第281回:ニッポン てんやわんや(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

「NGリスト」のてんやわんや

 なんだか、ニッポン中“てんやわんや”である。
 この「てんやわんや」って言葉、今ではもう死語の部類だろうけれど、みんなが勝手に大騒ぎしていて収拾がつかない…というような意味だろう(そういえば、かつて「獅子てんや・瀬戸わんや」という漫才コンビがいたけれど、憶えている人、いるかなあ?)。
 どうも最近のニッポン、この死語が甦っているようだ。

 最近のもっとも“てんやわんやな例”が、ジャニーズ事務所記者会見。
 大モメの会見について、最初は「指名されていないのに、大声で騒ぐヤツが悪い」という感想が多く、「井ノ原(快彦)さんが『落ち着きましょうよ、子どもたちが見ているし…』とたしなめたのはさすがだ」と、ジャニーズサイドを擁護する意見が多かったようだ。だが、NHKが「指名NGリスト」なるものをスクープして、風向きがガラリと変わった。皮肉なことに、そのリストを手許に司会役を務めたのが、元NHKアナウンサーの松本和也氏だった、という皮肉なおまけまでついている。
 その松本氏の言い訳がシドロモドロ。「NGリストは手許にあったが、それに沿って進行したわけではない」などと言い訳するから、余計おかしくなってしまった。だったらなぜ「顔が分からなくなってしまった」などと呟いたのか。
 これ、リストに載った顔が分からなくなった、という意味以外には考えられないだろう。すると「いや、一度当てたかどうか、それが分からなくなったという意味」などと弁解するから、さらに収拾がつかなくなった。
 だいたい、そのリストを作成したのはコンサル会社で、ジャニーズ側は関係ないと弁解する。だがそのリストは、事前のジャニーズ事務所とコンサル会社の打ち合わせ会議に提出されていた。会議でそれを見て「NGって何ですか、絶対に当てなくてはいけない」と井ノ原氏が言ったとされている。だが、そんな言い訳は通るまい。なぜその際に「そんなリストは廃棄してください」と言わなかったのか。NGリストを廃棄しておけば、こんな騒動にはならなかったはずだ。
 もうメチャクチャ、てんやわんやである。
 子どもが見ているからではなく、子どもに見せられないような会見をしたジャニーズ側の問題だろう。

 だが問題は「指名NGリスト」にあるのではない。この記者会見の設定自体がおかしいのだ。一社一問、指名制、再質問はなし、2時間制限…。これがルールだという。こんな一方的なルールを、なぜ報道陣が飲まなきゃいけないのか。大きな疑惑があるのだから、それを解明するためには、2度3度と問いを重ねなければならないのは当たり前だ。それを最初から封じられては、まともな会見になるはずもない。
 政治家の記者会見だって同じことだ。首相会見などは一人一問、まるで飼い馴らされた猫のようにゆるい質問で、はい終わり。そんな光景を、ぼくらは見せられ続けている。だからジャニーズ側も「あれが通るなら、我々も政治家の会見と同じようにやっても問題あるまい」と考えたのではないか。
 悪貨は良貨を駆逐する…のである。

「お留守番」のてんやわんや

 わけの分からない「条例案」をめぐって、埼玉県議会がてんやわんやだ。
 自民党が提出して審議中の「県虐待禁止条例改正案」というヤツだ。自民党県議団の説明がスゴイ。
 朝日新聞(10月9日付)によれば、こんなことだ。

子ども放置禁止 条例案波紋
自民提出「子どもだけの登下校や留守番も虐待」
保護者ら「追いつめられる」「監視社会に」

 埼玉県議会で審議中の県虐待禁止条例改正案が波紋を呼んでいる。全国で相次ぐ置き去りによる子どもの死亡事故を受け、子どもを自宅や車内などに放置することを禁止する内容だが、提出した自民党県議団の説明では、従来の「虐待」の範囲を大きく広げるものだったためだ。(略)
 改正案には、禁止行為について「住居その他の場所に残したまま外出することその他の行為」としか記されていないが、自民の小久保憲一県議は6日の委員会で提案者を代表し、子どもだけの登下校や短時間の留守番なども禁止行為にあたると答弁。子どもの安全が確保できず、保護者らがすぐに駆け付けられないような場合は「放置」にあたるとの考えも示した。
 罰則は設けないが、成人の養護者が小学3年生以下の子どもを放置することを禁じ、4~6年生については努力義務とする。県民には通報を義務づける。(略)

