第648回:江戸川区遺体放置事件はなぜ起きたのか。の巻(雨宮処凛)

 6月30日、朝日新聞にて、信じがたいことが報じられた。
 東京・江戸川区のアパートで65歳の男性の遺体が2ヶ月以上も放置されていたことがわかったというのだ。

 それだけ聞くと、「孤独死して発見されなかったんでしょ?」と思うかもしれない。しかし、男性の遺体は2ヶ月以上前に発見されていた。が、遺体はそのまま部屋に放置され続けたのだ。一部が白骨化するまで。

 亡くなった男性は江戸川区に住むAさんで、生活保護を利用していた。

 Aさんが亡くなっていることを発見したのは部屋を訪問した介護ヘルパー。ヘルパーの連絡を受けた訪問診療所の医師により、死亡診断を受ける。Aさんは生活保護を利用していたので、Aさんを担当するケースワーカー(20代の男性職員)に連絡がなされた。今年1月10日のことだ。

 通常であれば、そのケースワーカーがさまざまな手続きをする。が、遺体はなぜかそのまま放置され、3月27日、介護用品のレンタル業者が男性宅を訪問したところ、鍵のかかっていない部屋に一部白骨化した遺体が残されているのを発見。

 ケースワーカーは、「仕事に追われて処理を後回しにしてしまった」「日が経つにつれ言い出しにくくなった」と説明しているという。また、区の聞き取りに対して「先輩や同僚にも相談できなかった」と話したそうだ。

 なぜ、前代未聞の「遺体放置」が起きたのか。

 東京都・世田谷区で生活保護の仕事を17年近くにわたってやってきた田川英信さんに聞いた。

 ちなみに田川さんはケースワーカーの経験も10年ほどあるのだが、ケースワーカーの仕事とは、利用者の相談に乗ったり自宅を訪問したり、正確に保護費を計算し、支給したりと多岐にわたる。社会保障制度全般についてはもちろん、依存症や虐待、精神疾患などについての幅広い知識が求められる仕事だ。

 そんなケースワーカーは、以前から「一人あたりが担当する世帯数が多すぎる」ことが問題になってきた。例えば都市部では80世帯、郡部では65世帯が標準となっているものの、現実は一人で100世帯以上担当しているなんてこともザラにある。そうなると、「これ以上、担当する世帯が増えてほしくない」という心理がどうしても働いてしまう。そんなことから起きてしまうのが、よく耳にする「生活保護の水際作戦」だ。

 もちろん、それは許されることではない。が、生活保護に関する多くの不祥事の背景にいつもちらついてきたのが「人手不足」という問題だ。

 ということで、なぜこのようなことが起きたと思うか聞いてみた。

 「まず、職場環境がひどかったんじゃないかと思います。本人は『先輩や同僚にも相談できなかった』と言っていますが、彼は2022年4月に異動してきたばかりの1年目のケースワーカーだったんですね。大抵の自治体では、1年目のワーカーには3年目くらいの職員が先生みたいにつくんです。わからないことがあれば、その人に聞く。その人が忙しそうで聞けなくても、他にも職員がいる。直属の保護係長もいるし、隣の係長もいる。なのに、聞けなかった。それは職場の風通しの悪さかもしれません。彼だけじゃなく、みんなが同じように感じていたのかもしれないですね。パワハラなのか、職場の人間関係がぐちゃぐちゃなのか……」

 それを示唆するようなこともあるという。

 「区議会議員の方から聞いたんですが、この職場の定数は68人で、22年度の年度途中で6人も辞めているそうです。6人も辞めるって、相当なパワハラとか、公務員なんてやってられないって思わないと辞めないですよね。通常、何年か我慢すれば別の職場に行けるのに。江戸川区には生活保護を担当する課は3ヶ所あるんですが、他のふたつでは辞めた人はいないそうです」

 なんだかこの事実だけをもってしても、いろいろと想像が膨らんでしまう。また、「仕事に追われて処理を後回しにしてしまった」ということだが、生活保護の現場はそれほどに多忙なのだろうか。

