第270回:殺すな(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

差別は魂の殺人

 7月9日の東京新聞コラム「時代を読む」に、法政大学前総長の田中優子さんが「差別増進法施行」というタイトルで、今国会で成立した「LGBTQ理解増進法」に怒りをあらわにしていた。LGBTQとは、端的に言えば性的少数者ということだ。田中さんは「これは差別増進法というしかない」と断罪している。
 その中で、こう書いている。

(略)問題は与党議員たちの想像力の欠如である。6月23日の朝日新聞に掲載された仲岡しゅんさんの寄稿が、その欠如を補ってくれる。トランスジェンダーというのは「長い時間をかけ、その人の性別のあり方を根本的に切り替えていく」作業だという。性を越境していく中で、その当事者が「さまざまなことに折り合いをつけながら、自分にふさわしい場を使いながら生きて」行くことになるのである、と。心から納得した。
 「さまざまなことに折り合いをつけながら」なんとか生きて行くのは、まさにマイノリティーの生き方である。それは、外国人、女性、障がい者、高齢者など、全てのマイノリティーに共通している。
 ところがこの修正案が通った日、某女性議員は「区別が必要だ」と言った。女性たちは「差別ではなくて区別だ」と言いくるめられながら、仕方なしに「さまざまなことに折り合いをつけて」生きてきたのではなかったか。(略)
 彼らが言いつのる滑稽な事例で言えば、もし男性が堂々と女性トイレや女湯に入って悪事を働いたら、それは「自分にふさわしい場を使いながら」「折り合いをつけて」生きてきた性的少数者であるはずはなく、ただの男の犯罪者に違いないから、罰すればよいだけのことだ。
 「差別したい人」は一瞬の優越感を手に入れるために、あらゆる差別をする。(略)

 まことに論旨明快、これに反論するのは、おそらく「一瞬の優越感を手に入れたい人」なのだろう。それは反論というより難癖と言ったほうが分かりやすい。
 誰かが「差別は魂の殺人である」と言っていたが、LGBTQの人たちは「魂の殺人者」に常に周りを取り囲まれながら、その殺人者から身を隠して生きてきたのだ。それを公の場で、しかも公の職に就いているものが当たり前のような顔をして口にする。そういう人たちこそ「魂の殺人者」なのである。
 小さな声で「殺さないで…」と呟きながら生きてきた人たちを、なぜ今になっても殺そうとするのか? そこがぼくにはよく分からない。
 「女性スペース」を守れと言う人たち。それは単に女性用トイレや女湯のことなのか。それならば、田中さんの言うように、そこに入ってきて悪事を働く男はただの犯罪者に過ぎないのだから、捕まえて罰すればいいだけの話だ。

もっとも多くコピーされた文字

 近年、日本でもっとも多くコピーされた文字は「アベ政治を許さない」ではなかったか。俳人の金子兜太さんの揮毫による力強い文字だった。むろん、ぼくの仕事部屋の壁にもA4に縮小コピーしたそれを貼っていた。時折、原稿を書き疲れたら目を上げて「アベ政治を許さない」と、自分を励ますのだった。
 このコピー、集会の折やデモ行進の際にたくさん見かけた。多分、数十万枚、いや、ひょっとしたら百万枚以上のコピーがなされたのではないかと思われる。それほど、この文字は「アベ政治」に抗議する人たちを勇気づけたのだ。

 同じような事例に「殺すな」がある。
 これは1967年、アメリカのベトナム戦争に反対した人たちが作った「べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」が、米紙ワシントンポストに出した広告に使われた文字だ。
 当時、ベトナム戦争反対の運動は全世界に拡がり、日本でも大きなうねりとなった。小田実さんや開高健さん、鶴見俊輔さん、澤地久枝さん、吉川勇一さん、小中陽太郎さんらによって結成された、文字通り市民の集合としてのべ平連だった。組織を持たない組織として「べ平連を名乗ったものがべ平連」という不思議な形で、全国各地に無数のべ平連が誕生していった。大学高校はむろん、中学や予備校、各職場、各地域、フリーランスたちなど、最盛期には全国に数千の「べ平連」を名乗る組織があったと言われる。
 そのべ平連が、日本における反戦の想いを米国人と連帯したい、ということでワシントンポスト紙に広告を掲載した。その際に紙面を飾ったのが、岡本太郎さんの「殺すな」の文字だったのだ。その反響は、米国内でもとても大きかったと伝えられている。