 なんとも言いようがない。
 親たちからはすぐさま批判の声(悲鳴)が上がった。当然だ。ほとんどの家庭が共働きの現在、そんなことが可能かどうか、少し考えたら分かるはず。ことにひとり親の場合、子どもに付き添って登下校などできるわけもない。
 しかも「県民には通報義務」があるという。「〇〇さんのうちのお子さんが、ひとりで登校していましたよ」と、おせっかい人間が警察や役所に電話をかけるのを推奨する。まさに異様な監視社会の到来、密告の奨励である。
 こんな提案をした自民党県議たちは、毎朝、実際に子どもを学校まで送り届けているのだろうか。ちょっと近所のコンビニで買い物をする際にも、必ず子どもを連れていくというのだろうか。自分自身のことを考えれば、こんな条例案の荒唐無稽さはすぐに分かるはず。おまえはアホか、と言いたくなる。
 どうしてもこれを成立させたいというのなら、小学3年生以下の子どもには行政が見守り人の手配を義務づけ、ベビーシッター制度の完全化を図り、その費用を全額行政負担とするなどの「制度確立」が先決である。そんな裏付けもなにもなく、親に無理を押し付けるとは政治の放棄だ。
 これに関し、「アメリカでは同様の法律がある」などと知ったかぶりのツイート(X)もあった。だが、銃社会のアメリカを持ち出してどうするのか。保護者が心配で車での送り迎えしているのだ。また、ほとんどの学校がスクールバスを運用しているアメリカとは比較にならない。日本もスクールバスを完備してから言え、と返したくなる。
 どうも、家庭第一をやたらと標榜する統一教会の臭いを感じてしまうのは、ぼくだけだろうか?
 ここまで書いたが、10日午後、自民党はこの改正案を取り下げたとの報が入った。あまりの不評に恐れをなしたらしい。声を挙げれば少しは政治も変わる、これもそんな例だったみたいだ。まずは、ホッ!

「増税メガネ」のてんやわんや

 岸田首相は「増税メガネ」というあだ名に、たいそうご立腹のご様子。やたらメガネにこだわる岸田氏が、そのメガネに「増税」などをくっつけられては、せっかくのセールスポイントに傷がつくということなのだろう。他にたいして自慢する部分がないので、これは頭に来るのかしら。
 しかし、このあだ名は核心をついていると思う。
 岸田経済政策の眼目は「新しい資本主義」だった。アベノミクスの評価が低いので、それとは違った経済政策を打ち出したかった。つまり「分配と成長の好循環」などを示すもの。アベノミクスのトリクルダウン(企業が儲かれば、それが労働者にも滴り落ちてくる)から脱却して、労働者に直接分配するような政策、とでも言えばいいだろうか。
 しかしこれも、当初は「分配と成長」だったものが、いつの間にか「成長と分配」と、どうも企業の成長が先という形に変わってしまった。だが「成長と分配」でさえ実現しつつあるとは到底言えない。それどころか、通勤手当にまで課税するというような議論までなされ、庶民は「増税内閣だ」と激しく反発している。
 頭の中が「解散総選挙」ばかりの岸田氏だが、これでは解散なんかできやしない。そこで急に「減税」を言い出した。「増税メガネ」ではなく「減税メガネ」と呼んでほしいらしい。だが、その減税の中身が問題だ。
 岸田氏の言う減税は「企業減税」が主なのだ。法人税を減税することによって、賃上げをしやすくするというリクツである。話が逆転している。ほんとうに、庶民の暮らしを考えるならば、単純に「所得税減税」がいちばん効果があるはずだ。もっと直接的には「消費税率の切り下げ」だろう。
 岸田氏が解散風を吹かせたことによって、選挙を意識した自民党内に、急に「減税論者」たちが発生し始めた。党内の若手議員たちで作る「責任ある積極財政を推進する議員連盟」が、萩生田政調会長らに「消費税を5%に」などと申し入れた。まさに、野党の言い分のいいとこ取りだ。それに呼応するように、党幹部の茂木幹事長や世耕参院幹事長までが「増収分を減税へ」などと言い始めた。
 財務省がウンと言いそうもないことを言い始める。最初から実現可能性のない、選挙向けのリップサービスでしかない。
 自民党内はシッチャカメッチャカ、てんやわんやなのである。

