだ!」と腐すだけでその人が「賢そうに見える」トラップにひっかかりそう、という点がひとつ。

 また、「弱者」を一切顧みなさそうなスタンスが、「自分の頑張りをわかってくれそう」というところに飛躍するのもあるかもしれない。どんなに頑張ってもなかなか報われない時代が30年も続くと、そういう現象が起こってくるようである。

 もうひとつは、言語化できなくても、この国に住む多くの人が、ずっと政治にDVを受けているようなものだと、どこかでわかっていることだ。そんな状況があまりにも長く続くと、優しいふりをした人に裏切られるより、最初からひどいとわかってる人間の方がまだましという気持ちになる。究極の消去法であり、唯一できる自己防衛なのだ。しかも無意識の。

 そして維新は確実に、「どうせ世の中も人間もロクなもんじゃない」ということを体現している。そこが、「現実がわかっているリアリスト」とある種の人々には見えてしまう。だからこそ、個別議員の犯罪歴などがこれほど暴かれてもほぼノーダメージという状態に繋がっているのだろう。

 私たちは、理想を語る人がマヌケにしか見えないという世界に住んでいる。それほどに地獄が続いてきたのだと思う。これはかなり末期的だが、現実がひどければひどいほど意地悪そうな人が支持を集め、理想を語る人が嘘つきの詐欺師にしか見えない逆説に、いったいどうしたら対抗できるのか。

 以上、高卒ロスジェネによる考察である。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。