 最近でも今年5月3日の「憲法記念日」に、この文字を使った広告が、朝日新聞や東京新聞などに掲載されたから、目にした方たちも多いと思う。むろん、ぼくら夫婦も少ないながら広告費のカンパに応じた。
 1967年当時、コピー機などというものはまだ全く普及していなかったから、この「殺すな」は、印刷物か手書きの模写でしか手に入らなかった。だが、当時の人たちはたいてい何度か目にしていたのだから、懸命にビラを印刷した人や文字を模写した人たちが多数いたのだろう。

「殺すな」ふたたび…

 残念ながら、その「殺すな」を、また使わざるを得ない事態が起きている。日本が「殺傷武器」の輸出に踏み切ろうとしているのだ。これだけは、どうあっても阻止しなければならないと、ぼくは思う。
 例えばこんな記事(朝日新聞7月6日付)。

殺傷兵器の輸出「可能」
掃海や警戒に必要な場合
与党中間報告

 武器輸出を制限している政府の防衛装備移転三原則の運用指針の見直しをめぐり、自民、公明両党は5日の実務者協議で、輸出緩和に向けた中間報告書をとりまとめた。掃海や警戒などの活動や正当防衛に必要な場合、殺傷能力のある武器は輸出することは可能との意見で一致したと盛り込んだ。殺傷能力のある武器は輸出できないとしてきた政府見解の変更につながる内容だ。
 現在の運用指針は「救難、輸送、警戒、監視、掃海」の5類型に限って装備品の輸出を認める。政府は、5類型に殺傷能力や物を破壊する能力がある「自衛隊法上の武器」は含まないとの見解を示してきた。(略)
 「5類型の業務を行うための装備には自衛隊法上の武器に当たる場合があることや、正当防衛を可能とする武器を搭載することは可能ではないかとの意見の一致があった」と記した。(略)

 毎日新聞(7月11日付)にも、気になる記事があった。

次期戦闘機 英伊と新機関
年内にも条約 開発へ調整一本化

 日本、英国、イタリアの3カ国は、次期戦闘機の開発・監督する調整期間を新設する方針を固めた。開発主体の3カ国の民間企業と政府間の意思疎通を円滑化し、各国政府の意向を迅速に反映させる狙いがある。装備品開発を巡り、日本が他国と共同で管理体制を敷くのは初めて。早ければ年内の関連条約署名を目指し、調整を進めている。(略)
 共同開発は三菱重工業、英BAEシステムズ、伊レオナルドが機体設計を担当。この主要3社が出資して共同事業体(JV)を設立し、開発・生産を進める案が検討されている。(略)
 早ければ年内に3カ国で関連条約に署名し、24年後半の新機関発足を視野に入れる。(略)
 日本は米国以外と防衛装備品を共同開発した経験がなく、共同開発で先行する欧州のノウハウを活用する。(略)

 政府はこれまで「殺傷能力のある兵器は輸出禁止」と言ってきた。ところがここにきて、それをどんどん踏み越えている。いかにデタラメな岸田政権といえども「日本が開発する戦闘機は殺傷能力を持たない」などとは言えまい(いや、岸田氏のことだから、つい口走っちゃうかもしれないが)。殺傷能力のない「戦闘機」など、語義矛盾も甚だしい。それじゃ「戦闘」できないだろうが!
 また「正当防衛を可能とする武器を搭載する」ことは認めようともいう。バカを言え! 一旦、某国へ移転(輸出だろ、バカめ!)してしまった武器がどう使われるかなど、チェックできるはずもない。「これは正当防衛だ」とばかりドンパチを始められてしまえば、止める手立てなど、日本にはないのだ。
 ひたすら「武器輸出」に突き進む岸田政権の姿勢が凄まじい。むろん、武器・兵器を防衛装備品、輸出を移転、などと言い換えて恬として恥じない自民党だから、いまさら驚くこともないけれど、黙っていたらとんでもない所へ我々は連れていかれてしまう。
 アベ政権時代から始まったことだけれど、へらへら顔で危険水域へ突っ込む岸田文雄氏には、いっそ本気で腹が立つ。

 そして付け加えておかなければならないのは、公明党という堕落しきった政党のことである。
 この党は、常々「平和の党」を標榜してきたではないか。「反戦平和」を掲げてきたではないか。連立与党でいることも「自民党の暴走に歯止めをかける役割」などとほざいてきたではないか。それがなんだ!
 ぼくはあまり汚い言葉は使わないように気をつけている。だが今の公明党は「下駄の歯にくっついたウンコ」だ。悪臭がする。それでもなお、創価学会の人たちは公明党に投票するのだろうか?

 「殺すな」は、自国民だけではない。
 どんな国の民だって戦闘で殺していいわけはない。
 人を殺す武器を他国へ輸出することを、ぼくは認めない。

 いままた、声を大にして叫ばなければならない。

 殺すな!

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。