「連合」のてんやわんや

 芳野友子連合会長は、連合大会に岸田首相を招いてニッコニコ顔。現職首相が連合大会に招かれるのは16年ぶりだとか。労働組合組織も地に堕ちた。
 生活格差が拡大する中で、貧困にあえぐパートや派遣労働者の代表をなぜ呼ばない。フリーランスが呻吟するインボイス制度などが強行されるのに、その責任者たる現職首相を招いて“祝辞”をいただいて喜ぶのが連合だとすれば、もはや連合は弱者の敵である。
 円安は止まらず、ついに1ドル=150円というところまで来た。当然、自動車に代表される輸出企業は笑いが止まらないだろうが、輸入産業や小売業界からは悲鳴が上がる。120円で輸入できたものが150円となれば、もう企業努力ではどうにもならない。
 そんな状況下で「政労使協議で賃上げを」などと言う連合は、どこの国の組織なのか。アメリカでは全米自動車労組が大きなストライキを打つ。政府に頼って賃上げをなどと、日本の労働組合は骨抜き。
 ストを忘れた連合は、うしろのお山に棄てましょか…である。
 ここは、てんやわんや以前に、もはや没落寸前だ。

「維新万博」のてんやわんや

 先週のこのコラムで、声を上げればほんの少しでも世の中を変えられる、と書いた。
 札幌の秋元克広市長は10月5日、ついに「札幌五輪」の2030年招致を断念する方針を明らかにした。2034年以降の五輪開催招致に切り替えるという。なんともみっともない五輪執着だが、ともあれ、一旦は五輪開催を諦めたわけだ。これも、北海道民を始めとする国民の声に、秋元市長もJOC も屈したということだ。声を上げることの大切さだ。てんやわんやの顛末だった。
 この声を大阪維新にも届けたい。大阪“維新万博”である。
 このイベントほど、てんやわんやの好例もそうはない。てんやわんやどころか、シッチャカメッチャカ、デタラメ、滅茶苦茶、吉本もびっくりの大喜劇、そして金銭的には大悲劇の展開。こんなイベントも珍しい。
 2度にわたる費用上振れで、万博の当初予算1250億円が1850億円になり、さらに2350億円にまで膨れ上がった。大阪府と大阪市、国、経済界がそれぞれ3分の1ずつ負担するというが、大阪分は大阪の市民たちが、国の分は我々国民が負担することになる。ぼくの税金を1円だってそんなところに使ってほしくない!
 あれほどエラソーに「維新の成果」を誇っていた吉村府知事が、突然「これは国家事業だ」と言い出して責任回避。むろん、“維新万博”が大コケするのがはっきりしたので責任転嫁である。
 難破船から逃げ出すネズミ、みっともないったらありゃしない。
 ここはぜひ、大阪府市民が声を挙げて、万博中止に追い込んでもらいたい。ぼくら日本国民、それだったら大いに応援する。

「戦争」は、てんやわんやどころじゃない

 世界はもっと凄まじい。
 イスラエルとパレスチナの衝突は、ついに「戦争状態」というしかなくなった。パレスチナの軍事組織ハマスは、数千発に及ぶミサイルをイスラエル側に撃ち込み、対してイスラエルは報復攻撃でパレスチナ住民のガザ地区を大空襲。
 すでに、双方で1500人以上もの死者が出ているという(10月10日現在)。
 ハマス側は、イスラエル領内に塀を破って侵入、直接の銃撃戦を行い、百人にも及ぶイスラエル人を人質としてガザ地区へ拉致したという。「人間の盾」として使うことでイスラエル側の攻撃を鈍らせ、更にはイスラエル側に捕らえられているパレスチナ人との捕虜交換に用いるためとも言われる。
 イスラエルのネタニヤフ極右政権は、停戦に応じる気配などまったくなく、「徹底的に敵を殲滅する」と強硬姿勢だ。
 イスラエルは、本来はパレスチナ人の居住区であったヨルダン川西岸に次々と移植者を送り込み、実質的に自国領土化し続けている。むろん、それは国際法違反であり、国連も何度も非難決議を出しているが、アメリカや欧州諸国の後ろ盾をいいことに、イスラエルは西岸地区から撤退する様子などまったくない。
 これでは対立が激化するばかり。
 まるで先行きの分からない軍事的なてんやわんや…。
 いや、ウクライナ戦争を見ても、戦争はてんやわんやどころじゃない。
 人間を殺すのだ。
 バイデンもマクロンもスナクもショルツも、ハマスを非難している。民間人をも標的にしているハマスは非難されても仕方がない。しかし、イスラエルの政策が変わらない限り、この対立はおさまらないだろう。
 圧倒的な非対称、それがイスラエルとパレスチナ……。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。