 「忙しいです。ケースワーカー1年目で、彼は90世帯くらい担当していたと聞いています。年度内に6人辞めたとなると、残された人の仕事はどんどん増えていったことも考えられます。担当世帯の理想を言えば、1年目はせいぜい60世帯くらい、2年目は80世帯が上限。例えばフランスでは、生活保護の現場に来ても1年間は担当する世帯を持たないと聞きました。見習いのように先輩ワーカーの仕事を見せてもらって、1年後に担当を持たされる。ところが日本では、1年目から100世帯とか持たされる。パンクするのは当然ですよ」

 まず、このあたりの部分からの見直しが必要なのかもしれない。

 さて、それでは通常だと、生活保護利用者が亡くなった場合どのような手続きが必要なのだろう。

 「やらなきゃいけないこといっぱいあるんですよ。まず保護の廃止の事務処理。相続人がいる場合は相続人に連絡しなくちゃいけないので、いるかどうかの確認。相続財産、ようは遺留金が数万円残っているとかだったらそれを確認して遺族に引き渡すことまでやらないといけない」

 なかなか大変な作業だ。

 「それと、遺体をそのまま置いとくわけにはいかないので、葬祭業者に連絡して遺体を安置し、火葬します。親族が葬祭費用を持つという場合もありますが、親族がいない、あるいは関わりたくないということもあるので、その時は葬祭扶助を出して火葬する。葬祭扶助は、生活保護を利用していた人の葬祭に出るお金で、約20万円です。そこから遺体の運搬費用や火葬費用を出すんです。あと、家主にも亡くなったことを伝えます」

 一人暮らしの場合、部屋の片付けなどは誰がやるのだろう?

 「原則は連帯保証人ですね。親族や友人、最近は保証会社が多いです」

 なんだか「生活保護版・終活まめ知識」みたいになってきたが、とにかく生活保護利用者が亡くなると、このようなもろもろが発生するわけである。

 「このケースワーカーの方は、職場に来てまだ1年目ですよね。利用者の方が亡くなった時の対応は、東京都の『運用事例集』っていう分厚い手引書にある程度書いてあるんです。でも、1年目だからそういうものがあることも知らなかったかもしれない。気の毒と言えば気の毒です」

 そうして先輩や同僚にも相談できないまま、時間が過ぎていく。

 遺体がレンタル業者によって発見されるのは3月27日だが、解せないのは、2月なかば、ワーカーの上司である保護係長がAさんの死を知ったあとのことだ。通常であれば保護廃止の手続きが取られ、また葬祭扶助を出すなどの手続きでいちいち係長の決裁が必要となるわけだが、何もない。

 「係長も亡くなったことを知っていながら、3月末に遺体が発見されるまで何もしていないんです。遺体がどうなったか、相続財産はどうなったか、そういう確認もしていない。係長が機能していないとしか思えない」

 また、同じ課では今年8月、別の不祥事も公表されている。生活保護費の支給額を決める場合、働いている人であれば給与明細が不可欠なのだが(給与の額によって保護費が増減するため)、ケースワーカーは正確な収入を把握せずに保護費を出していたというのだ。しかも、過去3年間に渡って。貰いすぎていたり、全然足りなかったりといったことが起きていたのだ。どんぶり勘定もいいところである。

 「書類の決裁は係長がやるので、給与明細は絶対見るんです。それがないのに決裁されるなんて、係長がよくわからないままやってたんじゃないかと疑います」

 田川さんによると、生活保護の知識がないまま保護係長になるケースもあるという。今回の件がどうだったのかはわからないが、とにかく「ありえない」ことが連発している職場であることは間違いない。

 そこには、江戸川区独自の事情もあるようだ。

 「国は保護係長が一人で受け持つワーカーの数を、標準で7人程度としています。ワーカー一人あたり80世帯を担当していて、ワーカー7人を受け持つなら、保護係長は560世帯を受け持つことになります。ところが江戸川区は、ワーカー一人あたり90〜100世帯担当していて、保護係長は9〜10人のワーカーを受け持っていた。そうなると、保護係長一人で下手したら1000世帯を受け持っていたということになります。それだけ担当していたとなると、そういうことも起きるよな、と思います」

