第128回:ゆっくりと、カタツムリのように。(想田和弘)

 瞑想を習い、毎日実践し始めて約7年になる。

 当初は自分だけで座ることが多かったのだが、1年半くらい前から、毎朝30分、実家の両親とLINEで音声をつないで瞑想するようになった。そこに姉や姪もときおり参加する。

 きっかけは、父の身体の不調である。

 2年くらい前から、ときどき血圧が乱高下して、めまいや吐き気を訴えるようになった。高齢なので別に不調があっても不思議はないのだが、2度目のコロナワクチンを打った2日後から始まったことなので、僕はその影響を疑っている。

 いずれにせよ、健康に自信があり、学生時代に一度も学校を休んだことがないのを自慢にしていた父は、調子を崩してから急に心細く感じているように見えた。めまいと吐き気で寝込んだある日、電話口の声がかなり苦しそうなので、僕は「寝たままでいいから、瞑想、やってみる?」と提案してみた。

 すると父は弱々しい声で「ああ」と答えた。

 まさかそういう答えが返ってくるとは思わなかった。父はそもそも、瞑想になどまったく興味がないタイプだし、僕が何かを提案しても、だいたいは却下されるのが常だったからである。そういう父が瞑想を試してみる気になったのは、心身ともに、よほど辛かったからだと思う。

 僕は電話口で、瞑想のガイドを始めた。

 「目を瞑って、身体をリラックスさせて、口を閉じて、鼻呼吸。鼻腔を通る、吸う息、吐く息、呼吸の感覚にすべての意識を集中し、つぶさに観察します…」

 ガイドをしながら、僕も瞑想を始めた。そして30分が経った。

 父に瞑想の終わりを告げ、目を開けるように促した。

 「親父さん、どう?」

 「なんか、楽になったな…」

 かすれた声で、父は答えた。

 「ありがとう、眠くなったから切るよ」と言って、電話を切った。その晩は、そのまま眠ってしまったようだ。

 以来、父が調子を崩すたびに、電話でつないで、あるいはときには対面で、一緒に瞑想をした。実際、瞑想をすると心が落ち着いて、血圧が安定するのだそうだ。血圧が精神状態によって大きく左右されることを考えれば、当然と言えば当然である。

 そこで僕は、毎朝決まった時間にLINEでつないで、一緒に瞑想することを提案した。父は二つ返事で「うん、じゃあ頼むわ」と言った。

 すると「お父さんがやるなら」と言って、母までが瞑想に参加するようになった。二人とも家にこもって運動不足なので、瞑想のついでに約20分間、ストレッチ体操もするようになった。いわばリモート・セルフ・デイサービスである。

 僕がそういう年齢になってきたということか、あるいは世の中があまりにストレスフルで生きにくいからなのか、父や母以外にも、周りで瞑想に興味を示す人は多い。

 とはいえ、瞑想に興味のある人がいても、僕の方から一緒に座ってみることを提案することは、なんとなくためらわれた。僕自身、他人様に瞑想を指導できるほど瞑想を体得しているわけではないし、差し出がましい気もしたのである。

 しかし一方、僕がためらうせいで、その人と瞑想との出会いを阻んでしまうのも、なんだかもったいない気もした。

 そこでウチに遊びにきた人で、「ぜひ試してみたい」という人とは、一緒に座ってみるようになった。すると、一緒に座ったことを契機に本格的に瞑想修行を始めて、人生が根本から変わったという人も出てきた。そういう人が一人でもいるならば、僕のやり方も大きく間違ってはいないような気がした。

 それでついに一週間前、カミさんが太極拳の道場として使っている蔵の2階で、初めて「瞑想の会」を開くことにした。ただし、僕は「先生」ではなく、一緒に瞑想する「ガイド」。参加費は無料である。

 「一人でも参加者がおられたら、それでよし」と思い、A4に手書きで書いた告知のポスターを1枚だけ道場に貼った。ネット上での宣伝や告知は無し。顔の見える範囲で、ゆっくりと自然に始めたいと思ったからである。ガンディーが言うように、「よきことはカタツムリのように、ゆっくり歩む」はずである。

 すると驚いたことに初回から12人が参加し、蔵の2階がほぼいっぱいになった。30分間一緒に座った後で感想を聞いてみると、「今までの人生のなかで、これほど心が落ち着いたのは初めて」という人がいた。

 手応えを感じた。

 とりあえず月に2回くらい、「瞑想の会」を開こうと思う。

 ゆっくりと、カタツムリのように。

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想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ):映画作家。1970年、栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒業。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。最新作『五香宮の猫』(2024年)まで11本の長編ドキュメンタリー作品を発表、国内外の映画賞を多数受賞してきた。2021年、27年間住んだ米国ニューヨークから岡山県瀬戸内市牛窓へ移住。『観察する男』(ミシマ社)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)など著書も多数。