 田川さんも世田谷区で保護係長をしていたという。

 「私もやってましたけど、90世帯を担当しているワーカーを7人受け持ったら回らない。係長は、この人は年金もらえるかどうか、扶養照会を5年してないけどするかどうか、加算が正しくついているかなどのチェックをするんです。が、800や900担当したらどうしても漏れが起きてしまいます」

 ちなみに明らかな人手不足の場合、国から「もっと人を増やせ」と指導されたりはしないのだろうか。

 「東京都は指導しています。まずワーカーの担当が80世帯を超える場合には、ワーカーが5人足りない、10人足りないと指摘しているんです。それは都の監査資料で公開されています。東京でひどいのは八王子市で、一人のワーカーが140世帯とか担当している。ワーカーの数が約40人足りていないと指摘されてるんです」

 そのような場合、すぐに人手は増やされないものなのか。

 「市長や副市長の考え方や、福祉事務所長や部長クラスが強く『人を増やして』と言うか言わないかなどもあります」

 福祉に積極的に予算を回す自治体かそうでないかによって、現場の人員配置まで変わるという現実。なんだかそんなことを思うと、今回のワーカーも、保護係長も、被害者の面もあるように思えてくる。

 「そうなんです。これは江戸川区だけの問題じゃないんです」

 こういった状況の背景には、国が公務員を減らし続けてきたこともある。05年頃には、5年間かけて約7%減らすという数値目標も掲げられた。そうして公務員がどんどん減らされた結果、生活保護の現場である福祉事務所からも人が減らされた。が、生活保護を利用する人はどんどん増え、11年に過去最多の205万人を突破。以来、高齢化などを背景に高止まりを続けている。利用者が増えたのに、現場の人は減らされたまま。

 ちなみに日本の公務員は多すぎると思っている人もいるかもしれないが、人口1万人あたりの公務員の数は、アメリカの2分の1、イギリスの3分の1。公務員が減らされた弊害のツケを、コロナ禍、私たちは保健所のパンクなどで痛感したはずだ。

 しかし、今すぐに公務員を増やすことは難しい。そこで田川さんに、江戸川区のこの職場をどのように改善していけばいいか聞いてみた。

 「まず職場の雰囲気作りですね。係長は、『困ったことがあったら相談してよ』ってメッセージを絶対出さなきゃいけない。わからないことがあったら聞いて、忙しそうにしてても絶対あとで答えるし、今は時間ないけどあとで資料と説明するから、とか。あと私は、係会というのを定期的に開いていました。全員参加で最新の情報を共有する場で、そこに研修を入れたり…」

 江戸川区では、ただひたすら業務に忙殺され、そのような時間さえなかったのだろうか。

 謎は膨らむばかりだが、今回の件を受けて、江戸川区では7月、第三者委員会を設置。再発防止に向けた検証を行うと発表した。そうして9月5日、第一回目の検証委員会が開催された。

 一方、生活保護問題に取り組む「生活保護問題対策全国会議」はこの件について、江戸川区に公開質問状と要望書を出している。

 13年、生活保護基準は過去最大に引き下げられ、その状態は今も続いている。このことについて、利用者からは「政治に見捨てられているようだ」という声を多く聞いてきた。

 その一方で、今回の件から浮かび上がるのは、生活保護の現場で働く人々もまた、決して大切にされていないのではないかということだ。

 しかし、生活保護の現場の人が働きづらい社会は、私たちが困った時、「水際作戦で追い返される」ことを心配しなくてはならない社会だ。最後のセーフティネットの入り口で弾かれてしまうかもしれない社会だ。

 ちなみに生活保護をめぐる不祥事を起こし、その後、生まれ変わった自治体はいくつもある。代表的なのが「ジャンパー事件」の神奈川県小田原市。また、保護費を巡る不適切処理があった東京都国立市も検証委員会が設置され、そこでの議論などを経て生活保護行政が大きく改善されたという。

 できるなら、今回の件を契機としてさまざまなことが見直され、江戸川区も「生まれ変わった自治体」となってほしい。

 まずは検証委員会を、しっかり見守っていきたいと思っている。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。